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第二十六話

 ――初夏、薄曇りの午後。

 鬼塚探偵事務所に現れたのは、まだ三十にも満たない若い僧侶だった。彼の名は妙音寺住職・春原すのはら 遼雅りょうが

 落ち着いた声音と礼節ある振る舞いの奥に、切迫した焦燥があった。


「……本堂の結界が、今夜にも持たないかもしれません」


 春原はそう言って、手元にあった写経とともに一通の古文書を広げる。それは江戸末期の書状であり、「血の契り」の証として朱い手形が複数押されていた。


「この寺には……江戸の終わりに、幕府側の武士たちが逃げ込みました。そして、ある誓いを立てたのです。互いに裏切らず、死してなお忠義を貫くと。彼らはその誓いによって死後も留まり、寺を守る存在になるはずだった……」


 しかし誓いは裂かれた。

 武士たちの中に裏切り者がいたのだ。血で交わした誓いは呪詛へと変わり、百五十年もの時を経て、いまや亡霊たちは怨霊と化していた。


「今宵、誓いの夜――誓霊が完全な形で現れます。どうか……間に合ってください」


 蓮司は黙ってその書状を見つめ、やがてゆっくりと立ち上がった。


「命の重さを誓いに賭けた時点で、もう正気じゃなかったんだろうな。……だが、間に合うならやるさ」


 里沙もまた、写経を手に取り、表情を引き締める。


「誓いって、破られた時に一番、怨みに変わるのよね」


 蓮司と里沙、そして春原住職は、日が傾きかけた寺の山道を登り始める。


 霊的防御の支柱が、今にも崩れようとしていた――。



 山道を登るにつれ、周囲の空気がじわじわと重たく沈んでいく。鳥の声も虫の音も消え、ただ枝葉の揺れる音と、三人の足音だけが音を持っていた。


 妙音寺は、標高の低い山の中腹にひっそりと建っていた。参道には草が伸び、石段には苔が密生し、寺の輪郭を覆うように立つ樹々はどれも濃く鬱蒼としていた。


「……これは、結界の中に霊域が形成されているな」

 蓮司は一歩、足を踏み出した瞬間に感じ取っていた。眼には見えぬ膜が世界を隔てている。霊の領域がこの山に張りめぐらされていたのだ。


 山門をくぐった瞬間、冷たい風が吹いた。無風だった空間に、逆巻くような流れが生じる。里沙は袂を押さえつつ、視線を僧へと向けた。


「春原さん、この寺に日常的に出入りする者は?」

「私と、檀家の方が数名。けれど最近は皆、ここを気味悪いと避けており……もう、ひと月以上も私一人で――」


 答えが終わる前に、蓮司の背後の空気がざわついた。


 低く、呻くような気配――そして一瞬、樹間から誰かが覗く気配があった。

 人影のようで、人ではない。時間からはみ出した存在。そこにいたことがあるものの残滓。


 蓮司は、手のひらをゆっくりと開いた。

 指先から、青白い霊力の燐光が立ち上がる。冷たくも静かに、空気を染めていく光。

 それに呼応するように、里沙も静かに掌を翳し、祈祷に似た詠唱を小声で唱え始める。


「結界が……音を立てて崩れてる」

 春原がつぶやいた。


 目の前の本堂。瓦の葺かれた屋根の奥から、何かが内側から這い出ようとしていた。

 結界の文様が記された柱のひとつが、内側からひび割れている。そこに宿る印が、まるで焼かれるように赤く滲んでいた。


「……始まるな」


 蓮司が低く言った。彼の眼には既に、結界の内と外とを隔てるはずの霊的な膜が、泡立つように溶けているのが見えていた。


 その瞬間――


 ギィ……ギギ……ギ、ギ……ギィィィ……ッ


 本堂の扉が、誰の手にも触れぬまま、軋んだ音を立てて開いた。

 そこから、腐臭にも似た霊的瘴気が吹き出してくる。

 空気が一気に変わる。気圧が下がったかのように、身体が沈むような感覚。


 扉の向こう。闇に包まれた内陣。

 その闇の奥から、白く、ぼんやりと光るいくつもの眼がこちらを覗いていた。


 ――血の契りを交わした者たちの、怨霊の眼だった。


 彼らはまだ、言葉を発さない。

 だがその沈黙こそが、いずれ来たる対話と激突の予兆だった。



 本堂の扉が全て開ききると同時に、空間の重さがさらに一段、落ちた。まるで山自体が息を潜め、何かを見届けようとしているような、そんな静けさが支配する。


 そして――それは現れた。


 どろ……り。


 墨を流したような黒い影が、扉の敷居から染み出してくる。血ではない。だが、血と同じ祈りと呪いを孕んだ、霊的な物質。


 やがてその影は人型をとった。輪郭は不明瞭で、輪郭線すらうねり、常に揺らいでいる。


「来るぞ。数は……五、いや、六体か」


 蓮司の眼が赤く光を宿す。霊視の力を強化した証だ。すぐに、腰の小袋から霊札を抜き、地面に滑るように放った。


 カンッ――カン……カン……ッ!


 札が地に着くと同時に、里沙が短く詠唱を紡ぐ。瞬間、地面に小さな光の結界が展開され、怨霊の動きを一瞬だけ制止した。


「無差別に暴れてるわけじゃない……でも、私たちを敵と見ている」


「契約の守人として出てきたか……なら、話す価値はある」


 蓮司はそう言いながらも、すぐに背後に下がった春原を手で制していた。僧侶の顔は既に蒼白で、額には玉の汗が滲んでいる。


 突如、怨霊たちの一体が唸った。


「……血ヲ……還セ……」


 それは声というよりも、呻きと念の波。身体ではなく、魂に届く言葉だった。


「来るぞ!」


 蓮司の合図と同時に、怨霊たちが一斉に飛びかかってくる。影のような体を歪め、半分は空間を裂くようにして接近してくる。


 だが――


 バシッ! バチィィィンッ!


 空中で霊札が炸裂し、雷光のような霊力が辺りを走る。霊的な鎖が一体を拘束し、残りの者たちの動きも阻害された。


「あと三秒!」


 里沙が告げた瞬間、蓮司は懐から〈符刀・鬼灯〉を抜いた。刀身の中央に朱の線が一本、炎のように揺れている。


「……消えてもらう」


 刹那、蓮司の霊力が解放される。黒と白の混じった淡いオーラが彼を包み、刀がまばゆい光を放つ。


 振り下ろされた斬撃が、地を駆け、怨霊のひとつを直撃。霊体が裂け、苦鳴とともにその存在が消滅する。


「一体消滅。残り五」


 その声と同時に、残る怨霊たちが一斉に本堂の内陣に引き込まれていく。


 里沙が呟いた。


「……あれは本命を隠すための、儀式霊たちね。あくまで守り手……」


「となると、誓霊はまだ奥にいる」


 蓮司は静かに目を細める。


 本堂の奥から、また新たな気配がゆっくりと、息を吸うように膨らんでいく。これは知性を持った何かだ。

 交渉が通じるか、あるいは、暴力しか通じないか――


 それを確かめるため、蓮司と里沙は、ゆっくりと本堂の内陣へと足を踏み入れていった。



 本堂の内陣は、まるで時の流れから隔絶されたような空間だった。周囲の空気は澱んでいるが、先ほどまでの敵意に満ちた霊の荒れとは異なる、冷たい静けさが漂っていた。


 蝋燭の灯りだけが空間を淡く照らし、床には崩れた結界の痕跡が黒く焼きついている。


 そして、奥。


 神具の飾られた祭壇の前に――それは座っていた。


 人の姿をしていた。和装の男。顔はぼんやりとした霧に包まれており、年齢は分からない。だが、その佇まいは異様に整っていた。


「……誓霊か」


 蓮司が呟くと、その存在がゆっくりと首をこちらに向けた。


「来たか、霊を操る者たちよ」


 その声は、風が木々の間をすり抜けるような響きを持っていた。確かに言葉を話しているはずなのに、耳ではなく魂に届くような音だった。


「我らは、契りによって縛られ、そして、破られた」


 その声に応じて、周囲の空間がわずかに揺らめいた。過去の情景が、幻のように本堂の周囲に映し出される。


 ――江戸時代。


 血判を交わし、指を切り、酒盃を回す男たちの影。その中心に、まだ若いが妖しげな眼差しを持つ男がいた。


「兄弟として、死しても共にあることを誓う」


 その儀式に、怨霊たちの原点があった。


「だが、ひとり……破った。裏切ったのだ」


 誓霊が静かに告げた。


「名を捨て、逃げた。血の契りを噓に変えた」


 祭壇の後方、暗闇の中で何かが揺れた。


「裏切りの果てに、我らは殺され、処理された。記録からも消された。我らは、無名の亡霊とされたのだ」


 蓮司と里沙が、互いに短く目を交わす。


「お前が、残された誓いを守っているのか」


 そう問うと、誓霊はわずかに首を縦に振った。


「我は、ただ……誓いを破られた者たちの声を、世界に返したいだけだ。血で交わされた契りを、なかったことにはさせぬ」


 その言葉には、怨嗟と同時に、確かな理があった。


「この本堂を封じていたのは、約束を忘れさせぬためだったのか」


「そう。だが、世代を経るごとに、誓いは忘れられ、穢れ、やがて……再び破られた」


 誓霊の周囲の空気が、わずかに濁る。怒りが、静かに滲み出す。


「そろそろ決めよう。我らを消すのか、記すのか」


 その言葉と共に、本堂の闇が再び濃くなった。誓霊の背後に、血塗られた者たちの影が立ち現れる。


「一度限り、問おう。約定は、力で断つか――声で結ぶか」


 蓮司と里沙は、ふたたび視線を交わす。


 この亡霊たちの誓いが、呪いか、願いか――それを見極める時が来ていた。



 祭壇前――空間は張りつめた沈黙の中にある。


 蓮司は静かに一歩を踏み出した。誓霊の気配が揺れる。まるでこちらの「出方」を計っているかのように。


「俺たちは、戦いに来たんじゃない。誓いが何を生み、何を殺したのか――知るために来た」


 その言葉に、誓霊の周囲に揺らめく影たちがわずかにざわめく。断ち切られた因縁を、再び結ぼうとする者への警戒。だがそれは、否定ではなかった。


 蓮司の言葉に続いて、里沙が口を開く。


「あなたたちが交わした血の契り……それは、何のためだったの? ただの義兄弟の誓いじゃない」


 誓霊はしばし沈黙する。やがて、淡い光が空中に現れ、過去の情景が再び映し出された。


 ――時は、文政の終わり。


 地方豪農だった本間家の当主と、周辺の若き領主たち。村を守るために、連帯と共闘を誓った五人。山賊、疫病、搾取――民草を守るには、命を賭すしかなかった。


 その覚悟が、やがて血の契りへと変わった。


「我らは命を繋ぎ、民を守る盾となると誓った。だが……」


 映像が揺れる。裏切りの場面が現れる。


「五人のうち、一人が我らを売った。幕府筋の密偵と通じ、我らの決起を謀反として報せた」


 そして、捕らえられた四人は処刑された。罪人として。誓いを交わしたはずの友に裏切られ。


「我は、残された誓いを守るために生まれた。死してなお、契りを護るために」


 そう語る誓霊の声音には、怒りよりも深い哀しみがあった。


「だからこそ、裏切られたままでは終われなかった。名も、墓も、記録も奪われ……我らは、存在そのものを否定されたのだ」


 蓮司は目を伏せ、口を開いた。


「……お前の誓いは、今も続いてる。だがそれは、誰にとってのものだ?」


「……?」


「守るべき誓いの相手は、もう誰もいない。いま、ここにあるのは――呪いだけだ」


 誓霊の姿が、ふっと揺れた。


「違う……我らは、裏切りに報いるために……!」


 その瞬間、霊の空気が濁る。


「そうして、幾人の子孫に祟りを与えた? 誓いを知らない者にまで、恨みを向けて」


 里沙の声が鋭く重なる。


「契りが正義だったとしても――いま行っているのは、ただの復讐よ!」


 沈黙。


 誓霊の背後で、影たちがざわめき始める。否――怒り始めた。


「黙れ。黙れ……貴様らに、我らの想いなど分かるものか!」


 声が鋭く割れ、空間が振動した。


「ならば証明してみろ、語る者よ。貴様らの正義が、我らを超えるというのならば!」


 交渉、決裂。


 空間が一瞬で霊的圧力に包まれる。本堂の柱が悲鳴を上げるように軋み、蝋燭の炎が消える。


 蓮司はコートの内から「霊符」を一枚取り出し、低く言った。


「……こうなる気はしてた」


 里沙も頷きながら、腰に仕込んだ霊刃を手にする。


「じゃあ、証明しましょうか――私たちのやり方で」


 戦闘、開始。



 誓霊の咆哮が空間を裂いた。


 本堂の障子が一斉に破れ、黒煙のようにうごめく影――四つの霊体が一斉に襲いかかる。いずれも、かつての「誓いの同胞」だったはずの者たち。今はもはや、怒りと怨嗟だけを残した亡霊だ。


「蓮司、三時の方向。強いぞ!」


 里沙が叫ぶ。その声と同時に、蓮司は足元に「地符・結界陣」を展開し、外周に霊杭を打ち込むように符を散らす。


「来るぞ!」


 轟音。


 一体の影が本堂の柱をすり抜け、蓮司の側頭部に迫る。だが蓮司は一歩も動かず、右手を払った。


 ――バシッ!


 掌から走った霊撃が空気を震わせ、影の霊核をかすめる。わずかに怯んだ隙をついて、蓮司は囁くように言った。


「式唱――鎮魂断」


 次の瞬間、蓮司の背後から淡い光の剣が生まれ、飛翔するように影へ突き刺さる。


「ガアァアアアアアア……!」


 霊核が軋み、影が断末魔を上げて消えた。


「一体……!」


 だが、間髪を入れずに次の影が里沙へと襲いかかる。爪のような霊体の腕が、空間を裂いて斬りつけてくる。


「――あまい!」


 里沙は左手の霊刃で斬撃を受け流し、右手で霊符を叩きつける。


「封・呪縛陣!」


 霊符が発光し、敵の動きが一瞬止まった。


「蓮司!」


「任せろ」


 蓮司はその隙に踏み込み、胸元にこぶし大の光球を練り上げる。術式の輪が彼の手元に浮かび、次の瞬間――


「霊弾・陽極」


 光の弾丸が音もなく撃ち出され、影の核心を打ち抜いた。閃光と共に、霊体が弾ける。


 二体、撃破。


 だが、残る二体はかつての誓いの中でももっとも強い霊力を持っていた者だ。彼らは呪詛をそのまま身に宿し、半霊半実体として襲いかかってくる。


「名を汚され、誓いを裏切られ……なぜ我らだけが、こうして生きているのだッ!」


 一体が叫ぶ。その言葉に、蓮司は苦しげに目を細めた。


「……お前たちが信じた正義は、本当に誓いの形をしていたのか?」


 次の瞬間、影たちは声を合わせて吼えた。


「我らは、捧げたのだ。命も、名も、魂も! だが、あいつは逃げた! 裏切り者は、子孫にまで栄華を残した……!」


「だから、それを断ち切るのが正義だと?」


 蓮司の声は冷え切っていた。


「それは誓いじゃない。ただの呪いだ」


 返答は、狂気のような突進だった。


 残る二体の怨霊が、霊的な圧力を高めながら空間を捻じ曲げるようにして迫る。


「蓮司! 一気に行くよ!」


「……ああ、霊式展開!」


 蓮司と里沙が声を合わせた。


 二人の足元に、同時に円環が広がる。霊脈を共有することで、術式は倍加され、次の段階へと進む。


「式展開、双魂陣!」


 蓮司の足元から青い円環が浮かび上がり、同時に里沙の背後に赤い符文が舞う。二人の霊力が交差し、空気が変わった。


 蓮司の霊力は、冷たく研ぎ澄まされた刃のように。

 里沙の霊力は、燃えるように情熱を帯びた光となって。


「蓮司、私は封陣を組む。あなたは核を叩いて」


「了解」


 里沙が先に動いた。封術の構えを取り、四方に霊符を投げ放つ。空間に描かれる五芒星のような陣形が、二体の霊を中央に捕らえる。


「封・朱光陣──顕現!」


 陣形が発光し、霊の動きが鈍る。


 蓮司が静かに霊式を構える。両手の前に浮かぶのは、光と影が交差するような球体。


「術式、八重重ね……雷剣顕現」


 空気が震える。


 蓮司の掌に雷光が集束し、一本の剣となって形を成す。


「これが、お前たちの誓いを終わらせる刃だ!」


 雷光の剣が振るわれた。


 封印された空間を突き破り、怨霊たちの霊核を両断する。


「ギャアアアアアアア……!」


 断末魔の咆哮が、過去からの呪縛を引き裂いていく。


 静かになった本堂に、わずかに残された空気の震えだけが漂っていた。



 静寂。


 荒れた空気がようやく落ち着き、本堂の梁に吊るされた風鈴が、微かに揺れた。


 しかし、戦いは終わっていなかった。


 ふと、蓮司が振り返る。


 ――いる。


 空間の奥、帳のように揺れる障子の向こうに、ひとつの気配が浮かび上がっていた。


 白い衣をまとった男の姿。顔はない。ただ、手には朱で染まった経巻と、錆びた短刀を持っていた。


「我は白月房 慶秀。この血の誓いを結びし、誓霊なり」


 その声は、風が吹き抜けるような低い残響だった。


 蓮司と里沙が構えると、慶秀の顔のない仮面が、まるで笑っているかのように揺れる。


「……全て見届けたか、誓いの残り火たちよ。余が手を下すまでもなく、彼らは果てたか」


「お前が、すべての契りの源か」


 里沙の声が張り詰めた。


 慶秀は頷く。


「余は江戸の終わり、亡国の兆しの中に生きた。信も法も砕け、力なき者は喰われるばかりの時代……故に、血をもって誓った。我が門下、我が一党、未来永劫、共にあれと」


「それが……この歪んだ誓いの起点だと?」


 蓮司の問いに、慶秀は静かに答えた。


「歪んだのではない。歪めたのだ。逃げた者、裏切った者、誓いを恐れた者……彼らが、誓いを引き裂いた。ならば余が在り続けることで、誓いを保つしかあるまい」


「もう、終わらせるときだ」


 蓮司が霊式を組む気配を漂わせると、慶秀の周囲に黒煙が立ちのぼる。


「それを望むなら、最後の問いに応えよ」


 静かに、慶秀が右手を差し出した。


 掌に現れたのは、五つの血判――これまでの誓いの証。


「問い、誓いとは、力か。鎖か。それとも……願いか」


 一瞬、蓮司と里沙が言葉を失う。


 だが――蓮司は一歩踏み出し、確かに答えた。


「誓いは願いであるべきだ。誰かを守るために、自分の意思で結ぶものだ。だからこそ、それは終えることも選べる」


「……終える、か」


 慶秀の仮面が揺れた。


「ならば見せてみよ。おぬしらの誓いの力を。我が最後の裁きに耐え得るか!」


 その瞬間、本堂全体が紅に染まる。


 結界が反転し、空間そのものが儀式陣と化す。



 本堂の柱が一斉に崩れ、天地が反転するような圧力の中、蓮司と里沙は並び立つ。


「霊式最大展開――始めよう」


 蓮司の右手に再び雷霊の光が宿る。


「行こう、蓮司。これが、私たちの誓い」


 里沙は両腕を広げ、白と紅の霊符を次々に展開する。


 慶秀の術式は契りそのもの。


 五つの血判から具現化された霊体が、契約の証として二人へと襲いかかる。だが――


「――散れ」


 蓮司の雷剣が、過去の誓いを貫く。


「――昇れ」


 里沙の封陣が、霊魂を天へと還す。


 そして、最後の一撃。


 蓮司と里沙の霊力がひとつとなり、慶秀の仮面に直撃する。


「……それが、答えか。新たな……誓いの形……」


 慶秀の姿が光に溶けて消えるとき、空間のゆがみがほどけ、本堂に再び静寂が訪れた。



 本堂に残された若き住職が、頭を垂れていた。


「……ありがとうございます。皆の魂が……ようやく還ることができました」


 蓮司は頷き、里沙はわずかに微笑んだ。


「……誓いって、なんだろうな」


 そう呟いた蓮司に、里沙は答えた。


「願いの、ひとつの形。それ以上でも以下でもない」


 彼らの背後で、風鈴が鳴った。


 涼やかで、確かな音だった。

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