【他者視点】女の戦い……?(種)
――天明七(1787)年・春 江戸城本丸大奥
「上州中之条藩主・藤枝治部少輔が妻にて種と申しまする。御台様にお目通りが叶い、祝着至極にごさいます」
「私が無理を申してお呼びしたのです。そう畏まらずともよろしゅうございます」
年が明けてからすぐのこと。京より閑院宮典仁親王の第二王女である孝宮改め恭子様が江戸に下られ、一月ほど後に婚礼の式を挙げられると、御台所として本丸へお入りになられました。
御先代家治公の御台所である五十宮倫子様は、江戸に入られてまずは浜御殿に入り、そこから婚儀まで四年ほどの時間がありましたが、これは宮様が当時まだ十二歳とお若かったため、その成長を待つという理由があったようです。
一方恭子様は、婚約から六年もの時が経ち、既に十九歳となられておりますから、あまり時間をかけると却って不都合ということで、すぐに婚約の儀となったようです。
しかし、これまで宮家、つまり京の暮らししか知らぬ姫様ですから、事前に学ぶ時間が多かったとはいえ、江戸という見知らぬ土地で見知らぬ者たちに囲まれての生活を実際に始めれば不都合も多かろうということで、色々と武家のしきたりを教わりたいと、私が召し出されたわけですが……
「不躾ながらその儀、私よりも適役が奥にもおりますかと」
「お上より、江戸に入りし後は治部少輔殿によしなにしてもらうようにと」
「お上の思し召しと……?」
「然り」
私の疑問に答えられたのは、御台様と共に京から下り、上臈御年寄に就かれた今出川様。というか、私や殿には冷泉家の綾子姫と言ったほうが通りが良いのですが、御年寄となられて名を改めたのです。
本人から出自を詳しく明かされたわけではないのですが、痩身長躯の容姿が以前殿から聞いたお姿のとおりでしたので、おそらくという見立てです。
つまり、私にとっては恋敵……と言いたいところですが、そこは過去の話として置いておきます。そもそも上臈御年寄となられた時点で独り身を貫くお覚悟を示されておりますので、要らぬ心配をすることはないのです。
その彼女の言によれば、帝から江戸の暮らしで何か不都合があらば、我が殿を頼りにせよとのお言葉を頂戴したとのこと。今はまだ大奥の者たちも様子見なので、取り急ぎ不都合が生じているわけではなさそうですが、とりあえずの顔つなぎで私が呼ばれたようです。武家のしきたり云々は方便ですね。
しかし……殿が上洛した折、帝に大層目をかけていただいたとは聞かされておりましたが、まさか御台様のことをよろしくと頼まれるとは思いもしませんでした。帰って殿がこれを聞いたら、頭を抱えることでしょう。
となれば、私が出来ることを肩代わりするのはやぶさかではありません。女の話は女が扱うほうがやりやすいこともありますから。
……決して殿が鈍いのを危惧してではありませんことよ。
「何かあらばそこな大崎にご相談あれ。元は私の生家田安の者にて、武家のしきたりにも通じておりますし、我が兄田安中納言とのつなぎも、我が夫とのつなぎも出来ますれば」
「中納言様からも御台様のことはよくよく仰せつかっておりますれば、この大崎に万事お任せくだされ」
「頼もしき言葉、嬉しく思う」
「取り急ぎは顔つなぎゆえ、この後は私と種殿で仔細を詰めたく存ずるが、よろしゅうございましょうや?」
「構いませぬ」
御台様との顔合わせが済み、今出川様と共に茶室のような小さな部屋に人目を避けるように入ると、狭いが故に自然と向き合う形になります。
「さて……種殿には改めてよろしゅうお願い申し上げます」
「こちらこそ、微力ながらお力添えいたしまする」
「それに先立ち、一つ詫びておかねばなりません」
「何をでしょう」
「東の瀬 越えしその身が 抱き持つ 種が芽吹くを ただ希う」
その句は紛れもなく、かつて今出川様が詠まれた歌。そして、私が彼女を敵と見定めるに足るだけの意味を持った歌でした。
まるで歌会で詠むかのように流麗に詠み上げるその技量は、さすが冷泉の姫と思わざるを得ませんが、今はそこに感心している場合ではありません。
戦いはまだ終わりではなかったようです。
「そのお顔、ご存知のようね」
「知らぬわけがございますまい。治部少輔は深い意味は無いと申しておりましたが、私にしてみれば果し状にも等しき歌にて。一体それの何を詫びると仰せなのでしょう」
「その真意をお伝えしておきたく」
そう申すと、今出川様は京での殿との思い出を語りだしました。
「学問にばかり精を出し、殿方からは鼻持ちならぬ女子と見られていた私を、治部殿は一人の女として、人として、対等な立場で接していただきました」
「そのようですわね」
……と、平静を装っておりますが、以前に殿から聞いた話と大分違う。
殿は学問仲間くらいの意識のようでしたが、当時の今出川様が置かれていた状況でその接し方をしたら、気があるのかと勘違いもしましょうし、惚れられてもおかしくありません。
真に何も無かったとは……怪しい……
「種殿から見て、治部殿はどのような方ですか」
「何事にも分け隔てなく物事を見る御方です。相手が男でも女でも、武士でも町人でも、その言に見るべきところがあらば、素直に耳を傾けてくださいます」
「でしょうね。特に女子への接し方は、世の殿方とは一線を画していると申してよいでしょう」
特に女子という点は概ね同意です。殿方とは女子を下に見るもの。私は徳川の姫として傅かれておりましたが、それでも当主の意向があれば、どこの誰とも分からぬ殿方に嫁入りしたかもしれません。甥である寿麻呂の婚約者、島津の篤姫も一橋ではぞんざいな扱いをされたとか。悔しいですがそれが当たり前の世の中にあって、殿は女子を対等に扱う稀有な存在なのです。
「この方は私に気があるのかしら? と内心では喜んでいた己がおりました。しかしそれがなんのことはない、あれがあの方の普段からの接し方であり、言い寄るといった話ではないと言うのですから、一体全体なんなのですかとなりますわ」
そう言いたくなる気持ちは分かります。その気になったら、実は独りよがりの勘違いでしたでは、立つ瀬がありませんわよね。
「まったく……人のことを美しいとか笑顔が素敵だとかおだてておいて、江戸に来るかと言われたからそういう話かと思ったら、本当に勉学のための場を設けるためだと言うし、あそこまで詰め寄ったのだから大人しく側室にもらうとでも言えばよいものを(ブツブツ……)」
「あの……今出川様?」
「あ……これは失礼しました。つい本音が(ボソッ)」
今、小声で本音って言ったわよね。油断ならない一言なんですが、なんとなく憎めない感じがします。
なんでしょう……私と同じ匂いを感じるというかなんというか、殿もその気が無いと言えば嘘になると仰せでしたし、私と殿のように惹かれ合うものがあったのかもしれません。そうであれば同じ匂いがするのも納得です。
「ま……それはともかく、他の女子にも同じように接すれば、私の二の舞となる者も出ましょう。私は江戸と京という離れた地でございましたが、江戸の市中でそれがあれば、治部殿の醜聞ともなりかねませんし、種殿の心労にもなりましょう。故に釘を刺したのです」
「つまり、私にあの歌を見られることを見越して……?」
「ええ。奥方様にこってり絞られたらよろしいと。意趣返しですわ」
なるほど。だからあんなに関わりを匂わせるような句を書かれたわけですね。
「本当はこう言って差し上げたかったのですけどね。治部殿に教わったのですが、オランダでは苛立ったときに叫ぶ言葉があるそうで」
もしやそれは……
「種殿もご存知で?」
「おそらく同じ言葉かと。よろしければ一二の三でその言葉を言ってみますか?」
「面白そうですわね」
では、一、ニの三……『Klootzak!!』
「あら……うふふふ」
「おほほほほ……」
うん、この方とはなんとなく馬が合いそうな気がしますわね。
「これは種殿。お久しぶりにございます」
「高岳様も御健勝でなによりにございます」
御台様との対面、そして今出川様との話を終え、大奥から退出する途中、御年寄の高岳様が私を待ち構えるように控えておりました。大奥の万事を差配する方ですから、当然私が来ることも知っていたはず。ですから、偶然お会いしたというわけではなさそうです。
「本日はご足労をおかけしました」
「御台様のお召しとあらば、否やはございませんでしょう」
「それは左様ですが、御台様にも困ったものです。武家の作法が知りたいのならば、私をはじめ奥向きにも指南できる者はおりますのに、わざわざ臣下に嫁がれた方を招き入れるとは」
私の労を労うような丁寧な物言いですが、その裏には「元は徳川の姫といえど、ここは家臣の藤枝に嫁いだお前が本来入れる場所ではないんだよ」と言われているわけです。それは遠回しにですが、召し出した御台様を非難することにもなります。
うん、この感じ。相変わらず息が詰まる。
私が大奥に入っていた時間はほんの僅かでしたが、これが四六時中続くと思うと、上様には申し訳ありませんが御台所に選ばれなくて良かったと思います。殿のお側にいて、その気安さに心持ちの良い日々を長く続けた今だからこそ、余計にそう思うのかもしれませんが。
ここは軽く微笑んで、是とも否とも答えずやり過ごすのが無難でしょうが、私をダシにして御台様を貶めるような物言いをされては面白くありませんので、少々噛み付くこととしたいと存じます。
「御台様にはお考えのあってのこと。一概に否定なされるべきではないと存じますが」
「ほう、御台様のお考えとは……種殿は何かご存知なので?」
「将軍家の正室が何たるかを説く。御先代の御台様が亡き今、その適役は田安家の宝蓮院様、もしくは御簾中様であろうかと存じます」
宝蓮院様は私の義母通子様であり、御簾中様は義姉の因子様のこと。他人行儀な言い方ではありますが、嫁に出た身で軽々しく母や姉と言ってしまうと、場所が場所なので揚げ足を取られてしまいかねないので念のためです。
「お二人とも摂家近衛の出なれば、都暮らしと江戸暮らしの違いはよくよくご存知。御台様の不安もお分かりになられるはず」
なれど御台様におかれては、それでは駄目だとお考えなのだろうと言うと、高岳殿は何が駄目なのかとんと分からぬという顔をしています。
「己の境遇を理解する相手なればこそ、不安ばかりが先に出て、指南を受けるつもりが愚痴や不満を聞いてもらうばかりになることを危惧されたのでしょう。故に江戸のお城の中の暮らししか知らぬ私が呼ばれたのかと」
御城内で暮らした姫となると、将軍家の姫は既に亡く、一橋家は取り潰し、清水家にも子はおらぬので、選択肢は必然的に田安家しか残っておりません。存命の娘は全員嫁に出ており、皆が大藩の正室となる中で、家禄も少なく、かつ上様の側近として働く夫を持っているため、私が召し出すのに最も適していたのだろうと説きます。
「それは己の不安を表に出さず、都暮らしを忘れ、真に将軍家の御台所とならんと欲するご意思であろうかと愚考いたします。私であれば都暮らしとの違いは分かり合えませぬし、ひたすらに武家のしきたりを学ぶなら、却って好都合でしょう」
「そこまでお考えあそばされているものでしょうか」
「ですが、そうと考えねば私が召し出された理由が他に見当たりませぬ」
高岳殿はそのような反論をされるとは思っていなかったようで、返す言葉が見つからないようですが、私としては好都合です。何故かと言えば……全ては今出川様と謀り、適当に話を作ったものですからね。
どうやら帝が我が夫を頼れと仰せになられたことは今出川様と大崎殿以外は知らぬようですし、先のことを考えると、ここでそれを明かす必要もありません。なので今は田安家が御台様の支援を行い、その小間使いとして藤枝が動いているくらいに思ってもらったほうが都合が良いとの判断です。
「輿入れされてまだ日も浅いのです。学ぶことはこれからも多うございましょうし、私が召し出されたのも御台様が真摯にこれらに向き合っておられるが故のこと。一挙手一投足で一々あれこれと言い募るべきではございますまい」
高岳殿の発言を、御台様に対する批判と捉えたという体で話を進めた結果、あちら様は苦々しくこちらを睨み付けてきます。私の反論に反論で返せば己の首を絞めることになると考えた結果、そうするよりほかにないのでしょう。
「まあ……私が小賢しくそのようなことを申し上げずとも、高岳殿ならば既にご承知おきのこととは存じますが」
「おほほほほ……当然にございますわ」
「御台様のこと、よろしくお頼み申し上げます。その御身に何かあれば、朝幕の関係も拗れることとなりかねませぬゆえ」
「……無論にございます。御台様がこの大奥の主。主をお支えするが我らの務めなれば」
傍から見ると、高岳殿は平静を保っているように見えるが、一瞬だけ苦虫を噛み潰したような顔になったのを私は見逃さなかった。そう言われたのが余程屈辱だったのでしょう。
大奥で毒を盛られ、一度死にかけた経験を持つ私に言われたのですからね。
「ではこれにて」
あー、本当に大奥は面倒です。御台様も今出川様もこれから先が大変ですわね。その心労がいくらかでも和らげられるようお手伝い出来ればよろしいのですが。
ともかく、仔細は殿ともご相談せねば。
その前に、以前に殿から聞いた京での話と、今出川様から聞いた中身に由々しき相異があることを確かめてからですが……
〈同じ頃・勘定所にて〉
「クシュン!」
なんだ? 急にくしゃみが……
「治部、風邪でもひいたか?」
「分かりませぬ。ただ、何だか寒気が……」
「ここのところ働き詰めであったからな。今日は早く屋敷に戻って休め」
定信様に言われて早引きすることとなったが、なんだか嫌な予感がする……




