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旗本改革男  作者: 公社
〈第八章〉改革、未だ半ばにて
176/203

ととのいました

「それではこれより老流を始めます。これより薬草を煎じた水を熱し、湯気を皆様に浴びていただきまする」


 只今よりサウナ藤枝・中之条藩上屋敷店の名物イベント"老流"の開始だ。ロウリュではなく"ろうりゅう"と読む。


 お前さっき"ロウリュ"って言っただろと? 発音の問題だな。現地語ではロウリュの方が近いと聞くが、後世の日本ではロウリュウでも通じるのでどちらでも構わない。一応異国語を解する人間として、そこは正確を期したいだけだよ。


「初めに注意事項を申し上げます。ちなみに老流初めてだよ。という方はおられますか?」

「全員初めてであろう」

「ありがとうございます。これは開始前の余興のようなものなのでご容赦あれ。それでは気をつけていただきたい点ですが、部屋の中が非常に熱くなりますゆえ、息苦しいと感じたり、頭がクラクラするなと思ったら、我慢比べではございませんので遠慮なく一旦外へ出てください。強情を張って気分悪くなる方がもし現れましたら、私の判断で全員退出としますのでご了承ください」


 ここは確実に言わないといけない。とかくこの時代の男は敵に背を見せるなとか、他人に後れを取るなと教育されているから、そういうものではないと口酸っぱく言わないと、今後広めていくにあたって最大の障害となってしまうからな。


「次に水分をこまめに取ること。喉は渇いておらぬとお思いでも、汗が流れれば体の中の水は確実に減っております。まずは始める前に水を一杯お飲みいただき、途中でも必要に応じて適宜水を飲みに外へ出られて構いませぬ」

「山師の口上を聞いておるようだの」


 前世の記憶から引っ張り出したうろ覚えの口上だったが、山師のようだと言われれば悪い気はしない。普通なら怪しいとか胡散臭いという意味だが、この場に限ってはそれだけ俺がスラスラと口上を述べているという証だからね。




「まずはこちらの薬草を煎じた水を、炉の上で熱した石にかけます」


(ジュワジュワー)


「一気に湯気が立ちこめてきたぞ」

「それではこの布を振り回し、湯気を部屋全体に行き渡らせまする」


(ブーンブーン)


「おお、おお、急に熱くなってきたぞ」

「左様。熱した石に水をかけるとこれが湯気に変わり、体に触れるとそれまでになかった熱さを感じてくると存じます」


 昔、中東に駐在した経験のある方に聞いたが、乾燥した砂漠地帯に近い街だと、暑いのは暑いけど体感的にはそこまで暑苦しくないのだとか。


 もっとも、それはあくまで砂漠に近い内陸の話で、海に近いドバイあたりだと日本と変わらずジメジメしたところに最高気温四十度超えで、昼間はとてもじゃないが外を出歩けないらしい。つまりは湿度が体感を大きく左右させているということだ。


 サウナもそれと同じこと。俺は焼けた石に水をかけただけなので、温度自体が上がったわけではないが、中にいた全員が熱くなったと感じたのは、蒸気が身体にまとわりついて熱を肌で直接感じることとなったからである。


「この湯気には疲れが取れやすくなるという効能があります」

「薬草を煎じておるからか?」

「薬草は皆様の気分を和らげ、効能が染み込みやすくするためのもの。疲れを取るということだけで申せば、ただの水でも構いませぬ」


 効能がある理由は、ひとえに血の巡りが良くなるからだな。身体が熱を帯びることで血行を促進し、老廃物を体外に排出しやすくする。これが疲労回復に役立つという理屈だ。


「老廃物とは何じゃ?」

「血というものは、体の中のありとあらゆるところを巡っており、食べ物などから得た養分を送り、代わりに使い古して不要となったものを引き取る役割を果たしております。古くなって廃れた物、これが老廃物にございます。垢もその仲間にござる」

「して、その老廃物とやらはどうなるのだ」

「腎の臓には老廃物を運んできた血の中からこれを取り除き、尿として身体の外へ出す働きがございまする」

「ふむ。つまり血の巡りを良くすることで、腎の臓の働きも良くなるというわけか」


 厳密にはもっと細かい理論とかメカニズムがあるわけだが、家基様の言葉を聞く限り、説明としては十分だろう。


「この西洋式蒸し風呂発祥の地である北国では、この湯気の事をロウリュと呼んでおります」


 元はこれの当て字だが、老いた物を流すという意味で老流と名付けたのは我ながら上手く考えたものだと思っている。


「そして土地の者は、この湯気には森の神が宿っていると信じており、健康のために毎日浴びているそうにござる」

「森の神……? それは切支丹の教えか」

「さにあらず。我が国でも山の神とか海の神のように、土地土地で信奉する八百万の神がおりましょう。それと同じようなものにて、切支丹が広まるより遙か昔より土地に伝わるものにて」


 意知殿がキリスト教関連の話なのかと懸念を示すが、昔はヨーロッパにも多くの神様が存在したのだ。最たるものはギリシャ神話だよな。ギリシャ文明によって生み出されたこれがベースになって、後にローマがこの文化を取り入れ、さらにはキリスト教国化していく中で、ギリシャ神話ってのは宗教ではなく物語の類いだからみたいな感じで、その要素が変容しながらキリスト教社会に溶け込んでいった。


 俺は宗教家や神学者ではないので、あまり深く掘り下げることは出来ないが、土地神様という言い方であれば、この国でも理解しやすいと思う。


「さて、少々口上が長くなりましたゆえ、そろそろ我慢の限界と思われた方は遠慮なく外の風を浴びてくだされ」

「ううむ。たしかにかなり熱うなってまいったぞ」

「汗が玉のように流れ出てくる……」

「まだ大丈夫なご様子ですな。それでは……」


(ブーンブーン)


「待て治部。何をしておる」

「口上が長引きましたゆえ、もう一度湯気を部屋全体に行き渡らせまする」

「いや、もう十分でござろう……」


 まさかこれで老流が終わりと思ってもらっては困る。十分に蒸気を浴びてもらい汗ダラダラになったところで、ようやく熱波師の出番だからね。


「何じゃその団扇は」

「それは祭りで使う大きさでは……」

「治部、何をいたす」

「これより皆様に更に熱を感じていただきたく、熱波を供しまする」

「熱波とな?」

「この団扇を仰ぎ、体全体に熱き風を浴びていただきまする」


 未来だとアウフグースと呼ばれるものだ。日本ではこの熱波を浴びるところまでの流れを総称してロウリュと思っている人も多いが、ロウリュは水蒸気のことを指し、熱波を浴びせるこれはアウフグースと言うのが正解らしい。元はドイツ語で、点滴とか注入という意味のようである。


「なお非常に熱うございますゆえ、遠慮される方は先にお申し出を。後で無礼であると申されても困りますゆえ」

「その前置きを聞く限り、嫌な予感しかしない……」

「だが源内はこれが楽しいと申しておった」

「主殿、山城、ここまできたらなるようにしかならん。治部構わぬ、まずは余に参れ」


 合う合わないは人によって様々なので、やっぱり無理となる可能性もあるが、何事も経験してもらうのが一番。というわけで、若干顔の引きつっている家基様に向けて団扇を仰ぎ、強烈な第一波を送る。


「ぐおっ……熱っつ!」

「上様、大事ございませぬか」

「う、うむ、大事ない。熱いのは確かに熱いが……」


 熱波を浴びた家基様が不思議そうな顔をしている。曰く、風を浴びたときは息も出来ぬと思ったのに、浴びた後は不思議と心地が良いとのこと。それが熱波を浴びる醍醐味にございます。


「よし治部少輔、次は儂に来い」

「では御老中、お覚悟!」

「お覚悟とは……おうふ、あ、熱い……」

「父上、ご無事か」

「ご無事じゃて。おお、たしかに上様が仰るように、熱さが抜けると心地よさが勝ってくる」


 この後、意知殿や供の者たちにも熱波を浴びせ、中にはちょっと……という者もいたが、概ね好評であった。


「さて、そろそろ外へ出る刻限にございますが、最後に熱波のおかわりを所望される方はおられますかな」

「余は所望いたす」

「父上はいかがされますか」

「年寄りには一度で良い」




 こうして、ホカホカになった御一行を水風呂へと案内して、火照った体を冷やしてもらう。


 折角暖めたのに冷ますのかという質問があったが、この寒暖差が自律神経を整え、さらなる血行の促進をとなる。もちろんいきなり肩まで浸かるなんて自殺行為はさせない。最初はかけ水で手足の先から徐々に冷たい水に体を慣らし、ゆっくりと入ってもらう。そして入るのは本当に僅かな時間だけだ。


「水風呂に入ったから冷えると思ったが、むしろ体の奥から熱が湧き上がってくるようじゃ」

「して、これで終わりか」

「この次は陽の光を浴びてお休みいただきます」

「日向ぼっこせよと?」

「御意。水風呂だけでは十分に熱冷ましは出来ませぬ。こちらでお休みいただき、何も考えず陽の光と風を浴びてお過ごしくだされ」


 体の中と外に近い部分では冷める速度が違う。中まで冷えるくらい水風呂に入っていては風邪をひいてしまうので、あとは外気浴でゆっくりと体の火照りを収めるのだ。


「ふうむ。ふんどし一丁に布巻で日向ぼっことはのう」

「こんなことをしたのは初めてじゃ」

「訳もなくこんなことをしておれば、家人に訝しがられますな」


 普段は仕事で忙しい田沼親子、そして城内で格式張った暮らしを送る家基様。共にこうやってリラックスするような時間も中々取りにくい方々が、良い機会だとばかりに外気浴用に作った特製の長椅子に横たわって寛いでいる。


「ふう……なにやら頭がボーッとしてきたぞ」

「某もでございます」

「なんとなく心地がよいのう……」

「これを三度繰り返します。二度目は今よりも心地よさを深く感じられ、三度目は無の境地となる心地よさにて」

「治部、それは真か?」

「御意。この感覚を"ととのう"と名付けましてございます」


 個人的には乱れた体調とか自律神経などが、サウナに入ることで整えられるからこそ"ととのう"という言い方をしているのではと思っている。医学的に定義づけられるものであるかは怪しい。


 なにせまたしても"パクリ"なもので、知らないものですから……


「さて皆様、体の火照りも収まったところで、二度目に参りまするか」

「当然だ。其方の申す"ととのう"とやらを味わってみたい」


 こうしてご一行様は二度、三度とサウナに入り、漏れなく"ととのう"ことと相成りましてございます。

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読んでて他の作品のサウナ回を思い出して、印象的な感想を以下に抜粋してみる。 >サウナって生理学的にめっちゃ大量の事が発生してるので、専門知識がある程度ないと正しい説明ができないのと、本質的に運動と…
いずれサウナ内にテレビ…はないから、玻璃か何かを隔てて人形劇とか始めそうだ
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