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旗本改革男  作者: 公社
〈第二章〉実録!蘭学事始
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西洋の波を予測する

「はんべんごろう……」


 阿波国に漂着したという外国船からもたらされた、蝦夷地侵略計画の一報。事実なら一大事だけど、はんべんごろうという奇妙な名前に全部持って行かれてしまうな……


 話を聞く限りの容姿からすると、西洋人なのは間違いない。ただどこの国の人かは分からない。


「一旦情報を整理したいな」


 歴史は結構得意な方だと思っていたが、それでも元文年間に来たロシア船のことや、はんべんごろうのことは知らなかった。宗武公に思うところを述べよと言われたものの、中途半端な記憶を頼りに適当なことを言うのも良くないと思い、考えをまとめてから改めてということで今日はお開きとなった。


 ただ、そう言った以上は何らかの知識や意見は出さないといけないよな。


 しかし……何となくで暮らしていたが、明和八年というのは西暦だと何年だろうか? 1700年代くらい……なのは分かるけど。


「計算すりゃいいのか」


 太陰暦と太陽暦の違いはあれど、和暦と西暦はほぼイコールのはず。となると、年号を覚えている出来事から数えていけば……


「と思ったが、江戸幕府が1603年で黒船が1853年……その間の年号が全然分からん」


 仕方ない、元号を順に追うしかないか。えーと、1603年が慶長八年、最終年は次の元号の元年と重複するから……元和、寛永、正保、慶安、承応、明暦、万治、寛文、延宝、天和、貞享、元禄……やっと元禄かよ。


 宝永、正徳、享保は吉宗の改革時期、で、元文、寛保、延享、寛延、宝暦……やっと来た。そして明和。長え……


 計算が間違っていなければ、今年は1771年、年が明ければ1772年か。




 ということは……アメリカ独立が1776年だからもうすぐだし、フランス革命が1789年。世界が大きく変わる時代がもうすぐ来るわけだ。俺、大学受験は世界史だったから、そっちの年号は意外と覚えていたな。


 異国船打払令なんてものがあったくらいだし、黒船以前にも外国船が来ていたのは知っていた。ただ、それは1800年代に入ってからのことだと思っていたんだが、それより百年以上昔から来ていたという事実。


 でも……よく考えたらオランダ船が来れるんだから他国だって来るよな。情報が少ないとはいえ、日本の位置はなんとなく分かっているだろうし。


「日本橋からオランダまで境なし……だったか?」


 どこで聞いた話か覚えていないが、江戸時代の人の言葉だったはず。上手いことを言うものだと思う。海に関所は無いわけで、日本の港という港に外国船が来る可能性はあるのだ。長崎にしか来ないと考えるのは、いささか視野が狭すぎる。


「では、来る可能性のある国と言えば……」


 ヨーロッパのどの国にも可能性は考えられるが、第一に考えられるのはこの時代の覇者イギリスか。


 もうすぐアメリカに独立されるはずだが、それでもこの時代一番の海軍力を誇っていたのはあの国だし、フランスやオランダ相手にあちこちでバチバチやっていたはずだ。


 たしかアジアでも、イギリスの東インド会社がフランス、オランダからインド国内で多くの権益を奪い始め、徐々に一強になり始めた頃だったと思う。


「そうすると、オランダの通商を妨害するために日本へやってくる可能性はあるな」


 中国とは既に貿易をしていたはず。だからちょっと足を伸ばせば、九州はすぐそこだ。オランダに代わって貿易を担う、もしくはオランダ船を駆逐するためにやって来る可能性はあるな。




「あとはロシアか……」


 1700年代も後半なら、ロシアが既にシベリア方面に進出しているのは間違い無いが、太平洋側に大規模な艦隊を常備出来るのは、沿海州を清国から奪い取ってからだったかと思う。この時代に関しては、艦隊がいたとしてもまだそこまでの規模ではないはず。


 実はべんごろうの言う通り、既に大艦隊が配備されている可能性もあり得るが、実際に歴史でロシアとガチバトルしたのは日露戦争だから……百年以上先。やはりガセネタの可能性が高いかな。


 なにしろこの時代はまだシベリア鉄道は開通していないだろうから、移動手段は馬車とかソリしかなく、ヨーロッパ側と頻繁に行き来するのは難しいだろうし、そこまで開発は進んでいると思えない。


 巡視船とか警備艇くらいはいるかもしれないが、艦隊が攻めてくるとは考えにくい。未知の相手にいきなりケンカを売るよりは、交易を行う方がよほど有益だということくらいは、考えれば分かるだろう。


「シベリアを開発するのに、交易を求める可能性は十分にあるな」


 あの極寒の大地が天然資源の宝庫なのは確定事項。開発がいつ頃から始まったかは知らないけど、実際に極東開発に日本の支援ってのは未来でもあった話だから、十分に考えられる。


「漂流者を送り届けたって小説もあったしな」


 あれはたしか……そうだよ大黒屋。金券買取でいつも世話に……のほうじゃない、大黒屋光太夫のお話だ。難破してアラスカの方へ漂着して、なんだかんだでペテルブルクまで行って皇帝エカチェリーナ2世に会って、日本に帰ってきた船乗りの話。


「エカチェリーナ2世ってこの時代の人間だな……」


 今はフランス革命のちょっと前だから、ロシアはエカチェリーナ2世の時代だわ。となると、光太夫の話は近い将来のことか。


「だな。たしか松平定信が出てたから」


 映画で見た話だから本当かどうか知らんけど、松平定信も登場していた。田沼の次の老中なんだから、もう少し先の話にはなるが、思い返してみればこの時代も外国船が日本に来るという事例はあったんだよ。


「それでも日本が開国するのは今から八十年以上先の話……」




 実を言うとこの時代に来て驚いたのは、鎖国という言葉を誰も使っていないこと。一般市民層は海外との交流なんて知るよしも無いから当然として、蘭学に触れた知識人も、幕府でも鎖国という言い方はしていない。


 たしかに海外との交流を絶ったわけではない。日本人が海外に行くことは禁じていたが、長崎でオランダと清国、対馬で朝鮮、薩摩で琉球、松前でアイヌやその先の山丹人とつながっており、そこを窓口に幕府の管理下で貿易を行っていた。民間の自由な貿易を禁じ、国家が貿易を管理する「海禁政策」というやつである。


 だから後に自由な貿易をさせろとペリーが黒船(サスケハナ号)に乗って、「国を開けなさーい」と交渉に来たわけだが、それよりもずっと前からオランダ以外の西洋も日本に迫っていたのだ。貿易交渉みたいなこともあったのかもしれないが、それにどうやって対応していたのか。


「日本史も思い出してみるか。そのへんはあんまり記憶に無いけど……」

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― 新着の感想 ―
[一言] 大黒屋光太夫 釣りキチ三平に名前が登場しましたな。よく覚えていませんけど。 確か遭難してロシアに流れ着いたとか。
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