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旗本改革男  作者: 公社
〈第八章〉改革、未だ半ばにて
196/204

ちょっとしたスパイス

 徳川幕府には潜在能力ポテンシャルがある。


 政治も経済もガタガタになっているのに、何処に潜在能力がと言われるかもしれないが、そのような状況にあっても統治機構として成り立っているのは事実だろう。


 そしてその統治機構を支えるのが旗本御家人なわけだが、十分に機能しているとは言えない。これは個々の仕事ぶりという話ではなく、徳川直参の身分を持つ者の多くが、禄を食みながら無役という歪な構造に問題がある。何も生み出すことをしない人間に給料を払っているのだから、それでは財政が好転しようもない。


 だがもし、これらを有効に活用し、新たな政策に取り組んだり財源を生み出す仕事に就かせることが出来れば、色々と改善する部分があるのではと考える。


 必要な人材の頭数はいる。皆が有能かというとそうではないだろうが、余程のうつけでもなければルーティンワークくらいは出来るだろうから、今の仕組みに()()()()()()()()()()を加えれば、状況がガラリと変わる可能性はある。


 蝦夷地開拓も商業中心の国作りも、新たな仕事と財源を生み出すための取り組みであり、それは管理する役人の頭数も増えることを意味する。もちろん役料などの支払いは増えることになるが、収入を増やしたいのであれば、経済を回し税収を増やす取り組みに、政府が率先して関わらねばならない。これが俺が先ほど戦で例えた、新兵の徴兵にあたる。


 そしてもう一つの柱が、戦う者たちを支える設備、後方支援の充実だ。武士は主君の命に忠実に従うものであるが、働きやすい環境かそうでないかであれば、当然前者が良いに決まっている。働く者の意欲が成果の良し悪しに大きく影響するのは間違いないので、必要なところに必要な投資は惜しまないという考え方に基づいて建てられたのがこの社員食堂である。


「力仕事をすれば腹が減るのはもちろん、頭を使う仕事でも適度な休息と必要な養分の摂取が肝要。働く者たちが働きやすい場を整えるも、政の一つと考える」

「なるほど」


 俺の回答を聞き、それなりの意図を持って動いているものと判断したのか、金四郎がすっきりとした表情になった。




「あらあら。金四郎様ったら、先程まで難しい顔でお召し上がりでしたのに、憑き物が落ちたようになって」


 とそこへ客席周りでテキパキと動いていた、所謂ホール係の女性が急須を持って立ち止まり、金四郎に何やら声をかけてきた。


「美代殿、そんなに変な顔をしていたか」

「ええ、それはもう」

「金四郎、知り合いか」

「はっ。旗本榊原家の娘で美代と申す者にて」

「榊原というと、式部大輔しきぶのたいふ殿の」

「私の家も分家のまた分家ですが、元は式部大輔様の家も同じ系譜から分かれたお家と聞いております」


 榊原というと有名なのは徳川四天王の一人榊原康政殿であり、その子孫は現在越後高田藩を治め、代々の官職から式部大輔家と呼ばれる大名家だが、元は三河榊原氏の惣領家から分かれた分家の一つとのこと。


 江戸の世になり旗本となった本家筋は、直系こそ無嗣断絶となったが、そこから分かれた分家がいくつもあり、美代殿の父忠寛(ただひろ)殿はその中の一つで三百俵取りのご当主。石高換算すると約百二十石くらいなので、名門榊原の一族ではあるが、それほど暮らしは楽でもないようだ。だからこそ娘が大奥に入っていたのだろう。


「一体何しに参った」

「何しにって、仕事に決まっておりましょう」

「金四郎、ここにおるのだから当然であろうが。して美代とやら、新しい仕事は如何であるか」

「楽しく働けております。この装束も女中たちの希望をふんだんに取り入れていただき、評判が良うございます」

「それは何より」


 この食堂、注文から提供までは効率を考えてセルフサービスとしたが、ご飯やお茶はおかわり自由なんで自分で取りに行ってねとか、食べ終わったら膳は下げ卓に戻してねというところまでセルフだと、さすがにやり過ぎ感が否めない。


 しかも異動させて大奥の人員を減らすというお題目があるため、調理場担当だけでは削減人数が足りない。そんなわけで、一番面倒な注文取りの部分だけセルフを採用し、席に着いて以降はホール係が色々と世話を焼くというシステムにしてみた。主には食べている者たちの様子を覗い、お茶やご飯のお代わりを対応するとか、食べ終わった膳を下げたり空いている席の拭き上げ清掃などが仕事となる。


「お茶のおかわりをお持ちいたしました」

「おお、それは忝ない」

「美代殿、御老中様や治部少輔様に色目を使うても、お二人とも奥方を大事にされておるから、お主の出る幕など無いぞ」

「そんな邪な気持ちで働いてはおりません。金四郎様が辛気臭い顔でお召し上がりだったのを見て喝を入れて差し上げようと思いましたら、たまたま隣に御老中様がおられただけのこと」


 難しい顔をしているところを見られてばつが悪かったのか、金四郎の物言いは少し意地の悪い感じにも聞こえたが、美代殿は大して気にする素振りもなく、俺や定信様などにお茶を注ぎ回っている。


「でもはっきりと言えるのは、金四郎様は難しい顔をしてウンウンと唸るより、迷いなくすっきりとした今のお顔のほうが素敵ですわ」


 そして近場の者たちの茶を注ぎ終わると、去り際に美代殿はそんなことを言って別の卓へと移っていった。


「なんじゃ。金四郎、仲が良いようじゃの」

「御老中様、お戯れを。腐れ縁にございます」

「その割に満更でもない顔に見えるが」

「参与殿までそのようなことを……」

「しかし城内に若い娘がおると、何やら活気がありますな」

「永井殿、少々年寄り臭いですぞ」

「いやいや、年は取っても男ですからな」


 今までの城内ではほとんど見ることの無かった光景。それは男女で交わされる会話だ。女性をホール係に配置したのもそれを目的としたからである。


 彼女たちには食べている者たちの様子をよく観察するように指示してある。それはご飯やお茶の減り具合もそうだが、体調が悪そうな者がいないか、困りごとがあるかなど、何かあればすぐに駆けつける心積もりで対応してほしいと。その心遣いが働く武士たちの支えになり、仕事の良し悪しにも影響すると言ってね。


 今の美代殿がそうであったように、女中たちはその指示に従って甲斐甲斐しく動いてくれているが、そうなれば男たちと少なからず会話が発生する。男なんて単純なもので、若い女性と一言二言でも会話を交わし労いの声をかけられれば、嫌な気分になる者はそう多くない。

 

 それを後押しするのが彼女たちが身につける衣装、つまりは制服だ。大奥だと基本的に小袖を着用しているが、やはり着物だと動きづらい面は否めず、袖をまくったり裾を上げたりと色々工夫をしていた。それらの欠点や改良点などについて意見を集約し、食堂ここで働く者専用の衣装を仕立てたのだ。


 動きやすさという点はもちろん、彼女たちが自分自身で身につけるものであるから、周りからどう見られるか、所謂ファッション性にも気を配っており、肌の露出こそほとんど無いものの、男たちからの評判も良い。


 若いおねーさんが衣装をまとい、給仕をしながら客と話すとなると、メイド喫茶……いや、ここの女性はケチャップでお絵描きしないし、チェキも撮らないし、なんなら「お帰りなさいませ」とか「萌え萌えきゅん」とも言わないから少し違うな。酒を出すわけではないのでキャバクラやガールズバーとも違う。


 近い感じだと、アンナミラ◯ズとか、フ◯タ◯ズみたいなものか。胸も強調してなければホットパンツでもないが、統一された衣装で働くという考えの生まれていない時代なので、かなりインパクトはあるだろう。


 そして、この統一した制服というのもポイント。装飾や化粧だけで美しく見せるには限界があるため、その人柄が重要となる。凛とした美しさでも人当たりの良い気さくさでも構わないが、本人の人間としての資質も問われる。


 何のためかって? そりゃあ嫁入りのためさ。大奥で働く理由だって、自身の箔付けだったり嫁入り修行、あとは縁談の声がかりを狙ってのものが多い。大奥だと為人ひととなりは人伝にしか聞こえないが、ここで働いていれば直接男たちの目に触れるから、相手に見初められたりとか、息子の嫁にどうかなんていう話が増える可能性もある。


 未だに政略的な話込みの縁談も少なくないが、出来れば相手がどういう人物かを少しでも多く知れたほうが、結婚後の不満やらトラブルも少なくなるのではなかろうか。


 男は若い娘たちに良いところを見せようと奮起し、女性はより良い条件の男を自身の目で見定めることが出来る。これも()()()()()()()()()()の一つである。




 とまあこんな話をすると、前世で令和を生きていた人間にしては、随分と前時代的な考え方をしていると思われそうだが、その令和より僅か数十年ほど前ですら、女性の就職は結婚までの腰掛けなんて言われ方をしていたのだ。こればかりはどうしようもない。


 俺は以前から言っているように、社会の仕組みを少しずつ変えようと考えている。その根底には、数々の権利の主張や制度変更が成ってきたのは、それぞれの時代の社会において変革が必要と考える者が多くいたからであり、そのときの現状において不都合が生じ、それによる不利益を被っていたからという考えによるものだ。


 つまり、この時代に令和の世の最新を持ち込んでも、こと社会制度においてはその間の数百年間に何があったか知る由もないのだから、誰も理解出来るわけがないし、俺も説明のしようがないのだ。


 良い例として、外国に対する考え方を挙げよう。史実では実際に西洋船が次々と到来してくるに至り慌て始め、アヘン戦争での清の大敗を聞いて焦り、黒船来航でそれが頂点に達したように、実際に体験しないと問題として認識してくれないことは多い。


 この世界では俺が蘭学の知識と称し、西洋に関する考察を色々と披露しているおかげで、定信様も家基公もそれなりに意識は向けてくれているが、実際に来航があれば、少なからず混乱は生じるだろう。結局のところ俺が出来るのは、史実より時計の針を少し早め、より理想的な着地点に向かうよう進路を調整するだけのことだ。


 勘定所の過重労働問題しかり、女性の社会進出問題しかり、まずは動いてみて、実際に働く者が課題に直面したところで、改善を進めていくしかない。そのための対策は未来知識(ちょっとしたスパイス)でいくらでも考えられるからな。


 社員食堂の次は……仮泊所とか温浴施設まで作れば福利厚生は完璧だな。


 デスマーチの不夜城となる可能性もある? うーんスパイシーw

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― 新着の感想 ―
社員食堂の女給さんはレストラン馬車道みたいな大正ロマンな制服かな。アンナミラーズ懐かしい。
小普請の御家人や旗本。彼等に仕事を与えるハローワークですなぁ。 問題は建前と現実の違いを飲み込めるかどうかで 「かような事は三河以来の家柄である当家には相応しゅうない(=もっと金になるお役目を今すぐ用…
江戸城の門限を廃したのか。
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