中之条住宅展示場
――天明六(1786)年春
「お早いお着きで」
「参勤交代のような仰々しい行列ではありませんから」
「たしかにそうでしたな」
勘定所での仕事が一段落した俺は、久しぶりに所領の中之条を訪れていた。
俺がこの地を所領に望んだのは、噴火で激しく被災し元の生活に戻すのも大変な場所であるからこそ、改革を進めやすいと思ったからだ。四圃式農法による作物の栽培とこれを元にした新しい産物の製作、さらにはこれを売り込むための集客策等々に加え、江戸から近いわりに気候は厳しめなので、寒冷地対策の住宅建設や羊毛産業の育成などの新事業を試す場としての仕事も幕府から請け負っている。
今日はその成果や進捗を確認するためのお国入りだ。前にも言ったが、幕府の職に就いている間は参勤交代は免除されるため、特段の理由でもないと領地に足を踏み入れることもままならない。そう言った意味で大名とは不自由な存在だと改めて感じる。
「それで、成果のほどは如何でございますか」
「悪くねえ作りになったと思いますぜ。細工は流々仕上げを御覧じろと言うし、まずは出来上がりを確かめておくんなせえ」
中之条で俺を出迎えてくれたのは、天下一の奇才平賀源内殿。蝦夷地に足を運んでもらい、実際に現地の環境を見てもらった上で、そこに適した建築はどういったものが良いかということを吾妻の地で試してもらうほか、羊の育成に関しても知恵を借りている。
最初は蝦夷地の次は上州か……と渋られていたが、温泉資源を活用した観光開発構想を披露すると、クリエイターの血が騒いだのか急に乗り気になり始め、今では江戸と上州を往復する日々を送っている。
「屋根の尖り具合が目に付きますな」
「オランダ人から教わった、雪の多い北国の家にある造りだ。これだけ急なら雪が滑り落ちていくって寸法で、屋根が抜ける心配も少ない。この国でも雪深い山奥の家は似たような屋根の造りをしていると聞きますしな」
寒冷地仕様に考案した家が建つ場所へと向かうと、そこには北欧でよく見られるとんがり屋根の家が並んでいた。源内さんが言う山奥の家とは、おそらく白川郷で有名な合掌造りのことだろうから、理に叶ったものなんだろう。
「軒を頑丈にしているのですね」
「あそこが一番雪の重さがかかってくる場所だからね。どんな形の家であれ、そこは欠かしちゃいけねえ場所だ。そこを手抜きしたら、ひと冬で家が壊れちまう」
「あの屋根の左右の長さが違うものは?」
「あれはね、雪の落ちる場所を選んでいるのさ」
どうやら蝦夷地にいたとき、木の枝に積もった雪がドサドサっと地面に落ちるのを見て、知らないうちに人の往来が頻繁なところへ落ちてしまうと危ないと考えたようで、家の裏庭とか空き地とか、人のいない方向に落ちる、もしくは人力で落としやすいように、敢えて屋根の頂点を家の中心に置かない造りを試していたらしい。
「そしてこちらは雪囲いに……石段?」
「場所によっては人の背丈より高く雪が積もる場所もあるみてえだし、だったら一階は頑丈に囲っちまって、二階から出入りすりゃあいいって話よ」
「源内さんらしい発想の転換ですね」
「事実とはいえ、褒められると照れるじゃねえですか」
この時代、基本的に大都市に暮らす庶民は多層階の建築物を建てられない。昔は日本橋あたりに三階建ての豪華な町屋などもあったらしいが、防災という表向きの理由と商人の贅沢を禁じるという裏向きの理由から、慶安の頃に庶民は三階建て以上の建築をしてはならないと禁じられ、さらには明暦の大火でそれまでに存在していた三階建ての家屋も消失してしまい、以降の町屋は基本的に平屋建てである。
一応二階建てならOKなんだけど、新築の際は町名主から奉行所や代官所に届けが出され、役人がこれを改める。未来で言う市役所とか県庁の建築指導みたいなものなわけだが、これも中々許可は下りなかったとか。
どうしてそこまで厳しく制限されるのかといえば、道を歩く武士や大名行列を上から見下ろすのは不届千万ということのようだ。お触れにはそこまで書かれてはいないが、所謂不文律というやつだな。
そんなわけで町人も頭を使い、一階の天井を少し低くして、かつ屋根は少し高くして、表からの見た目は平屋なんだけど、実は中は二階建て構造という家を作る。厨子二階と呼ばれる家だ。二階とは言うが、それと見えないように作っているので、軒桁と玄関の上に設けられた庇の間の小さな壁面に、僅かばかり空いた隙間から光と風が入るだけの、未来で言うところの中二階とか屋根裏部屋に近いものと言える。
そして時代が下ってくると、平屋では収容人員が足りない旅籠や料亭とか、多くの使用人を抱え、二階に彼らの住まいを設けたい商家など、お上の都合だけで禁じ続けると不都合が生じてくる事例に関しては、本格的な二階建ての許可が降り始めた。あとは吉原の遊郭も二階建てだけど、あそこの場合は一種の治外法権&武士も色々と世話になる場所だから特別だろう。
とはいえこれは江戸や京、大坂、そして日本各地にある城下町などに限った話で、農村の場合はそういった規制は存在しない。先ほど話に出た白川郷の合掌造りの家は高いもので10m超えと、三階どころかビルならば四階とか五階に相当するものもあるようだし、養蚕の盛んなここ上州でも、作業場や物置として二階や三階、屋根裏部屋のある家は多い。
そして、源内さんの発想はそれを逆にしたということ。普通ならば一階が居住スペースで、上は物置や作業場として使うところ、一階を物置、そして二階を住居としたわけだ。そのため二階に直接出入り出来るよう、石段が設けられているのだ。開口部が無いのでちょっと違うけど、一階が車庫で居住スペースが二階にあるみたいな感じかな。
陽の光が入らず、温度も低いとなると、日持ちしない食料を保管するのに最適かもしれない。さしずめ天然の冷蔵庫、時期によっては冷凍庫になるかもしれない。
「これが最善だとは言い切れねえが、役に立ちそうな工夫はあちこちに仕掛けてある。もちろん家の中にもな」
そう言われて中に入ってみると、言葉通り、こちらもまた様々な工夫がなされていた。
「なるほど。隙間無く目張りをしている。そして内側も壁に床、布には敷き物。熱が外へ逃げないような工夫ですな」
「オイラが作った火浣布が役に立つかと思ったが、治部さんの話だと使わねえほうがいいみたいだから綿で代用だが」
「綿も悪くありませんが、羊の毛は使えませんかね」
「羊の毛か……」
寒冷地仕様の家に必要なのは気密性と断熱性。要は中の暖かい空気を外へ漏らさず、外の冷気を中へ入れさせない造りであるということ。
そうなると断熱材を使おうという話になるのだが、未来ではそのほとんどが工業製品であるから存在しない。というわけで、この時代でそれをやろうとすると天然素材に頼らざるを得ず、その中では羊毛が一番適しているのではないかと考える。
「たしかに綿より熱を逃さない効果はあるかもな。数が揃えられないのが難点だが」
「効用があれば羊の飼育数を増やす良い理由になります」
家一棟の断熱材に羊毛を用いるとなると、何頭分必要か分からんが、もし寒さ対策に有用ならば、飼育を広げるよいきっかけにもなるかもしれない。
それとこれは勝手な想像なんだが、未来の素材でグラスウールというガラス繊維があって、断熱材によく使われているから、本物のウールも使えるのかなと思っただけ。もしかしたら形状が羊毛に似ているからその名が付いただけかもしれないが。
「試す価値はありそうですな」
「手間をおかけする」
「なあに、この源内にかかれば……と言いたいが、徳内の知恵にも助けられている。いやいやさすがは天下の藤枝治部のお弟子、要領が良くて助かるよ」
「徳内、ご苦労であったな」
「お褒めに与り光栄です」
知識を引き継いでもらうためにと源内さんに付けていた弟子の高宮徳内。思惑通り非常に有用だったようだ。源内さんももう若くないから、その奇才の一部だけでも次の世代に受け継いでもらえると後々助かる。
「そうそう。長丸と三之丞も色々と助かってるぜ」
「ありがとうございます」
「そういや、治部殿に何やら変なものをこしらえるように頼まれていたみたいだが?」
「そちらも完成しましたので、先生に是非ご覧いただきたく」
同じく弟子の長丸と三之丞も中之条で色々と動いてもらっている。こちらは領内の改革や産業振興の下地作りを命じているのだが、その中で一つ、娯楽となるものを作らせていたのだ。
「新たな娯楽……ですかい?」
「ええ、色々とととのいますよ」
「ととのう?」
その娯楽の名は蒸し風呂……って、そんなものは既に日本にも昔からあるだろうと?
違う。俺のそれは蒸し風呂のことだ。