ガバガバガバナンス
「今一度お伺いいたす。老中と御年寄が同役と仰せだが、それは何時、如何なる触れにて定められたものでござろうや。某は浅学若輩の徒にござれば、ついぞそのような定めがあることも知らず、もしや知らぬうちに無礼を働いておったやもしれませぬ。是非にもご教授願いたく存ずる」
大奥御年寄と老中は同格。定信様の逆鱗に触れた原因がその何気ない一言にあるのは、長らく親しくしている俺の目には明らかだった。
藩主や老中という身分であるから命令口調だったり厳格な物言いとなることもあるが、基本的に定信様は誰に対しても礼儀正しく、下の者に対しても横柄な態度を取ることは少ない。もっともそれは、相手も礼に則った対応をしていればの話なので、瑕疵があれば怒ることになるのだが、その前段として、ものすごく丁寧な口調に変わる。静かに怒るというやつだ。
雰囲気や空気を読める者ならば、そこで怒っていることは分かる。しかしそれでも言葉には出さないとなると、相手からすれば何処が最後の一線になるか分からず気が気でない。それまで普通だったのに、急にスイッチが入る瞬間湯沸かし器タイプの人間と接するのも面倒だが、そちらは早くに怒りだすのでまだ処しやすい。本当に大変なのは内心でどう考えているかが見えにくい相手なのだ。
大所帯を束ね、色々な性格の者と対してきた経験があるからか、滝川殿も相手がそういう手合いなのだと理解したのであろう。定信様の問いかけに答えることなく出方をうかがっているせいで重苦しい空気が流れるが、そうなるのも仕方ない。
老中と御年寄。組織において諸役を束ね、最終的な意思決定を司る立場であることは同じだが、大きく違うのは前者が幕閣、つまりは一国の政府であるのに対し、後者はその中の一組織でしかないこと。未来の会社組織に置き換えれば、老中とは会社の取締役として、営業職や技術職の責任者となる立場に対し、御年寄は秘書課や総務課といった部署の担当課長でしかなく、本来何を間違っても同格などといえるものではない。
しかし滝川殿が口にしたということは、同格と認識する何かがあるわけだ。考えてもいなかったことを言葉にはしないはずだからな。それが何かと言えば、将軍や大御所に御台所の意思決定に関与出来る下地があることに尽きると思う。
武士たちは基本的に将軍に面会する、上申するといったときは、必ず御側御用取次や側用人を介することになる。これは老中とて例外ではない。側用人が権力を持ちやすいのはここに理由があり、田沼公も幕政に影響力を与え始めたのは側用人に就いてからだ。
一方で大奥はというと、そのあたりは全部御年寄の仕事だ。将軍は一日の半分を大奥で過ごすわけだから、面と向かって物申す機会は老中より御年寄のほうが圧倒的に多いし、将軍も普段の生活で世話になっているから邪険にも出来ない。
大奥は幕府による法度をもって統制され、本来それらを決める老中幕閣たちのほうが上に立つはずなのだが、困ったことにその最終決定を下す将軍に直接ものを言えるということは、少なからずその判断に影響を与えるものであり、ガバナンスがガバガバであるということだ。
先程言った会社組織に置き換えてみれば、各部で決められたものに対し社長の決裁をもらおうとしたら、「実は秘書課からこう言われてるんだよね……」と否認されたり内容を変えさせられたりといった話だったり、社内規程で定められたものに対し、「今回は特例で……」と社長専決で秘書たちの意向が優先されるといった感じだろう。
会社だったら株主総会とか取締役会みたいな議決機関があるが、幕府においては将軍、もしくは大御所の意向が全て。ならば将軍がしっかりと意思を持ち、筋の通らぬ話は受け入れねばよいだけなのだが、プライベートが組織と不可分で、秘書たちがその生活に大きく関与しているとなると、そう簡単ではないのだ。
事実、幕府に何かを奏上するにあたり、諸大名は幕閣への工作と並行し、大奥にもロビー活動を行っているのは、その発言が将軍の判断に影響を与えている証左であり、実質的に権限を持っているに等しい。だからこそ老中たちもその言に耳を傾けざるを得ず、それが悪しき慣例となったことで同格だと勘違いしているわけだ。
「御公儀の為すことに、大奥が関与する定めは無いと存ずるが」
しかし、実際はそうではない。相手の沈黙を反論できないためと判断したのか、定信様が結論を先に述べてしまったが、別に議論しなくても、本来そういう結論にしかならない。
「しかし、これまで慣例で」
「定めのない慣例に従い何か過ちがあったとき、誰か責めを負うと?」
今の定信様は、史実のように朱子学の道徳観を重視する考え方をそれほど持っていないが、だからと言って体制を否定する発言は看過できないだろう。ここでいう体制とは、国家的な身分制度というより、組織の中におけるそれと思っていい。
先程言ったとおり、経営トップの生活全般を補佐すること《《だけ》》が役割の大奥が、何の権限もなく経営方針に口を出し、あまつさえ強引にそれを押し通すというのは、明らかに統制を欠く行いであり、処分ものだろう。そうならなかったのは、彼女たちが将軍の生活に密接に関わっており、ある意味人質に取られているようなものだからだ。
だが、代替わりを経て状況は大きく変わった。これまではやむを得ず黙認されていた付け届けや心配りは、将軍家基公本人の口で否定されており、田沼公も(表向きは渋々)従っているわけで、大奥もそれに倣ってもらう必要がある。
「越中殿は我らが賂欲しさにそのようなことをしていると申すか!」
「そうは申さぬが、ならば仙台侯はどうして高岳殿のために屋敷を建てたのでありましょう」
仙台侯とは仙台藩主・伊達重村殿のこと。かつて猟官活動のために幕閣や大奥に口利きを依頼したことがあり、高岳殿は桜田御用屋敷内に自身の家を建ててもらったのだが、普通に考えて伊達家が高岳殿個人のために働く道理が無いので、口利きの見返りと考えるのが自然だろう。敢えて藪を突く必要が無いから、今まで誰もそれを指摘しなかったが、自分たちから賂云々と言い出すのであれば、定信様も遠慮は要らないという判断だろう。
「かつてのことをとやかく申し上げる気は無い。されど新しき御代となり、道理にそぐわぬ具申も、それを押し通そうとする口利きも受けるべきではないというのが上様、そして幕閣の総意。よもや大奥だけがそれに縛られる気はないと仰せではあるまいな」
正当な理由があれば意見を具申することは無論否定されるものではない。しかしながら、家格より実力を重視する方針に転換している今、慣例や前例、個人の好き嫌いを持ち出して公儀の政策や決定に横槍を入れてもらってはこちらが仕事にならない。今は下級職中心に能力のある者を登用しているが、いずれは奉行などの職もこれに準ずることとなる。そうなったときに謂れのない物言いをされ、判断を強要されると、家格の低い者にとってこれほどやりにくいことはないし、いつまでも幕府という組織が健全に動くことはないだろう。
法の整備された未来ですら、政治家たちによって好き勝手されることは少なくないのだから、この時代にあっては、自ら身を律するということを忘れてもらっては困る。
「何という物言いか。我ら奥の者がお世継ぎのためにどれほど心血を注いだか。それを蔑ろにするおつもりか」
「それとこれとは別でござる」
家治公はこの時代には珍しく愛妻家で、御台所の五十宮様との間に二人の姫を儲けるほど大切になされ、長らく側室を持たなかった。ちなみに徳川将軍家で正室が子供を産んだのは、当代家基公までのうち、初代家康公と二代秀忠公、六代家宣公と先代家治公の四人だけ。大奥という制度が始まる前の二人は条件が違うことを考えると、かなり珍しい話なのだ。
しかし、それほど大切にしていても、残念ながら跡継ぎの男子は生まれなかった。そこで家臣たちは家治公に側室をと薦めるが首を縦に振らず、粘りに粘って説得したところ、田沼公も同時に側室を持つならばという条件でようやく承諾したとのこと。
さて、こうなると色めき立つのは奥女中たち。中でも息のかかった者を側室に送り込みたいと画策する上の立場の者の鼻息が荒い。個人名を出すならば、高岳一派の者だ。その手により、お知保の方様が御中臈として上がり、家基公が生まれたわけで、将軍の血統を残すという目的が果たされたのには、大奥の力があったことは否定しない。
だけどね、それは大奥の本来果たすべき仕事だから成すべきことを成しただけの話で、その功をもって政治に口出ししていいわけではない。むしろそれまで長らく男子が生まれなかったのは、大奥と五十宮様の間で激しい主導権争いがあったためと聞くので、個人的にはちゃんと仕事をしていないから、御台様が心安らかにお世継ぎを産める環境を作れていなかったのでは? と思う。
過去の功績は功績として認めるが、お世継ぎが生まれたことで揺るぐことの無い権勢を誇り、これまで好き勝手に振る舞ってきたのだからプラマイゼロ。本当はマイナスが多いのだが、それはこの際どうでもいい。
代替わりとなって新たな御台所が誕生し、それを補佐する新たな女中たちも増えてきた。高岳一派だけがデカい顔を出来る時代は終わりつつあるのだ。大人しく退けばそれでよし。さもなくば……といったところであろう。そしてそれに対峙するのが、白河の清き流れの定信様というわけだ。