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旗本改革男  作者: 公社
〈第八章〉改革、未だ半ばにて
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ととのえてみたいこと

 西洋蒸し風呂(サウナ)でととのった後、水分補給を兼ねて寛いでいると、皆が思い思いに感想やら今後の展開に想いを馳せていた。


 体験してみた感想は概ね良好。とはいえ全員というわけではなく、やはり熱いのが苦手とか身体に合わないという人も出るのは当然で、家基様の評価が良いから家臣としては言い出しにくいのだろうが、こればかりは致し方なかろう。


「治部、お主はこれを市中に広めんと考えておるのか」

「風呂は日々の暮らしに欠かせぬものゆえ、そこで楽しみが増えるは民も喜ぶだろうて」

「そこについては考えどころが多うございます」


 普通にお風呂に入るのが嫌いという人相手であれば、体を洗って綺麗にしてこいくらいは言うかもしれないが、これは必要不可欠な設備ではないし、合う合わないは確実にある。乗り気でない者に無理強いするものではなく、楽しみたい者が入ればいいだけのことだ。


 とはいえ、知識を持たぬ者が無暗矢鱈と手を出すのは危険極まりない行為だ。未来であれば入り方とか注意点などの情報もすぐに入手できるが、この時代において野放しに流行らせるのは愚策だろう。それこそ寒暖差を考慮しないで出入りを繰り返したり、水風呂にドボンと入ったりしたら、下手をしなくても死人が出る。


「なんじゃ? 流行らせるつもりではないのか」

「今日もそうでしたが、人によって感じ方は変わります。薬の処方と同じですな」


 熱さの感じ方は人それぞれだし、同じ量の水分を補給しても渇きを覚える頃合いも人によって違う。薬が症状とか患者の年齢、体力などに応じて処方量が変わるのと一緒で、しっかりと見てあげる人間が絶対に必要と言える。


「つまりは蘭方医の専売とするわけか」

「ご明察」




 医者の仕事は大きく分けて、治療と予防の二つであると思っている。病気になったら治療するのはもちろんだが、それ以前に公衆衛生、つまり食品の管理や手洗いうがいの励行、糞尿の適切な処理などを指導したり、病気になりにくい体づくりの指南というのも大切である。


 しかし、この時代にはまだ予防医学という言葉は存在しない。公衆衛生につながる考え方はあるけど、あくまで生活の知恵的な立ち位置であり、診察のついでにそういった助言をする場合もあるだろうが、それ単体で仕事とするような類いではない。


 俺は西洋蒸し風呂を使い、そこを収益化マネタイズする仕組みを考えたいのだ。


「医者が診療所に蒸し風呂を一から建てるは難しいゆえ、湯屋と協業をと考えております」


 興味のある湯屋は西洋蒸し風呂を設置し、客にこれを供する。ただし、これを供することが可能なのは、しっかりとした知見を持つ蘭方医がその場で指導する間に限る。これにより蘭方医は湯屋から指南料として収益を得るというわけだ。


「抜け駆けして医者のおらぬ時に開帳する者も出そうだが」

「故に設置許可には条件を付し、奉行所に厳しく監視していただきたく」


 この時代でも銭湯の設置は奉行所への届け出が必要だが、未来のように設備基準だったり経営のルール、入浴者のマナーが法律で厳密に定められているわけではない。設置して以降は経営者の判断に任せている部分が多いので、西洋蒸し風呂に関してはそこを厳密に定めたいと考える。


 公衆衛生を考えたら、既存の湯屋も対象に含めたい。なにしろこの時代の湯屋は男女混浴のところがほとんどでパラダ……もとい、以前に話したように浴室が薄暗いので、昔からそういう仕組みだと慣れっこになっているとしても、少なからぬ女性が嫌な思いをしたことはあるようだから、これも改めたいところであるが、いきなり全部を対象とすると、法を施行する側も湯屋も対応が追い付かなくて大混乱なんて未来が容易に想像出来るので、まずは西洋蒸し風呂の設置を足掛かりに変えていければと考えている。


 当然設置に際しては運上金を課す。額は需要と供給のバランス次第なので、現時点で確定した額は出せないが、財政にも寄与するというわけだ。


「ふむ。面白き案なれど、知見を持たぬ者が医者を騙る可能性もありそうだな」

「御老中の懸念はごもっとも。なれば蘭方医も名乗るための資格を定めるのです」

「医者を名乗るに資格とな」

「人の命を預かる仕事なればこそ、十分な知見を持つものである証は必要かと」


 俺も資格を持たずして蘭方医を名乗っているわけだが、この先もずっと同じ状況を続けていくのは不都合が多いはず。どこかで転機を迎える必要があるのならば、蘭学を志す若者がどんどん増えている今であるかと思う。


「今は蘭学を学ぶには、江戸か長崎で師事するしか手はございませぬが、いずれ育った者が故郷へ戻り、そこで新たな弟子を育てることもございましょう。つまり、いつか漢方医学と同様に、この日の本のどこにおっても蘭学が学べる日が来るということ。そのとき、誰がその者の知見と技量を証明するのか」

「証と申しても、誰に師事したか。というくらいか」

「御意。師が優れた蘭学者であったとしても、教え方が上手いか、教わる者が理解したかは別の話。また人により教える中身が違えば、それこそ医者により技量の良し悪しが出てしまうのは漢方医も同じかと。蘭方医においては必要な知見と技量を持っているかを吟味する場を設けたいと考えまする」

「それを公儀によって成せと」

「御意」


 言ってみれば医師の国家試験だ。どこで学んでも構わないが、蘭方医を名乗るのであれば江戸で開かれる資格試験に合格してくださいということだ。幕府がこれを主導することで、例えば資格を二年とか三年くらいの更新制にして、更新の都度に運上を課せば、収入は増えるし蘭方医の名簿も把握出来る。


 入り口を狭くすることで志願する者が増えないのではという懸念はあるが、そもそも蘭学というものがどういったものかを知らぬ者が多い世の中なので、最初は結果を残すために少数精鋭、量より質であろうと思う。後に学問として広がりを見せるか否かは、先駆者たちの活躍にかかっている。その中の一人に俺も含まれているのは言わずもがなだ。


「未だ教えを授けられる者も多くはなく、どのように教えていくか、そして如何様に吟味するかなど、考えることは色々とございますが、なるべく早く手掛けねばと考えておりまする」


 とは言うものの、今のところ蘭語習得は学問として体系化されているわけではない。解体新書以降、多くの単語を和訳したが辞書としてはまだまだ不完全だし、三旗堂の弟子たちに文法書の作成も依頼しているが、完成までにはかなりの時間を要するだろう。


 そして、資格試験の問題をどうやって作るかも課題だ。現時点では俺や杉田さんに前野さん、御典医の桂川さんなど、蘭学黎明期に学問として切り開いた人物たちの知見を集合して作るしかなさそうだが、そもそも問題作成者に相応の肩書が無ければ、何のための試験なのかという話になるし、先を考えれば試験会場や更新受付を江戸にのみ限定するわけにもいかなくなる。それなりに形にするためにはじっくり取り掛かりたいが、結構時間との戦いでもある。


 だから俺は幕府の重役に就きたくなかったんだ。と言い訳してみる。




「しかし、漢方医たちが何と申すかな」

「漢方医は漢方医で考えればよろしいかと。御公儀より蘭方医と同じにせよと命じられれば、反発は必至ですからな」


 ただでさえ蘭学を敵視する漢方医は多いのだから、そんなことを命じられれば余計なことを……と考えることだろうし、こちらから声をかけても撥ね付けられることかと思う。優れた漢方医も多くいるが、どこの誰に師事したかも怪しい藪医者も少なくない。彼らからしてみれば所謂"おまんまの食い上げ"になってしまうからね。


 もしこの資格制度が有効に機能し、どの蘭方医でも安定した医療を提供することが出来るようになれば、漢方医の中で志ある者から考えを改めようと声が上がるかもしれないし、そのときに手を貸することは吝かでないが、今のうちに敢えて蘭方医側から言う話ではないと考える。


「治部も色々と考えておるのだな」

「山城守殿。まるで私が何も考えておらぬようではありませんか」

「その知恵を幕閣でも生かしてほしいだけだ」

「されば、一つ言上いたす」

「何であろうか」

「先日中之条からの帰路で具に見てまいりましたが、利根川や荒川の治水が思ったほど進んでおりませぬ」

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