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旗本改革男  作者: 公社
〈第八章〉改革、未だ半ばにて

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虎の威を借るなんとやら

――天明七(1787)年四月


「改易でございますか」


 その日、屋敷を訪れていたのは勘定奉行の一人である久世(くぜ)丹波守(たんばのかみ)広民(ひろたみ)殿。訪問の理由は、先日評定所(ひょうじょうしょ)において下された近江小室藩の処遇についての話であった。


 まずはその仔細について話す前に、評定所という組織が何なのかを確認しよう。時代劇でもその名は時々出てきたので、生まれ変わる前の俺も名前は知っていたが、どんな役割を担ってをいるか具体的には知らなかった。評定とはつまり会議のことなので、大事な話し合いをする機関というくらいの認識だったが、幕府にとってかなり重要な組織である。


 主な仕事は大きく分けて二つあり、一つは政策や法律の解釈、死罪など重罪の判決の是非などを諮る諮問機関としての役割。そしてもう一つが藩や大名、旗本、御家人に関する裁判、及び原告と被告を管轄する役所が異なる場合の訴訟を取り扱う、裁判所の役割だ。


 持ち込まれた案件は、寺社奉行・町奉行・勘定奉行という三奉行で構成された「評定所一座」が吟味するのだが、中には彼らが専決できないことや、所管が複数にまたがるものも多くあり、こういうときは一座に加え大目付や目付、ときに老中や若年寄なども加わって審議を行う。


 もっとも、一座が集まるのは最初の吟味と最後の判決の申し渡しのみで、実務処理は勘定所から出向している評定所留役(とめやく)という下役がこれを担っている。奉行たちも自分の所管があるわけで、雑務は下に任せるってのは当たり前ではあるな。


 そして今回の案件は評定所の役割の中で後者、つまり裁判所としての話であり、訴えられた被告が近江小室藩主・小堀和泉守政方(まさみち)であった。




 小堀家というと、有名なのは初代の政一まさかず殿だろう。かの古田織部に師事した茶道は、後に遠州流という流派の礎となったほか、多くの城や寺院の改築、庭園造りなどに携わるなどして、後世においてはその受領名から小堀遠州という名で知られる文化人だ。


 江戸の世に入り、近江浅井郡に移封されて以来、小堀家は小室の藩主として続き、六代目の現藩主政方は親田沼派として幕政にも参与して要職を歴任していたが、この男がやらかしたのである。


 事は二年前に遡る。山城国にある伏見の町で町年寄を務めていた丸屋久兵衛まるや くへえたち七名は、当時伏見奉行であった政方の悪政に苦しみ、どうにかせねばいかんと協議をした結果、久兵衛以下三名が江戸に向かい、幕府のしかるべき立場の者に直訴することとした。


 この時代の訴訟は、まずは町役人に相談して当事者間で調停を行うのが基本線。そこで不調に終わって初めてお裁きに進むわけだが、今回に関しては相手が町を管理する奉行なのだから握り潰されて終わりだからこそ直訴したのだ。御法度とされている行為だが、そうでもしないと訴えることも出来ないのだ。


 そして、直訴で最も有名なのは"駕籠訴かごそ"であろう。訴える者は羽織袴で正装し、駕籠の行列(=地位のある武士ということ)に向かい、先が二つに割れた竹の棒に訴状を挟んで訴えを聞いてほしいと願う。時代劇でも見たことのあるシーンだ。


 ただし、このとき訴えを受けた者が当事者であるとは限らない。今回の場合は寺社奉行を務められていた、丹後宮津藩主の松平資承(すけつぐ)殿が城から帰る途中に受けたものである。


 訴えられたところで自身に関係ない案件であれば、真面目に向き合う義務は無さそうなものだが、通例として関係部署に照会を行い、後はよろしくくらいの申し送りは行われる。これによって大きな事件や不祥事が明るみになることもあるし、訴える側も握り潰される可能性を考えて複数人に直訴するなんて戦術もあるので、自分だけ握り潰していたことが後でバレたら面倒なことになる場合もあるから、申し送りくらいなら普通にやるわけよ。


 そして、今回の案件については幕府の要職に就く大名の不正という大問題であるから看過は出来ない。さりとて資承殿が務める寺社奉行には他所の藩主を裁く権限は無いので、評定所に持ち込まれたわけだ。


 その訴えの内容であるが、政方は商人や運送業者からの横領、膨大な額の御用金の調達、年貢の悪質な取立、巨椋池おぐらいけの漁業権の剥奪など数々の悪政を行い、伏見の町民を苦しめていたというものである。


 そして幕府の調べの結果、不法に徴収した御用金が総額十一万両にも及ぶことが判明したほか、訴えのほとんどが事実であると認定され、政方は奉行を罷免されて蟄居謹慎中だったのだが、その処遇がお取り潰しと決まったのである。俺も勘定所を通じてそれなりに情報は入ってきたが、評定所の正式な面子には入っていないので、こうして久世殿が知らせに来てくれたのだ。


「して、不正に御用金を取り立てていた理由は」

「飢饉の打撃を受けて苦しい藩財政と、己の奢侈が要因かと」

「奉行在任中にその穴埋めをしようとしていたわけですか」


 一万石でも大名は大名。されど小禄の大名ほど生活に苦しいものはない。


 大名だから参勤交代は必須だし、江戸と領地の両方に家臣団を置くための維持費も必要だ。さらに幕府の役職に就けば、貰える手当以上に出費が嵩むことも多い。これまでの慣例で言えば、猟官活動にも資金を要したことだろう。格こそ落ちるが、実は四、五千石の旗本の方が無駄な出費が少ないなんてこともあったりする。


 しかも領地が小さいから、大規模な産業を興す場所も金も足りず、財政は火の車である藩が多い。幕府が管理する天領とは違い、何をやるにも自腹だからね。それでも大名になりたいと願う者は少なくないんだから、この時代が如何に地位と名誉が一番大事なものと考えられている時代かお分かりだろう。俺には理解できないが。


 特に小堀家の場合、茶道遠州流の家元という立場があるので、格式を保つための出費もあったのだろうと推測する。だからといって不正は容認できないが。


「田沼様もよく改易をお認めになられましたな」

「だからこそ律したのかと存ずる」


 先程も述べたとおり、政方は親田沼派として幕政に関与していた人物。普通ならば親分の田沼公が庇う素振りを見せても不思議ではないが、今回は致し方なしというところらしい。


 まずもって政方は親田沼派と言うものの、決して田沼公の理念に共感してというわけではない。単に時の権力者におもねり、そのおこぼれに与ろうとしていただけの人物であることは明白だからな。


 何故俺がそこまで断じられるのかというと、以前に幕府から拝借金を拠出するという事業で、借りる目的と用途、そして返済の計画書を出せと指示したのに、家の歴史とかご先祖様の偉勲をつらつらと書き連ね、名家である当家をお救いくださいとのたまわった家が少なからずあったのだが、残念なことにその中の一つに小室藩がいた。初代遠州殿の業績とか、田沼公を支えて云々といった、箸にも棒にもかからない計画書を出してきたのだ。


 おそらくは権力者に近い立場だから優先してくれるという思惑があったのだろうが、本当に支える覚悟があるならば、拝借金の目的はあのとき田沼公も明言していたわけで、それに沿って頭を働かせるものだと俺は考えるが、どうやら彼はそうではなかった。だからこそ、田沼公だから近づいたわけではなく、田沼公がたまたま時の権力者だったから近づいただけの存在だったのだろうと思うのだ。


「とはいえ、これまで御老中に近いところで働き、取り立てられた者にござれば、その失態は看過出来るものではござらぬ」

「不問にしては示しがつかぬというわけですな」


 その思惑がどうであれ、政方が田沼派に属していたのは事実であり、その不正は言ってみれば彼を任じた田沼公の任命責任を問うものにもなりかねない。だからこそ厳しく処断し、膿を出す姿勢を明確にしたのだろう。以前に比べ田沼公の基盤は強固になっているので、その政治理念も解さぬ有象無象の自称協力者は切り捨てるに如くはないというところだ。


 もし仮に、俺が拝借金を小室藩に出さなかったが故に、斯様な不正に手を染めたのだという論調があるとしたら、それは違うと言いたい。


 あのとき計画書の練り直しは何度か進言したので切り捨てたわけではない。それを為さなかったのは彼の行いの結果であり、権力者に近いという思い上がりによって、公職にあって不正に蓄財をしたのも彼の決断だ。無論それは正当な理由ではないし、それが故に権力者に処断されるわけだから、憐れな末路だ。


「まさに虎の威を借るなんとやらですな」

「左様ですな」

「民のため御公儀のために何かを成し、それによって得るべき地位や名声を、小堀殿は御老中の威光に頼ることで得、よりによって不正の手段とされた。改易はやむを得ますまい」


 とはいえ虎の威を借ること自体を否定するつもりはない。自身の力だけでは及ばぬとき、何かの助けを借りるというのはよくある話だ。ゲームで言うところのバフ、つまりはバ◯キルトやヘ◯ストみたいなものよ。使う目的さえ誤らなければいいだけのことだ。かく言う俺も、これ以上ない虎の威を携えているから、他人事ではないのだ。


「それに、放置すれば一揆に及ぶことも考えられまする」

「左様。伏見で一揆となると、京の世情にもよろしくないばかりか、各地で一揆を誘発するおそれがあります」


 もう一つの理由としては、大飢饉を発端として、各地で頻繁する一揆への対策だ。


 幸いにして江戸や京大坂など大都市での打ち壊しは発生していないので、史実と比較すれば被害は減っていると思うのだが、一揆の発生がゼロになったわけではない。主には飢饉対策を怠った大名領が中心だけど、天領における一揆も少なくない。そこにきて京に程近い伏見で一揆となると、周辺への悪い波及効果が及んでしまい、打つ手を誤れば全国各地に広がってしまう。なので、ちゃんと対応してますよという事実を見せる必要もあるのだ。


「その点、江戸の周辺はあの大水にもかかわらず、比較的民心が落ち着いておる。治部殿のおかげだな」

「過分なお褒めにござる」

「しかし、そうも言っておられぬようです」

「と仰ると?」

「大水の被害を拡大せし張本人への詮議も進んでおる。彼奴も謂わば虎の威を借るなんとやらの一人であるな」


 それはつまり、各地の代官領への指示を怠り、治水工事を遅滞させたあの関東代官頭のことですな。


 たしかに、アレも大奥という虎の威を持っていたな……

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― 新着の感想 ―
蝦夷・奥蝦夷→コッチオイデー
信賞必罰。 バカな旗本藩はドンドン改易しましょう! なーに、溢れた浪人たちには、蝦夷地や小笠原諸島、大東島などの遠隔地開拓に屯田兵として行ってもらえば、第二の由井正雪にはならないですし。
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