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旗本改革男  作者: 公社
〈第七章〉治部、激務に放り込まれる
169/203

直参bot

 家基様や治察様に大奥からの横やり未遂があったことを伝えてから数日後。勘定所ではこれまでに届いた拝借金の願い出を精査する評定が行われていた。


「かなり数が増えたな」

「ようやく此度の触れの意味を理解する者が増えてきたようですな」


 既に届けの出されたものは、勘定所の役人である勘定、支配勘定などがそれぞれの中身を精査しており、評定ではこれらが勘定組頭によって報告されていた。


 最初こそ中身の薄いものばかりであったが、今回は切り捨てることが目的ではなく、社会構造の変化に政治がどう対応していくべきかを諸侯に考えてもらうことが重要なので、こちらから不備を指南した後に出し直すことを認めており、時が経つにつれそれなりの体裁を整えてきた願い出も増えてきたのだ。


「拝借金も限りがありますからな」

「左様。一度きりで弾くつもりもないが、早くからその趣旨を理解しておる者を待たせる道理もございませぬ」


 あっさり不採用では諸侯も納得はしないだろうから、やり直しの機会は与えるが、早々に採用に値する内容を出してきた藩を待たせるのもおかしな話。配分する金の上限は決まっているのだから、そこはある程度早い者勝ちとなる。未来でも補助金なんかは上限に達し次第終了となるからね。


「では、取り急ぎ本日上がってまいったものは採用でよろしいかな」

「額の確定はもう少し詰める必要もございますが、概ねそれでよろしいかと」

「では本日の評定は……」

「お待ちくださいませ。そのことで一つ意見がございます」

「伊奈殿、なんでござろうか」


 奉行たちと願い出の採用可否を決めていき、本日分があらかた片付いたので、奉行筆頭の桑原殿がお開きにしようかと口を開いたとき、勘定吟味役を務める伊奈殿が何やら意見があるようで声を上げた。


「されば、此度の拝借金は天災により収入が減った武士の困窮を救うものと心得ております」

「左様にござる」

「然れども、今のところ拝借を認められた多くが外様。いささか公平を欠くかと」

「届けの中身の優劣をもって決めておれば、外様のものがより優れていたというだけ。公平を欠くとは思えぬが」


 伊奈殿の公平を欠くという言葉を受け、赤井殿が採用の基準は明確で、その指摘は当たらないと反論する。


 たしかに最初は外様ばかりで、俺も奉行たちもどうしたものかと思ったものだが、最近は譜代の者たちからも見どころのある願いが出てき始めている。どちらかを優遇するという話ではないのだから、他の奉行たちも赤井殿の意見に賛同した。


「伊奈殿はその基準に何か異存でも?」

「某は、まずは直参の苦境を救うが最善と心得まする」

「直参?」

「はっ。上様をお守りする旗本八万騎の暮らしをまずは整えるが必定かと」




――旗本八万騎


 徳川将軍家直属の兵力を示す言葉なんて言われているが、旗本は全部合わせても五千人ちょっとしかいない。何故それが八万騎と称されかというと、旗本各家には家禄に応じて召し抱えるべき家臣の数が決められており、それを加えると約八万人という数になるからだ。


 ……とは言うものの、実際に家臣を定められたとおり雇っている家がどれほどあるかと言えば、ほとんどいないだろう。定められた人数は格式を守るために元々高めに設定されており、禄高に対して釣り合いが取れていない上、昨今の産業構造の変化で、町人や農民に使用人のなり手がいない。理由は簡単で、賃金が安いのに作法やしきたりなどが多く、面倒な仕事だからだ。


 なのでどこの家も、人不足を補うために領地としている村から無理くり人を出させたり、二人必要なところを一人で兼務させたり、はたまた登城の際に必要な共連れを揃えるために一時雇い、要はバイトみたいな者を雇っていたりする。当然戦闘要員になどになれるわけもない。もっとも、旗本本人も戦闘で役に立つかと言えば怪しいところではあるが。


「伊奈殿が直参を優先せよと申す理由は」

「直参こそが御公儀の屋台骨。彼らの苦境を救わずして御政道は成り立ちませぬ」

「たしかに旗本御家人の生活も苦しかろうが、彼らに拝借金を与える理由は薄かろう」


 旗本の俸禄には領地を与えられ、そこからの年貢などを収入とする知行取と、領地は与えられず、俸給として米を直接受け取る蔵米取の二つがある。


 蔵米取の収入は幕府の直轄地である天領からの年貢なので、旗本本人が領地経営に介入はしないし、知行取でも禄高三千石以上の寄合席を除けば、幕府の代官に領政は委ねている。つまり、拝借金で領地をどうこうという話にはならないのだ。


「彼らへの禄は滞りなく与えられております。米の値が安定せず年により実入りが変わることもありましょうが、そこは御公儀が引き続き米価の安定を図るよう動けばよろしい。旗本を優先すべき理由はありませぬ」

「されど直参は御公儀の要にて」

「それは承知しておるが、旗本が考えるべき第一は無駄な出費を抑えること」


 たとえばで、ある旗本の収入が年百両だとしよう。もしこの家の支出が年百五両であればどうなるだろうか。


「久世殿、どうなりますかな」

「毎年五両の赤字。その分は借金だな」

「では松本殿、これを解消するには如何に」

「五両分、収入を増やすか支出を抑えるか。いや、既に借金を重ねておるのだから、それを考えたら五両分では足りぬか」

「それを此度の拝借金で救ってやれぬものかと」


 伊奈家は関東の代官職を束ねる役どころであり、旗本領や天領、つまりは直参たちの収入の源を管理する立場なので、彼らを優先したいというのは分からなくはない。


 もっとも、それも大奥に余計な依頼をしていなければの話だけどな。


「伊奈殿は代官頭を兼ねておられるゆえ、旗本などに同情的なのやもしれぬが、先程のたとえで言えば、百両しか禄を与えられておらぬ者が百五両使っておるのがおかしな話でござろう」

「されど、直参の体面が……」

「禄を百両と定められたならば、百両で収まるよう金勘定するが当たり前。体面か何か知らぬが、金が足りないからその分をお上に補ってもらおうとは虫がよすぎるとは思いませぬか」

「なれど、直参の暮らし向きが上向かねば……」


 さっきから直参が直参がとうるせえな。同じことを繰り返すbotと化しているな。


「伊奈殿は本気でそうお考えか」

「何を仰る」

「先程から口を開けば直参は直参はと、何やら考えもまとまらぬご様子。どなたかにそう進言せよとでも言われましたか」

「いくら参与殿とて無礼であろう!」


 伊奈忠尊いな ただたか殿が亡き養父の跡を継いで当主となったのが十五の年。そして先年、二十一の若さで勘定吟味役も兼ねることとなったわけだが、年齢的にはまだまだ経験不足と言える。代官頭も吟味役も簡単な仕事ではないから、若年の彼が職を務めていられるのは、家臣たちの力があってのことだろう。


 幕府草創期から代官職を受け継ぐ伊奈の家中には、お役目に対するノウハウが蓄積されているわけで、老臣たちの助言助力は彼が役目を果たすためには不可欠。だからこそ今回も何やら話を吹き込まれてきたのではないかと思う。


 だから明確な理由もなくbotと化しているのを見て、家臣にそう進言せよと入れ知恵されたかと聞いたわけだが、思った以上に怒っていた。それが却って、彼本人の意思によるものではないのだと如実に示している。


「某も若年で当主を継ぎました故、年長の家臣たちの知見には聞くべきところも多くあるのは分かります。されど、此度に関しては方針がガラリと変わっておりますれば、人の言をただ諾々と受け入れるのみでは困るのです。伊奈殿の存念をお聞かせ願いたい」

「それは……」

「直参たちを救いたいのであれば、彼らに直接拝借金を与えるより、公儀としてその金で何かを興すべき。彼らの土地を代官として預かる伊奈殿が、皆に変わって拝借金を受け、農地改良や治水を手がけるでも宜しかろう」

「しかし、それでは直参たちの普段の暮らしは……」

「今まで収入以上に金を使っておったのならば、しばらくは収入と支出の釣り合いを取るよう質素倹約に励むしかござるまい」

「いやしかし、それでは……うーん……(バタッ)」

「伊奈殿、いかがされた!」


 二人の間で繰り返しのやりとりが続き、借金返済が主な理由では、旗本に拝借金を与えても効果はありませんよと突っぱねていたら、忠尊殿が上体をフラフラとさせると、その場に蹲ってしまった。


「いかんな。いささかお疲れのようだ。誰ぞ、摂津守殿を屋敷までお連れいたせ」


 奉行の一人である柘植殿がその様子を見るや、控えていた下の者たちに伊奈殿を屋敷まで送り届けるよう手配を始めた。


「おそらくは板挟みで心労が重なったのでござろう」

「少し手厳しく言い過ぎてしまいましたかな」

「いや。お役を務めておる以上、若年ゆえ経験が足りぬとか、考えが浅いでは困りまする。治部殿の仰せはもっともなれば、摂津守も吟味役の務めを今一度よく考えたほうがよかろう」


 柘植殿がそう言うと、他の奉行たちもそれに同意のようだ。


「若いゆえ年長の者の知恵に頼る面もあろうが、あれでは代官頭の職も危ういぞ」

「桑原殿、少々手厳しいのでは」

「何を申すか久世殿。治部殿を見れば年の問題でないことは分かるであろう。年長者の知見を入れた上で、己の知識に研鑽をかけたが故に今こうして参与の職にあられるのだ。摂津ももう少し精進してもらいたいものだ」


 まあ桑原殿の仰るとおりですな。

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"な(奈)"は有っても"のう(能)"は無いってか… 名前が似ている同時代の偉人と比較しちゃうw
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