第九章登場人物まとめ
◯…既出実在人物
△…既出架空人物
●…第九章初登場実在人物(史実生没年付き)
▲…第九章初登場架空人物
以前にどなたかから現時点の年齢も書いてほしいという要望がございましたので、章終了時(今回は寛政元年・1789年)の年齢(数え年)も付記します。なお、生年不詳の方や架空人物は勝手に年齢・年代を設定してますのでご了承ください。
<藤枝家&家臣・弟子>
○藤枝基行
年齢:32歳
所領:上野国中之条二万九千石
官位:従五位下治部少輔
役職:勘定所参与→京都所司代
刃傷沙汰に遭い、一時的に無役に。次の世代の若者たちを教育しながら自由気ままな藩主生活を送るつもりが、そうは問屋が卸さないって話だ。
○種
年齢:25歳
役職:中之条藩主正室
やっぱりダークサイドが発動。あんまり闇深いと胎教に良くないですぜ。
○高宮徳内
年齢:36歳
役職:蝦夷目付支配探索掛
蝦夷地開拓で大活躍。放っとくとどこまでも突き進んでいきそう……
△夏
年齢:20代後半
種の侍女兼護衛。蔵前の一件では何もしてなさそうだけど、ちゃんと主が危害を加えられないように準備はしていたのさ。
<将軍家・幕臣・大奥>
◯徳川家基
年齢:28歳
官位:正二位内大臣兼右近衛大将
役職:第十一代征夷大将軍
もうすぐパパ。
△徳川基匡
年齢:17歳
官位:従三位大蔵卿兼左近衛権中将
役職:田安徳川家世子
権中納言治察と御簾中因子の第一子。お菓子大好きダンスィの寿麻呂くんも元服する年になったんですねえ……
ちなみに官位は権中納言となる前に治察が任じられていた職と同じ。
○松平定信
年齢:32歳
所領:陸奥国白河十一万石
官位:従四位下侍従兼越中守
役職:老中→老中首座
治部が幕閣要職には関わりたくないのをよく知っている。よく知っているからこそ逃がさへんで。
〇田沼意次
年齢:71歳
官位:従四位下侍従兼主殿頭
役職:老中首座→隠居
最後の後片付けも終わり、老翁もついに勇退。
〇田沼意知
年齢:41歳
所領:遠江国相良五万七千石
官位:従四位下侍従兼山城守
役職:若年寄→老中
代替わりとはいえ、元々幕閣で要職を務めていたので何の混乱もない。
●松平信明
1763-1817
年齢:27歳
所領:三河国吉田七万石
官位:従四位下侍従兼伊豆守
役職:老中
史実では寛政の改革時に老中に引き立てられ、松平定信失脚後は代わって老中首座となり、長らく幕政を主導した人物なので才能はあったのだろうが、その性格は「先例もよく知らず難しく理屈を並べるため、伺いを立てたら簡単には済まない」とか「書類の些末なところを突いて難詰するばかりなので困る」と周囲に評されていたようでちょっと細かそう。本作でも定信や意知などと共に、新しい世代での交代を印象付けるために若くして老中に任じられたが、その細かい性格がどうこの先どう転ぶことになるか……
○長谷川平蔵
年齢:44歳
官位:従五位下備中守
役職:蝦夷目付
史実と違い、順調に出世の階段を上る。蝦夷地改め北海道(仮称)の長となる日はもうすぐか。立場的に官職無しだと格好がつかないので、父と同じ官職に補任してみた。
●曲淵景漸
1725-1800
年齢:65歳
官位:従五位下甲斐守
役職:江戸北町奉行
史実では明和六(1769)年から北町奉行を務めた人物だが、天明の打ちこわしの際に、暴動の発生と対応の遅さの責任を取る形で町奉行を罷免される。
しかし才能のある人物であることは知られていたため、後に松平定信が老中になると、市中の経済に精通しているということで勘定奉行として返り咲く。
本作でも打ちこわしに対する初動は遅かったが、配下の同心が闇種様の怒りを買ったため、尻ぬぐいに奔走することとなる。
ちなみに解体新書翻訳のきっかけになった小塚原の腑分けは、この人が「明日、小塚原で刑死人の腑分けをするから見分したければ来い」と江戸の医師達に通達したから実現したそうだ。
●山村良旺
1729-1797
年齢:61歳
官位:従五位下信濃守
役職:江戸南町奉行
史実では小納戸→目付→京都西町奉行→勘定奉行→江戸南町奉行→御三卿清水家付家老と出世した、旗本としてはかなりのエリートなんだが、本作では尻ぬぐいさせられた人其の二扱い……
○孝宮恭子
年齢:20歳
役職:徳川将軍家御台所
もうすぐママ。
○高岳
年齢:60代後半
役職:西の丸大奥上臈御年寄→引退
田沼の狸爺さんの道連れで大奥から退く。
<大名&その家臣>
●水野為長
1751-1824
年齢:39歳
役職:白河藩士
幼い頃に旗本水野家の養子となった後、田安家に召し出されて賢丸(松平定信)の近習となる。主が白河藩久松松平家の養子となった際には付き人として共に白河藩に入り、その後も生涯にわたって側近として仕えた人物。
定信の老中在任中、江戸市中の評判や噂話などを収集して報告をしていたそうで、その記録が『よしの冊子』という本になって残されているが、これは文が全て「~よし(~のようである)」で締められていたことから後世そう呼ばれるようになったとか。
ちなみに実父萩原宗固は歌人・狂歌師として知られた文化人だそうで、その才能を受け継いだ人物なんだろう。
●徳川治紀
1773-1816
年齢:17歳
官位:正四位下左近衛権少将
後の水戸藩第七代藩主。史実では財政が火の車となっていた水戸藩建て直しのために改革に奔走するも、異国船の出没に対応するための軍制改革なども重なり思うような成果は出なかったが、その政策は次代に引き継がれた。この世界ではそうならないように蘭学知識を猛勉強中。
ちなみに次の藩主は長男だが、男子が生まれなかったため、更にその次を三男が継いだのだが、この三男が水戸の烈公こと徳川斉昭である。
●松平頼儀
1775-1829
年齢:15歳
後の高松藩第八代藩主。六代藩主の父・松平頼真が亡くなった際にまだ幼少であったため、叔父(父の弟)が七代目となり、その養子となって跡を継ぐが、失政と度重なる干ばつに見舞われ、財政が破綻状態となってしまう。
そうならないように今から頑張れ!
●信之助
1778-1807
年齢:12歳
後の常陸国宍戸藩六代藩主・松平頼敬
本家の治紀と共に蘭学を教わる。
●兼太郎
1778-1833
年齢:12歳
後の常陸府中藩主・松平頼説
先々代藩主の次男の子であるが、現藩主の伯父に子がいないため、その養子となる。治部に蘭学を教わる水戸グループの一人。
●藤田熊之介
1774-1826
年齢:16歳
役職:水戸藩士(彰考館員)
彰考館総裁・立原翠軒の門人となり、館員として『大日本史』の編纂に携わる。後にその編纂方法を巡り師と対立して破門されてしまうが、藩主・治紀には重用され、翠軒に代わって彰考館総裁に任じられる。諱は一正。後に幽谷と号す。幕末水戸藩のブレーンであった藤田東湖の父。
<町の人たち>
●蔦屋重三郎
1750-1797
年齢:40歳
元は吉原で書店「耕書堂」を構え、吉原細見(遊郭のガイドブック的な本)を扱う版元(出版物の企画、制作、販売を一手に担う業者)であったが、その細見の出来が評判を呼び、多くの版元が集まる日本橋通油町に店を構えるまでになり、浮世絵や黄表紙などを多く出版し、数々の画家、作家を世に送り出したが、やり過ぎて身上半減の処分を受ける。処分を受けて後は、和算書や暦書、国学書といった学術書も手がけるようになり、書物問屋としての格を上げる。
史実ではやり過ぎて幕府に睨まれることとなったが、この世界では松平定信が表立って黄表紙などの大衆本も評価しており、ウィン・ウィンの関係になれるかも。
△新三郎
町火消に組の頭。種の神田明神参拝に案内役兼用心棒で同行するも、その帰りに打ち壊し騒ぎに遭遇し、種の闇オーラに触れる。それは火事場での指揮という命がけの仕事をする肝の据わった頭でもビビるほどであったという……
●大田直次郎
1749-1823
年齢:41歳
役職:小普請組
御家人でありながら、作家・狂歌師として知られる。狂歌では四方赤良、狂詩では寝惚先生と号す。後世では南畝、蜀山人などの号でも知られる。
学才はかなり持っていたようで、寛政の改革期に創設された学問吟味(幕臣の学力試験)で御目見得以下の中で主席合格するも、元々の素行(狂歌や黄表紙など風紀を乱すものに関与していたのを問題視された?)からすぐの役職登用とはならなかったが、後に支配勘定、大坂銅座や長崎奉行所での勤務を命ぜられる。
ちなみに"蜀山人"という号は、狂歌などの創作活動が幕府に睨まれないように、大坂赴任時以降に新たな号として名乗ったらしい(蜀山とは中国での銅山の別名)。
源内先生の無茶振りで治部と佐野善左衛門のいざこざをお題にした戯曲を制作中。
○平賀源内
セミリタイヤっぽい言動をしているが、多分この人の性格なんで大人しくはしていないだろう。田沼意次が隠居して遊び相手になりそうだし……
お読みいただきありがとうございました。これにて第九章は完結です。
最近コミカライズが始まったおかげもあってか、新たな読者の方が増えまして大変ありがたく思います。
もしお読みいただき面白かったと思っていただけましたら、ブクマ及び評価の★を入れていただけるとこの先の励みになりますので、よろしくお願いします。
さて、第十章ですが来週土曜から開始予定です。いつも通り週一投稿となりますが、年度末の繁忙期&個人的事情により一週飛ばす場合もありますので、気長にお待ちいただければ幸いです。
引き続きよろしくお願いします!




