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旗本改革男  作者: 公社
〈第九章〉

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【他者視点】面白いことが始まりそうだ(蔦屋重三郎)

「どうして藤枝様がわざわざ上州までお出ましなすったか。簡単な話よ、作物を植えるもんが村からいなくなっちまったらどうなる? 上州だけじゃねえ、他所の村だって明日は我が身と田畑を捨てて逃げちまったら、誰が俺らの食い物を育てるって話じゃねえか。そうならないように、困ったときはお上がちゃーんと面倒見てくださるということをお示しなすったわけよ」


 俺が強引に話を振ったおかげで、親方が上州で何があったか熱弁を振るい、周りの連中はそれに聞き入っていた。


「大勢引き連れていった者たちに対し、藤枝様が何と仰ったと思う? 土地の者たちが暮らす上で何を一番大事(でえじ)にしているか考えろってんだよ。お武家様たちは百姓の暮らしなんか分からねえんだから、土地の者たちの意見をよおっく聞いて動けと、そう仰ったんだぞ」


 これは俺が吉原に多くの伝手を持っていたからこそ耳に入った話だが、藤枝様ってのはお武家様なのに下々の話をよくお聞き届けくださる方だという。もちろん金も物も限りがあるから、言い分をそっくりそのまま聞き届けるってわけにはいかねえだろうが、出来ないなら出来ないなりに代わりの方法がないかと、時間をかけて一緒にお考えになってくださったようだ。


 世の中には表向き善人ぶっておいて、裏では悪どいことをする奴なんざ掃いて捨てるほどいるが、そういった連中はあまり手間のかからない方法で善行をやったように装うのがほとんどだ。わざわざ上州まで赴いて……ってのは、悪行の隠れ蓑に善人ぶるための行いとしては割に合わなさすぎる。つまり裏を返せば、藤枝様は本当に庶民の暮らしに心を砕いている御方ということだ。これまで甘藷やら麦やらを食すことを勧めてきたのも、米が不作になったときのことを考えてなのだろう。


 だがこれまでの慣習を打ち破るような話だからこそ、ひとたびこういった噂が飛び交い始めれば、たちまちそれを鵜吞みにしてしまう連中が出始める。面倒くせえ話だが、江戸ってのはそれだけ多くの者が住む町ということさ。


「だがそんな中、藤枝様のお考えを汲むことなく、好き勝手にした奴が一人いた。近頃大明神とか崇められてる佐野善左衛門だ。困りごとがあれば逐一報告せよと命じられていたにもかかわらずだ、自分の勝手な考えだけで動いて指示は朝令暮改、それでいて仕事が滞れば村の者が無能だからと責任転嫁、意見が上がってくれば百姓が武士に意見するなど言語道断って有様よ。そんな男が庶民の味方、大明神様? ハッ、へそで茶が沸くってもんよ」

「お、親方。それは本当の話なのかい?」

「嘘だと思うんなら、上州に行った他の火消の連中にも聞いてみろ。中には直接罵倒された者だっているはずだぜ」


 今のところ藤枝様の悪評を完全に信じ切っている者はそう多くねえ。ほとんどが話半分って感じで聞いているってのが現状だが、このまま放っておいてそれが本当だと思い込まれても面倒になる。


 ならどうするかってえと、何故か今まで火消の連中が話すことのなかった、佐野善左衛門の上州での所行を知らしめること。案の定、新三郎親方の話を聞いた者たちは、どっちが善でどっちが悪なのかを理解し始めたようだ。


「だが親方よ、どうしてその話が今まで出てこなかったんだい」

「藤枝様が俺たち火消を連れて行ったのは、飢饉でどれだけ村々が疲弊しているかを江戸の者に伝えるため。ご自身が村の者にどれだけ寄り添ったかなんぞわざわざ伝えることは無えってな。佐野ってお侍の話だって、俺たちは酷え奴がいるもんだって話したかったんだがな、藤枝様が他言無用と仰せになるから黙ってたんだ」


 だが今となっては、藤枝様の命に逆らっても佐野の所行を知らしめておけば、大明神なんて崇められることも無かったんだろうな。新三郎親方はそう言って嘆息していた。


「刃傷沙汰を起こした理由なんて、上州での所行を咎められたことを逆恨みした以外の何物でも無え。米の値が下がったのは佐野大明神のおかげ? 笑わせんじゃねえよ!」


 米の値段が高止まりしているのは、求める者の数に対し売るものが足りないから。値が上がるのは自然の理と言えよう。しかもそれに加えてお上が江戸の街に入る米の量を制限しているとなれば、尚更品薄となる。


 そういう意味では規制を主導した藤枝様が米価高の元凶と言えなくもないが、そもそも持ち込むための米が飢饉で不作続きなのだから、お上が規制しなかったとしても高値は変わらなかっただろう。


 それが何故今になって、僅かではあるが値下がりしたのか。お上が江戸に入る米の量を増やしたからに他ならない。佐野某って侍が藤枝様を斬ったところで、値が下がる道理など有りはしないのよ。


「だいたい、藤枝様が悪巧みしているなんて荒唐無稽な話を、お前らは誰に聞いたんだ」

「いや、俺は誰かが噂してるのを聞いて……」

「俺は酒の席でそんな話を……」

「どいつもこいつも適当な噂話をしやがって……」


 人の噂話なんてえのは格好の娯楽だ。だがそれも馬鹿馬鹿しいと笑い飛ばせるものであればまだいいが、現に街のあちこちで噂を信じる奴と藤枝様を庇う奴の間でいざこざが絶えなくなっちまってるんだから手に負えねえよ。




「それで親方。この瓦版売りはどうなさいますの? 奉行所に引っ立てますか」

「いやいやお嬢、それは話をちゃんと聞いてからだ。コイツらにも言い分があるだろうしよ」


 親方が集まった連中たちに実はこうなんだと説いて、皆がやっぱりそんなところかと納得して三々五々で散り始めると、残ったのは俺たちと瓦版売りのみ。


 すると親方の連れと思しき若い娘さんが、瓦版売りを奉行所に引っ立てようと言い出したんだが、その物言いは年に似合わず落ち着きというか、えも言われぬ圧力を感じる。


「武士に対し風説をもってこれを貶めんとした罪は重うございます」


 ……なんだか話し口調が町娘っぽくねえな。奉行所と聞いて瓦版売りは顔を青くしてるし、なんだか親方も宥めようと躍起になってやがる。


 一体この娘っ子は何者なんでえ?


大変てぇへんだ大変だ! 蔵前の米問屋に大勢が押しかけて、打ち壊しが始まりそうだ!」

「なんだと! 一体いってえどういうこった!」


 そんなところへ通りの向こうから、町の者が駆け足で急報を告げて駆けずり回っている声が聞こえ、それを聞いた親方がその男を呼び止めて子細を問い始めた。


「あれだよ、あれ。例の佐野大明神の噂から、米問屋が本当はもっと米を抱えているのに、これ以上値を下げたくないから、わざと少しずつしか出してねえんじゃないのかって話になったらしくてよ。それで大勢で蔵前に押しかけてるみてえだ」

「こいつぁ只事じゃ済まねえな。親方、どうするよ」

「蔦重、どうするもこうするも奉行所に任せるしかねえだろうが」


 に組の新三郎といえば、火消たちの中でも顔役の一人。義侠心に篤く、困った人を放っておけない性分のはずだが、どうにも今日に関しては歯切れが悪いな……


「親方、蔵前に参りましょう」

「お、おく……お嬢、そいつはダメだ。何かあったら申し訳が立たねえ」


 親方があまり乗り気でないのは、どうやら連れのお嬢さんに理由があるみてえだな。慌てぶりが明らかだ。


「ですが事は一刻を争うことかと。一体何がどうなって斯様な騒ぎとなったか、然と確かめる必要があります」

「とは言っても……」

「親方……参りますわよ」

「はあ……それで聞くような方じゃねえか。ようござんす。ただし、現場ではあっしの指示に従ってくだせえ。万が一危ねえとなったら、お嬢を担いででも逃げやすからそのつもりで」


 しばらく行く行かねえの問答を繰り返していたが、やがて親方が諦めたような顔をして蔵前に行くことを承諾した。親方ほどの胆力を持っているなら、娘っ子の一人や二人くらい一喝して黙らせるくらいは容易であろうに、それをさせなかった、いや……出来なかったと言うべきか。


 本当にあの娘は何者なんだ?


「親方」

「……何も聞くな」

「…………承知」


 親方は何も聞くなと言ったが、おそらく俺が何を言いたいかは分かっていたのだろう。その顔が物語っていたよ。


 これ以上踏み込むなら、返り血を浴びる覚悟はしておけ。ってな。


 面白いじゃないの。この蔦屋重三郎、事の顛末を最後までよおっく目に焼き付けさせていただきやすぜ。

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大河ドラマではお上にそれとなく歯向かった蔦屋が味方とはな
米問屋に押し入ろうとする連中に嘘を広めた瓦版屋を差し出してやろう。
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