第二章登場人物まとめ
(注)第二章初登場の方のみ読みと生没年を記載しております。
○徳山安十郎
→藤枝教行
1758-1785
期せずして蘭学者としての和訳業績、農学者としての救荒食推進で、その名が日に日に知れ渡る。縁戚であった旗本四千石藤枝家の養子となり、跡を継ぐ。
○徳川宗武
そろそろ隠居を考える。とは言っても矢面に立つのを息子に譲るだけで、裏では色々やるつもり。
○通子
1721-1786
宗武の正室。父は太政大臣近衛家久。治察の実母であり、賢丸の養母。史実では宗武の死後に落飾して宝蓮院と号し、治察の死後、明屋敷(当主不在)となった田安家に一橋から養子を迎え入れるまで、当主代理として家を守った。
○徳川治察
元気になって風格も出てきた。将軍世子の大納言家基とも懇意にし始めたし、息子も生まれたことで、宗武も将来を託せると近々家督を継承することになる。
○因子
1754-1782
本作創作による治察の正室。(史実では閑院宮美仁親王の正室)
不妊でやや悩んでいたようだが無事に男子を出生し、心のつかえも取れたようだ。
○賢丸
後の松平定信であると気付き警戒したものの、安十郎の知る歴史の定信とは考え方が随分変わってしまった。というか、それって安十郎のせいだよな、間違い無く……
今のところ養子入りの話はまだのようだ。
○種姫
腐女子。どう見ても腐った闇堕ち少女……ハッ、殺気(バシュッ!)
|д゜)チラッ アンシンセイ、ミネウチジャ……
○前野良沢
会話の方はまだまだだけど、文章和訳に限れば日本人最高水準の語学力。本人的には全く納得いっていないようですが……
ちなみに良沢は通称で、諱は熹と言うらしい。
○杉田玄白
1733-1817
若狭小浜藩医。この頃既に藩に籍を置きながら日本橋で町医者として開業しており、様々な分野の学者とも交友が多くあった。
オランダ語の能力は皆無。その代わり和文への意訳には抜群の才があるようで、解体新書の名付けや、その中で今でも使われる医学用語を生みだしたこと、蘭学事始の記述によってこの大業を後世の人に伝えたのは彼の功績であると言える。
ちなみに8代後の子孫(孫の孫の孫の孫)が広島東洋カープでプロ野球選手をやっている。(母方の先祖なので杉田姓ではないです)
○中川淳庵
1739-1786
若狭小浜藩医。本草学者としての活動も顕著で、平賀源内の火浣布や寒暖計製作にも協力している。第二章ではやや影が薄いが、ここからもう少し出番が増えるか!?。
○吉雄幸左衛門
1724-1800
長崎通詞。諱は永章、後世では号の耕牛のほうが有名かもしれない。
本作では引き立て役として、ちょっと嫌味な感じの人物にしてしまったが、彼の功績が日本の蘭学や医学の発展に寄与した事実は間違い無いところである。
○アレント・ウィレム・フェイト
1745-1782
第135代オランダ商館長……であるが、実はこの時が1度目のカピタン就任で、以降ほぼ隔年で日本に来航し、都合5度カピタンを務めている。
……ということで、今後も出番があるかもしれない。
○長谷川宣以
1745-1795
通称平蔵。後世の時代劇ファンには「鬼平」として有名だが、この時点では単なる道楽息子であり、「本所の銕」と二つ名の不良旗本という評価である。
同じ本所の育ち(と言ってもそんなにご近所ではないが)のためか、安十郎のことを評価しているが、現時点で安十郎はお触り厳禁、関わっては危ない人物としか思っていない。
○綾
1767-??
母娘二人で本所に暮らす町人。ひょんなことから賢丸や安十郎と知り合いになり、賢丸の願いによって安十郎が自身の家の奉公人として引き取ることとなる。
これにて第二章終了です。
第三章は7/12から開始いたしますので、引き続きよろしくお願いします。