第七章登場人物まとめ
◯…既出実在人物
△…既出架空人物
●…第七章初登場実在人物(読み・史実生没年付き)
▲…第七章初登場架空人物
※所領、官位、役職の記載は第七章終了時点でのものです。
<藤枝家&家臣・弟子>
◯藤枝基行
所領:上野国中之条二万九千石
官位:従五位下治部少輔
役職:勘定所参与
とうとう大名に昇進。というわけで遠慮なくこき使われる身分に。(旗本もそこは同じなのでは? という疑問に触れてはならない)
どうせ激務に放り込まれるならばと、積極財政のために幕府から拝借金を出させ、代わりに大名たちの行動を縛るという大なたを振るう。
◯種
時の経つのは早いもので、小さかった姫様も二十歳(数え年齢)。背も大きくなったし、お腹も大きくなってきた。
△大原外記(又三郎)
元甲賀忍者の藤枝家家臣。古くからの知り合いを集め、中之条藩の隠密組を組織。元の又三郎のままでは格好がつかないだろうと、治部が以前名乗っていた仮名の外記を名乗らせる。
▲夏
甲賀古士の村で暮らす娘。又三郎とは夫婦になる約束をしており、藩士に取り立てられたのを機に故郷から呼び寄せられた。
厳密には忍者ではないが、それなりのスキルは身に着けているということで、種の侍女兼護衛兼密偵を務めることに。
◯大槻茂質
役職:仙台藩医
工藤平助の娘綾子との結婚を機に、義父平助の手引きで支藩の一関から本藩の仙台へ転籍。江戸詰の藩医となる。
暮らす家と診療所兼私塾を探そうと考えていたところ、結婚祝いとして三旗堂を譲られる。
しかしその実態は、大名になって三旗堂の面倒を見きれなくなった治部に代わり、蘭学者育成と蘭書和訳の外注をさせるためだったりする。
<徳川将軍家>
◯徳川家基
官位:正二位内大臣兼右近衛大将
役職:第十一代征夷大将軍
ついに将軍就任。日本が大きく変わるかも。
◯徳川家治
官位:正二位右大臣
役職:大御所
ようやく息子に跡目を継がせ、大御所として悠々と暮らしたい……と言いたいが、しばらくは若い後継者の後ろ盾となるべく大御所として睨みを効かせてもらおう。
〇徳川治察
官位:従三位権中納言
田安徳川家第二代。父と同じ権中納言に任官され、年下の新将軍を補佐する重責を担う。弟二人(定信&治部)が頼り。
<幕閣>
〇田沼意次
所領:遠江国相良五万七千石
官位:従四位下侍従兼主殿頭
役職:老中首座
これまで嫌味に耐えながら、幕府の収入を増やそうと動き回っていた苦労人。しかし政敵が一掃されてさあこれからというときに、飢饉やら噴火やらで再び支出が増大して頭を悩ますが、家基&治部の積極財政路線に活路を見出そうとする。
〇田沼意知
官位:従五位下山城守
役職:若年寄
大名世子の立場ながら、家基の将軍就任と共に側用人に昇格。これにより、父親の政策を引き継ぐ意向が明らかであると世に示すこととなる。
本人的にはやる気十分だが、治部がまた無茶振りしてくるのでは? という点だけが気がかり。
〇松平定信
所領:陸奥国白河十一万石
役職:老中(就任予定)
治部の入れ知恵と本人の努力の結果、大飢饉に見舞われても領民を飢え死にさせることなく切り抜けたことで、若き名君として名を馳せる。そしてついに正室峰子が懐妊。
その実務能力を買われて老中に推挙されるが、養子とはいえ八代吉宗の孫という出自から、本来御家門が就くことのない老中となることに異論を口にする者もいるようで……
まさか大河で幼名(賢丸)で出てくるとは思わなかったよ……
<幕臣>
●桑原盛員
1721-1799
官位:従五位下伊予守
役職:勘定奉行
西の丸書院番から順調に出世を重ね、長崎奉行、作事奉行などの奉行職を歴任。安永五(1776)年から勘定奉行。史実ではこの後天明八(1788)年に大目付、寛政十(1798)年に西の丸留守居役となる。
●赤井忠晶
1727-1790
官位:従五位下越前守
役職:勘定奉行
天明二(1782)年、京都町奉行から勘定奉行に転任。田沼意次の下で江戸表において蝦夷地探索の後方支援を担っていた縁で治部とも良く知った間柄。
史実では田沼に近かったためか、その失脚とともに西の丸留守居役に転任。留守居役は勘定奉行より格上だが、権限を持たぬ名誉職なので、実質左遷と言える。
●松本秀持
1730-1797
通称:伊豆守(この人だけおそらく正式な任官ではないっぽい)
役職:勘定奉行
あまり良い家柄の出ではなく、当初は天守番(当時の江戸城に天守閣は存在しないが、何故か守衛役は無くならずに残っていた)という閑職に就いていたが、田沼意次に才を認められ、勘定所の下役から組頭、吟味役と昇進し、安永八(1779)年に奉行就任。江戸時代では珍しく、勘定所は才能次第で下役から持ち上がりで昇進するケースがあったが、それでも平役から奉行まで上り詰めるのは異例。
蝦夷地探索においては、調査隊の人選のほか、松前に代わってアイヌ交易を幕府で試行する責任者として采配を振るう。
史実では上記のように田沼に近い存在であったことから、その失脚とともに小普請(つまりは無役)にまで落とされ、さらにはかつての小さな失策を咎められて減知されるなど、晩年は不遇であった。
●久世広民
1737-1800
官位:従五位下丹波守
役職:勘定奉行
浦賀奉行、長崎奉行などを歴任し、天明四(1784)年から現職。史実では長崎貿易の拡大を図るなど、幕府の収益に貢献。またその知見は商館長ティチングも感心するほどで、善政を敷いて長崎の民にも慕われていたらしい。
史実では田沼失脚後、松平定信の寛政の改革においても棄捐令(商人に対し、武士が負った債務の放棄や繰り越しを命じる法令)の作成のほか多くの政策に関与するなど重用される。
○柘植正寔
1735-??
官位:従五位下長門守
役職:勘定奉行
第三章で長崎へ向かったときにちょい役で出て以来なので、読みと生年を再掲。
史実での勘定奉行就任はもう少し後だが、治部の存在により西洋事情により詳しくなったこともあって、今回の大仕事に駆り出される形となる。
●伊奈忠尊
1764-1794
官位:従五位下摂津守
役職:勘定吟味役兼関東代官頭
備中松山藩主・板倉勝澄の十一男で、伊奈忠敬の娘婿として跡を継ぐ。
伊奈家は代官頭として関東の天領数十万石を管理する立場から、ただの旗本とは権力も財力も段違いの家。当然家臣だったり影響下にある者の数も多く、二十歳そこそこの彼が全部を見切れるとは考えにくく、古くからの家臣に任せる面が多かったのではないかと思われる。
本作では拝借金の拠出先選定において自家の権益とか立場を考え、直参たちを優先するよう働きかけるが、これも家臣に請われて動いただけで、本人に確たる信念や考えはなく、そのことを治部に突っ込まれて羞恥のせいか昏倒。さて、今後はどうなることやら……
〇長谷川宣以
通称:平蔵
役職:蝦夷目付
今日も元気(いろんな意味で)に蝦夷地で活躍中。ふと思ったが、大目付と同格だと正式な官位を与えないといけないのではと今更気づいた。
平蔵のままでいいかな……?
<大名>
●徳川治保
1751-1805
所領:常陸国水戸三十五万石
官位:従三位参議兼右近衛権中将
御三家水戸藩第六代藩主。本人(十六歳)・父(三歳)・祖父(十四歳)と三代続いて若年での藩主就任(年齢はすべて数え年齢)となったために藩政の混乱も大きく、改革も進まずに財政は悪化の一途。史実の水戸学は儒学や国学がベースなので相容れないイメージだが、この世界では農政などで史実以上に改革の効果を示している蘭学に興味を示し、嫡子鶴千代を治部の弟子にさせることを企図する。
若干ネタバレになるが、この鶴千代の三男が烈公として名高い幕末の水戸藩主・徳川斉昭である。
〇松平定国
所領:伊予松山十五万石
官位:従四位下侍従兼隠岐守
毎度おなじみやられ役の辰っちゃん。新年の将軍拝謁前に、治部の政策を非難するためにわざわざ姿を見せたが、水戸徳川治保に居城松山城が落雷に見舞われて焼失したことを揶揄され、すごすご撤退。またそのうちに来るかもね。
<大奥>
▲大崎
役職:大奥御年寄
名は雪乃といい、元は田安家の女中として治察の乳母(世話役)を務めた女性で、東海寺の変(家基暗殺未遂事件)を契機に、田安家との折衝役、そして監視役を兼ねる目的で大奥に入る。
藤枝メソッドの健康法と鉛白を使わない薄化粧を長年続けたおかげで、年は四十を過ぎたが未だに若々しい。
ちなみに史実の大崎は徳川家斉の乳母を務め、後に大奥に入って家斉が将軍世子と決まる頃に本丸大奥の御年寄に昇進。老中になった松平定信に対し、「私と貴方は同格だから(意訳)」と言って激怒され、定信が本格的に改革に手を付けようとするのを見て、立場が危ういと早々に大奥から身を引いた人物。
……だが、一橋家が消滅したこの世界では、そんな人物は大奥に入れないのだよ。(家斉の乳母だったというのは諸説ありですが、本作では話の都合上この説を採用します)
●高岳
??-??
役職:大奥上臈御年寄
宝暦(1751-1764)の頃は松島局(徳川家治の乳母)に次ぐナンバー2だったが、安永三(1774)年に御年寄の筆頭となる。正確な年月は定かでないが、この間に松島局が表舞台から去り、明和(1764-1772)期頃から大奥での権力を掌握したものと思われる。
その権力は大名たちからも認識され、明和二(1765)年には、仙台藩主・伊達重村が官位昇進を企図して幕閣への猟官活動を行う際、高岳にも賄賂を贈り、口添えの見返りとして桜田御用屋敷(亡くなった将軍の側室が余生を過ごす屋敷)内に自分の家を建てさせたというほど。そこまで金をかけても高岳の進言に価値があると思われていたわけである。
本作ではいくつかの失態(種や家基の毒殺未遂)により、史実より大奥の発言力が弱まっていることと、政敵が一掃されたことで田沼が大奥の力をそれほど必要としなくなったことで、新将軍に対しては無理押しせず様子見というスタンスに。しかし定信の老中就任には異議ありらしい。
これにて第七章終了です。
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