呪われた王子様は人魚姫をお探しのようですが、私はただの漁師の娘です!!
「きつい……お父さんの嘘つき!」
重い荷物を運びながら私は簡単なおつかいだと嘘をついた父への口を吐く。
何がちょっと丘の上までのお届けものだ。か弱い娘にやらせていい仕事じゃないだろう。
自分が筋肉だるまなせいで人間の基準がおかしくなっているんじゃなかろうか。
「しかも臭いよ……」
荷物の中身は今朝獲れたての新鮮な魚達。
漁師の家に生まれた私にとっては子供の頃から嗅ぎ続け臭いではあるが、臭いものは臭い。
服にまで臭いが染み付いてしまいそうだ。
「こんな日に限ってお気に入りの服を着るんじゃなかった」
普段はあまりしないオシャレ着を選んだのは間違いだったが、お貴族様の屋敷に行くのだからいつもの地味で芋っぽい服はゴメンだった。
だから癖のある赤毛はひとつにまとめてあるし、そばかすを隠すように化粧もしている。
私は今、お貴族様へ魚を配達していた。
正確には屋敷で働いている料理人が父の獲った魚を気に入って贔屓にしてくれているのだ。
男手ひとつで私を育て上げて漁師として町のみんなから評価されて慕われているのが父だ。
私からしたら親バカの筋肉だるまにしか見えないけど。
でも、そんな父に助けられているところもある。
それが今回みたいな息抜きだ。
とある事情から私は家に引き篭もるようになっていた。
家事もせずに部屋に閉じこもって一日を無駄にしていたらドアを力づくでぶち破って父が現れて私に魚を押し付けてきたのだ。
『おいローラ! あんな野郎のことでウジウジしてるなら気晴らしに外に出て行け。ちょうど頼みたいおつかいがあるんだ』
幼馴染の婚約者に振られたばかりの娘になんてことをと言いたいが、父なりの優しさだったのだろう。
婚約者のクリフは実家が交易商をしていて、うちの父とも海産物の取引をしていた。
物腰が柔らかく、お金計算や交渉が上手くて商人という家柄でマナーがきちんとしていたクリフのことがなんだかんだで私はカッコいいなと思っていた。
いつまでも子供みたいな夢を持っていた私を嫁入りさせて早く孫の顔が見たい父と腕利きでまとめ役な父と家族になることで港での発言力を大きくしたかったクリフの実家の利害が一致しての婚約だった。
『小僧が旦那になるオレも安心できるな』
『あははは。俺なんかまだまだですよ。おじさんに腕っぷしで敵う気がしないです』
『クリフはお父さんみたいな筋肉ダルマにならないでよね』
最初は抵抗したけれど、時が経つにつれて親達の苦労や思いやりもわかってきたのでなんとなく受け入れるようになった。
家族ぐるみでで食事をしたり、二人きりで買い物に出かけたりして穏やかな生活も悪くないと思っていた矢先にクリフから別れ話を切り出された。
『好きな人がいる。その人には俺がいてやらなきゃ駄目なんだ。俺だけが彼女の味方なんだ。だから君とは結婚できない』
そう言って彼は船が難破して帰れないという異国の女を恋人にした。
褐色の肌に踊り子のようなレースの服を着た異国の女と口づけを交わして抱き合うクリフの姿は私が一度も見たことの無い発情した雄の顔。
そっか、私だけが納得しかけていてクリフは私にそういう感情を持っていなかったんだ。
一方通行な好意だったと気づいた時には気が遠くなって立っていられなくなった。
婚約を破棄されたことを告げると父は大きな銛を握りしめてクリフの実家に乗り込んでの大乱闘。
結果的に向こうの親も悪いことをしたと謝ってくれて慰謝料を渡してきたが、謝罪の場にクリフ本人は同席しなかった。
それ以降、父は彼の実家と取引を停止している。
お金なんて貰っても心の傷は癒えずにただ思い上がっていた自分の惨めさと情けなさに泣いていたのが昨日までの私だ。
「やっと着いた」
重い魚を運んでいたのと婚約破棄されたことを思い出してしまって再び気が滅入っていたのもあり、かなり疲れた。
さっさと配達を終わらせて何処かでゆっくり休憩したい。
ぐるっと柵で囲まれた屋敷の入り口にある大きな鉄の門を潜ると、広い庭や噴水が目に入った。
お昼時だからなのか人の姿が全然見えなかった。集まってご飯でも食べているのかな?
「……厨房ってどこ?」
父からは代金は前払いで貰っているから料理人に魚を渡すだけだから簡単だと言われたが、そういえばどこに厨房があるのか私は知らない。
それらしい場所を探してみるけど、敷地の中には建物がいくつもある。
「とりあえず適当なところから入って誰かに場所を聞けばいっか。失礼しまーす」
深く考えるのはやめて私は近くにあったドアから屋敷の中に足を踏み入れた。
広い屋敷の中をテクテクと歩きながら人に会うことを期待して進んでいくと、入ってきた入り口すらわからなくなった。
「……迷子になっちゃった」
外から見る分には綺麗で立派な建物だったが、中に入ると侵入者を逃さない迷宮のような造りになっていた。
いや、私が方向音痴なだけなんだけどね。
町から屋敷までは真っ直ぐな一本道だから迷わなかったけれど初めて行く場所にはめっぽう弱い。
夢を叶えるために旅に出たいって言った時に父が本気で心配していた理由が今になってようやく理解できた。
「このまま誰にも会えず魚と一緒に腐るのかな?」
勿論そんなことあるわけないのだが、気が滅入っている私の思考はどんどん悪い方へと向かっていく。
足も疲れて魚が入った桶を持っているのもしんどくなった私はとりあえず近くの部屋に入って休もうとした。
ガチャリと扉を開くと、そこは部屋の真ん中に変な置物が一つだけある殺風景な部屋だった。
長方形の置物は窓から入って日の光を浴びてキラキラ輝いている。
何だろうと思って近づくと、置物はガラスで作られた棺だった。
どうして棺だと思ったかというと、ガラスの中に眠っている人がいたからだ。
「ひぃ!」
うっかり死体の安置所にでも迷い込んでしまったのかと焦るが、そうじゃないことに気づいた。
ガラスの棺は顔の部分がスライドする仕組みになっていて、開いている部分から寝息がするのだ。
「もしかして、この人が伝説の呪われた眠り王子?」
私が産まれるずっと前から、ある不思議な伝説があった。
丘の上の屋敷には見るもの全てを魅了するような美しい王子様が眠っていると。
なんでも王子様は国の内外を問わず多くの女性に求婚をされていたらしい。
そんな中、彼の前に現れたある貴族の令嬢が無理矢理に王子様に関係を迫ったのだが断られて大恥をかいたのだという。
その貴族の令嬢は嫉妬深くプライドが高かったので自分を選ばなかった王子様を恨み、禁断の魔法を使って呪いをかけたのだ。
呪われた王子様は生きているのに死んだように眠り続け、彼の時間は眠らされたその時のまま止まってしまった。
息子を呪われた当時の王様は怒り狂って呪いをかけた悪い貴族令嬢を捕まえたが、彼女は王子を目覚めさせるのは絶対に不可能だと言い残して舌を噛んで死んでしまった。
以降、知恵のある人を集めて様々な実験をしてみたが王子様が目を覚ますことは無かった。
「まさか本当だったなんて……」
息子を失ったにも等しい王様はせめて安らかに眠れるようにと彼が気に入っていた美しい海が見える場所としてこの屋敷に王子様を運んだというのが子供の頃に聞かされた伝説だった。
誰かが作ったおとぎ話かと思っていたら実在していたのね。
「確かに凄い美形だ……」
棺を観察してみると、中で眠っている黒髪で長身の男性はまるで絵画のような美しさだった。
肌は雪のように白くてシミひとつ無く、鼻は高くて目の堀が深い。
閉じられた瞼のまつ毛は羨ましくなるくらい長いし、何よりも胸元で組まれた手の指が細くて綺麗だ。
眠っている姿を見るだけで私がここまで目を惹かれているのだから、起きた状態で動き回ったり表情をコロコロと変えていたらさぞ多くの人を虜にしていたのだろう。
「でも、こんな寂しい場所で一人だけ眠ったままなんて辛いよね」
部屋にある窓からは港町が一望できるけどそれだけだ。
時が止まっている間は死ぬことは無いけど美味しいご飯を食べたり友達や家族と触れ合ったり、恋に焦がれることもない。
それは死んでいるのも同然の状態だ。
「ちょっとだけうるさくしますよ」
久しぶりに私はメロディを口ずさむ。
選んだ曲は有名な子守り歌だ。
寝ている彼が悪夢にうなされないように、穏やかで寂しさを感じないように優しく歌い上げる。
「〜〜〜♪」
我が子を寝かしつけるように、温かい親の腕に包まれているようなまどろみを意識しながらやわらく囁くように音を紡ぐ。
「……ふぅ」
久しぶりに歌ったから腕が落ちてないか不安だったけれど、お客さんからの反応はないので特に緊張することは無かった。
それどころか部屋が静かで窓から入ってくる風が気持ちよかったのでのびのびと歌うことが出来た。
体を楽器にして声を出すだけで婚約破棄されたことで溜まっていたモヤモヤが少し晴れたような気がした。
あぁ、やっぱり私は歌うのが好きでたまらなくて、だから歌手になりたかったんだ。
「って、感傷に浸ってる場合じゃない。おつかいを終わらせなきゃ」
自分の夢について考えながらしんみりしてる暇があるならさっさと魚を届けないといけない。
鮮度が良くてピチピチしているとはいえ、それもいつまでも保つわけじゃない。
私は置き場がなくて仕方なく王子様の棺の上に乗せていた魚の入った桶を持ち上げようとした時に事件が起きた。
桶に被せてあった蓋が少しズレていたのか、中に入っていた魚が急に跳ね上がったではないか。
ずっと息を潜めながら逃げる機会を狙っていたのかはわからないけど、桶から脱出した魚は勢いよくバウンドして王子様が眠る棺の中にダイブした。
「あーっ!!」
運が悪く顔の部分が開いていたのもあって、魚は王子様の顔にぶつかってキスをした。
オジサンの分厚い唇が王子様のプルプルした唇とぶちゅーって触れ合ってしまったではないか。
「ちょっと大人しくしてよ!」
ビチビチと魚のオジサンは嫌じゃ嫌じゃと棺の中を暴れ回ったが、これでも漁師の娘。魚の扱いには慣れているので素早くキャッチして桶に戻す。
「ふぅ〜」
汗を拭いて安堵しながら私は周囲を見渡す。
棺の中には生臭い魚の香りがして漂っており、王子様の頬にはオジサンから剥がれ落ちた鱗が無数にひっついているし、髪も少し濡れている。
魚が入ってた桶には海水も入っていたので脱走された際にいくらか零れて床のカーペットに染みを作ってしまった。
「やばい……」
冷静に状況を把握したらまた汗が流れてきた。とびきり冷たいやつだ。
「し、し、し、失礼しました! ごめんなさいさようならお元気で!!」
咄嗟に私がとった行動は謝罪の言葉を残しての逃走だった。
眠っているとはいえ、王子様の部屋に無断で侵入した挙句に魚と水をぶちまけた女。
どこからどうみても怒られるし、下手したら捕まって処刑されるかもしれない。
自暴自棄になって消えてしまいたいとさえ考えていたけれど、流石にコレが死因になるのは嫌〜!!
本当に申し訳ないと思いながらも私は全速力でその場を離れるのだった。
♦︎
「んっ……」
猛烈な臭いに鼻を刺激されて青年はゆっくりと目を覚ました。
髪が濡れているのが気持ち悪いし、何かが顔に張り付いているようで気になる。
「僕は……」
不快感の次に青年が感じたのは異常な空腹と倦怠感だった。
特に体がバキバキに痛む。まるで何日も寝たきりのままでいたかのようだ。
そこでようやく青年は自分がガラスで作られた棺の中にいることに気づいた。
「おーい、誰かいないのか!」
声を張り上げて人を呼んでいると、ドタバタと物音がして人が入ってきた。
年老いた執事服を着た老人は部屋の中に入るや否や青年の顔を見て驚いたように声を上げた。
「二、ニール様が目を覚ましていらっしゃる!?」
信じられないものを見るような目を向けられるが、今は早くこの棺から出たかった。
「すまないがここから出してくれ」
「はい! ただいま人を集めてまいります」
執事が一度部屋から出て少し待つと大勢の人間が急いで駆け寄ってきた。
「ニール様だ!」
「起きてるところ初めて見たぞ!」
「きゃ〜、やっぱり動いてらっしゃると絵になるわ!!」
集まった全員が青年ことニールが目覚めたことに驚きと感動しながらガラスの棺を持ち上げた。
やっと自由の身になったニールはゆっくりと体を起こす。
「ご無理をなさらないように。貴方はずっと眠らされていたのですぞ」
「僕の身にいったい何があったんだ?」
集まった人間のまとめ役らしい老執事に問いかけると、彼はニールにこれまで起きた全ての事を話した。
「そうか……。やはりあの女が僕に呪いを」
説明を受けた後にニールは記憶の中にあった野心に満ち溢れた目をして自分に媚びてきた貴族令嬢の顔を思い出した。
求婚を断った時に激昂しながら後悔させてやると捨て台詞を吐いていたが、まさか禁忌に手を染めて呪いをかけてくるとは思わなかった。
「はい。お辛いでしょうが今はお目覚めになったことを喜びましょう」
「あぁ、そうだな」
死んだに等しい状態だったが、こうしてニールは生きている。
集まった人々は喜びながら宴の準備をしようと盛り上がっており、ニールは深く考えるのを一旦やめた。
「しかし、奇跡ですな。これまで何をやっても呪いが解けなかったというのに」
「いいや、奇跡なんかじゃない。誰かが僕を救ってくれたんだ」
「それは一体、誰が……」
ニールは目覚める直前に歌声を聞いたことを思い出した。
ずっと何もない暗闇にいたような気分だった自分の意識に語りかけてくるような声を覚えていた。
「歌声、潮の香り、そしてこの鱗……」
自分の顔に張り付いていたものを手に取ってみると、光を浴びてキラキラと反射している。
よく見れば部屋の床は水で濡れていることにも気づいた。
「きっと人魚が僕を助けてくれたんだ」
「人魚ですか?」
老執事はニールの顔を心配するように覗き込んできたが、当の本人は穏やかな笑みを浮かべている。
「呪いのかける魔女だっていたんだ。人魚だっているに決まっているだろ?」
自分の唇に手を添えながらニールは微かな感触を思い出すように窓から見える海に恋焦がれるのだった。
♦︎
「どうしよう……」
私は今、町の片隅にある浜辺に座り込んで沈む夕日と海を眺めていた。
父から頼まれたおつかいでとんでもない失敗をしてしまった私はあの後すぐに家に逃げ帰った。
運良く帰り道の途中で屋敷に戻る料理人見習いに出会ったので魚を押し付けたが、よく考えたら申し訳ないことをした。
もしも彼が王子様に無礼を働いた犯人にされたらどうしようと考えると食事が半分くらいしか喉を通らなかった。
まぁ、そんな心配はすぐにしなくなって別の問題で町は大騒ぎになった。
「まさか王子様が目覚めるなんて……」
翌日には町中で呪われた王子様に奇跡が起こって目を覚ましたことが広まった。
それからあっという間に王都から王族がやって来たりしてお祭り騒ぎだった。
王子様は眠ったまま時間が止まっていたのでこれからどういう立場になるのか気にしている人が多かった。
王位継承権はどうなるとか、どこに住むのかなんて話題で持ちきりだった。
とりあえず今は丘の上の屋敷に留まっているが私が関わることは一生無いだろう。
というか、関わりたくないしどんな顔して会えばいいのかわからない。
「こういう時は歌うのが一番よね」
この時間の浜辺は遊んでいる人も家に帰って、人気が少ないので歌の練習をするのにはもってこいだ。
小さい頃から何かとこの浜辺がお気に入りだった私は大きく息を吸い込んで歌い出そうとした。
しかし、その直前に目を疑うような光景を目撃した。
「ちょ、入水自殺でもするつもり!?」
一人の男性が服を着たままの状態でどんどん沖へ向かって歩いて行くではないか。
着衣水泳が趣味じゃあるまいし、人がいない場所と時間帯でもあるので目的は自分の命を絶つことかもしれないと思った。
私は砂浜の上を急いで走って男性を引き止めるべく海に入った。
「危ないわよ! 早まるのはやめなさい!」
思ったより波が高いのと男性の身長が高かったのもあって私の腰くらいまで海水に浸かった。
「いきなり何なんだ君は!」
「若いんだし人生まだまだこれからなんだから馬鹿なことは考えちゃダメ!」
とにかく男性を陸へ連れ戻そうと服を引っ張るが、びくともしない。
こういう時に父みたいな筋肉があれば……いや、絶対にいらない。
「何のことだ!?」
「あなたが死ねば家族が悲しみますよ!」
大きな声で説得を試みようとした直後の出来事だった。
偶然大きな波がやってきて私は波に呑み込まれてしまった。
足が地面から離れて体が浮き、波に攫われて上下がわからなくなってパニックになる。
そういえば、漁師の娘で港町育ちだっていうのに泳げないんだった私!!
カナヅチだったことを思い出した時には海水を飲み込んでしまっていて意識を失いそうになった。
あぁ、王子様に不敬なことをしてしまった罰がこんな形で訪れるなんて……ごめんなさいお父さん。
一人残してしまう父への謝罪をしながら私の意識は冷たい水底へと沈んでーーいかなかった。
「おい! しっかりしろ!」
何かが私の体を掴んだ。
そしてそのまま抱き上げられたおかげで水面から顔を出せたので息が吸える。
「げほっ」
「落ち着いて深呼吸をするんだ」
私は何かに必死にしがみついて息をすることだけに集中した。
ようやく海から出て浜辺に辿り着いた時に目を開けると目の前に夜空があった。
いいや、違う。満点の夜空のような輝きを宿した黒い瞳が私を見ていたのだ。
「もう大丈夫だ」
背中と足に手を回して人に抱き抱えられていることにようやく気づいた。
「あ、ありがとうございまし……」
お礼の言葉が途中で途切れる。
私を助けてくれたのは服を着たまま海に浸かっていた男性だった。
止めようとした時は後ろ姿しか見えなかったのに、こうして密着して正面から顔を見た瞬間に私は頬が引き攣って固まった。
「何を勘違いしたのかは大体わかった。僕は死ぬつもりは無いし、ちょっと探し物をしていただけなんだ」
動いている。喋っている。目を開けている。
「急に黙り込んでどうしたんだ? 何か体に異変でもあるのか?」
オジサンとキスしたイケメン王子が目の前にいるんですけど!?
えっ、何これ!? どういう状況!?
「すぐに医者のところへ!」
「大丈夫ですから降ろしてください! 大変失礼しましたありがとうございましたもう勘弁してください!」
首に抱きついていた手を離して私は逃げるように彼の手から降りた。
顔を見上げて改めて確認するが間違い。
呪いによって眠らされて屋敷にあった棺の中にいた王子様その人だ。
「そうか。なら良かった」
勘違いして勝手に溺れて死にかけた女が無事だとわかったからか、王子様は髪を掻き上げて水を払う。
着ていた白いシャツは水に濡れたせいでピッタリと彼の体に張り付いて意外としっかりしている体のラインがしっかり浮き出ており、大変な色気が吹き出してる。
男性の裸を見慣れていない女性であれば悲鳴をあげて赤面するところだろうが、港の野郎達がしょっちゅう半裸で動き回っているのを目にしているので耐えられた。
しっかし、水も滴るいい男とはこういう人物のことを指すんでしょうね。
「風邪を引く前に着替えた方がいいんだが、君の家はこの近くか? 遠いなら馬車を呼んで送らせるが」
「ご心配なく! 全然近くてすぐそこなんで問題ありません。むしろ、あなたの方が早く着替えなきゃマズイです!」
私のような庶民よりもお貴族様の、それも王族の方を濡れたままにしておくのが問題だ。
これだけ容姿が整っているお方だし、女に飢えた野獣が手を出さないとも限らない。
いくら王子様とはいえ、パッと見だと一人きりだし丸腰なので喧嘩慣れした屈強な船乗りに出会えば大変なことになる。
私? 私は父の影響力があって誰も手を出してはきませんよ。以前にナンパ男が魚の餌にされかけたくらいです。
「さぁ、早くこちらに!」
「えっ? あぁ……」
急かすように王子様の手を引いて私は歩き出した。
これ以上の非礼を重ねて首が切り落とされるのは御免だという一心で焦りながら行動する。
自宅に戻れば父の着ていた服があるけど、高貴な人に魚臭いシャツとオーバーオールを着せるわけにはいかない。
だったら目指すのはあの場所だろう。
「店長! ちょっとシャワーと男性用の服を貸してください!」
浜辺から少し歩いた場所にある港の漁師や船乗りが贔屓にしている酒場の裏口を叩く。
「あら〜、どうしちゃったのよローラちゃん。いい男とずぶ濡れなんて」
「事情は後で話すから早くして!」
中から出てきたのは高身長でムキムキだけど口調と仕草が女性っぽい店長だ。
父の昔からの馴染みで私の母代わりのような人でもある。
余計な詮索をしようとする店長を追い払って私は酒場に併設された店長の家の風呂場に王子様を案内した。
「さぁ、こちらへ! タオルとかも用意しておくので中へどうぞ」
「先に君が着替えた方がいいんじゃないのか?」
「いいえ。私なんて後回しでいいですから!」
遠慮しようとする王子様を強引に風呂場に押し込んで私は慣れた手つきで色々と準備する。
「ローラちゃん、着替え持って来たわよ〜」
「ありがとう店長」
「全然いいわよ。このサイズの服って表にいる野郎どもじゃ着れないから困っていたのよ〜」
酒場のウエイターには客と同じようなムキムキの男が多いため店長が作った給仕服の一部は使われずに眠っていたらしい。
「ところで彼ってば一般人じゃないわよね〜」
「き、気づいた?」
「宝石付きの指輪してるし、歩き方というか所作がお貴族様の動きよ〜」
「えーと、海で色々あったんだけど深くは言えないんだよね」
というか正体をバラしたらいくら店長でも肝が冷えると思う。
アレ? 改めて考えたら王子を連れ込んで服を剥いたことにならない?
私ってば不敬に不敬を重ねて誘拐紛いのことをしてないだろうか。
「そこまで言うなら聞かないわよ。それより服とシャワーのお代は今晩のステージで勘弁してあげるから着替えて用意しときなさ〜い」
「えっ、でも私ちょっと調子が……」
「大丈夫よ。今のアナタなら問題無いって女の勘が告げてるのよ〜」
でも、店長男ですよね? とは言えなかった。
アレはもう性別とかそういうのを超越した生き物だから諦めて私は酒場の更衣室に保管してある服に手を伸ばした。
暫くして日が暮れて酒場が一番繁盛する時間になり、私は着替えと化粧を済ませて酒場の表へ向かおうとすると、先にシャワーと着替えを終わらせていた王子様が待っていた。
「すいません。お待たせしてしまって」
「いいや、君と店主のおかげで助かったよ」
「着ている服の洗濯もしたんですけど、多分乾かないのでそのまま帰宅してもらうことになりそうです」
「別に構わない。なんならそのまま処分してもらってもいいんだが」
「そんなこと出来ませんよ! あんな高そうな服を捨てるなんて勿体無い」
王族が身につけるだけあって生地の素材から違っていた。
あの服だけでこの町の漁師の数ヶ月分の稼ぎになりそうだと洗濯を手伝ってくれた店長に言われて震えながら洗ったのだ。
「とりあえずその服しか用意できなかったんですけど問題ありませんか?」
「心配いらない。一度はこういう服も着てみたかったんだ」
王子様が着ているのは酒場のウエイター用の制服だ。
間違っても店員だと思われないように刺繍された店のロゴが見えないよう白いシャツの上から黒いジャケットを羽織っている。
多くの女性を虜にしてきた美貌だけあって、どこぞのお貴族様に仕える敏腕執事のような雰囲気を醸し出していた。
「よくお似合いですよ。……って、別に使用人っぽいとかオーラが無いとかじゃなくて普通にカッコよくて様になっているので、凄く凄いです!」
「ふふふっ。褒めてくれてありがとう。君の方こそよく似合っているよ」
失礼な話をしてしまったと慌てる私を見て王子様は白い歯を見せて微笑んだ。
彼は褒めてくれたけど、私が着ているターコイズカラーのドレスは前に古着屋に売ってあった中古品だ。
元々は大きな町の劇団で使われていた衣装らしく年季も入っている。
王族の人から見たらボロ布扱いだろうに褒めてくれるなんてお世辞が上手い。
「しかし、この店は大衆向けの酒場だろうにどうしてドレスを?」
「えーと、実は私の趣味というか特技が歌うことなんです。偶然、店長やお客さんの前で歌を披露したらおひねりを貰っちゃってそれ以降はズルズルと」
「歌か……」
プロの歌手や音楽家と違ってしっかり勉強をしたわけじゃないけど、そこそこな回数をこの酒場のステージで披露してきた。
楽器の演奏もなく、客の手拍子や空の酒樽を叩く音でリズムをとりながらの素人レベルの歌だけど私はそれが好きだった。
「いつかは大きなステージに立ちたいなんて思ってるだけで今日まで来ちゃったんですけどね。お父さんや故郷と知り合いを見捨てられずに中途半端なまま生きてきたのでお耳汚しになっちゃうかもしれないですけど、あはははは……」
自分で喋りながら途中から恥ずかしくなって笑って誤魔化した。
王子様は真剣な表情のまま黙ってしまい気まずいなと思ったら、ぐぅ〜とお腹の音が鳴った。
「話の途中だったのにすまない」
「いいえ! 夕食の時間ですしお腹が減るのは仕方ないですよ。よければ食べて行っちゃってください。お口に合うか分かりませんけど……」
「折角だから頂こうか。外食というのをあまりしたことが無くて気になっていたんだ」
そりゃあ、王族だから料理は家で超一流シェフが作りますよね。
というか、この人は自分が王子だってことを隠す気は無いのだろうか?
「店長、この人に何か食事を。……私のツケでいいからなるべく高くて美味しいやつ」
「オッケ〜。代わりにステージでお店をもっと盛り上げてちょうだ〜い」
店長も薄々だが王子様へ配慮してくれて、他の客から絡まれにくいカウンター席の端に案内してくれた。
「よっ、ローラちゃん!」
「久しぶりだね。待ってたよ!」
馴染みの顔の客達が私の姿を見て手を振ってくれる。
ステージというには小さ過ぎる段差の上だけど、この場に立って店の中を見渡すだけで心がワクワクする。
やっぱり私は恋よりも音楽の方が好きなんだ。
クリフに捨てられて人生を諦めたつもりになっていたけどそんなの勿体無い。
あんな男がいなくても私は私の夢のためだけに歌い続けてやる!
そんな気持ちを込めて最初に歌ったのは陽気な船乗り達の歌だ。
町から町へと船に乗って嵐や灼熱の陽射しを耐えて荷物を運ぶ彼らの様子が歌詞に描写されている。
「〜〜〜♪」
歌に合わせて手拍子をする人が増え、顔を真っ赤にしながらそれでもジョッキでお酒を飲む仕事終わりの船乗り達。
ただ歌を聞くだけじゃなくて中には一緒にメロディーを口ずさんでいる人いて楽しい。
続けて二曲目は故郷に置いてきた妻や家族のことを思い出して切なくなる曲。
さらに大量の魚を捕まえてどんちゃん騒ぎする漁師の歌をうたう。
「よっ! 酒場の歌姫!」
「次は俺の十八番の歌をだな〜」
「黙れよ音痴! ローラちゃんの後だと耳が腐っちまう」
「アンコール頼むぞ!!」
いつもと同じように声が出て酒場の熱気が上がる。
今日はいい調子だし、声援に応えて普段より遅くまで歌っちゃおうかな。
気をよくした私は次に何の歌を披露するか悩んだ。
他の地域から来た人に地元の曲を聞いて地道にレパートリーは増やしているけど今日の気分だとあまり普段は歌わないような選曲でみんなを驚かせたい気持ちもある。
そうやって悩んでいると、突如として酒場の中に弦を弾く音が鳴り響いた。
「えっ?」
音の鳴る方を見ると、私の立っているステージの壁際の隅っこで木箱を椅子にして座ってリュートを構えている黒髪の王子様の姿があった。
「ちょ、何やってるんですか!?」
「君の歌声を聞いたらいてもたってもいられなくなってね」
「そのリュートは何処から?」
「近くで吟遊詩人が演奏しているのを店に来る時に見かけたから指輪と交換で借りてきた」
指輪ってあの宝石付きのやつですよね!?
どう考えても指輪の方が使い古されたボロいリュートより価値があるのにポンと渡してきたっていうの?
「弾けるんですか?」
「楽器なら大抵は弾ける。これでも音楽関連だと昔はちょっとした有名人だったんだ」
王子様は指で軽く弦を弾いてみせる。
それだけでかなりの腕前だと理解した。
容姿だけで注目を集めるような人がプロと同じレベルで楽器を演奏していたのならあちこちから求婚する人がやってきて奪い合いをするのも納得だ。
「一曲だけリクエストしても?」
「いいですよ。お客さんも期待してるみたいですし、よろしくお願いします」
酒場のステージでこういう乱入は特に盛り上がる。
これまでも何人か楽器が弾けると参加してきた人はいた。
笛だったり、手作りのカスタネットだったりバラエティー豊かなセッションに合わせて歌ってきたのだ。
だからどんな曲でもかかってこいや! と意気込んでいたら王子様が演奏し始めたのは子守り歌だった。
誰もが一度は聞いたことのある我が子の安らかな成長を思いやる親目線の気持ちのこもった一曲。
ただし、ちゃんと酒場の雰囲気に合わせてアレンジがしてある。
「久しぶりに母ちゃんの墓参りに行くか」
「今晩はガキと同じ布団で寝るかね」
お客さん達も聞き入っていて、店長なんか体をくねくねと悶えさせながらうっとりした目をこちらへ向けている。
私もこの素晴らしい演奏に負けていられないと心を込めて歌い上げた。
しっとりとしながらどこか懐かしさと寂しさを与えるそんな感情をみんなに伝えたい。
「 ……ありがとうございました」
自分史上、過去最高のパフォーマンスを終えて挨拶をすると酒場中から拍手喝采を受けた。
渡されるおひねりも見たことない金額になっている。
「凄いな兄さん」
「やっぱ演奏付きだと歌が映えるよな」
「いつも見てるローラちゃんが今日は女神さまみたいに見えたぜ」
こうして私と王子様による酒場でのライブは大盛況のうちに幕を下ろした。
アンコールを求める声も多かったけど連続で歌って消耗した喉を少し休めたかったし、騒ぎすぎると王子様の正体もバレてしまう恐れがあったので店長判断でストップがかかった。
「いや〜、凄い演奏でしたね。あんな腕前の伴奏付きなんて初体験でした」
「そう言ってもらえて嬉しいよ。僕も楽しかった」
酒場の二階にある従業員用の休憩室。
開いた窓から客の騒ぐ声と夜風に運ばれる波の音が聞こえる。
ここで休んでいるのは私と王子様の二人きりだけだ。
私は窓辺に腰掛け涼しい風を浴び、王子様は椅子に深く座って背もたれに体を預けていた。
「家に帰らなくて大丈夫なんですか?」
「出掛けてくると書き置きはしてきたから大丈夫じゃないかな」
多分、それ大丈夫じゃないと思います。
やっぱり今頃は丘の上の屋敷で捜索隊が結成されているんじゃないだろうか。
「今はもう少し余韻に浸っていたい」
「私もです」
月明かりが部屋を照らす中で私と王子様はさっきのステージを思い出しながら夜空を眺める。
あんな気持ちいい演奏をもっともっと続けたいけれど、それは叶わない願いだ。
「そう言えば、さっきはどうして海に入ってたんですか?」
潮の香りを嗅いでいるうちにふと、疑問に思っていたことを聞いてみた。
「実はある人を探していたんだ。海に入れば会えるかもしれないと思ってた」
人探しで海?
私には王子様が言ってることが全く理解出来なかった。
「僕は人魚に会いたかったんだ……」
「人魚ですか?」
人魚といえばアレだ。
上半身は人間で下半身が魚の美しい声をしている生き物。
子供向けのおとぎ話や女性向けの作品だと神秘的な美しい存在だとされているけど、漁師の間だと声を聞いたらすぐ逃げろと言い伝えられている。
なんでも人魚は船にイタズラして沈めようとするからだとか。
父が会ったことがあると店長が言っていたような気がするが、私は信じてない。
「人魚に会ってお礼が言いたかった」
「はぁ……そうですか」
不思議なことを言うものだと思った。
人魚を探して海に入ったり、バーテンダー服や酒場の料理を気に入ったり、ステージに参加するためだけに高価な指輪と楽器を交換したりとちょっと天然が入ってる人だ。
「でも、その必要はなさそうだ」
王子様は椅子から立ち上がると窓辺に腰掛けていた私の前に立つ。
「君が僕の人魚姫だったんだね」
「私が人魚姫?」
突然の発言に戸惑ってしまうが、王子様は私の手を取ると自分の顔に近づけた。
「眠っている間に優しい歌声が聞こえたんだ。それから潮の香りがする手の臭いと温かさ」
もしかしてこれってあの屋敷で私がやったことを全部覚えているんじゃ……。
「そして誰かの唇が触れた感触で僕は目覚めた。信じられなかったけど呪いを解いて起こしてくれたのは人魚なんじゃないかって。だから会ってお礼が言いたかった」
王子様は私の手の甲に軽く唇を落とした。
熱い吐息が触れてくすぐったくなる。
同時に私はいきなり起きた大事件に口をパクパクさせて固まった。
「あ、あの、何を……」
「君がしてくれたことへのお返しだよ。ただ、流石にいきなり唇同士だと僕も照れてしまうからね」
よく観察してみると柔らかく笑う彼の耳が赤くなっているのを見つけた。
それに気づいてしまって私は自分の中の罪悪感を抑え込むことが出来なくなった。
「王子様。実は大切なお話があります」
私へ恩義を感じている人に対して我慢をするのも限界で覚悟を決めて全部話した。
どうして私があの屋敷にいたのか、無礼にも部屋に不法侵入して騒がしくした挙句にオジサンとのキス事件……まぁ、魚だけど。
本当に申し訳ないと思いながら自分が楽になるために吐き出した。
「というわけで、王子様がお探しの相手はオジサンという魚です。あと、気づいていなかったかもしれませんが店長が出した素揚げがそのオジサンです」
「甘酸っぱいソースがかかったあの料理が……」
王子様は口をポカーンと開けて呆気に取られていた。
魚とのキスが呪いを解く条件だったなんて思わなかったんだろう。
心中お察しいたします。
「本当に申し訳ありませんでした!」
「いや、謝らなくていいよ。過程はどうあれ、君が魚を運んできたことと眠る僕を安心させるために歌ってくれたことが大事なんだ」
王子様は勘違いをさせてしまったと落ち込む私を励ましてくれた。
普通なら怒りそうなところをなんて優しい人なんだろう。
「しかし、魚と口付けなんて僕を眠らせた魔女も酷い解除条件を決めたものだ」
「絶対に不可能だって自慢げになるわけですよね」
私は会ったこともない昔の人だが、王子様にとってはついこの前に言葉を交わした相手だ。
複雑な気持ちなんだろうと思っていると、王子様はお腹を押さえながら笑っていた。
「くくくっ。まさか漁師の娘のうっかりで解けてしまうなんて本人が聞いたらなんて言うかな」
あっ、意外と平気そうだ。
むしろ魔女の反応が見れなくて残念そうな顔をしている。
「あー、笑ってスッキリした。こんなに笑ったのは久しぶりだね。ここのところは思い悩むことが多かったから余計に楽しいよ」
「そんなにですか?」
「うん。だって、起きたら何もかもが無くなって変わっていたんだ」
困ったような彼の声に私は見た目は同年代だけど今よりずっと前の時代の人だということを思い出した。
「当時の僕を知る人は誰も生きていなくてね。この町だって記憶よりも栄えている」
この世界にたった一人きりにされたような疎外感が彼にはあるのだろう。
実際にどれだけ辛いのかは私には想像がつかない。
それでも何か言ってあげたいと思った。
「えっと、悪いことばかりじゃないと思いますよ。昔より進化した技術とか沢山ありますし、他所の国との交易品も増えてますし、何より新しい曲がいっぱいあります!」
自分の励まし方の下手さに絶望する。
その辺にいる子供でももっと気の利いたことを言えるんじゃないだろうか。
私があたふたしていると、王子様は吹き出すように笑った。
「変なことしか言えなくごめんなさい!」
「あ、謝らなくていいよ。ふふっ……確かに君が言う通りだ。僕は元から音楽バカだったんだから知らない曲が増えたことを喜ばなきゃね。楽器だって進化してるだろうし」
顔を上げた王子様の横顔を見る。
眠っていた時の絵画のような静かな美しさもいいが、こうして表情をコロコロと変えながら動いている今の方が何十倍もカッコよく見えた。
「じゃあ、君には……ローラには僕が知らない音楽のことを色々と教えてもらおうかな」
「私ですか!? いやいや、もっとしっかりした人を頼った方が良いですよ!」
「屋敷への不法侵入」
「うっ」
「僕の顔を鱗まみれにして部屋のカーペットを魚臭くした件」
「くっ」
「それから今日の諸々について」
「そ、それは……」
溜まっていた不敬ポイントをまとめて出されて困り果てる私。
そんな私の顎をクイっと持ち上げて王子様は悪戯っぽい顔で言った。
「責任をとってもらわないとね」
「ずるいですよ……」
そんな顔で、そんな声で囁かれてしまっては何も言い返せない。
「これからは屋敷に来て僕の伴奏に合わせて歌ってよ。さっきのステージみたいなハーモニーをいつまでも奏でていたいんだ」
「私もです。もっと王子様と一緒にいて歌いたい。最高の音楽を沢山の人に伝えたいです」
差し出された彼の小指に私は自分の小指を結んだ。
古くからある指切りの約束で、彼の時代にもあったようだ。
「嘘をついたら魔女に呪われますよ」
「僕の頃は悪魔に連れて行かれちゃうだったよ」
こうして、私に大事な音楽を共有出来るパートナーが出来た。
とある日の夜の二人きりの誓いだった。
♦︎
それからの私と王子様……ニール様との日々は目まぐるしく変化していった。
まず、約束をした翌日に我が家の前に王家の紋章付きの馬車がやって来て近所が大騒ぎになった。
「この度は娘が大変ご無礼なことを……どうか命だけはお助けください!」
「お父上、土下座なんてしないで顔を上げてください。僕はただ娘さんを迎えに来たんです」
父が早とちりをしてニール様が焦っている姿を見た時は頭が痛くなった。
事情を説明したら父は何故だか上機嫌になっていたけどそういうのじゃないから!!
「ローラ。言い忘れていたけれど、僕が今度からこの辺一帯を治めることになるから」
「へっ?」
新しい領主になると聞かされた時は心臓が止まるかと思った。
なんでも王族とはいえ、宮殿にニール様を迎え入れると継承権的にややこしいことになるとかで、王位継承権を破棄する代わりに王族の直轄領だったこの一帯をニール様の領地として認めたらしい。
めでたいことなのか悩みの種が増えてしまったのか判断に苦しむが、これでニール様と離れ離れになることは無くなったと考えたら良いか。
「ローラ! 陛下の誕生日をお祝いしに王都へ行くよ!」
「……嘘でしょ?」
突然の宮殿での歌唱と演奏の披露を提案された時は心臓が本当に止まって気絶した。
日頃から領主のニール様に無礼なことをしないように屋敷執事からマナーの勉強を教えて貰ってはいたけれど、それにしても国中の貴族が集まる中で歌うのは死ぬかと思った。
曲が終わってお褒めの言葉をいただいた時は嬉しさよりも最高のパフォーマンスを出せたことの方が楽しかった。
「誕生日会での評判が良かったから色んな貴族から招待を受けたよ」
「はいはい。ついていきますよ〜」
この頃にはもう半ばやけくそでニール様と国中を回った。
家に帰る頻度も減って、二人で馬車や船を使っての長距離移動は疲れたけどいい刺激を受けた。
他人が作った曲を歌うだけじゃなくて自分達でも曲を作ろうと考えていたのでインスピレーションが沢山湧き上がった。
「ローラの知り合いが投獄されたらしいけど、どうする?」
「誰でしたっけそいつ?」
元婚約者のクリフの名前が犯罪者リストに載った時は驚いたけど、ニール様の前では平気なフリをしていた。
何年も顔を合わせていなかったのですっかり忘れかけていたが、どうやらあの時に愛し合っていた女が他国のスパイで国の機密情報をクリフが違法な手段で入手して渡そうとしたらしいが失敗したそうだ。
女の方はまんまと逃げられたが利用されて罪を犯したクリフは投獄された。
重罪なので生きている間に会うことは無いだろう。
「……ニール様。監獄で慰問演奏会でも開きましょうか」
「良い考えだね。囚人のガス抜きにもなるし、僕らの音楽で心を入れ替える者も現れるかもしれない」
そんなノリで訪れた監獄でニール様と並んで歩く私を見て悔しそうに驚いていたクリフを見かけた。
あなたが捨てた婚約者は自分の夢を叶えながら幸せに生きているわよと見せつけてやって過去のトラウマは消え去った。ざまぁ見なさいよ。
それからも私とニール様は歌と演奏で音楽を広めてお互いを高め合った。
合図なんていらない。相手の呼吸と指先を見るだけで何をやりたいのかが伝わる。
「ローラ。君にプレゼントがある」
「奇遇ですね。私もですよ」
渡されたのは薬指にピッタリ嵌まるサイズの指輪。
渡したのは彼への愛を詰め込んだ楽譜。
「僕は君の歌声を含む全てが好きだ」
「私はあなたの演奏とその他の全てをお慕いしています」
「これからもずっと隣にいて欲しい」
「こちらこそふつつか者ですがよろしくお願いします」
どちらからともなく顔を近づけて唇を重ねる。
魚となんかじゃない人同士の口付けだ。
幸福感でいっぱいになり、情熱的に何度も求め合う。
こうして、呪われたせいで長い眠りについた王子様と婚約者に捨てられた漁師の娘は結ばれて幸せになりました。
嬉しいことに私の家族が有名な音楽一家になるのは結婚式で盛大なライブをしたしばらく後のことであるが、それはまた誰も知らない未来の物語です。
ここまで如何でしたでしょうか?
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