百六十八時間戦えますか? 無理です
――出産とは生命の神秘
……俺は何かの伝道師を気取る気も無いし、今からN◯Kスペシャル的なドキュメンタリーを作る気も無いのだが、改めて考えると子供が生まれるということは不思議なものである。学校の授業で習ったとは言え、何がどうしてアレが生命になるのよって話だ。
江戸時代のお産は基本的に座産といい、座った姿勢で息み、踏ん張った状態で腹の中から赤子を出すというものだ。ただ、その姿勢だと踏ん張る拠り所が無いので、壁際に布団や米俵を積んでクッション代わりとしてこれに寄りかかる。
そして、時代劇などで見たことのある方も居ると思うが、天井から下がった力綱という紐を握ってウーンウーンとうなり声を上げながら息み、出産をするという次第だ。余談だが綱を握っているウチに切れたり、天井が抜けたりしないの? という疑問があるが、実は出産する場所にはそれ用の金具が天井に取り付けられており、絶対とは言い切れないが、簡単に切れたり壊れたりということはないらしい。
こんなことを言うと、これだから種を蒔くだけでいい男は気楽なものねと、未来だったら女性陣に総攻撃されそうであるが、実際に産みの苦しみを味わうのは女性である。立ち会った者たちの話では難産ではなかったと言うが、種も相当に苦しんだことだろう。俺はその痛みを知ることは無いし、代わってあげることも出来ない。だからこそ何かしてやれることはないかと模索していた。
とはいえ、医学の進歩した未来であっても、設備の違いこそあれど、産むという行為そのものは妊婦本人の力によるところが大きく、出産の中で医者がどうやって関わっていくかといえば、主にはその過程におけるケアとかサポートになろうかと思う。
本職がこれを聞いたら「産科医の仕事はそれだけじゃねーよ」と怒られるかもしれないが、決して仕事を軽んじているわけでは無く、未来の医学知識には疎い俺でもここが一番大事な部分だろうと思うからだ。
何でかと言えば、「妊娠は病気ではない」とよく言われるが、病や怪我と同じく痛みもあれば吐き気も催すし、出血だって半端なものではないから、適当に処置して良いものではないということ。当然対応する者は適当に処置しているつもりはないだろうが、やはり未来人からすると、産科の処置に関して「何で?」と疑問を抱くようなことが多いのだ。
例えば、妊婦が無事に子を出産した後に口に出来るのは、ほんの少しのお粥と鰹節だけなのだとか。刺激物が良くないのは正しいが、体力を相当に消耗し、出血も伴った体を元に戻すには適切な栄養の摂取が必要であり、さすがにそれは少なすぎるだろうという話だ。
そしておかしいのは食事に限らず、実は産んだ後は最低七日間は横になれず、座ったままでないといけないのだという。それは横になると頭に血が上り、病気になると信じられていたからなのだが、さらに過酷なのは眠ってはダメらしい。こちらもうっかり熟睡してしまうと、鬼に生まれたばかりの子の魂を奪われてしまうみたいな伝承があるからだそうで、新生児を守るために母親が寝ずの番をするためらしい。
そんなわけで、その間は親族の女性たちが代わるがわる出産した母親のもとに付き添い、大きな声で話しかけるなどして母親を寝かせないように見張るのだが、俺からすれば拷問としか言えない。昔、「二十四時間戦えますか」ってキャッチコピーで売り出したドリンク剤があったが、いくらなんでも百六十八時間は戦えません。赤牛を飲んで翼を授ってもすぐに落ちそうです。
普通に考えよう。一週間完全徹夜とか異常ですよ。デスマーチが日常茶飯事のサラリーマンだって、どこかで少しは仮眠取ったりするのに、それすら無い状況となれば、体に良いわけがない。
え? 俺は一週間完全徹夜をしたことがあると? それはお疲れ様です(他人事)
何がマズいって、脳の休む時間が無いということだ。脳が正常に働かなければ身体にも異常をきたすわけで、産後の女性にそれを強いるのは死ねと言うに等しい。というか、だから産後の女性の亡くなる率が高いのではないかと思う。
そのあたりは田安家の御簾中である因子様が子が出来ずに悩んでいた折、何か参考になるものはないかと思ってこの時代の産科術を学んでいたときに知ったわけだが、困りものだったのはこの時代のいくつもある産科術の流派においても、これらが当たり前の処置であったということ。さらに言えば、怪しい処方や処置方法がごまんとあったのだ。
これは大阪の町医者で戸田旭山という方が著した「中条流産科全書」という書物にあった一説で、「妊婦が度々気を失うのは、胎児が母親の喉へ手を突き入れているからで、藍の実を粉にして煮詰めたお湯を飲みなさい」というものがあるのだが、胎児が母親の喉へ手を突き入れているって、一体どこのB級ホラー映画ですかって話だよな。
他にも「お産のときに下痢をしたら烏の卵を黒焼きにして酒に入れて飲め」とか、「お産のときに藍の実を子宮に塗ると難産にならない」など、どれもこれも証拠など存在せず、むしろ体調が悪化しそうな処方ばかりだ。過去にそれで助かった人がいたとしたら、それは偶然の産物というよりほかあるまい。
とはいえ、これらは江戸の世にあって正しいお産の知識として広まっているから、どうにかして止めさせないと、無事に産後を迎えられるはずの母親ですら死の淵に立たされる危険が今後も続く。となれば、そこは俺の出番だよな。勿論、オランダ医学という証拠を用いてだ。
さすがにこれまでの産科術をいきなり完全否定する形で入ると軋轢が生まれるので、最初は近いところで試し、効果が実証出来たところで少しずつ広めていくという、これまで農産などでも試した手法でいくしかない。
近いところとは何かと言えば、それはもう田安家である。そもそも治察様と因子様の子作りから端を発して学び始めたものなので、試すと言う言い方はよろしくないが、第一子の寿麻呂様を懐妊された折、取り急ぎ怪しい薬は使わせないことと、産後は横になって安静にさせ、十分な栄養と睡眠を与えることを指南することにしたのだ。
当然産科に携わる者は猛反対。特に産婆というのは日々出産に立ち会い、中には死産となる子もいるので、人の生き死にや流血といった目を背けたくなる場面、謂わば修羅場を掻い潜ってきただけあり、気の強い人が多い。
これまでの慣習や常識を打破する考えに対し、当然ながら彼女たちは異を唱え、俺に対してギャーギャー言ってきた。それこそ妊娠と出産は女性の世界であり、医者とはいえ男が口出しするなって勢いであった。
とはいえ彼女たちも子を生した母親が多い。産後で疲労困憊なところで、七日間も寝ることも横になることも許されないというのが、どれほど辛いことかは身に染みて分かっている。
中にはそれも含めて産みの苦しみなのだから、それを経ずして母親とは呼べないと言う前時代的な者もいたが、医学的見地からそれが無駄なことで、しかも身体に悪影響しかないと説けば、治察様や因子様がそれで良いと言う以上、半信半疑ながらも従わざるを得なかったというところだな。
結果として母子ともに産後も良好。特に因子様が彼女たちの想定以上に早く体調が戻ったことを見て、もしかしてあれは無駄な風習だったのか? と思うようになったらしい。
ちなみにもう一つの、鬼がどうのこうのという迷信に関しては、館の周りを家臣の武士たちが寝ずの番で対応した。鬼が襲ってくるならば母親一人より大勢の男で守ったほうが理に適っているし、彼らは昼夜で交代制にしたが、一晩寝ずの番でもキツいのに、これが七日間も続けられるかと問えば、大丈夫と言える者はいない。男たちも出産する女性の苦労を理解したかと思う。
そんなわけで田安家の事例が少しずつ他家に伝わっていくと、ウチでも実践してみたいと、特に奥方衆の強い意向で希望する者が増え、武士階級を中心に産後のケアを厚くする手法が取り入れられるようになったのだ。
その後、これは因子様の第二子以降でも効果を発揮したほか、昔は病弱で子を生すのも難しいのではと言われた松平定信様の正室峰子様も、男子を出産された後に体調を崩されたが、絶対安静と確実な栄養摂取でなんとか回復しつつある。もしかしたら、昔のやり方だと命を落としていた可能性は十分にあった。
そしてついに、自分の妻である種もその日がやって来て、無事に姫を産んだのである。




