第八章登場人物まとめ
◯…既出実在人物
△…既出架空人物
●…第八章初登場実在人物(史実生没年付き)
▲…第八章初登場架空人物
本章に登場していない(セリフがない)人物でも、その動向などが記載されている既出の人物は記載の対象としました。
また、実在か架空かの違いは以下を基準とします。
○実在…歴史改変により、生年や生まれた環境が史実と異なっていても、歴史に記録が残っているなどベースとなる人物が存在する場合は実在人物とする。
△架空…本来生まれるはずのなかった人物のほか、作者の手によって生み出された人物
<藤枝家&家臣・弟子・協力者>
○藤枝基行
所領:上野国中之条二万九千石
官位:従五位下治部少輔
役職:勘定所参与
元々は飢饉に耐えられるように稲以外の農産を増やそうと動いていたはずが、いつの間にか幕府の支出削減やら制度改革にまで手を出すことになり、要らぬ恨みを買って「覚えがあろう!」とか言われてしまう。
○種
役職:中之条藩主正室
属性:闇
今や一児の母。大名家の正室としての貫禄もついてきたが、夫が斬られたと聞いてダークサイドが発動してしまうのか?
|д゜)チラッ ゾクセイッテナニ?
▲竜子
1786-??
治部と種の間に生まれた第一子。竜神様の化身という御大層な名づけをされた娘はどんな人物に育つことやら……
○平賀源内
蝦夷地開拓アドバイザー兼クリエイター。本人はもう年寄りと言っているが、性格がゆえか、才能を人に褒められたり頼られたりすると仕方ねえなあとか言いつつ嬉しそう。
○長丸
元山形藩主秋元家の嫡男。改易により士分を失った後に義祖父の井伊掃部守の手引きにより治部の書生となる。今は源内に付いて蝦夷地開拓に関する研究に従事中。
△相馬三之丞
彦根藩士の息子。長丸の弟子入りに際し井伊掃部守から目付役を命じられ、共に治部の書生となる。同じく今は源内に師事中。
○高宮徳内
治部に師事し、算術や天文学等々を学んだ後、源内の蝦夷地見分の随行者となる。その飽くなき探求心を認められ、年老いて頻繁に遠出することが難しくなった源内に代わり、長谷川平蔵の下で蝦夷地探索の任に就くこととなる。
<白河藩>
○松平定信
所領:陸奥国白河十一万石
官位:従四位下侍従兼越中守
役職:老中
治部の一番の知己であり理解者。でも食事処創設には一切関与させてもらえなかった……
○峰子
松平定信正室。史実では子を生す前に没したが、本作では嫡男を出産。しかし産後の肥立ちが悪く、次の子は難しいということで、定信に側室を娶ることを勧める。
△綾
元・藤枝家の女中兼治部の弟子。峰子の健康指導を通じて意気投合し、定信の側室にと推挙される。町人の子であったため、治部の養女という形で輿入れとなる。
●太郎丸
1786-1838
定信と峰子の間に生まれた白河藩の嫡子。
史実における定信の嫡男(定永)は寛政三(1791)年に、定信と峰子没後に迎えた継室との間に生まれているが、本作では峰子所生として、五年早く生まれたことにしております。
この太郎丸という名は実際に定永の幼名となっており、補足になりますが、史実では継室所生の定永と側室所生の子がほぼ同時期に生まれたが、わずかに側室の子が早かったことから、正室の子を嫡男とするため、後から生まれた継室の子を太郎丸と名付けて長男とし、本来先に生まれた側室の子を次郎丸と名付けたそうです。
よってこの名付けは、訳あって長男次男をはっきりさせなくてはいけないという理由からきているようなので、本作のように一人しか生まれていない状態で太郎丸と名付けたかは分かりません(実際にその名付けはあまり良い意味ではないというコメントもいただきました)が、今後架空人物がさらに多く出てくると思われるので、史実準拠で対応できそうな人物はできるだけ名前を変えずにいきたいという考えからそのまま使用しました。
<将軍家・幕閣>
◯徳川家基
官位:正二位内大臣兼右近衛大将
役職:第十一代征夷大将軍
将軍として幕政改革に奮闘中。
◯徳川家治
官位:正二位右大臣
役職:大御所
暇を持て余してパン作りに目覚める。
〇徳川治察
官位:従三位権中納言
気づいたらもう三人の子を持つ父親。
〇田沼意次
所領:遠江国相良五万七千石
官位:従四位下侍従兼主殿頭
役職:老中首座
政権が安定してきたので、これまで自身が権力を保持するために必要悪として見逃していた者たちから距離を置く&相手にしないということが可能になり、面倒事が減る。
しかし、その余波が思わぬ形で治部に向くこととなり、それらの一掃が自身の最後の仕事と思うようになる。
〇田沼意知
官位:従五位下山城守
役職:若年寄
順調に経験を重ね、時には父に意見するまでに成長。跡を継ぐ覚悟は出来ている模様。
●水野忠友
1731-1802
所領:駿河国沼津三万石
官位:従四位下侍従兼出羽守
役職:西の丸老中
忠友の従兄にあたる水野忠恒が江戸城内で刃傷事件を起こして改易となったことで、水野家の家督は忠友の父忠穀が継いだものの、所領は信濃松本七万石から、佐久郡七千石に減らされてしまった。
その後家督を相続した忠友は、徳川家治の小姓からスタートして順調に昇進と加増を重ね、明和五(1768)年に若年寄となった際の加増で都合一万三千石となり、大名の地位に復す。後に駿河沼津に移り、再度の加増を経て最終的に三万石となった。
幕府内では一貫して田沼意次の政策を支え、息子のいない自身の後継に意次の息子を養嗣子に迎えるなど、完全なる田沼派であったため、史実では意次失脚と共に立場を失い、最後は松平定信の命令で老中も免職となった。ただ、それから約十年後の寛政九(1797)年に、再び西の丸老中として呼び戻されている。
本作では家治も家基も健在なため、両者のつなぎ役という名目で本丸から西の丸老中へと移り、引き続き家治の側仕えを務めている。
○久世広民
史実でも色々な役回りを務めて多忙だったらしい(そのときのボスは松平定信)が、本作では《《誰かさん》》のおかげで徹夜勤務に悩まされる。
<大奥>
○孝宮恭子
閑院宮典仁親王の第二王女で、当時の天皇(光格天皇)の異母姉。
無事に婚儀も済み、将軍徳川家基の御台所(正室)として大奥の主となる。
初出第五章の紹介で1770年生まれと書いたが、和暦だと明和六(1769)年十二月十七日生まれとなる。(西暦だと日付が1か月近く後になるため、1770年1月15日生まれとなる)
○今出川
上冷泉家の当主為章の妹で本名は綾子。恭子の江戸下向に付いて大奥に入り、上臈御年寄の役に就く。
どこかの奥方様と同じく闇属性使いらしい……
△大崎
本丸大奥御年寄。元は田安家で治察の乳母を務めていた人物で、大奥の改革のために送り込まれているので、治部や定信に協力的。
○高岳
西の丸大奥上臈御年寄。代替わりに伴い西の丸へと移ったが、未だに権勢は握っており、御台所として恭子が入った今もその座を明け渡すまいと画策中。しかし、これまで協力的であった田沼意次が距離を取り出したため、思うように事が運ばす苛つき気味の様子。
●滝川
??-??
本丸御年寄。高岳の子分。西の丸に移った高岳に代わり、その意を受けて政治介入するも、定信や治部にケチョンケチョンにやり込められる。
<大名&幕臣>
◯伊奈忠尊
勘定吟味役を解任されたきっかけは、優先的に旗本御家人へと拝借金の拠出するよう強行に主張したことが、治部や勘定奉行、老中などの不興を買ったためだが、実はそう主張したのは、伊奈家が請け負う幕府の公金を原資とする貸し付け事業が、折からの飢饉もあって多くの焦げ付きが発生していたから。
加えて代官職として成すべき治水工事などを後回しにして洪水の被害を拡大させたほか、お家騒動で家中が修復不能な状態となっており、幕府としてはこれ以上関東代官頭を任せられないという結論に至り、本人は蟄居謹慎中。
●永井直廉
1739-1792
千石の旗本永井家の当主。通称は主計。この頃は幕府で使番の役に就いており、史実ではこの後、目付から長崎奉行へと昇進するが、奉行在職中に長崎で死去。
●遠山景晋
1764-1837
五百石の旗本遠山家の当主。通称は金四郎。生家は永井家(四男)のため、直廉は兄にあたる(ただし年齢は親子ほどの差だが)。幼い頃に養子縁組で出され、天明六(1786)年に遠山家を相続したばかりの駆け出し当主。
史実では蝦夷地や長崎、対馬などにも派遣され、幕府の対外政策の最前線で活躍。通商を求めてやって来たロシアのレザノフと会談したのもこの人。
ちなみに後に景晋と息子が二代続けて従五位下左衛門少尉に任官される。その息子は景元って名前なんだけど、知ってる人は知ってるあの方である。
●美代
??-??
旗本榊原家(とはいえ分家の分家で三百俵取り)の娘。大奥で勤めていたが、食事処開業に伴い志願して転籍。遠山景晋とは顔見知り。と言うか、史実で景晋の妻になる人がモデル(史書では榊原忠寛の娘としか書かれてないので美代という名は勝手に付けました)。
つまりはあの方の母親である。
◯佐野政言
覚えがあろう!
更新遅くなりました。
土曜日(9/27)から第九章開始いたします。
よろしくお願いします。