侯爵である義兄が「君に相応しい男がいない」と言って、誰とも婚約させてくれません
「エドワードお兄様、また初顔合わせが中止になってしまいました。わたくし、このままでは一生結婚できそうにありません」
「では、永遠に兄上に面倒を見てもらえばいいでしょう。そもそも、ミリーが結婚できない原因は兄上にあるのですから」
エドワードお兄様は呆れ顔でそう言うと、小さくため息をつきました。
「そんなのロナちゃんに迷惑です」
「ロナ嬢はそんなに器が狭い女性ではありませんよ。彼女のことは、親友のミリーが一番理解しているのでは?」
「それは、そうですが……」
「俺も結婚するつもりはありませんから、これからもしばらく兄上に面倒を見てもらおうと思っています」
「でも、エドワードお兄様とわたくしでは立場が全然違います。エドワードお兄様は子爵の爵位をお持ちで、きちんと職務をこなしておりますが、わたくしはただの厄介者です。実際、お兄様たちとは血も繋がっておりませんし」
「ミリー、怒りますよ」
エドワードお兄様の目が、急に鋭くなりました。
温厚で冷静なエドワードお兄様ですが、怒らせると怖いのです。といっても、お兄様が怒るのは、いつもわたくしが自分のことを否定したときです。
「何度も言いますが、俺はミリーを本当の妹だと思っています。兄上とロナ嬢に迷惑をかけたくないというのなら、この邸を出て、俺が一生ミリーの面倒を見たって構いません。遠慮なんてしないでください。俺は、ミリーのために何かできることが嬉しいのです」
「エドワードお兄様、ありがとうございます」
わたくしは笑ってお礼を伝えました。
エドワードお兄様はとても優しいです。それは、初めてお会いしたときからずっと変わりません。
エドワードお兄様とわたくしは本当の兄妹ではありません。
エドワードお兄様の上に、もう一人お兄様がおりますが、わたくしはそのルーカスお兄様とも血が繋がっておりません。
わたくしは、幼少のころに両親を亡くし、アレルダリス侯爵家の養女にしていただいたのです。
アレルダリス侯爵は、わたくしの母の義姉の旦那様に当たる方で、侯爵夫妻は引き取り手のなかったわたくしを、親族だからと喜んで養女にしてくださいました。そうして、実の娘のように大切に育ててくださいました。
しかし、その養父母も三年前に船の事故で帰らぬ人に。
今はお二人の長男であるルーカスお兄様が侯爵家を継いでおります。
次男のエドワードお兄様は子爵の爵位を継ぎました。
義理のお兄様たちも、わたくしが養女になったときから、本当の妹のように大切にしてくださいます。
とてもありがたいです。
ただ、少しだけ不満というか、困ったことがあります。
それは、ルーカスお兄様がわたくしに過保護すぎることです。
これまでに、わたくしの婚約者候補は何人もおりました。
しかし、わたくしがその婚約者候補の方々にお会いしたことは一度もありません。相応しいお相手でなかったと言って、最終的にお兄様が全て断ってしまうからです。
そもそも、その候補者はお兄様がご自分で探してくださった方々なのです。お会いもせずに、相応しくないなどと言う意味が分かりません。
そんなこんなで、相応しい伴侶を見つけてやると言われ、もう十年。わたくしも今年で二十二です。
このままではいかず後家になってしまいそうです。
ですが、まあ、実はそんなことは大して気にしておりません。
わたくしの悩みは他にあります。
それは、わたくしの伴侶探しを優先しているせいなのか、ルーカスお兄様がご自分の婚約者と一向に結婚しようとなさらないということです。
何度促しても、わたくしが幸せになるのが先だと言って聞いてくださらないのです。
ルーカスお兄様の婚約者は、わたくしの学生時代からの親友、ロナ・セレグル嬢です。
綺麗で頭もよく、お兄様に相応しい伯爵令嬢のロナちゃん。ロナちゃんだって、もうわたくしと同じ二十二。
婚期が遅れているロナちゃんにも申し訳が立ちません。
きっと、わたくしがこの邸にいるから、ルーカスお兄様はわたくしのことばかり気に留めてしまうのです。
「ミリー、本当に俺と邸を出ましょうか?」
「え?」
「そんなに思い詰めた表情をして、やはり兄上とロナ嬢のことを心配しているのでしょう?」
わたくしは小さく頷きました。
エドワードお兄様には敵いません。
「明日、兄上に相談してみましょう」
「エドワードお兄様、本当にいいのですか?」
「勿論です」
そう言うと、エドワードお兄様は微笑し、わたくしの頭を優しく撫でました。
翌日午後、ルーカスお兄様がロナちゃんを連れて帰宅しました。
朝、エドワードお兄様とわたくしからお話したいことがあると伝えていましたが、ロナちゃんに同席してほしいとまでは伝えていませんでした。ルーカスお兄様の機転に感謝です。
応接室の大きなソファー。
わたくし、エドワードお兄様の向かいにルーカスお兄様、ロナちゃんが座ります。
メイドが、ワゴン車でティーセットとお菓子を運んで参りました。
「さて、改まって二人から話があるとはどういうことか」
ルーカスお兄様が尋ねます。
「兄上、突然ですが、俺とミリーはこの邸を出ようと思います。俺が責任をもってミリーの面倒を見ますから、兄上は何も心配しないでください」
エドワードお兄様がそう切り出してくださいました。
「 は? 二人で邸を出る? エドワード、まさかお前、結婚しないと公言していたが、ミリーを娶るつもりか?」
ルーカスお兄様は、険しい表情でエドワードお兄様を凝視します。
「何を言っているのですか。ミリーは俺たちの可愛い妹ではないですか。そんなことは考えたこともありません。世の中には兄妹だけで暮らしている人だって大勢いますし、現に今だって俺たちも兄妹だけで暮らしていますよね」
「しかし、二人きりだろう」
「二人きりって。新しい邸でも当然使用人を雇うつもりです」
「使用人? まさか、若い男を雇うつもりか?」
「いや、面接で決めるつもりで、特に年齢のことなんて考えていませんが」
「あの、ルーカスお兄様、わたくしたち二人で考えまして、お兄様とロナちゃんのためにも、その方がいいと思ったのです。何か問題があるのでしょうか?」
わたくしは首を傾げました。
「問題? 問題しかない。無理だ。もう無理だ」
ルーカスお兄様はそう言うと、両手でご自分の顔を覆いました。
「ルーカスお兄様?」
ルーカスお兄様は、ソファーから立ち上がると、唐突にわたくしの手を引き、わたくしのことを立ち上がらせました。
「ミリー、君のことを誰にも渡したくない。私と結婚してほしい」
ルーカスお兄様は、これ以上ないくらい真剣な表情で、そうおっしゃいました。
「裏切り者!!」
鋭い声で、ロナちゃんが叫びます。
「ルーカスお兄様、ご冗談ですよね?」
わたくしはそう言って、繋がったルーカスお兄様の手を咄嗟に離しました。
「冗談ではない。ロナ、申し訳ないが君との婚約を破棄したい」
「ふざけないでくださいな」
ロナちゃんは見たこともないような怒りの表情で、ルーカスお兄様を睨みつけます。
「そうですよ。いきなり何を言うのです。そんなこと、ロナ嬢への裏切り行為も甚だしい。それに兄上は今までミリーのことをそんな目で見ていたのですか?」
エドワードお兄様が狼狽しながら尋ねます。
ルーカスお兄様はわたくしを見つめ、それからエドワードお兄様に視線を移しました。
「ああ、そうだ。当然、そんな目で見るだろう。ルーカスお兄様、お庭に綺麗な黄色いお花が咲きました。なんてお名前なのでしょう。ルーカスお兄様、クッキーが焼けましたが、コケモモのジャムをちょっと焦がしてしまいました。ごめんなさい。ルーカスお兄様、お疲れではないですか。よく眠れるハーブティーを入れて参りました。ルーカスお兄様、どちらのリボンが似合いますか。どちらもわたくしにはもったいないくらい可愛いです。ルーカスお兄様、今日はよいお天気ですね。気をつけていってらっしゃいませ。ルーカスお兄様、お帰りなさいませ。早く帰ってきてくださって、嬉しいです。ルーカスお兄様、ルーカスお兄様、ルーカスお兄様。呼ばれる度、頬が緩む。なんて可愛い。世界一可愛い。世界一好きだ。女の子として好きだ。だが、ミリーが私を兄としてしか見ていないことは分かっていた。だから、いい兄でいようと、今日までそう思って努力してきた。そして、私より優れた男と幸せになってほしいと躍起になって探してきたが、ミリーに相応しい男は全く見つからない」
ルーカスお兄様は、ほぼ息もつかずに早口でそう言いました。
「それはそうでしょう。兄上より優れた男なんてそうそういないでしょうね」
エドワードお兄様が返します。
「その挙句に、男と二人で暮らすだと? 私より劣る男と!!」
「それって俺のことですよね? 実の弟に向かって私より劣るって……」
エドワードお兄様は、もはや呆れた表情をしております。
「わたくしは認めませんわ。ご自分だけ幸せになろうだなんて、本当に裏切り行為ですわよ。それでは、わたくしの夢は一体どうなるのです? わたくしは、ただその夢のためにあなたと婚約したというのに」
「ロナ、こんなことになり本当に申し訳ないと思っている。だが、ミリーに相応しい男がいないのが悪いのだ。君だって、これまでミリーの婚約者候補を全部否定してきたではないか」
「それはそうですけれど、わたくしはやっぱりどうしてもミリーちゃんにお姉様って呼ばれたいのですわ!!」
「はあ?」
そこで、エドワードお兄様が奇妙な声を上げました。
わたくしも同じように叫びたい気持ちです。
「ロナ嬢、貴女は兄上のことを愛してはいないのですか?」
エドワードお兄様が尋ねます。
「ええ、全く。わたくしとルーカス様はミリーちゃんを愛する、ただの同志ですわ。わたくしたち、愛のない契約結婚をするつもりでしたの」
「つまり、ロナ嬢が好きなのは兄上ではなくミリーなのですか?」
「そうですわ。友人なんて戸籍上他人。やはり限りなく近い存在は家族ですわよね。ですから、わたくしは早い段階で、ミリーちゃんの伴侶になれないのなら、せめて義姉になろうと決めたのですわ」
「ロナ嬢がミリーの姉になりたいというのは分かりました。ですがその場合、兄上には何のメリットが?」
エドワードお兄様はこめかみあたりに手を置きます。
「誰かと結婚しなくてはならないなら、同志がいいと思っただけだ。当主が理由もなく独身を貫くのは難しいだろう」
「わたくしたち、ミリーちゃんを愛する者同士、気は合いましたのよ」
ロナちゃんは、なぜか得意げです。
「それで、二人でミリーの婚約者候補を吟味していたが、誰も相応しくないと合致した」
ルーカスお兄様が言いました。
「嫌な合致ですね」
エドワードお兄様は呟きます。
もうわたくしには、何が何だか分かりません。
気づけばルーカスお兄様が再びわたくしの手を取っておりました。
「ミリー、私が嫌いか?」
わたくしはお兄様を見上げ、左右に首を振ります。
「まさか。お兄様のことは大好きです」
「では、これからは私を兄ではなく、一人の男として見てくれないか?」
一人の、男の人……?
ルーカスお兄様は眉目秀麗で頭脳明晰。ロナちゃんと婚約する前は、女性からのアプローチが常に絶えませんでした。
それから、過保護ではありますが、性格は頼もしくとても優しいです。
そんなお兄様が、わたくしを好き?
妹ではなく?
好き?
急に恥ずかしくなってきました。
思わずまた繋がっている手を離そうとしましたが、今度はそれを許してはくれません。
ルーカスお兄様の熱い視線が刺さります。
「そんなに、見ないでくださいませ」
わたくしは、お兄様から視線を逸らしました。
「少しは期待してもいいようだな」
お兄様の口調は楽しげです。
「ルーカス様、認めますわ。確かに、ルーカス様のミリーちゃんに対する想いは、わたくしと同等。けれど、同等と認めただけで、決して負けたわけではありませんのよ」
「ロナ、私はミリーを誰よりも幸せにする。どうか、私との婚約破棄を受け入れてほしい」
しばらく沈黙が流れ、それからロナちゃんは、唇を噛みながらゆっくりと頷きました。
「分かりました。婚約破棄を受け入れますわ。でも、やっぱりずるい。ルーカス様はこれからミリーちゃんにあんなことやこんなことができる可能性があるんですもの。わたくしだって、ミリーちゃんにあんなことやこんなことをしたい。したい、したい、したいですわ!!」
「さすがにその望みは難しいと思うが、当初の夢はまだ叶う可能性があるのではないか?」
ルーカスお兄様の言葉に、ロナちゃんは首を傾げます。
ルーカスお兄様は、いつの間にかエドワードお兄様を見ておりました。
「……確かに、そうですわね」
ロナちゃんもエドワードお兄様に視線を移します。
「え?」
エドワードお兄様は惚けた声を上げました。
「エドワード様、無理を承知でお願いいたします。わたくしと結婚して、わたくしをミリーちゃんの姉にしていただけませんか?」
ロナちゃんがそう言うと、いつも冷静沈着なエドワードお兄様のお顔が、一気に朱色に染まりました。
これまで、エドワードお兄様のこんな表情は見たことがありません。
「まさかお前、ロナのことが好きだったのか?」
目を見開いたルーカスお兄様が尋ねます。
「いや、まさか。いえ、あの………はい。……そう……です」
エドワードお兄様は、小声で答えました。
「馬鹿か!! なんでそんな大事なことを早く言わない!!」
「なんでも何も、兄上は彼女と早々に婚約してしまったではないですか」
「そうか。まあ、確かに。それは悪いことをした」
ルーカスお兄様は、エドワードお兄様に頭を下げました。
「いえ。悪気があってのことではないのですから、そのことに関して、兄上が謝る必要はありません」
「だが、これで納得がいった。お前が誰とも結婚しないと公言していたのは、決して結ばれることのない想い人がいたからだったのだな。ロナ、これなら君の夢は叶いそうだな」
ロナちゃんは考えるように俯いています。
そして、顔を上げると改めてエドワードお兄様に向き直りました。
「エドワード様、先程もお話しました通り、わたくしの一番はミリーちゃんですわ。そして、これからもそれが揺らぐことは決してありません。そんな普通ではない女ですが、それでもよろしいですか?」
「はい。俺は妹を大切に思ってくれる貴女が好きです」
エドワードお兄様は赤いお顔のまま、きっぱりと答えました。
「そう言ってくださるのでしたら、わたくしたちも同志ですわね」
ロナちゃんは嬉しそうです。
エドワードお兄様は黙って頷きました。
「でも心配なさらないで。結婚したら妻としてのお役目はきちんと果たします。お子はエドワード様が望むだけ、生ませていただきますわ」
「え? ええ? は、はい。お、お願いします」
エドワードお兄様はそう言うと、顔を押さえ、しゃがみ込んでしまいました。
わたくしは、やはり何が何やら、頭が追いつきません。
でも多分、いいえきっと、エドワードお兄様とロナちゃんに、お祝いの言葉を贈るべきなのでしょう。
「ミリー、私はいつまでも待っている。今は、墓まで持っていこうと思っていた心の内を告げることができただけで、とても幸せだ」
ルーカスお兄さまが、わたくしの傍で笑います。
それは、今まで見たこともないような晴れ晴れとした笑顔で。
胸がぎゅっと締め付けられました。
わたくしは、ただ初めての感情に戸惑うばかりです。
ロナちゃんに抱きつかれながら、これからも楽しい日々が続いていくことだけは間違いないだろうと思うのです。
お読みいただきありがとうございました。
評価や感想などいただけましたら、大変嬉しいです。
今後の執筆活動の励みになります。
*気づいたことがあるので、追記です。
エドワードとロナが先に結婚すれば、ロナは確かにミリーの義姉になれます。しかし、その後ルーカスとミリーが結婚したら、逆にロナはミリーの義妹ということになってしまいます。ややこしや。
まぁ、ロナはミリーを「お姉様」と呼べることも、幸せに感じることでしょう。家族であることに変わりありません。