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旗本改革男  作者: 公社
〈第八章〉改革、未だ半ばにて
195/203

ランチミーテイング

――天明八(1788)年春


「ほう、これが食堂か」

「皆の力添えあって、思ったより早く開けました」


 構想から半年少々。福利厚生の一環として考えた社員食堂が開店と相成って数日後、俺は定信様と共に飯を食いにやってきた。


「これはどのように頼むのだ」

「お品書きから選んで係に告げますと、注文札を渡されまする。しばらくしますと出来上がりし札の数字が呼ばれますゆえ、お代と引き換えに受け取りを」

「先払いか」

「飲み屋とは違い、追加で物を頼むことはほとんどありませぬから、先払いのほうが後腐れなく都合がよいのです」


 なにしろ客商売なんてものを知らぬ武士が始めるのだ。市井の飲食店のように全てをテーブルサービスでやろうとすれば、流れを習得するまでに時間がかかる。なので注文から受け取りまでは、社員食堂によくある食券制のセルフサービスを採用した。


 本当はカフェテリア方式で個々人が食べたいものを自由に組み合わせる形が理想だが、これだと会計が面倒なので、定食のほか蕎麦や丼、三度一サンドイッチなどの単品メニューに限定して効率化を図っている。


「日替わりね」

「俺は鴨の三度一」

「はーい、日替わりと鴨三度入りまーす。こちらの札をお持ちになってお待ちください」

「あのような感じで」

「なるほどの。しかし意外と人が来ておるの。捌けるのか」

「しばらくは慌ただしいかと。売る側も買う側も慣れが必要ですな」


 なにしろ数千人の働く大所帯だから、昼時は熟練の店員ですら四苦八苦するだろう。何の経験もない者たちで対応できるわけもなく、そのために試行期間を設けた。未来だとテストランとかプレオープンと呼ばれるそれだ。


 その対象は主に勘定所の面々。半ば強制動員であるが、人数的にそれなりの規模で運用のテストをするには丁度いいし、普段から夜勤のある番方を除けば、おそらく彼らが一番世話になるであろうから、その円滑な運営に利用者目線で助言してほしいという願いもあってだ。


 おかげでなんとか営業の形になるくらいには整えられたが、実際はやってみながら試行錯誤が続くと思う。用意する食材も適正な量を見極めるまでに多少時間はかかるだろうし、何事もトライアンドエラーであろう。


「お主らだけ先に美味いものを食っておるとは聞いておったが」

「それはもうこの治部少輔監修の献立にごされば」

「何故儂を呼ばぬ。儂ほどお主の味に慣れ親しんだ者はおらんのに」

「始めたばかりでバタバタしておるところに御老中が乗り込んでは、迷惑以外の何者でもござらぬ」

「め、迷惑……」


 定信様が幼い頃から俺の考案した料理を食べているのは事実なので、それを基に助言をと考えていたのだろうが、偉すぎる人が出しゃばるとロクなことがないのは古今東西変わらぬ話。本人にその気が無くとも周りが気を遣わざるを得ないからね。


「意地が悪いな」

「期待を煽るためです。普段から親しくする御老中すら関わらせぬと聞けば、中身がどうなっておるか、周りの者は気になるでしょう」

「その結果がこの賑わいか」

「七十八番、七十九番の方〜」

「お、呼ばれておりますぞ」


 俺たちの札の番号が呼ばれたので、料理を受け取り、代金を支払う。席も特に決められてはおらず、空いているところに自由に座る形式だ。


「さて、どこが良いかの」

「あちらの席が空いておりますな」

「いきなり儂が隣に座って驚かれぬか」

「それがここでの決まり事。むしろ越中守様が率先していただければ話は早い」


 ここにいる多くの者が、家では主として上げ膳据え膳であるから、自身で料理を運んで席に着くなんてことを経験した者は少ないだろう。


 セルフサービスだとそのあたりを無礼だと言う者も出るとは想定していたが、皆の目の前で老中である定信様が膳を手に持ち、自ら席を探す姿を見せれば、そうそう文句を言う者はおるまい。


 明日か明後日あたりは、田沼親子にもやってもらおうと考えている。




「遠山殿に永井殿、隣失礼するぞ」

「これは参与殿に御老中まで」

「治部、知っておる者か」

「勘定所の勝手方にて勘定を務める、遠山金四郎と申す者にて」


 空き席の横には見知った顔が座っていた。


 その者の名は遠山金四郎。諱を景晋かげくにと言い、五百石の旗本遠山家をつい最近継いだばかりの若者だが、勘定方を増やす際にこれに志願し、若いのに仕事が出来ると組頭が評する男だ。実際に仕事を頼んだときに、たしかによく動いてくれたので、俺もその名と顔は覚えていた。


 その名を聞くと桜吹雪のアレを想像してしまうが、時代が違うので別人だろう。とはいえ金四郎という通名を使うあたり、全くの無関係ではなさそうなので、彼の子孫や親戚が、未来人のよく知る「金さん」である可能性もあるかもしれない。今はなんとも言えないがな。


「お連れの方は越中守様もご存じかと」

「たしか使番つかいばんの……永井主計(かずえ)であったか」

「お見知りおきいただき恐悦にござる」

「二人は実の兄弟にて」

「親子ほど年は離れておりますが」


 永井家は宗家の大和新庄やまと しんじょう藩のほか、美濃加納みの かのう藩と摂津高槻せっつ たかつき藩という三つの大名家がある三河以来の譜代。このほかにも兄弟への分知で別れた旗本家がいくつもあり、二人の実家もその一つで千石取りの大身旗本である。当主である主計殿は名を直廉なおかどと言い、現在使番という役に就いている。使番というと、以前長谷川平蔵殿が蝦夷地巡検の頃に就いていた役職であり、多くが後に目付や遠国奉行などに昇進している、いわば花形の役職である。


 金四郎殿は永井家から遠山家に養子に入った身で、兄の主計殿とは二十歳以上年が離れているせいか、お役目に就いたばかりの弟の面倒を親代わりに見てもらっているといったところのようだ。


「それはそうと、遠山殿は何やら難しい顔をしておられたようだが」


 先程空き席を探してここを見つけたとき、隣に遠山殿が座っているのは確認していた。向かい合わせに座る永井殿に難しい顔をしながら何かを話していたところまで含めてね。


 折角暖かくて美味い飯を食えるのだから、仕事の難題とかを引きずりながら食べてほしくはないと思い、お節介ながら何かあったのかと聞いてみたのだ。


「いや、それほどのことでは……」

「金四郎、お役目の違う儂とお主が同じ席で飯を食えるように、これまでなら同席など叶わぬ治部殿や御老中様とこうしてお話出来るのも何かの縁ぞ。折角だから聞きたいことを聞けばよかろう」

「はっ。さればこの食堂をお作りになられた真意にござる」


 永井殿に促され、遠山殿がおずおずと切り出したのは、どうしてこのような設備を作ったのかという疑問であった。


「働く者たちの体を考えてのこと。暑い時期は弁当が腐る恐れもあるし、夜に至ってはまともな食事も用意できぬ。お役目を果たしてもらうならば、万全でいてもらいたいからな。夜警のある番方にもありがたい話であろう、のう永井殿」

「夜でも温かい飯が用意されておるは、ありがたき話にござる。番方でも喜ぶ声が多いと聞き申す」

「たしかに昨今勘定方も夜通しの仕事が続いており、飯が用意されておるは助かりますが……」

「それが当たり前になっては困る。と言いたいのだな」

「仰せの通りにて」


 働く者に温かい飯を安く提供する。そのお題目は勘定方に勤めておれば知らぬはずもないのに、敢えて聞いてきたということは、おそらく他に考えがあってのこととは思ったが案の定であった。


「私もそれを当たり前にしようとは考えておらぬ」

「されど、同じように懸念する者は某以外にも少なからずおりまする」

「そうだな。これは終わりのない戦、みたいなものと考えてもらおうか」

「戦……にございますか」


 常在戦場ではないが、次から次へとふりかかる課題は、まさに豊富な兵糧物資を背景に責め立ててくる敵のようなものであろう。


「仮の話で大国が小国たる我が方に攻めてきたとする。敵の数は四万。これを二隊に分け、一度に攻めてくるは二万じゃ。一方こちらの兵は五千しかおらず、機先を制して敵に仕掛けることも叶わぬ。さて、遠山殿はどのような手を打つ」

「その五千の兵をもって守りを固めるしかないかと」

「そうだな。だがそれが半年一年と続くようだとどうなる。相手は二隊を交互に入れ替えて休息させ、常に万全の状態で攻め寄せるに対し、こちらは代えの兵もなく、ただひたすら防ぐだけ。いずれ疲弊してまいろう」

「それでも、守らねば敵に蹂躙されまする」

「当然守る兵は死力を尽くそう。それでも長い間それが続けば、傷つき倒れる者、精魂尽き果てし者が出てくる。徐々に戦力は薄くなる。しかも敵が他にもおる可能性もあるのだぞ」


 現在交戦する相手が別動隊を率いてくる場合もあろうし、第三者が漁夫の利を得ようと兵を繰り出してくる可能性もある。そうなったとき、五千の兵だけで全てを防ぐのは難しいというものだ。


「飢饉に水害、浅間山の件も復興はまだ途上。そこへきて新たな政策に財源の確保を目的とした商業栽培を奨励しつつ、倹約令で出費は抑える。これを敵と見立てたとき、それこそ同時に多方から攻められておるようなものではないか」

「それがこの食堂と何の関係が?」

「まあ最後まで話を聞け。あちこちから敵の襲来があり、さりとて割ける兵には限りがある。となれば、打つ手は兵の数を増やすか、城や砦の守りを強固なものに作り変えるかだ」


 兵の数が足りなければ徴兵して鍛えるしかないが、一人前になるにはそれなりに時間を要する。城や砦の守りを強固なものに作り変えれば、それまで五千の守りが必要だったものを二千や三千に抑えられ、その分を違うところへ振り分けられるが、こちらも一朝一夕で完成するものではない。しかし、どこかで手を打たねば早晩守りが破綻するのが明白なれば、まだ地力があるうちに手を施すべきなのだ。


「今の御城内で言うなれば、金四郎のような新参者が新兵と言えるのではないか」

「……つまり、この食堂は戦で言うところの城や砦の守り。兵の消耗を減らすための備えであると」

「ご名答だ」


 これまでであれば、昼食は同役たちと会話も交わさず黙々と食べていたものだが、こうして身分の別なく相席で会話を交わしながら食事をすることで、ある変化が生まれる。それはコミュニケーションの活性化だ。


 男は寡黙で余計なことは口に出さぬ方が良いなんて風潮もあるが、人間なんてのは余程でなければ他人とコミュニケーションを取る生き物であり、勤務中は必要外の会話を許されぬ環境であればこそ、休憩時間ともいうべきランチタイムくらいはリフレッシュにつながるような会話があってもよかろう。無論部外秘の話などをペラペラ話すのはご法度だが、他部署の人間と顔見知りになることや、今どのような政策が進められているかなど、話せる範囲で情報共有することも武士たちの知識の向上につながると思う。


 あとは今のようにランチミーティング的な話も非常に有効ではなかろうか。未来だと上司と飯とか面倒くさいと言われかねないが、この時代はそういった機会すらほとんどないのだから、下の者にとっては上役と意見を交わせるというのも大事な時間となるのではないかと思う。今日に関しては意図していなかったが、俺や定信様が下役とそういった話をしているのは周囲も見ていただろうから、今後そういう流れが醸成されていけば万々歳というところ。


 社員食堂はそういう思惑もあって作ろうと考えたのさ。

次回も社員食堂の効用に関する話が続きます。

もう一つの目的である、大奥の女性を異動させた件に触れていないのでね。


また、遠山金四郎景晋については、史実だとこの頃は小姓番で勘定方ではありませんが、勘定所の業務拡大で新規登用された体にしてます。

また、勘定所の吏僚は上から勘定頭 ・ 勘定組頭・勘定・支配勘定となっており、本文中で「勝手方の勘定」と名乗ったのは「お会計をする」という意味ではなく、上記にある勘定という役職のことです。

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空いている席を探すってことはテーブルと椅子がある食堂なのかな? 座敷の上に御膳じゃなくて?
金さんも居たのか。
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