北方探検家の誕生
中之条の地に建てられた平賀源内考案の住宅群から場所は移り、ここは四万川の上流域にある四万温泉だ。
その始まりは、征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷征伐に向かった際に立ち寄ったのが起源という説と、日向守碓井貞光が神託を受けて見つけたという説の二つあるらしい。
碓井貞光とは何者かというと、かつて平安の頃に藤原道長に仕え、後世「摂津源氏」とか「多田源氏」と呼ばれた一族に源頼光という武将がいて、その配下の武将だった方だとか。
ちなみに余談だが、現在武家の頂点に立つ徳川家も源氏だが、こちらは頼光の異母弟頼信を祖とし、後に源頼朝によって武家政権を確立する河内源氏だ。源平の頃に摂津源氏は没落し、嫡流は河内源氏に移ったのだ。
そんなわけで当時は頼光が嫡流だったわけだが、有名なのは大江山の酒呑童子を退治した話かな。多分にフィクションが混じっていそうだが、それだけ武勇に優れた将だったということだろう。そして配下である貞光も優れた武将のようで、金太郎のモデルとも言われる坂田金時などと並び、頼光の四天王と称されていたようだ。
で、話を四万温泉に戻すと、彼が越後から山を越えて上野に至る途中、この地を訪れて一夜を過ごしたとき、夜に読経をしながら夢うつつになった頃、どこからともなく童子が現れ、『汝が読経の誠心に感じて四万の病悩を治する霊泉を授ける。我はこの山の神霊なり』と貞光に神託を与えると、その後貞光が神託のとおり湧き出る温泉を見つけたという話だ。この後、神託にちなみこの地は「四万」と呼ばれるようになったとか。
どちらが本当の話か、はたまた両方作り話なのかは分からないが、四万温泉を売り込んでいくネタ的には、個人的にエピソードが多い貞光説を推したいところだな。
そんなわけで、四万は古くから温泉のある地として知られた場所であったが、湯宿が形成されていったのはかなり最近になってからで、戦国時代の頃だという。
その頃、この地の領主は岩櫃城という、中之条から少し西へ行った山の上にあった城を拠点としていたが、後に信濃から上野へと勢力を伸ばしてきた武田氏に追いやられ、越後に逃れる事になった。
そのとき、家臣であった田村甚五郎という人物が、四万を通って越後に落ちのびる旧主を守るために、温泉の入口付近に留って追っ手を防ぐことになり、やがてそのまま土着して湯宿を開くことになったと伝わる。
その後、岩櫃城の主となった真田昌幸により道や橋が直され、湯治場として整備され始めたらしい。
「西洋式の蒸し風呂はいかがでごさったかな」
なんでまたこのタイミングで四万温泉に来たかと言うと、長丸と三之丞に命じて、西洋式蒸し風呂をここで作らせていたからだ。
中之条の陣屋に作ることも考えたが、効能とか入った感想なんかを掴むためには、湯宿が近くにある場所で湯治客にも試したかったので、中之条から比較的近く、かつ、草津に比べれば湯治客以外の往来が少ない四万を選んだのだ。
「さっきの演出といい、これは面白いかもしれねえ」
「これは西洋でも北にあって雪深い、フィンランドという国の伝統的な蒸し風呂なのです」
「これは評判になるかもな」
サウナに入ってととのった源内さんが、商売の匂いを嗅ぎつけたらしく、上機嫌でそんなことを言っている。
「まだ研究の段階ですし、そもそもこの国の風呂と造りも使い方も異なりますので、先走って江戸で湯屋を開くとかは勘弁ですぞ」
「んなこたあしねえっての」
俺と会ってからの源内さんは研究に没頭するようになり、だからこそ蝦夷地の探索にも力を貸してくれているが、儲け話になると食いついてくるのは、もう性格としか言い様がない。さすがに人様の知恵を横取りする気はないとのことだが、それを言われると俺が息苦しいことになるのは内緒だ。
「先程知ってもらったように、これは使い方を誤ると人の生き死にに関わります」
「たしかに」
「故に、知識をしっかりと持った者の指導の上で入浴せねばなりませぬ。どうしてもと言うなら、我が上屋敷にも同じものを作らせておりますから、そちらに足を運ばれるが良い」
「で、近隣の大名たちに教えて儲けようと」
「軍資金は多ければ多いほど良いので」
サウナは一家に一台置くにはお高く、通販よろしく社長にお願いしても値引きは難しいので、これでどうやって儲けるかと言えば、まずは武家屋敷に置いてもらうことだな。
大名たちを屋敷に招き、ちょっとばかりお花畑を味わってもらったら、設置工事を勧め、あとは使い方を伝授するなりして、指南料を頂戴するというわけだ。
そしてもう一つは町中にある湯屋に置くこと。武家屋敷とは違い、この時代の庶民の家には風呂が無い。理由は後々どこかでお話するが、そんなわけで風呂に入るには街中にある湯屋に足を運ぶしかないのだ。
もちろん設置工事だけで終わらせる気は無い。こういうのはハードとソフトの両面で手がけるのが利益を永続的に得る方法だからね。それが何かはまだ明かす気も無いけれど。
「その金をまた羊に回すわけですかい」
「そうですね。蝦夷地を開拓するためには必要な産物ゆえ。それで源内殿、あの家は蝦夷地で役に立ちそうですかな?」
「完全とはいかねえだろうな」
いつもの源内さんなら、「この平賀源内が考えたんですぜ」くらい言いそうなものだが、今回はかなり慎重な様子。それを見れば、嫌でも一筋縄でいく話ではなさそうだと分かる。
「色々と案は出したが、費用が高いとか手入れに手間がかかるとか、あとは隙間という隙間を埋めるが故に湿気で保ちが悪いとか、どれも一長一短だな」
さらに言えば、吾妻よりさらに雪深い地で、本当にこれが機能するかも絶対とは言い切れないという。
「まあ、最初から全部上手く行くとは思わねえほうがいい。これ以上直す余地は無えって形で持っていくと、いざ問題が起きたら対処のしようが無くなるからな。手探りで始めたほうが良いこともあるってものよ」
未来で言うところのトライアンドエラーだな。問題があればすぐに対応し、より良い形に直していく。今回は人の死に直結する話なので、エラーは無いほうが良いに決まっているが、見知らぬ風土での開拓となれば、問題の一つや二つは出ないほうがおかしいもんな。
「とはいえ、さすがにあっしはもう蝦夷地まで行くのは体が保たねえから、この先現地で指導する役目は徳内に譲るぜ」
「源内先生、それはまだ早いかと……」
「てやんでえ、お前さん蝦夷地じゃ生き生きしてたじゃねえか。見知らぬ土地を探索したくてウズウズしてますって顔に出るくらいには」
二人が蝦夷地へ視察に向かったとき、徳内が調査隊に同行して各地を見て回り、松前に残って情報を集めていた源内さんがそれらを総合して案をまとめていた。
本来は蝦夷地の気候風土を調べる目的であったが、徳内はそれに飽き足りず、現地のアイヌと交流したり、測量なども始めたとか。そのための勉強を欠かしていなかったことを、源内さんは見抜いていたのだ。
「治部の旦那、元々はアンタの弟子たけど、オイラにとっても可愛い弟子みたいなもんだ。ここは一つ、蝦夷地の探索に関わらせてやってはどうかね」
「蝦夷目付の長谷川殿とは昵懇ですし、元より彼の地で開発を進めるための研究にござれば、源内さんがそこまで勧めるのならば、徳内を推挙いたすとしましょう」
「先生、よろしいのですか」
よろしいも何も、俺が蝦夷地に行くわけにもいかないので、誰か代わりを送らざるを得ないのだから、良く状況を理解した人物を派遣したいに決まってる。身分なんて関係ない。
……と言いたいが、農家の倅で単なる俺の内弟子ってだけだと弱いよな。中之条の藩士に取り立てるか、もしくは御家人にでも推挙するか。そのあたりは江戸に戻ってから相談だな。
「そうそう、江戸に戻ってからってんで思い出したが、もう一つ別件で相談してほしいことがある」
「なんでしょう?」
「利根川や荒川の治水工事についてだ」