偉い人は体面を重んじる
五畿七道とは律令制における地方区分のことである。
五畿とは都のある山城のほか、摂津、河内、和泉、大和の五カ国、未来で言うなら京都府南部から大阪府、奈良県あたりを指し、都を中心とした特別な地域の総称のこと。「畿内」とも言う。
ちなみに"畿"とは都と同義であり、近畿地方というのは都に近い地域という意味だ。
そしてそれ以外を七つに区分したのが七道で、その区分けは以下のとおりとなる。イメージしやすいように未来の府県名で書いたが、この時代の国境と未来の県境には微妙な違いがある地域も多いので、あくまで目安としてほしい。
○九州〜西海道
○和歌山県(紀伊)+四国〜南海道
○兵庫県南部(播磨)から瀬戸内沿いに山口県西部(長門)まで〜山陽道
○京都府中部(丹波)から日本海側を島根県西部(石見)まで〜山陰道
○茨城県(常陸)から太平洋沿いに三重県(伊勢・志摩・伊賀)まで〜東海道
○福井県(越前)から日本海沿いに新潟県(越後・佐渡)まで〜北陸道
○滋賀県(近江)から岐阜県(美濃・飛騨)、長野県(信濃)、群馬県(上野)、栃木県(下野)までの海なし県+東北6県(陸奥・出羽)〜東山道
こんな感じて分かれている区分に八つ目の道となる「北海道」を加えるのだ。○海道は東西南が存在するので、北が揃えばバランスが良かろう。上手く行けば国士無双も狙えるぞ(意味不明)。
「いや……そういうことではなく」
「蝦夷の地では忌避する者も出ようという、伊豆守様の仰せもっともなればの案にございますが、何かご懸念でも?」
「我が国の土地と明確にするは良策なれど、まずもって未開の地を切り拓くは大仕事。抜かりなきようにと考えるが」
そりゃそうだ。俺の知る前世の歴史でも北海道の開拓は苦難の連続だった。それこそ富国強兵を旗印に、多くの者が新天地を求めて海を渡ったが、慣れぬ土地で寒さは厳しく、食生活も従前のものとは大きく異なる生活の中で、人力で山地を切り拓く重労働を強いられ、病に罹っても医療体制は脆弱とあって、多くの者が命を落とした。
更に言えば、古来より住むアイヌを労働力として使うため、無理やり和人化した結果、彼らの文化やコミュニティは取り返しのつかないレベルで崩壊した。
現世においてはアイヌの暮らしを出来る限り尊重せよと言っているので、今のところ軋轢は生じていないが、いずれ開拓が進んでいけばどこかで衝突がおこる可能性は否定できない、というか、必ず揉め事は発生するだろう。
無論そういった課題が山積みなことは百も承知している。だからこそ自分で考えうる限り慎重に事を進めているつもりだが、俺も北海道開拓の歴史を一から十まで知っているわけではないので、どこかに落とし穴はあると思っている。
故に最初から全て網羅した上で対応することなど不可能であるから、発生したら個別に対処するしかないわけで、それは既に上様や田沼公も承知の話だ。
信明殿が老中になってから日も浅く、それら前段の話に関与していなかったとはいえ、先を見据えるという点で消極的なきらいが見受けられる。
「まずもって、それほど急ぎで蝦夷地を開拓する必要がございますのか」
「私が以前より申し上げているように、蝦夷地の北にはロシアが迫っております。手をこまねいていては早晩蝦夷地がロシアに抑えられ、我が国と指呼の間(非常に近い距離)で接することとなりまするぞ」
「しかし、ロシアが本当にやって来るという確証もございますまい」
どうにも理屈っぽい人だな。そういう意味で言えば定信様も理屈を捏ね回すことが多いが、幼い頃からの付き合いで、お互いに考えは良く知っている人だし、論を重ねれば理解してくれるけど、信明殿はどちらかというと"重箱の隅ほじくるの助"な気がする。
ちなみに"ほじくるの助"には兄弟がいて、兄が"つつくの助"、弟が"気にしないの助"である。え、知らない? 要は本論の枝葉末節を論って難癖つけてくる人物ということだ。
ここで厄介なのは、あながち的外れな指摘ではないということ。仕事を進める上で失敗しないように準備を……というのは当たり前の話なので、真っ向からそれを否定するものではないのだが、有り体に言えば「今ここでそれ言わなくてもいいんじゃない⁉」とか、「今更それ言う?」ってことだ。つまりは相手をするのに面倒臭い。
おそらくだが若くして老中に就いたので、何か一言言わねばと考えたものの、あまり深く知らぬものに首を突っ込み過ぎるのも難しい。それらの想いが複合した結果、重箱の隅をほじくることになったと推察する。結果を出したいが、責を問われて体面を失するのも怖い。偉い人になると立場とか体面を気にしがちだよね。
前世でもいたよな。社長の親族とか縁故で役員や管理職になった人間で、よく知りもしないのに口を挟んで場をかき乱す人が。信明殿に関して言えば才はあると評されており、だからこそ的外れな意見ではないから、面倒だけど一つ一つ穴を埋めるように潰していくしかないか。
「伊豆守様も"はんべんごろう"の話はご存知でしょう」
「無論。だがカピタンの話によれば、絵空事であろうと聞き及ぶが」
「すぐにでも攻めてくる、という点においては。しかしながら交易を求めるといった交渉事となれば、その可能性は排除できるものではありません」
「伊豆、公儀の財を蓄えるにも、今ある土地をどう転がしてもたかが知れておるゆえ、新たな土地を得て、新たな財源を得る。それが蝦夷地開拓の目的の第一であって、ロシアへの備えはその結果付いてくる副次的なもの。謂わば転ばぬ先の杖というやつよ」
信明殿が示す懸念に対し、田沼公が幕府として必要なことであり、上様も同様のお考えだと諭すと、元よりその点は承知していたのであろうか、信明殿も余計なことを申しましたと謝した。
「伊豆守様のご懸念はもっともでありますし、今の段階で楽観的に思われるよりは余程心強い。万事整えたと思っておっても、新たなことを始めるからには予想だにせぬことが間違いなく起こり得ると、私も考えておりますれば、その節はお力を存分にお借りしたく」
「委細承知した」
「しかしながら治部よ。先程の五畿七道の話だが、朝廷に奏上するは少し手間がかかるやもしれぬ」
幕閣内で認識の共有を図り、方向性がある程度見えてきたやに思ったそのとき、定信様が別の懸念があると示された。それは北海道を八つ目の道として加えることを朝廷に奏上することであるという。
「蝦夷地を正式に我が国の国土に加え、帝のあまねく御威光を……みたいな理由では難しゅうございますか」
「実はな、お主が出仕しておらなんだ間に面倒な話が舞い込んでの」
「面倒……?」
「うむ。帝のお父上であらせられる閑院宮様に"上皇"の尊号を贈ると通達があってな」
上皇とは正式には太上天皇と言い、後継者に譲位した後の天皇の尊号である。
明治以降は皇室典範の改正により、亡くなるまで天皇位から降りることはなくなったため、しばらくその尊号を名乗る御方は現れなかったが、平成から令和に移る際、高齢で公務に支障があることを理由に、存命中に皇位の継承が行われ、百数十年ぶりにその尊号が復活した。
この時代では存命中の皇位継承は当然のように行われており、上皇という尊号も当たり前に名乗られているものではあるが、あくまでそれは天皇"だった"人が名乗るもので、今上帝の父であるとはいえ、皇位に就いていない閑院宮様は名乗ることができない。
なんでそんな話が出てきたのかというと、禁中並公家諸法度では、親王の序列が摂関家よりも下と定められており、天皇の父でありながら臣下である摂関家が目上となる現状に、帝が憂慮されたからのようだ。
「子として帝の憂慮は至極もっともな話かと」
「それは分かる。しかしながら政は征夷大将軍たる上様に御一任されておりながら、何の相談もなく贈りますと言われて追認すれば、御公儀の体面に関わる」
おそらくだが朝廷は法度を改めるよう申し入れれば、幕府が反発してくると想定していたのか、徳川の世になる以前に数例あった親王が帝の父となったことで上皇号を贈った事例を前例として持ち出し、法度に関わらず問題なかろうというスタンスで通達してきたらしい。
しかし先程挙げた平成から令和の事例でも、今回だけ特例で譲位を認めると、国会で法案が通された経緯があるとおり、政務を任された身としては、法の改正か特例措置かは別として、事前に相談はしてほしかったというところだろう。
一事が万事。今回の件は朝廷の言い分にも汲むべきところはあるが、定信様は相談もなく勝手に決められたという前例を作れば、後の世で幕府の専決事項たる案件にまで影響が及ぶ可能性があることを危惧しているのだ。
「とは申せ、御台様のお父上でもある。無下には出来ぬ」
「たしかに」
閑院宮様は帝の父であり、御台所恭子様の父でもあるので、突っぱねようが安易に認めようが、どちらにせよ後々の禍根になりなねないといったところで、難しい協議が続いているらしい。もっとも、今のところ向こうは退くつもりも無いようで、長期戦の様相を呈している。そこへ五畿七道の話を持ち込んでも……というわけだ。
やれやれ、偉い人は体面を気にしがちだが、本当に面倒なことだ……
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