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旗本改革男  作者: 公社
〈第八章〉改革、未だ半ばにて
181/203

麒麟の子は龍神様

――天明六(1786)年八月二日


 何日も続いた大雨で発生した大水は、七月の十八日にようやく雨が止んだことで終息し、それからはウソのように晴天が続いたことで、今は急ぎで町の立て直しが進められている。


 今日までの間、俺は復旧ための金策とか手配に奔走したわけだが、おかげで愛娘との対面はお預け。というのも、種が「八朔はっさく」の将軍拝謁となるまでに出来る限りのことを果たされませと言付けしてきたからだ。


 八朔とは八月の朔日、つまり一日ついたちのことだが、この日は家康公が初めて公式に江戸城に入城した日ということで、その日の将軍拝謁は徳川家にとって正月に次ぐ重要行事。江戸に在府する大名が全て城に参集するから、それまでに諸々片付けておきなさいと言いたいのだ。徳川の姫として育った彼女だからこそ言えることだろう。


 そんなわけで今日、ようやく我が子と初対面なのだ。俺が下屋敷に向かうと、そこには何故か俺より早く治察様が姪子とご対面している姿があったが、そこは文句を言うわけにもいかないのでスルーするしかなかろう。




「殿、申し訳ございませぬ」


 部屋に入り、乳母の腕の中ですやすやと眠る我が子と対面していると、種が珍しくしおらしいことを申してきた。その言わんとしていることは分かる。要は「男子を産めなくてごめんなさい」ということだ。


 身分制が絶対のこの時代、家長とは男が務めるもので、家を残すということは即ち後継の男子がいなければ成立しない。だから女性には跡継ぎを産むことが求められ、仮に母親になっても娘ばかりだと「女腹」などと言われる。未来であれば明らかな侮蔑であり男女差別と言われるが、この時代においてはそれだけ男子を産むということが重要視されていたのだ。


 俺も大名の末席に名を連ね、多くの家臣を抱える者だから、その後継がいるかいないかでは大違い。もし後継不在のまま俺が急死でもすれば、家がお取り潰しとなって多くの家臣が路頭に迷うという可能性もある。徳川の姫として、将来は大奥やどこかの大藩などでそういった立場になることを求められ、教育されてきた種が気にするのはもっともな話だ。


「娘で何が悪い」


 未来だと区別が複雑化している部分はあるが、生物というものは基本的に雄雌、つまり男と女のどちらかだ。ざっくりで二分の一は女の子が生まれる計算になるのだから、俺からすればそれが初子であっただけのことである。


「だいたい、皆が皆男子を生んでしまったら、その子らは誰と己の子を生すというのだ。女子とて国にとっては大事な宝ぞ。其方が申し訳なさそうな顔をしたら、この子が不憫ではないか」

「治部らしい申しようだな」

「幸い種は産後も良好な様子。さればいずれ再び子を生む日もやってきましょう」

「もし次も女子ならば」

「子は何人おっても構いませぬ」

「まあ。それはそれは私の身がいつまで保つことやら」


 種はそんなことを言って笑う。つまりそれは俺と種で再びアーンなことをすると言っているに等しいが、敢えて次は男子を! という言い方はしない。そう言ってしまうと、それがプレッシャーとなりストレスにつながると、以前に俺自身が提唱したからね。治察様もそのことを覚えていたようで、「そうだな。子は授かりものだからな」と相槌を打ってくれた。


 さらに言えば、家臣に嫁いだとはいえ種は徳川一門の姫である。ここですぐに側室を……とは誰も言えまい。これが妊娠の気配すらないとなると、さすがに考えるところはあるかもしれないが、妊娠と出産を経験して子を産めることは種が身をもって示したのだから、しばらくは二人で頑張る日々が続くと思う。正室の子が跡継ぎになるのがベストと考えられている世の中だから尚更だ。


 ……側室という単語を出すと嵐が吹き荒れるからという理由ではない。


「まあでも、女子となるといずれはどこかに嫁にという話になるな」

「気の早いことで」


 と言うものの、大名の姫なんてそんなものだと言わざるを得ない。家と家をつなぐ架け橋と言えば聞こえはいいが、本人の自我も芽生えぬうちに結婚相手が決まるなんて話も珍しくない。


 しかもこの子は田安徳川家の姫を母に持つ、ロイヤルファミリーに準ずる血筋。俺のほうはまあ二段も三段も格下だけど、そのうち声がかりは絶対にあるだろうな。


「今から娘の行く末は良く考えておくべきぞ。それは娘のためでもあり、藤枝の家のためでもある」

「仰せごもっともなれど、今から娘の輿入れを寂しく見送る己の姿が思い浮かびまする」

「年は近いが、小次郎の嫁にというわけにもいかぬしの」

「いずれはどこかへ養子に入られる身ですからな」


 小次郎とは、治察様と御簾中因子様との間に昨年生まれた第三子で、次男にあたる若君。その名は八代将軍吉宗公の次男として生まれた宗武公の幼名であり、さらには夭折したその長男、つまり治察様や定信様の兄君の幼名でもある。次男なのでいずれはどこかの大名家に養子入りする可能性が高いので、今のうちに婚約とはいかない。


 ……というか、我が家では格落ちも甚だしいし、何より因子様が知らぬところで話を進めるわけにもいくまい。


「まあ嫁入りの話はいずれくるであろうから今は置いておいて、この子の名は考えたのか」

「もちろんでございます」

「殿、なんと名付けますので?」

竜子たつこと名付けたいと思っております」

「これは……勇ましい名前だの」


 治察様が仰せのように、女の子に随分な名前を付けるものだなとお思いの方もいそうだが、理由はちゃんと考えてのことだ。


 そもそも龍とは神話上の生き物であり、その起源は中国に由来するが、その存在について「管子かんし」という書物では「龍は水から生ず」と記され、同じく中国の古書である「春秋左氏伝しゅんじゅうさしでん」には「龍は水物なり」という記述が残されているように、こと水との関係が密接で、水を招き寄せ、雨や洪水を呼び込む生き物と長く考えられてきたようだ。だから黄河で洪水や日照りが発生した際には、河の龍神と見なされている河伯かはくという神に、牛や馬を生贄として捧げ、氾濫の終息や降雨を祈った歴史があるという。


 そんなわけで荒れ狂うとか凶暴みたいなイメージもあるが、その生き物を名に用いたのは、生まれた日がまさに大水の終息した日であったことに関係する。水の神である龍神様が怒りをお鎮めになり、川の氾濫が治まったそのときに生まれたということで、もしやこの子は龍神様の生まれ変わりでは? ってなところから龍の字を用いたなんていう、ちょっとオカルトチックな理由だ。とはいえこの時代はそういった験担ぎ的な命名はよくある話なので、特段異論が出るものではない。


 とはいえ「龍」だとさすがにゴツすぎるし、十二支で使う「辰」だと《《あの方》》をリスペクトしてるみたいで何か嫌なので、「竜」の字を使った次第だ。


 女の子にこの字を使うのは、未来だとDQNネームとかキラキラネームと呼ばれそうだが、たしか豊臣秀吉の側室で、茶々・初・江の浅井三姉妹の従姉にあたる京極竜子という女性がいたと記憶しているので、珍しいかもしれないが無い話でもないかと思ったのだ。


 念のために言っておくが、ドラゴンスープレックスとかドラゴンスクリューのような技を開発してもらいたいからとか、ドラゴン藤枝という異名を名乗ってほしいとは微塵も思っていない。あくまで神聖な生き物だからという理由よ。


「竜子……良き名でございます」


 種は俺がちゃんと理由を考えて付けた名前なのだからと納得しているが、治察様は何だか不安そうな顔をしている。


「麒麟児の娘は龍神様の化身か。良き名とは思うが、お転婆に育たぬかが心配だな。名は体を表すと言うからの」

「それはまあ、種の娘であるから期待せぬほうが……」

「殿、お兄様、それはどういう意味で?」


 その瞬間、聞こえるはずのない「ゴゴゴゴゴ……」という効果音が聞こえた気がする。


 どうやら俺と治察様は母龍の尻尾を踏んでしまったらしい……

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― 新着の感想 ―
あの技は素人やったらあかんでぇ。スキー授業で転倒。スキー板が堅い雪に引っかかりセルフスクリュー(笑)あ、足いったと覚悟したけど、靴の外れるタイミング良くて痛みだけですんだ。
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