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旗本改革男  作者: 公社
〈第一章〉天才少年現る
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甘藷先生

――木挽(こびき)町(現在の歌舞伎座付近)


「お邪魔しております、先生」

「なんじゃ、また来たのか小僧。物好きな奴じゃのう」

「先生のお屋敷には珍しき書物が沢山あるので飽きませぬ」




 この夏、元号が宝暦から明和へと変わり、俺こと徳山安十郎は大病一つ患うことなく、無事に七歳の年を迎えた。


 なにしろこの時代は乳幼児の死亡率が高い。赤子のうちに亡くなるのは珍しくもなく、だからこそ元気に成長した子供は節目節目でお祝いがある。後の世で言うところの七五三というやつだ。当然俺もお祝いしてもらったよ。


 それで驚いたのが、この時代には既に千歳飴があったんだ。


 その起こりは元禄の頃らしいんだけど、浅草の七兵衛という飴売りが、紅白の飴を「千年飴」として売り出したのが始まりなんだって。


 その名前が長寿をイメージさせる縁起の良いものだから、子供が健やかに育ちましたと参拝に来た人にウケて、いつしか子供のお祝いのお供になったそうだ。甘味の少ない時代だから、子供たちも大喜びするわけだ。


「で、好きに本を読んでおって構わぬとは申したが、その本に何が書いてあるか読めるのか」

「読めません!」


 俺の元気な返事に、「だろうな」と苦笑いするのは青木昆陽(こんよう)先生。




 元々は儒学や漢学を学んでいた方だが、後に南町奉行大岡忠相(ただすけ)、俗に言う大岡越前、"おおおかえちぜん"って"お"が3つもあるのに、発音すると実質1.3個分くらいしか声に出ない、あの大岡越前守に取り立てられて御家人となった御方である。


 その一番の功績は何と言っても甘藷(かんしょ)、つまりサツマイモの栽培を広めたということだ。


 享保年間に発生した大飢饉で民が苦しむ中、既に農耕作物として甘藷が普及定着していた薩摩では飢える民が少なかったとのことで、これを栽培して救荒食とすべきだと上申し江戸近郊で栽培を始めた。以来、又の名を甘藷先生とも呼ばれる当代随一の知識人だ。


 先生の知識はそれだけに限らず、経済だったり貨幣に関する書物を記したり、甘藷栽培の後は各地に眠る古文書の解読を進めたりと、マルチな才能を発揮している。


 その方が今取り組んでいるのが、オランダ語の習得と蘭書の和訳。


 かつて吉宗公は海外の知識・技術を習得するために、それまで禁じていた外国書籍のうち、実用的な学術書については禁を緩め導入を図ったが、江戸には誰一人読める者がいない。そこで当時不惑を過ぎた先生が、野呂元丈という方と共にオランダ語を習得せよと直々に命じられたのである。


 先生は漢学にも造詣が深く、外国の言葉(といっても向こうも漢字だけど……)には慣れていると思われたのだろうが、博識で知られる先生でも一筋縄ではいかず、既に還暦をとっくに超えたお年ながら、今もなおオランダ語の習得に余念がないのである。


 そんな大先生にどうして俺が師事出来たのかというと、どうやら親父殿が吉宗公の大御所時代の小姓を務めていた縁で知り合いだったらしく、俺が難しい本をよく読むこと、そして師を求めていることを告げると、ならば屋敷にある書物を好きに読みに来ていいぞと許可してくれた。


 まあ先生も先生で子供の手習いくらいに思って、飽きるまで好きにしたらいいといった程度の認識だったのかもしれないが、俺は三日と空けずに屋敷を訪ねた。


 徳山家は江戸城から隅田川を越えたさきにある本所に居を構えており、子供の足だとここまで来るのに半刻(60分)ちょっとかかるけど、この時代の人にとっては十分徒歩圏内となる。


 というか、基本徒歩しか移動手段が無いから当たり前ではあるけど、飽きもせず本を読み漁っては、これはどう言う意味か、これはこういう考えで合っているかと質問しているうちに、直接色々と知識を授けてくれるようになってくれたんだ。




「お主の吸収力には驚かされるが、さすがに蘭書は早かろう」

「"あるふぁべっと"を教わりましたので、どの文字がどれかを探すだけでも楽しいです」

「不思議な子じゃ。大人ですら蘭書を見たら何が何やらで頭が痛くなるというに」


 オランダ語の発音や文法はドイツ語に近いと聞いたことがある。もっともそのドイツ語だって大学でちょっと習った程度なんで正しいかどうかは分からないけど、アルファベットをつなげてドイツ語っぽい読み方をすれば雰囲気は感じ取れるし、同じゲルマン語派である英語と似た単語も多いから、学校で英文に触れていた経験がある俺にとって、アルファベットで書かれた文章を見るのはそれほど苦ではない。


 だけど見たこともない異国の文字を解読しなくてはならないこの時代の人にとっては苦痛だろうな。これがアラビア文字とかだったらさすがに俺も無理だったと思うし、時代が違うからそもそも現代と言葉の意味合いが違うなんてパターンもあるかもしれないので、大っぴらに読めます! なんて言うのは憚られるところだ。


 どうしてかと言えば、師である昆陽先生ですら文章は読めないからね。


 未来ならば「おけ遇狂ぐうぐる」とか、「へいしり」って呼べば簡単に和訳してくれるし、「荒草あれくさ、これを翻訳して」なんて聞いたりすることも出来る。それよりちょっと昔の時代でも、文法のテキストはあるし、辞書を引いて単語の意味を調べることは出来た。


 ……けど、この時代にはそんな物すら存在しない。先生はまさに徒手空拳の状態で未知なる言語に挑んでいるのだ。

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― 新着の感想 ―
[一言] 作者のセンスの良さ >「桶おけ、遇狂ぐうぐる」 >「塀へい、尻しり」 >「荒草あれくさ、これを翻訳して」
[一言] 青木昆陽の弟子ってだけで、将来の就職活動には有利よね 史実の没年的には青木昆陽最後の弟子世代かな
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