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第三十八話

 南桜図書館での調査を経て、鬼塚探偵事務所に再び依頼が舞い込んだ。

 訪れたのは、地元の神社関係者の男性だった。痩せた体に古びた作務衣を纏い、深々と頭を下げて口を開く。


「……お願いです。東の社を見ていただけませんか」


 東の社――街外れの小高い山にひっそりと残る神社跡。

 戦後の区画整理で忘れ去られ、いまは荒れ果てて久しいが、近隣住民の間で近頃「夜な夜な黒い影が祠を徘徊する」という噂が立っていた。


 依頼人の声は震えていた。

「先日、氏子の一人が勝手に足を踏み入れて……その夜から、高熱にうなされ続けています。医者も原因が分からないと……。古い記録には、祭文を破れば祟りが及ぶとありました」


 里沙が息を呑む。

「……やっぱり祭文……」


 蓮司は腕を組み、依頼人を見据える。

「分かりました。俺たちで調べましょう。ただし、氏子の人たちには近づかせないようにしてください」


 依頼人は深く頭を下げる。

「どうか……どうかお願いいたします」



 数日後の夜。

 蓮司と里沙は、依頼人の案内を受けて東の社へと足を踏み入れた。


 鬱蒼とした森の奥、石段は苔に覆われ、鳥居は傾き、拝殿は半ば崩れていた。

 風に揺れる木々の間から、かすかに呻くような声が聞こえてくる。


「……この気配、間違いないわ」

 里沙の瞳が細く光る。


 蓮司は懐から霊符を取り出し、低く呟いた。

「――東の影、か。来いよ……隠れているならな」


 その言葉に応えるかのように、拝殿の奥から黒い靄が溢れ出した。

 人の形をとるその影は、両手に古びた木簡を抱え、虚ろな目で二人を見つめていた。


「……祭文を……返せ……」


 空気が震え、鳥居の向こうでカラスが一斉に鳴き叫んだ。



 拝殿の奥から溢れ出した黒い靄が、人の姿を形づくる。

 目鼻のない顔に、ただ深い穴のような虚ろな眼孔が二つ。両腕に抱えるのは、砕けかけた古い木簡だった。


「……祭文を……返せ……」


 声は風のざわめきに混じって、直接頭に響いてくる。

 里沙は一歩前に出て、両手を胸元で組んだ。


「あなたが東の影……なのね。どうして祭文を求めるの?」


 影の眼孔が、わずかに光を帯びた。

「……祭文は……封じの鎖……七つの社、七つの影……血を捧げ……大祀おおまつりを……」


 その声には、千年を越える疲弊と執念が混じっていた。


 蓮司が低く問いかける。

「大祀とは何だ。何を封じた? 主とは何者だ」


 影の体が震え、靄が拝殿を覆う。

「……主は……人にあらず……門の向こうより来たりしもの……我らは……そのために……縛られし影……」


 里沙が眉を寄せる。

「つまり、あなたたちは生贄……封印のために選ばれた存在だったのね」


「……違わぬ……しかし……封印は揺らぎ……祭文は裂け……我は……祟りと成り果てた……」


 影の声が次第に荒ぶり、黒い靄が風のように吹き荒れた。

 木簡を抱くその姿は、哀れにも見えるが、同時に強い怨念を孕んでいる。


 蓮司は煙草を咥え、火をつけることもせずに影を見据えた。

「……七つの影が揃えば、主が解き放たれる……そういうことか」


「……門は……開かれる……七つの祭文……七つの血……」


 影の声はしだいに濁り、地面に亀裂が走る。

 それは、理性を失いかけている証だった。


 里沙は息を呑み、蓮司を見た。

「……もう長く対話は続かない。蓮司さん――」


 蓮司は静かに頷き、木簡を握りしめる影を見据える。

「なら――力ずくで語らせてもらうまでだ」


 次の瞬間、影の靄が爆ぜ、拝殿全体を黒炎のように覆い尽くした。



 拝殿を覆う黒炎が揺らめき、影の体が裂けるように震えた。

 その虚ろな眼孔から、途切れ途切れの声が漏れ出す。


「……門は……東だけでは……ない……北に……封じ……南に……血を……西に……火を……」


 里沙がはっと息を呑む。

「四方……! 四方に影を散らし、主を囲んでいたのね!」


「……だが……封じを破ったのは……人……人の欲……我らは……縛られ……祟りへと……変えられた……」


 影の声が急に歪み、苦痛とも怒りともつかぬ叫びに変わる。

「……主は……門の向こうで……まだ……飢えている……!」


 その言葉と同時に、拝殿の梁が軋み、鳥居の上から瓦が崩れ落ちた。

 黒炎が渦を巻き、影の輪郭が異様に膨れ上がっていく。


「……祭文を……返せェェェェェ――ッ!」


 空気が爆ぜ、地を這う黒い腕が一斉に伸びた。

 その勢いは、もはや対話を許さない。


 蓮司は煙草を指で弾き捨て、里沙へ短く言った。

「――来るぞ、構えろ」


 里沙は印を結び、呪符を広げる。

「了解!」


 黒炎が奔流となり、二人を呑み込もうと襲いかかる――。



 黒炎が奔流となって襲いかかった瞬間、蓮司は床板を蹴り、里沙を庇うように前へ飛び出した。

「っ……!」

 腕に纏った霊力を迸らせ、迫る黒い腕を叩き払う。閃光が散り、畳が裂け、焦げた臭いが広がった。


「蓮司さん、右から来ます!」

 里沙が声を張る。同時に彼女の呪符が空を舞い、青白い火花となって影の腕を焼き払った。


 だが――影は止まらない。

 拝殿の柱から柱へと黒炎が駆け、天井にまで届く腕が無数に伸びてくる。梁を握り潰し、天井板を崩しながら、まるで拝殿そのものを呑み込もうとしていた。


「ここを崩す気か……!」

 蓮司は歯を食いしばり、両掌を合わせる。

 霊力が轟き、白炎が一気に広がって黒炎と激突した。


 轟音。拝殿の空気が爆ぜ、二色の炎が渦を巻きながら衝突する。

 その圧力で障子が吹き飛び、外の森が赤黒く照らし出された。


「――まだ力を隠している!」

 里沙が叫び、さらに呪符を重ねる。結界の光が張り巡らされ、二人を包み守る。


 だが影は、拝殿の奥に抱えた木簡を掲げ、咆哮を上げた。

「……祭文は……我らの血……七つ揃わねば……門は……!」


 その瞬間、黒炎が爆発するように拡散し、拝殿の床下から無数の呻き声が湧き上がった。

「苦しい……」「返して……」「鎖を断て……」


 犠牲となった影たちの声が、空間を満たす。

 その声は哀れにも救いを求める響きを持ちながら、同時に二人の意識を揺さぶる呪詛でもあった。


 里沙の顔が苦痛に歪む。

「……声が、頭に直接……っ!」


 蓮司は彼女の肩を掴み、低く叱咤する。

「惑わされるな! これは影に縛られた怨念だ!」


 再び黒炎の腕が襲いかかる。

 今度は拝殿中央にある古い祭壇を破壊しながら、二人を押し潰そうと迫ってきた――。



 拝殿の中央で黒炎が渦を巻き、影の両腕に抱かれた木簡が淡く赤黒く輝き始めた。

 その表面に浮かび上がったのは、途切れ途切れの古い文字――「大祀」「七影」「鎮め」の文字が血のように浮かび上がっていく。


「……これが……祭文……!」

 里沙の声に緊張が走る。


 影が吠えるように言葉を紡ぐ。

「……血を捧げ……影を束ね……門を閉ざす……だが……鎖は裂け……主は……待ち続ける……」


 その瞬間、拝殿の床板一面に、木簡と同じ古代文字が浮かび上がった。

 赤黒い光が畳を焼き、陣形のように広がっていく。


 蓮司は歯を食いしばり、掌を地面に叩きつけた。

「……地脈を使っているのか!」


 床下から伸びる黒炎の腕が、今度は形を持ち始めた。

 それは、古の祭祀で使われたであろう仮面のような顔、剣のような形、そして人影――。

 まるで祭文そのものが武器や呪具となって顕現し、二人を試すかのようだった。


「この力……ただの怨霊じゃない。封印そのものが、力に変わっているのよ!」

 里沙は苦渋の声を上げながら、結界の光をさらに強める。


 影の声が再び空間に響き渡る。

「……祭文を……返せ……七つ揃わねば……主は……喚ばれる……」


 返せという叫びとともに、木簡から放たれた黒炎の剣が振り下ろされる。

 蓮司は咄嗟に前へ出て、その一撃を霊力の壁で受け止めた。


「ぐっ……! 重い……っ!」

 黒炎の剣が壁を削り、床が割れ、拝殿全体が悲鳴を上げるように軋む。


 里沙が印を結び、呪符を矢のように放つ。

「蓮司さん、押し返して! 今なら――!」


 蓮司は全身に霊力を巡らせ、白炎のオーラを一気に解き放つ。

 その光が黒炎の剣を押し返し、拝殿に閃光が走った。


「……お前たちが七つを揃えるのか……それとも……喚び戻すのか……」

 影は呻きながらも、不気味に笑う。


 言葉は断片的だが、その響きは確かに――七つの影と祭文の真実へと繋がっていた。



 拝殿を震わせるほどの衝撃の応酬の最中、影の体がぐらりと揺れた。

 木簡が赤黒い光を溢れさせ、裂けた声が空気を震わせる。


「……主は……眠らぬ……門の向こうで……喰らう……」


 蓮司が眉をひそめる。

「……喰らう?」


「……影を……血を……記録を……すべて……」

 影の声は不鮮明で、ところどころ千切れながらも続く。

「……七つの影は……鎖……同時に供物……揃えば……主は……蘇る……」


 里沙が顔を強張らせる。

「つまり……七つが揃ったら、主が解き放たれるだけじゃない。七つそのものが主の糧になる……?」


「……誰が……喚ぶのか……人か……神か……それすら……」

 影は呻き、黒炎の腕を乱暴に振り回す。拝殿の柱が裂け、屋根瓦が次々と落ちていく。


「……ただ……門が開けば……影も……人も……裁かれる……」


 その声には、怨嗟だけでなく、どこか恐怖の響きがあった。

 影自身ですら主を畏れている――それが里沙には伝わった。


「……影が恐れてる……主は、祟り神をも超える存在……!」


 蓮司は歯を食いしばり、白炎をさらに高める。

「なら、ここで止めるしかねぇ!」


 影の虚ろな目孔が赤く燃え、最後の叫びを放つ。

「……鎖を断つな……揃えるな……喰らわれるぞォォ――!」


 その瞬間、影の全身から黒炎が爆ぜ、拝殿内部が暗黒の嵐と化した。



 拝殿を黒炎が荒れ狂い、柱は裂け、屋根瓦が次々と落下する。

 その中心で、影は木簡を抱え、なおも「返せ」と呻き続けていた。


「……このままじゃ拝殿ごと呑み込まれる!」

 里沙が声を張り上げ、結界を強める。だが結界は軋み、ひび割れ始めていた。


 蓮司は一歩踏み込み、低く叫んだ。

「里沙――合わせろ!」


「はい!」


 二人の気配が同時に膨れ上がる。

 里沙の周囲に浮かぶ呪符が一斉に輝き、陣形を描くように宙を舞った。

 蓮司の体から迸る白炎が、それらを鎖のように繋ぎ、巨大な紋様を拝殿の床一面に描き出す。


「――鎮霊結印ちんれいけついん!」


 床から光が噴き上がり、黒炎を押し返す。

 影の腕が弾け飛び、呻き声が重なった。


「苦しい……」「鎖を……断て……」


 犠牲者たちの声が空気に木霊する。だがその哀声に、蓮司は決して怯まない。

「怨念だろうが、縛られていようが――今ここで止める!」


 白炎が一気に収束し、巨大な槍の形を取る。

 里沙の呪符がそれに沿って流れ込み、鋭い刃のように光を纏った。


「蓮司さん――!」

「行くぞ!」


 二人の声が重なり、白炎の槍が黒炎の嵐を切り裂いた。

 轟音とともに拝殿の天井が吹き飛び、夜空が一瞬、昼のように照らされる。


 影の身体が裂け、抱えていた木簡が床に叩きつけられた。

「……ぐ……ああああ……!」


 黒炎が四散し、拝殿を覆っていた嵐が一気に収束していく。

 残されたのは、呻き声と共に崩れ落ちる影の姿だった。


 第一段階戦闘――突破。



 白炎の槍に貫かれた影は、崩れかけた拝殿の中央で膝を折った。

 黒炎は散り散りに飛び、拝殿の梁にまとわりついた怨念の声も次第に薄れていく。


 蓮司と里沙は息を整えつつ、なお影を見据える。


 影は虚ろな眼孔を天井に向け、かすれた声を搾り出した。

「……鎖は……七つ……そのすべてが……主の糧……」


 里沙が駆け寄り、問いかける。

「主は……何者なの……? 本当に門の向こうから来る存在なの?」


「……主は……人の形を借り……祀られし神と……偽られた……」

 その声は断片的で、ところどころ途切れている。


 蓮司の目が鋭く光る。

「……神のふりをした怪異……?」


 影はかすかに頷くように揺れ、さらに言葉を重ねた。

「……人の欲が……呼び……影を……供物に……我らは……守り手にあらず……捧げもの……」


 その瞬間、影の体が大きく震え、崩壊が始まった。

 黒炎が細い糸となって消えゆき、拝殿の床に抱えられていた木簡だけが残された。


「……門が開けば……影も……主も……同じ……喰らう……」


 最後の言葉は風に溶けるように消え、影は完全に崩壊した。


 残された静寂の中、里沙は深く息を吐いた。

「……神じゃなく、偽りの神。それを祀ったせいで、影が生贄にされた……」


 蓮司は黙って木簡を拾い上げ、光にかざした。

 赤黒く刻まれた古代文字が、夜の闇の中で鈍く輝いていた。



 拝殿の黒炎は消え、残されたのは崩れた梁と煤けた床。

 夜風が吹き込み、焦げ臭さと湿った土の匂いが入り混じる。


 里沙は肩で息をしながら、周囲を見渡した。

「……静かになったわね。でも……」


 その視線の先、拝殿の奥にある祭壇の石板がかすかに脈打つように光っていた。

 淡い赤黒い光が、まだ地の底でうごめいているものを示すかのように。


 蓮司は木簡を懐に収め、低く呟いた。

「……消えたのは影だけだ。封印の根は、まだ残ってやがる」


 森の奥から、フクロウの鳴き声が響いた。

 だがその声は妙に歪み、遠くで人の呻きに似て聞こえた。


 里沙は思わず背筋を伸ばし、蓮司に寄り添う。

「……これが主の影響……?」


「分からん。ただ……放っておけば、また影が現れるだろう」

 蓮司は夜空を見上げる。雲間から覗く月が、不気味に霞んでいた。


 二人は社を後にし、石段を下り始める。

 だが背後の拝殿では、誰もいないはずの空間で――

「返せ……」と囁く声が、微かに残響のように響いていた。



 森を抜け、参道の石段を下りていく。

 夜風は冷たく、さっきまで荒れ狂っていた黒炎が嘘のように静まり返っている。

 里沙は胸の奥にざらつく違和感を抱えたまま、振り返った。

 拝殿はすでに闇に溶け込み、さきほどの戦闘が幻だったかのように佇んでいる。


「……終わった、はずよね」

 自分に言い聞かせるように呟く声。


 蓮司は無言で懐の木簡を叩いた。

「いや、始まったばかりだ」


 その時だった。

 参道の石段の下――月明かりに照らされた鳥居の傍に、人影が立っていた。

 白いワイシャツにスーツの上着を羽織った男。

 だがその佇まいは、ただの通りすがりとは言えない。


 里沙が立ち止まり、息を呑む。

「……誰……?」


 男はゆっくりと顔を上げ、月光に浮かんだ瞳が赤く光った。

「――やはり、動いたか。鬼塚探偵事務所」


 蓮司の目が細められる。

「……俺たちを知っているのか」


「七つの影を追うお前たちを、放っておくわけにはいかない」

 男はポケットから古びた懐中時計を取り出し、指で弄びながら不気味に微笑んだ。

「時は迫っている。主の目覚めは近い」


 里沙は一歩踏み込み、問いかける。

「あなたは……何者なの?」


 男は答えず、懐中時計の蓋を閉じる音だけを響かせた。

 次の瞬間、その姿は夜の闇に溶けるように掻き消えた。


 残されたのは、冷たい風と、妙に耳に残る時計の音だけだった。


 蓮司はしばらく黙った後、低く言った。

「……影だけじゃねぇ。動いている奴がいる」


 里沙は唇を噛み、強く頷いた。

「敵は、私たちと同じように七つを狙ってる……」


 森を抜けた先の夜道は、ただの帰路ではなく、次なる戦いへの前触れだった。



 深夜。

 調査を終えて戻った事務所には、まだ熱の残る夜気とともに、緊張した空気が漂っていた。

 机の上には、拝殿から持ち帰った木簡が置かれている。

 赤黒く焦げた表面には、古代の文字が断片的に刻まれていた。


 里沙は湯気の立つコーヒーを置き、木簡に手を伸ばした。

「……見たことのない書体。でも、一部は神代文字に近い気がする」


 蓮司は椅子に腰を下ろし、煙草を咥えながら無言で頷く。

「読めるか」


「断片だけなら。……例えばここ、七影ってある。七つの影を捧げるって意味だと思う」

 指でなぞると、光に反射した文字が一瞬、淡く赤く浮かんだ。


「……ここは主って読めるわ。でも神の字形と混ざっている。

  つまり、祀られた存在は神と呼ばれながら、実際は主……」


 蓮司は煙を吐き、低く呟いた。

「偽りの神、か」


 里沙はさらに木簡を読み進める。

「大祀――これは大いなる祭りじゃなくて、大いなる封じ。七つの影を揃え、門を閉じるための儀式……そう解釈できる」


「……となると、影は元々犠牲であり鍵でもあるってことだな」

 蓮司の声は重く響いた。


 里沙はしばし黙り込み、木簡をじっと見つめた。

「でも……この文の最後、少し気になる。影を揃えし者、門を開く者となる……そう読める」


 蓮司は顔を上げ、鋭い視線を向けた。

「……つまり、七つの影を集める奴が、主を解き放つ扉になる……」


 事務所に沈黙が落ちた。

 壁時計の針の音だけが響く。


「……あの夜の男」

 里沙が呟く。

「私たちを監視していた人。……もしかしたら、七つを揃えようとしてる」


 蓮司は灰皿に煙草を押しつけ、低く言った。

「だとしたら、時間はない。俺たちの役目は七つを揃えることじゃねえ。揃う前に、断ち切ることだ」


 窓の外では、朝焼けがかすかに街を染め始めていた。



 朝方。

 事務所の窓から差し込む光が机の上の木簡を照らしていた。

 戦いの疲れがまだ抜けない中、蓮司と里沙は向かい合い、静かに資料を広げていた。


「……七つの影」

 里沙が木簡を指でなぞり、口にする。

「昨日の東の社で分かったのは、四方の社に影が割り振られているってこと。東は社、西は火、南は血、北は封……」


「残り三つは不明、か」

 蓮司が煙草を取り出すが、火をつけずに机に置いたまま低く言う。

「だが中央が鍵になるのは間違いねぇ。七つ目はきっと、全部を束ねる役割だろう」


 里沙は頷きながら、メモ用紙に簡単な図を描いた。

 東西南北に印をつけ、真ん中に大きな円を描く。

「封じるために四方を囲い、中央に主を縛った……そんな構図に見える」


「つまり、影は元々生贄だ」

 蓮司の声は重い。

「封印の鎖であると同時に、主の糧でもある。七つを揃えれば門は開く。……その瞬間、影そのものが喰われる」


 里沙は唇を噛んだ。

「だから影はあんなにも怨んでいたのね。守護じゃなくて、最初から犠牲にされる運命だった……」


 机の上に置かれた木簡が、不気味に沈黙を保っている。

 赤黒い文字がまだ微かに光を帯びており、封じられた何かの存在を主張していた。


「……問題は」

 蓮司が指先で木簡を叩きながら言った。

「七つを揃えようとしている奴がいるってことだ」


 里沙の瞳が鋭さを増す。

「昨夜、鳥居の下で見た男。……彼が揃える者なのかもしれない」


「だろうな」

 蓮司は煙草を指で弄びながら目を細める。

「七つが揃う前に、こっちで断ち切るしかない」


 里沙は静かに頷き、図に視線を戻した。

「次は……どこで影が現れるか。それを掴まないと」


 二人の間に、扇風機の回る音だけが流れる。

 だがその静寂の奥に、不穏な気配が忍び寄っているのを二人とも感じていた。

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