【他者視点】誇りとは何か(種)
<回想>
「外記様にとって誇りとは何でございましょうか」
「誇り……にございますか?」
それは殿がまだ治部少輔の官位を得る前、外記という通称であられた頃の話。当時の殿は解体新書の刊行を通じて家基公に目をかけられ、西洋の知識を基にした様々な新しき考えを提言し、多くの民を救ったことで広くその名が知られるようになりました。
しかしながら、成功を収めし者を妬む輩というのはどこにでもいるもので、殿の場合は田安が後ろ盾であったこともあって表立っての批判はされなかったものの、陰では「蛮学の徒」だとか「洋夷に魂を売った者」などと言われ、栄達のため武士の誇りを捨てた男だと口汚く罵る者も少なくなかったとか。
武士とは名を重んじ、辱めを受ければ命に代えてでも雪辱を期すべしと教えられてきたものでありますが、殿は柳に風とばかり受け流すのみ。実を言えば田安の家中でも、その姿勢を武士としていかがなものかと訝しがる者はおりました。
そこである日、私は何の気なしにそのことを問うてみたのです。
「私は何と申されようとも構いませぬ」
「そうは申しましても、悪し様に申す者がいるのに、何もお感じになられておらぬわけではございますまい」
「無論悪く言われれば面白くはございませぬが、人が何かを誇りと出来るのは、己が役目を全うしたればこそ持てるものと考えます。一時己の名が汚されることとなりましょうとも、その引き換えに目的が果たせるのなら、私は喜んで泥を被りまする」
誇りとはその務めをしかと果たしてこそ誇れるもの。そして武士の務めが何かといえば、政を正しくし、家臣領民たちを路頭に迷わせないことであり、武士が"義"を重んじるのは、ひとえにこの務めを果たすために必要なことだからこそなのだと殿は仰いました。
義とはすなわち人として正しい道、行いのことであり、武士は人倫に悖る(背く)ような行いをして、自身の名を汚すことがないように努める。貧しい状況でも見栄を張って気高く振る舞うのは、それが武士としてあるべき姿と考えられているからこそです。
「これまではそういったこれまでのやり方、考え方を踏襲するだけで国は保てたやもしれませぬが、多くの武士が窮乏に苦しんでいるのを見ても明らかなように、今は世の中の仕組みが大きく変わりゆこうとしており、旧弊に固執するだけでは立ち行かなくなりまする」
「それを解決するための方策の一つが蘭学知識にあると」
「左様。オランダの学問の何もかもが我が国より優れているとは申しませぬが、これまでにない知恵や考え方を取り入れ、それにより成果が上がるならば使わぬ手はありますまい」
飢饉に備えるための甘藷栽培の奨励、解体新書の刊行による医術の発展。どれもこれも、今まででは考えられることすらなかった知識をもって民の暮らしを良くしようとする取組み。物を生み出す民の暮らしが安定すれば、それがひいては財政の改善につながり、結果として武士を含めて多くの者の暮らしも救う。殿のお考えを要約すれば、おおよそそういったところでしょう。
「今はまだ小さなものですが、いずれこれらが民を救い国を富ませる源となると私は信じておりますし、それを成せたことで武士の務めを少しは果たせたと、己を誇りに思います。私を悪し様に言う者たちが世の流れに巻き込まれたとき、考えを改めねばいずれ落ちぶれるであろうこと思えば、腹も立ちませぬ」
生まれながらに地位や財力を持っていたとして、それは父祖代々が務めを果たしてきたからこそのものであり、誇ったところでご先祖様の遺勲を崇めているだけのこと。真に誇るべきは、己の務めが何であるかを正しく見定め、それを果たすためにどう生きたかという結果得るものである。
殿はそんなことを仰っておりましたわね。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「誇りとは何でしょう? 水道の水を使えるのも、白米を食べられるのも、貴方たちの力で手に入れたものですか? たまたま江戸に生まれたから享受しているだけではありませんか。それを誇りなどど言って、さも自分たちの力のように誇示するは滑稽としか言いようがありません」
「なんだと! 何処のいいとこのお嬢さんか知らねえが、あんたに俺たち庶民の苦しみが分かるわけねえだろ!」
「そうだそうだ! こちとら小せえ子供を何人も抱えて、その日食う米にも事欠いてんだ。あんたみたいに毎日三度の白飯をたらふく食える奴にその気持ちが分かるか!」
「貧乏人は麦でも食ってろって言うのか!」
「……お夏。私が最後に白飯を食べたのはいつでしたかしら」
「先月のご先代様の月命日でしたので、かれこれ二十日ほど経っておりますでしょうか」
さも私が贅沢な暮らしを送っているかのように言われたので、お夏にここ最近の我が家の献立を答えさせました。
米を全く食べないわけではありませんが、出しても基本は玄米。それとて月に数日のみで、残る日は粟や稗、黍などの雑穀や、パンや麦粉を用いた練り物焼き物などを食しております。
「申し上げましたわよね。米が無くとも腹を満たす術はいくらでもあると。調理の仕方も多様にありますから、食膳が侘しくなることもありません。皆様は"渇しても盗泉の水を飲まず"という言葉をご存知かしら?」
「なんでえそれは?」
「唐の国の陸機という方の詩の一節です」
かつて孔子が旅の途中、喉の乾きを覚えて水を求めたところ、とある泉を見つけましたが、その名が「盗泉」であったことから、その名を嫌って遂に一滴の水も飲まなかったという故事。そこから、どんなに困っていても不正や不義には手を出さないという意味があります。
喉が渇いたなら飲めばいいのに……と思わなくもありませんが、「名正しからざれば則ち言順わず」という言葉を残したように、そこで盗泉の水を飲んでしまえば自身の言葉と行いが一致しないと考えたのかもしれません。
「貴方たちが江戸に住まうことを誇りと思うならば、それ相応の行いをなさるべきではありませんか」
江戸は徳川将軍家のお膝元。京や大坂など他の町のことは人から聞いた話でしか知らないものの、それを抜きにしても日ノ本一の町であると思っております。
そしてそこに暮らす庶民にも、江戸で暮らしているという自負がある。それは容易に想像出来ることですし、江戸っ子という言葉を使うくらいですから、事実そうなのでしょう。
なればこそ、江戸という町の品位を落とすような行いは慎むべきでしょう。誇りのために問屋を襲うなどという、半ば野盗の如き所業の何処に義があるというのか。誇りとはある意味自慢と同義であり、果たしてこれが人に対して自慢出来る行いなのかと問いたい。
「不満があるからと商家を打ち壊し、乱暴狼藉を働けば、貴方たちはそれで満足かも知れませんが、津々浦々で江戸っ子ってのは人として下の下だねと、笑いものになりましょう」
「なにを……」
「そうではありませんか。腹が立ったから米屋を襲いましたなどと、恥こそすれ自慢するようなものではありますまい。自ら江戸の町の評判を損ねておいて、どうして江戸っ子であることを誇りと出来ましょうや」
各地で米が不作であることは、火消しの皆様を通じて聞かされているし、その代わりに皆がひもじい思いをしなくて済むようにと、御公儀が色々と手配してくださったのも知っておるはず。それはひとえに、この江戸の町に暮らす者たちのことを思えばこそ。
「江戸に住まうことを誇りと思うならば、何を成すべきか。米が足りずとも何とか頭を働かせて遣り繰りし、毎日を整然と暮らし、国中の民の範となることです。苦しいときこそ皆で助け合い困難を乗り切ってこそ、江戸の民は日の本一と誇れるのではないでしょうか」
「御託はたくさんだ! それでへえさいですかと引き下がったら、それこそ江戸っ子の名折れってもんでい!」
「二言目には江戸っ子江戸っ子って、そう言うわりには全くもって"いき"じゃねえなあ。どっちかってえと野暮の極み野郎ってところか」
私の話を静かに聞いて納得している者もおりましたが、やはり不満の火種はくすぶり続けたままのようで、現状を変えてもらわねば我慢の限界だと訴える者も多い様子。これはどうしたものかと思案していたところ、一人の武士が話に割り込んでまいりました。
「種殿、ご無沙汰しておりますな」
「これは……いつ江戸へお戻りに?」
「半月ほど前にね。後処理が色々あって挨拶にも伺えなかったが、そうこうするうちに大変な騒ぎになってまったようで。やっとお江戸の空気を吸えるかと思ったら、この有様だし、種殿は相変わらずお転婆が過ぎるし、治部殿が聞いたら卒倒して別の病に罹っちまうぜ」
痛いところを突かれましたが、この場においては勿怪の幸い。援軍としては心強い御方が加勢してくださいました。
「なんでえなんでえ、急に出しゃ張ってきて、お侍さん、あんた何なんだい」
「ほう……江戸っ子とか言って偉そうにしている割にゃあ俺の名を知らねえか。なら教えてやるよ、我が名は御公儀蝦夷目付役、長谷川平蔵である。これ以上の騒ぎは俺が許さん、文句のある奴はかかってこい!」
作者入院治療のため、本話にて一旦更新をストップします。
そう遠くないうちに再開できるかと思いますので、その時までしばらくお待ちくださいませ。




