金がないなら頭を使えばいいじゃない
「十五万両……」
「あまりにも額が大きすぎて想像がつきませぬ」
「ちなみに御公儀全体の収入が八十万両少々ゆえ、ここ大奥のみでほぼ五分の一近くが使われる勘定となりまする」
定信様が主導する大奥の支出削減案。当然勘定所もどこを減らすかと頭を悩ませたものの、何に手を付けてもああ言えばこう言う状態になろうことは明白だったので、まずはどれくらいの支出があって、それが幕府全体の収入の中でどれほどのウエイトを占めているか、具体的な数字をもって示すこととしたのだ。
その相手方はもちろん大奥の老女たち。とはいえ例の高岳一派に話をしたところで暖簾に腕押し、糠に釘、馬耳東風、豚に真珠で猫に小判だろうから相手は選ばせてもらっている。つまるところ現在の大奥の主たる御台所の恭子様に現状を知ってもらおうというわけだが、俺や定信様が直接言上するわけにはいかないので、御台所様付の御年寄である大崎殿や今出川殿、そして高岳一派から距離を置きだした幹部たちに指南しているのだ。
そもそもで言えば、全員が同じ方向を向いていたわけではなく、ほとんどの者は権力者に睨まれないために迎合・同調していたに過ぎない。当然その権力に陰りが見えてくれば、少しづつ距離を置かれるというものである。その者たちを風見鶏とか八方美人とか、はたまた変節したと非難する気はない。権力者に逆らうのが面倒なのはいつの時代も同じなので、彼女たちなりの処世術だと思えば、社会人なら誰だってそういう経験は持っているわけだもの。
大事なのはこの先真摯に協力してくれるかどうか。誰かさんたちのように前例やしきたりを持ち出してキーキー喚くようなら、然るべき処遇をするまでである。定信様がね。
「越中守殿はこれを減らせるところから減らしていこうとお考えなのですね」
「左様。今のところ大奥におるは、本丸に御台所様、西の丸にお知保の方様のみ。今後上様が側室を持たれることがあると考えても、あまりにも女中の数が多く、物入りなことこの上ない。以前より大名旗本から庶民に至るまで倹約を進めるよう触れを出しておりますが、肝心の江戸城がこれでは誰も納得せぬであろうと上様が仰せにござれば」
国民に負担を強いる中、大臣や政治家たちだけが美味しい思いをしているという批判は未来の民主主義社会でもよく聞かれる。この時代は身分制度があり、お上への批判は聞かれただけで命を奪われる危険があるので、表立っての声はそれほど多くないものの、俺たちにばかり押し付けやがってと思っている者は多いだろう。一揆や打ちこわしのような暴動が多発するのも、声に出せず溜めに溜め込んだところへ上の者から無慈悲な仕打ちを受けたと感じたがゆえに爆発した結果ではなかろうかと思う。
そういうわけで、まずは将軍が率先垂範するということだ。これは享保の改革で吉宗公も実践されている話だが、今回はその対象を大奥にまで広げようというわけだ。家基公がそう仰せになられた背景に、俺や定信様の進言があることは否定しないが、それをすんなり受け入れるところは名君の素質十分であると言えよう。
「しかしながら、奥においては重要な儀式や典礼も多くございます。あれもこれもと費用を抑えられては、将軍家の沽券に関わる話ともなりましょう」
「無論必要と思うものに金をかけることを禁じるわけではございませぬ。されど全体で年にこれだけと決めた費用の枠の中で収めてもらうことは曲げられませぬゆえ、どこかで金を多く使えば、どこかで支出を抑えねばなりませぬ」
おそらくこの話をすれば、上様や御台所様の暮らしが貧しくなるようでは困ると、体面を重んじるがゆえの反対意見が出るであろうことは想定していた。だからこそ、大奥という組織を一つの部署に見立て、どこかの予算が足りなくなりそうなら、別項目の予算から充てるという形で、大枠の予算額を定めることとしたのだ。
もちろん十把一絡げに削減したわけではない。これまでの出納は残っているので、上様や御台様に直接関わりの深いものはなるべく維持しつつ、それ以外のものから削れそうなところを項目ごとに精査していったものの積み上げなので、決して運営が出来ない額ではない。とはいえ、上様や御台様のためと称し、本来必要のないところへ多く支出すれば、それは主に働く女中たちに使う予算が減ることを意味する。
「定められた額を超えしときはなんとなされる」
「特段やむを得ぬ事情でもない限り、他に使わぬ金を回すか、それも無ければ衣類や調度品などは翌年までお待ちいただくことになる」
「我らに貧乏暮らしを強いると仰せか!」
御年寄の一人がそう言って口火を切ると、これに同調するような声が多く聞こえる。分かってはいたけど、結局自分たちの生活にかける予算が減るのは納得できないといったところか。常々上様や御台所様の生活が第一と言っているから、滅私奉公の精神で自分たちの身を削ってお仕えするものとばかり思っていたのに、どうやら口だけのようだ。
「越中殿や治部殿は我らをなんと心得ておるのか!」
「なんとと申されても、これは皆様であればこそお頼み申す話にございます」
「納得できませぬ」
「まあまあ。治部殿、我らだからこそ頼むというその真意をお聞かせ願おう」
議論が感情的な方向で紛糾しそうになったとことで、おそらくそうなるだろうと見越していたのか、大崎殿が場を一旦落ち着けた。いきり立つ女中たちを僅かな動きで制すると、こちらに顔を向けて軽く頷かれた。続きを述べよということだろう。
「ここ大奥は、上様や御台様の暮らしを支える重要な場所と心得ておる」
「当然にございます」
「されば、ここに仕える者は皆がその立場を全うするに足る知識と教養を持つ者。この国に住まう者の中で最も優れたる女子たちの集まりだと思っておりまする」
予算削減への反発は想定内だった。しかしそれは、単に使える金が減るから困るというだけでなく、そうなったのは幕閣が自分たちを見下しているからだという矜持の問題も多分に含まれている。そう考えたからこそ、敢えて彼女たちを持ち上げる発言をし、ヨイショしてみたのだが、俺が言葉を終えた頃には、思った以上に多くの女中たちが呆気に取られたような顔をしていた。
「我らの話を理解出来る知識と教養をお持ちだと考えればこそ、難しき課題に共に挑まんとご相談しておるのです」
大奥の女中たちがこの時代の女性の中で最も賢いのは事実。未来のように万人が平等に教育を受けられるわけではないので、中には家柄は良いが頭の作りは……な人もいるけど、状況をよく説明すれば全く理解出来ないという人間は少ない。やはり教育とそれによって知識を得ることは大事なのだと感じる。
「使える金が減ることを懸念されるはもっともな話。されど先程の話にて、御公儀の資金繰りが危ういことも、才女たる皆様ならご理解しておるのではないでしょうか」
本当に理解しているかはさておき、賢い貴女なら今の状況は分かりますよねと言えば、大崎殿や今出川殿が理解しているという空気を出している中で、分かりませんとは言えまい。言おうものなら「私、馬鹿です」と公言するようなものだからな。言うなれば「裸の王様作戦」だな。
「年貢を増やすことは出来ぬのですか」
「既に年貢による収入は頭打ち。これ以上絞り取らんとすれば、絞り取られた百姓たちは干からびて生きることも難しく。農村から人がいなくなれば、次に誰が米や野菜を植えるという話になりまする」
「田沼殿が色々と講じておった策は」
「収入が増えた反面、改善を要する点も多く。更に新たなことを始めようとすれば、より金子が必要となりまする。倹約令はそのためでもあります」
「して、我らに何を協力せよと」
もしかすると納得していないかもしれないが、ここまでの話を聞き、どちらにせよ予算を削られるのが避け難いことは理解したようで、倹約とは具体的に何をすればよいのかと尋ねてきた。
「まずは無駄を省くこと。まだ使えるものを古くなったからと変えず、直して使い続けるとか、何かの仕事の工程で省いても大過ないものを除けば、その時間を他の仕事に充てられるなど、直接の出費を削る以外にもやりようはいくらでもあります」
「しかし、古いものを使い続けるのは……」
「その工夫に頭を使うのです。故に知識と教養に深く通じる、皆様にお願いしておるのです」
ここで俺は一つの実例を出した。
「皆様は蜜甘藷と申す菓子をご存知かな」
「治部殿が考案されたものでございますな」
「実はあれは妻の種が閃きの発端にて」
作ったのは俺の未来知識によるものだが、義姉の因子様をお慰めしたいと種が言い出したのがそもそもの発端なので、多少かする程度には間違いではない。ここで大事なのは、"女子"の種がそれを考案したという事実を強調すること。嘘も方便である。
「元々は焼くか煮るだけで庶民の食すものとして広めておりましたが、種の発案で菓子としての用途が増え、以前私が都に上りし折、甘藷餡の菓子を帝に献上したところ、いたくお喜びいただけたのです」
「そのお話は私も都でよく聞きましたわ」
帝に認められたという話は、当時都にいた今出川様がそのことを裏付けてくれたこともあり、女中たちも興味を引かれたようだ。
「料理でも裁縫でも掃除でも、他のなんでも構わぬ。その工夫が世に広まり、人々の役に立つなり暮らしが豊かになり、かつ倹約にも効用があるとなれば、帝とまでは言わずとも上様や御台様の覚えもめでたいことでしょう」
倹約に知恵を出すことが功を上げるきっかけになると知り、目の色が変わった者がちらほらと見受けられる。これまでは昇進するにも上役に気に入られるといった仕事以外の要素が多く、かつ中々その機会に恵まれない者が多かったから、良い機会だと捉えているのかもな。
「ご理解いただけたかな。成すも成さざるも皆様次第。そしてこれを頼むは、皆様の知識と教養を我ら幕閣の者が認めておればこそにござる」
まあこれで万事解決とはならないので、次回も大奥との交渉が続きます。