熱波師・藤枝治部
――天明六年(1786)年五月
「これが西洋蒸し風呂か」
「まさか上様がお越しになるとも思わず、拙い造りにて恐縮するばかり」
「構わぬ。余が無理を申したのだからな」
中之条から帰って数日後、上様が我が上屋敷へ御成りになるとの報を受けた。
原因は平賀源内殿。四万温泉でのサウナの話を田沼公に自慢したらしく、意次意知親子から揃って見学したいと言われ、それが家基公の耳にも入るや将軍の御成りとなったわけである。
「蒸し風呂など我が国にもあると言うに、一体何が違うのだ」
「それは入ってからのお楽しみにて。ただ、非常に熱いということだけはお伝えしておきます」
「熱いとな? たしかに風呂は熱いものであるが」
「その想像を超える熱さでござれば」
我が国の風呂の歴史は長く、古くは飛鳥や奈良の頃から温泉に浸かるという行為が行われていた。草津温泉は日本武尊や奈良時代の僧・行基が見つけたという説もあるし、四万温泉も平安の頃には発見されたわけだから、古くからあるのは間違いない。
とはいえ日本のどこにでも温泉があるわけではないから、これは一部地域だけの話。世間的に入浴という習慣が作られたのは、仏教の伝来を起源とするらしい。
これは未来のように清潔を保つためというより、僧侶が身体を清めるための宗教儀式の一環として伝わったという。なので最初に風呂が作られたのはお寺であり、湯船は無く、「浴堂」という施設の中に蒸気を送り込み身体を温めるという、低温サウナに近いものだったようだ。
そして本来僧侶のための施設であるこれを、仏教の慈善事業として病人や貧しい人々に開放するという「施浴」が行われるようになり、これが日本における公衆浴場の起源となったそうだ。
更に時代は下って平安の頃になると、貴族の邸宅にも浴室が設けられるようになるが、当時も風呂とは蒸し風呂のことで、体を湯気で蒸し最後に水や湯を体にかけて汗や汚れを流す程度の、所謂沐浴であった。だからこそ体臭などを隠すために、お香をよく焚いていたのだと思われる。未来の香水と一緒だな。
その後も蒸し風呂の歴史は非常に長く続き、湯殿の形などに変遷はあれど、風呂といえば蒸し風呂だった。これが変わり始めたのは江戸時代に入り「戸棚風呂」というものか生まれてからのこと。
以前に一度話したが、この時代の庶民の家には風呂は無い。貧乏だからという理由ではなく、火を使うと火事になる恐れがあるから禁じられていたもので、裕福な商家などにも風呂は無かったのだ。そこで風呂に入りたい場合、町中にある湯屋に行くわけだ。
この時代の風呂は、洗い場と浴槽が別室になっていて、まず洗い場で身体を洗った後、奥にある引き戸を開けると、中には膝くらいの高さの浴槽があって、これに下半身を浸けて上半身は湯気で蒸すというもの。所謂半身浴だ。引き戸を設けたのは蒸気を逃さない仕組みで、入るときは必ず閉めなくてはならない。この引き戸が戸棚のようなので戸棚風呂と呼ばれる。
しかし中には無精者も多く、引き戸を締め忘れる者が後を絶たず、すぐに湯が冷めてしまうという難点があって、後に柘榴口の風呂というものが開発される。
これは引戸を固定して下の方を少しだけ開け、その隙間を這うようにくぐって洗い場から浴槽に入るというスタイル。湯気は上に行くから、下だけ開けるというのは理に叶っている。
しかしこれも難点があって、この浴槽には採光のための小窓があるものの、光が湯気に遮られて奥まで届かないから室内は薄暗い。
そのため中の人も外の人も、お互いにどこに人がいるか分かりにくく、外から這って中に入った瞬間、他人のおいなりさんと濃厚キスしてしまったり、頭を踏みつけられたり、あるいは中にいた人を蹴飛ばしてしまったりということがままある。
そこで、入る人は「今から入りますよ」と中の人にひと声かけてから入るし、中にいた人は誰かが入ってくると咳払いなどして、「ここにいるよ」とアピールしたりするのだ。
そしてもう一つ、薄暗いがゆえの問題として、湯が綺麗かどうか判別しにくい。誰かがション◯ンをしていても、ウ◯コが浮かんでいても気付きにくい。死体が浮かんでいても気付かれないなんて冗談もあるくらいだ。
令和の基準だと不衛生極まりないが、さすがにウ◯コが浮かんでいたら浴槽清掃のために臨時休業するくらいには衛生観念はあるし、そもそも家に風呂が無いから、毎日水浴びだけというわけにもいかない。そして湯屋は庶民の社交の場でもあるから、毎日大勢の人が集まる。
ちなみに余談だが、この湯船は結構熱い。それは湯気を出すという目的もあるからだが、パッと入ってパッと出るせっかちな江戸っ子な気性にもマッチしたのだろうか。未来でも熱い湯が好きという人は多いが、半身浴ならいざ知らず、全身浴で熱い湯はあまり身体に良くないと個人的には思ったりする。
そんなわけで、蒸し風呂は日本人にも馴染みが深い。特に京や上方では古い寺院も多いことから、昔ながらの蒸し風呂も多く残っており、決して物珍しいものではないものを、どうして俺が堂々と披露したかと言えば、今回は風呂の構造ではなく、新しい入り方を提唱するためだ。
「あの屋根から伸びる管はなんじゃ」
「煙を逃がす管にございます」
「煙とな?」
「こちらの蒸し風呂は薪を用いた西洋式の囲炉裏が中にあり、それによって暖められております。薪を燃やせば中が煙臭くなりますゆえ」
日本の家は通気性バツグンなので、囲炉裏で火を焚いても、隙間という隙間から煙が逃げていくし、茅葺き屋根なんかだと煙で燻して防虫なんてこともあったりするので設けられていないが、気密性を高めたこのサウナでは煙の逃げ道を作らなくてはいけない。要は煙突だな。
ちなみにサウナの気密性は、中之条での建築実験でも応用されている。
「中は……なるほど、炉が設けられておる。して治部、我らはどこにおればよい」
「そちらの段になっているところへ腰掛けてくだされ」
田沼家の家臣を先頭に、家基様、意次殿、意知殿と、ふんどし一丁の男たちがゾロゾロと中へ入って、指定されたところへ腰掛ける。中の温度はかなり熱くなっており、汗かきさんは既に肌にじんわりと汗が浮き出ている。
ちなみに入る前に身体は洗ってもらい、安全のために水は飲ませてある。サウナの基本だ。
「たしかにいつもの蒸し風呂とは少し違うな」
「湯を張っておりませんのに、これだけ熱いとは」
「だが、意外と耐えられるものだな」
「されど、体の調子がおかしいと感じたら、すぐに外へ出てくだされ。我慢比べをしているわけではございませぬゆえ」
「まるで医術を施すような物言いじゃな」
「事実、これは医の施術に近うございます」
サウナには色々な効能がある。温めて血管を広げることで血流を良くするとか、自律神経を整えるとか、老廃物を排出するとか、健康のためのあれこれが詰まっている。
しかし、使い方を間違えたら脱水症状とか心臓に負担がかかるなどの悪効果もあるし、体調不良や酒に酔った状態で入るのは厳禁。この方式を知らぬ日本人に披露するのだから、専門家の指導はマストである。二日酔いのアルコールを抜くためにサウナに入るとか、自殺行為でしかない。
「一度に入る時間は四半刻(30分)の半分でも長うございます。さらにその半分くらいですかな」
「随分と短いな」
「一度外に出ましたら、水風呂を浴びていただき、さらには日なたで外の風を浴びながら暫し休み、再びこちらに入る。これを二度三度繰り返すのです」
「それが西洋のやり方なのか」
……そういうことにしておく。この時代の北欧の人が本当にこうやっていたのかは確実とは言えない。時代が下るにつれ、やり方が少しずつ変わるなんてことはあるからな。
「だが治部、言うほど熱くもないぞ」
「それはこれからにて。只今より藤枝式蒸し風呂"老流"のお時間でございます」