表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/36

第三話

 昼下がり、鬼塚探偵事務所はいつもの静けさに包まれていた。事務所内には、蓮司がデスクで書類を整理し、里沙は資料の整理をしている。外の通りには人々の足音と車の音が遠くから響いてくるが、事務所の中には特に変わった様子はない。


 突然、ドアが勢いよく開き、軽く風が吹き込むと共に、慌ただしい足音が事務所内に響いた。


「失礼します!」と、声を上げながら、一人の男性が事務所に飛び込んできた。彼は二十代半ばの青年で、顔色が悪く、動揺した様子を見せている。名を井上篤といった。


 蓮司と里沙は一瞬、顔を上げ、篤を注視した。篤は少し息を整えながら、事務所内に入ってきた。


「どうしましたか?」蓮司が冷静に声をかける。


 篤は急いで話し始めた。「実は……、僕、最近おかしなことが続いているんです」彼は両手で頭を押さえながら、言葉を続ける。「家の中で、誰もいないはずなのに、誰かが歩き回っているような気配がしたり、夜になると部屋の中が異常に冷たくなったり……。最初は気のせいだと思ったんです。でも、どうしてもおかしくて……。これ、普通じゃないと思うんです」


 篤は一息ついて、口を開いた。「あの、SNSでこちらの事務所のことを知って……それで、わらにもすがる思いでお訪ねしたんですが……」


 蓮司はその話を静かに聞きながら、篤の表情を観察した。随分と切迫し様子だ。ひとまず依頼人を落ち着かせよう。


「ひとまず落ち着きましょう。そちらのソファへどうぞ。里沙、お客様にお茶をお出しして」


「はい」


 そうして、篤はソファに腰かけ、お茶を一口飲んだ。


「すいません、いきなり声を張り上げてしまって……。私は井上篤と言います」


「井上さんですか」蓮司は頷き、言った。「では、失礼ですが、もう一度さしあたり何が起こっているのか教えて頂けますか」


 篤は頷いた。「はい……家の中で起こっている不気味な現象です。異様な気配が徘徊しているんです。それだけじゃないんです。昨日、家の中で不気味な声が聞こえてきて……。まるで誰かが、僕を呼んでいるような……。でも、振り返っても誰もいなくて。もう怖くてたまらないんです」


 蓮司は少しの間、沈黙し、そして篤に向き直った。「それが何らかの霊的な現象だという確信があるんですね?」


 篤は目を見開き、焦った表情で言った。「正直、最初はそんなこと信じたくなかったんです。でも、これ以上無視できないと感じた。怖すぎて……。だから、お願いしたいんです。助けてください」


 蓮司は深く息をつき、その目を鋭くした。「分かりました。お話を伺った限りでは、確かに霊的な現象の可能性が高い。しかし、実際にその家に行って、現場を確認する必要があります」


 里沙も静かに頷いた。「実際に現場を見ないことには、何とも言えませんしね」


「すぐに行きます」蓮司は立ち上がりながら、里沙に目を向けた。「準備を整えて、現場に向かうぞ」


 里沙は頷き、急いで必要な道具をカバンに入れる。蓮司も一度外に出て、車を準備する。事務所内の静けさは一気に変わり、二人は新たな事件に立ち向かう準備を整えていった。


 篤は自分の車で先に自宅へ戻った。


 数十分後、車で依頼人の家に向かう途中、蓮司は無言で運転しながらも、微かに感じる霊的な気配に注意を払っていた。里沙もその空気を感じ取り、窓の外を見つめる。空気がどこか重く、霊的な力が絡んでいることを二人とも感じていた。


「蓮司さん、何か感じますか?」里沙が静かに尋ねた。


「霊的な力が強くなっているのが分かる」蓮司は冷静に答えた。「依頼人が話していた通り、現場には不安定なエネルギーが漂っている」


「わかりました」里沙はしっかりとした表情で答え、いつも通りに心の整理をしていた。何度経験しても現場へ向かう時の緊張感にはなれない。


 やがて、依頼人の家に到着すると、古びた日本家屋が見えてきた。庭には手入れが行き届いておらず、家全体に少し不安を感じさせる雰囲気が漂っていた。蓮司と里沙は家に向かって歩みを進める。


 玄関を開けると、篤が待っていた。顔色は依然として青ざめており、不安げに二人を迎え入れた。


「こちらが問題の家です」篤は小声で言い、二人を案内する。


 家の中に入ると、やはり異常な静けさが漂っていた。蓮司はすぐに部屋を見渡し、霊的な気配を感じ取ると共に、微かな寒気を感じ始めた。


「ここが問題の部屋ですか?」蓮司は声を低くして尋ねた。


「はい、ここです」依頼人がうなずき、部屋の中央を指さす。部屋には古い家具が並び、何の変哲もないが、蓮司はその空気の異常さに気づいていた。


「何かが起こっているのは確かだ」蓮司は部屋の隅々をじっくりと見渡し、力を込めた。「里沙、準備をしてくれ。この家を浄化するための儀式が必要だ」


 里沙は無言で頷き、手にした道具を取り出し始める。蓮司も静かに自分の霊的な力を使い始め、部屋全体の空気を感じ取る。


「さて、まずはこの部屋から霊的なエネルギーを消し去ろう」蓮司は呪文を唱え始めた。部屋の空気が少しずつ変わり、霊的な力を封じ込めるための準備が整っていく。


 そして、儀式が始まった。



 蓮司と里沙は、依頼人の家で儀式を始めていた。霊的なパワーを封印するための封印箱を設置する。部屋の空気は静まり、蓮司が呪文を唱え、里沙が呪符を配置していく。塩が撒かれ、四隅には経文が貼られ、部屋の霊的なエネルギーを浄化するための準備は整っていた。しかし、儀式の最中、急に冷たい風が吹き込むような感覚が広がり、蓮司はその異変に気づいた。


「里沙、注意しろ!」蓮司が急に声を上げると、空気が一層重くなり、部屋の隅から不気味な音が響き始めた。床がきしむ音、そして、何かがうごめくような気配が感じられる。


「蓮司さん、何か……来ます!」里沙が恐怖を隠しきれずに言った。彼女の手のひらに汗がにじみ、呪符の力が震えているのを感じ取った。


 その瞬間、部屋の中が一気に冷え、まるで何かが物理的に存在するかのように感じられた。壁の一角が歪み、闇のような霧が渦巻きながら、黒い影が現れた。影は徐々に形を成し、異常なほどの冷気を発しながら、人間のような姿を形成していった。その霊の顔は、目が見開かれ、歪んだ笑顔を浮かべていた。


「やれやれ、また来たか」蓮司は静かに息をつき、手を前にかざして霊的な力を高めた。「こいつはただの霊的な現象ではない。彷徨う邪霊の一種だ。何らかのきっかけでここへ現れたんだろう」


 霊は低い声で言った。「お前たちが私を封じようとするのか……。無駄だ」その声は耳をつんざくように響き、部屋全体が震えるような感覚に包まれた。


「まだ間に合う!」蓮司は素早く呪文を口にしたが、その霊は一瞬で空間を移動し、蓮司の前に現れた。霊の手が一瞬で蓮司の首元に伸び、凍るような冷気が全身を襲う。


「動かすなよ!」蓮司は反射的に霊的な力を込め、霊の腕を押し返した。霊は怯むことなく、手をさらに強く伸ばしてきた。


「蓮司さん、気をつけて!」里沙は慌てて呪符を取り出し、霊に向かって力を込める。呪符が光り、その光が霊に向かって放たれた。霊はその光に触れると、一瞬でその体が揺らいだ。


「これで終わりだ!」蓮司は瞬時に力を集中させ、霊に向かって強烈なエネルギーを放った。その波動が霊を直撃し、霊の形が歪み始め、まるで霧のように崩れていった。


 だが、霊は消えることなく、逆にその力を増幅させた。霊は歪んだ顔で笑いながら、再び姿を取り戻し、怒りをぶつけてきた。


「お前たちには封じ込められない」霊は再び襲いかかり、今度は里沙に向かって手を伸ばす。里沙はその冷気に引き寄せられ、足元がふらつく。


「里沙!」蓮司は瞬時に里沙の元に駆け寄り、霊の攻撃を防ぐために全身でエネルギーを放った。霊はその力に押し戻され、一瞬足を止めたが、すぐに反撃してきた。


「彷徨う霊体にしてはやるじゃないか」蓮司は自分の力を最大限に高めていく。「だが、俺たちが負けるわけにはいかない!」


 里沙もその言葉に励まされ、霊に向けてさらに呪符を投げ、呪文を唱え始める。呪符が霊に直撃し、その力が霊の体を一層強く圧迫する。霊はその力に耐えきれず、再び形を崩し始めた。


「終わりだ!」蓮司はその瞬間、全身の霊的エネルギーを解放し、強烈な光を霊に向けて放った。その光は霊を完全に包み込み、霊は最後に叫び声を上げながら、消え去った。


 部屋の中に静寂が戻り、蓮司と里沙は肩で息をしながら立っていた。霊的な戦いは一時的に終息したが、二人はそれでも油断することなく、しばらくその場で警戒を解かない。


「無事に……終わったか」蓮司は静かに言い、手を下ろしてから里沙を見た。


 里沙は深く息をつきながら、疲れた顔で答える。「はい……でも、今度こそ完全に封じ込めないと。ここに滞留している霊の力はまだ強いです」


 蓮司は頷きながら、「その通りだ」と続けた。「だが、今は少し休憩だ。次の儀式に備えよう」


 霊は消えたものの、その力は依然として強く残っていた。二人は再び箱に向かって、霊的な儀式を行い、完全に霊を封じ込める準備を整える必要があることを感じていた。



 部屋の中は再び静寂に包まれていた。蓮司と里沙は、戦闘による疲労を感じながらも、再び箱に向かって儀式を続けるために準備を整えた。霊は一時的に消えたものの、完全に力を封じ込めるためには、この最後の儀式が不可欠だった。


「里沙、準備はいいか?」蓮司は息を整えながら尋ねた。


 里沙は汗を拭いながら頷いた。「はい。呪符と塩、それに浄化の経文もすぐに使える状態です」


 蓮司は封印箱を見つめ、静かに言った。「これが最後のステップだ。もう一度霊が現れる可能性もあるが、今度は完全に終わらせる」


 里沙も決意を込めた表情で答えた。「分かりました。全力でサポートします」


 蓮司は深呼吸をして、霊的なエネルギーを再び高める。箱の周囲には微かな震えが戻り、霊的な力が再び動き始める気配があった。二人は慎重に呪符を配置し、四隅に塩を撒きながら、部屋全体を浄化していく。


「封印の準備は整った」蓮司は低く呟き、箱の前に正座するように腰を下ろした。「これから霊的な力を箱に完全に封じ込める」


 里沙は巻物を広げ、経文を唱え始める。その声は静かだが、確実に部屋全体に響き渡り、空気を浄化していく。蓮司もまた、霊的な力を集中させ、経文を唱えながら箱に向けて手を伸ばす。


 その瞬間、箱が震え始めた。中から冷たい風が吹き出し、再び何かが箱の中から現れようとしているように感じられる。だが、蓮司は動じることなく、力を込め続けた。


「これで終わりにする……!」蓮司の声が響く。


 箱の中から、再び黒い霧が溢れ出し、その霧が渦を巻いて部屋中に広がろうとする。しかし、里沙が経文をさらに強く唱え、呪符が光を放つと、その霧は一瞬で押し戻された。


「そうはいかない」蓮司は手をかざし、霊的な力を一気に放出した。その力が箱を包み込み、霊の動きを完全に封じ込める。


 箱が激しく震えた後、突然静まり返り、部屋の中の冷たい風が止んだ。箱の表面には符号が刻まれ、光が微かに点滅してから静かに消えた。


「……終わった」蓮司は深いため息をつき、力を抜いて手を下ろした。


 里沙も巻物を閉じながら、微笑みを浮かべた。「これで、本当に封印できたんですね」


 蓮司は頷きながら、封印箱をじっと見つめた。「もう霊的な力が外に漏れることはない。ここは完全に浄化された」


 篤はその様子を見守っていたが、恐怖に怯えていた表情が次第に和らぎ、安堵の色を浮かべた。「本当に……ありがとうございました。これで、安心して暮らせます」


 蓮司は箱を持ち上げると、篤に言った。「この箱は、こちらで厳重に保管しておきます。二度と封印が解けないように、慎重に扱いますので。ご安心下さい」


 篤は深く頭を下げ、「分かりました」と答えた。篤は感謝の言葉を繰り返した。


 蓮司と里沙はその後もしばらく部屋に残り、最終的に全ての道具を片付けながら、静かに話した。


「今回もなんとか解決しましたね」里沙が微笑みながら言う。


「ああ」蓮司は疲れた様子を見せながらも、少しだけ微笑みを返した。「だが、こういった力に触れるときは、毎回リスクが伴う。次はもっと慎重に進めなければならないな」


 里沙は真剣な表情で頷きながら、「でも、蓮司さんとなら、どんな問題も解決できる気がします」と言った。


 蓮司は静かに立ち上がり、部屋を一瞥した。「それはお互い様だ。これからも気を抜かずにやっていこう」


 二人は事務所に戻る道を静かに歩きながら、次に訪れるであろう新たな依頼に思いを馳せていた。

 


 鬼塚探偵事務所では、またいつもの静けさが戻っていた。蓮司はデスクで過去の依頼記録を整理し、里沙はパソコンに向かって次の広告案を検討していた。昼下がりの陽光が窓から差し込み、事務所内には穏やかな空気が漂っている。


「それにしても、井上さんからその後何も連絡がないってことは、ちゃんと落ち着いたんでしょうね」里沙がコーヒーを飲みながら、ふと蓮司に話しかけた。


「ああ。箱をこちらで保管してからは、霊的な影響も完全に消えたようだ」蓮司は手元の資料に目を通しながら答える。「井上さんも、落ち着いて普通の生活に戻れたって話してたからな」


「それならよかった」里沙は微笑んで、画面に向き直った。


 その時、事務所の電話が鳴った。里沙が手早く受話器を取り、応対を始める。


「はい、鬼塚探偵事務所です」彼女は耳を傾けながら、何度か「はい」と相槌を打ち、その内容を聞いていた。


 蓮司はその様子を見ながら、煙草を取り出して咥えたが、火を点ける前に里沙が受話器を置いた。


「どうやら、井上さんからの連絡でした」里沙は嬉しそうに言う。「改めて感謝の言葉を伝えたいって。あと、お礼に果物の詰め合わせを送りたいっておっしゃってましたよ」


 蓮司は少し苦笑しながら、「律儀な人だな」と言って椅子に寄りかかった。「まあ、受け取っておけ」


「分かりました」里沙は微笑みながら言い、再びパソコンに向かった。


 静かな午後の時間が流れる中、蓮司は煙草を持ったまま窓の外に目をやった。青空が広がり、どこまでも穏やかな景色が広がっている。


「霊的な問題ってのは、人を追い詰めるものだ」蓮司はぼんやりと独り言のように呟いた。「でも、それを解決できるのが俺たちの仕事だ。次はどんな依頼が来るんだろうな」


 里沙はその言葉に振り返り、少し笑いながら言った。「どんな依頼が来ても、私たちならきっと何とかしますよ。いつもそうだったじゃないですか」


「そうだな」蓮司は短く答え、笑みを浮かべた。


 事務所の静けさの中で、二人はそれぞれの作業を進めながら、次に訪れる未知の依頼に備えていた。穏やかな日常の裏には、また新たな物語の始まりが待っているかもしれない。だが、鬼塚探偵事務所には、どんな問題が持ち込まれようとも、それを解決するための準備がいつも整っているのだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ