三万石のお墨付き
第六章本編最終話です。
「先生、一つご質問してよろしいでしょうか」
「長丸、なんであろう」
草津温泉の活用法から、話が茂さんのコイバナに移ってやいのやいのとしていると、ふいに長丸が真剣な顔で質問をしてきた。
まさか無いとか言っておいて、実は……みたいな感じ?
「先生がこの地で為されようとしておること、なにやら儲け話ばかりのような気がしまして」
良かった……真面目な話だ。
「気、ではなく儲け話そのものだな」
「何故にそれを為さるのかと思いまして」
「よい質問だ。これは吾妻に限った話ではない。いずれはこの国全体がそうなるための、謂わば端緒となるものだ」
貨幣経済が進行していく流れは史実が証明している。
もっとも、それを明確に知るのは俺一人。田沼公などはその匂いを感じ取っているからこそ、それを政策に取り入れているわけだが、なにせこれまでと全く違う制度に考え方だから、試行錯誤の連続。
史実では、反対勢力がごまんといる中で強行し、結果天災が続く中で突き上げを食らって頓挫してしまったわけだが、俺という存在がその未来を大きく変えてしまった。
政敵の筆頭一橋は既に無く、改革の成果も如実に現れ始めているし、なによりそれに理解のある家基様が健在なのだからな。
とはいえ、現実はそれでようやく改革を進める下地が整ったというばかり。未だに懐疑的な声は少なくないし、史実通りに天災が起こり始めている今、一つ手を間違えれば再び反対派の勢いが復活する危険性は高い。そこで手がけたのが、吾妻郡の復興と称して、この地を貨幣経済の先駆けとする魔改造だ。
山がちで農産、特にこの国で重要視されている稲作に不向きな土地でも、やり方一つでこれだけ豊かな実りが得られるのだぞと示せれば、他の天領でも真似出来るし、各地の大名も藩政改革にこれを取り入れる可能性はある。
土地によって資源も地形も気候も様々だから、やり方は各々工夫が必要だろうし、ここと同じ成果になるとは限らないが、成功のモデルケースを見せるという意味では最良の場所であったと思う。
前にも言ったが、天災で全てを喪ってゼロからのスタートであったことが大きい。ついでに言えば、何かあったときに幕府が民を救う姿勢があるのだと示せたこともな。
「これはこの国の行く末のための改革なのだ」
「先生の知見、感服いたしました。されどよろしかったのですか? ここは天領や他の旗本の領地。私利に非ずとは申せ、あまりにも先生の得る利が少ないかと」
長丸も元は大名の嫡子であったから、政というものが何かは理解している。
それはひとえに己の領地の繁栄のため。自分の領地で試すならともかく、他人の領地でその知見を存分に発揮するというのは、あまりにも人が良すぎるのではないかと言いたいのだろう。
「心配いたすな。私利に非ずとは申したが、みすみす上手い儲け話を他人にくれてやるほど、この治部少輔はお人好しではない」
「では……」
「俺には三万石のお墨付きがあるからな」
「三万石の……お墨付き?」
長丸はなんのことやら? という顔をしているが、そのあたりは江戸に戻ってからの話だな。
――天明四(1784)年・春
「お殿様から受けた御恩、一同生涯忘れませぬ」
「うむ。皆達者で暮らせよ」
春になり雪解けを待ち、俺たち復旧隊の最後の面々が、江戸に向けて出立する日がやって来た。
ここに来て半年ちょっと。支援物資や急ぎで植えた秋野菜のおかげで、なんとか冬を乗り切れたわけだが、ここから先は土地の者たちの努力次第だ。
「先生……」
「弥太郎。この半年、良う学んだな。褒めて遣わす」
「俺……まだ一杯教わりたいことが……」
「そうは言っても私も江戸で仕事があるからの」
そして、罰として俺の書生代わりにこき使った弥太郎ともこれでお別れだ。
「先生はここのお殿様じゃなかったの?」
「違う。ここはお上が持つ土地や、他の侍が与えられた土地だ。私の領地は別にある」
「俺、てっきり先生がここのお殿様になるから、だから助けに来たのかと」
「最初に言ったであろう。民が救いを求めるのであれば助けに行く。それが武士の務めなのだと。誰の土地であるかはさして重要ではない」
「じゃあ……もう先生とは会えないの?」
「人の縁なんて気まぐれだ。会えると思っていた者と急に会えなくなることもあれば、今生の別れと思ったらまさかの再会を果たすなんてこともある。もしかしたら、近いうちにまた会えるやもしれん」
「もし会えたら、また学問教えてもらえますか」
「良かろう。それまで精々精進せよ」
「分かりました。待ってます!」
こうして、俺たちは吾妻郡を後にした。
その帰りの道中、村を通り過ぎる度に村人たちは沿道に姿を見せ、おしなべて平伏して一行の帰りを見送ってくれた。
決して土下座で出迎えろなんてことは言ってないし、命じてもいない。ただただ、彼らが一行に対して感謝の念を伝えるための行いであったのだと思う。
<江戸城>
「藤枝治部少輔、面を上げよ」
「はっ」
江戸に戻り旅の汚れを落とすと、まずは上様に目通りをと言われ、俺は家治公や家基様などが待つ本丸へ向かった。
「治部。此度の仕置、大儀であった」
「勿体ないお言葉」
「甚大な被害ではあったが、治部の進言があってこそ、この程度で食い止められたものと思っておる」
「大納言様が某の進言を聞き届けていただいたおかげでございます」
俺が江戸を発つ前、家基様や田沼公には各地の稲が実る可能性が低いことから、可能な限りすぐに収穫できる作物の栽培を進めること、そして降灰により川底に泥が溜まるから、急ぎ取り除かねば少しの雨で川が氾濫する危険性を説き、その対応をお願いした。
事実、俺が吾妻郡へ向かってしばらく経った頃、秋の長雨で荒川で大水が発生し、荒川から大川を下って江戸の町も被害を受けたそうだが、俺の進言で急ぎ泥を取り除いた後だったので、大きな被害にはならなかったそうだ。
つまり逆に考えると、泥を取り除かなかったら、もっと被害は大きくなっていたわけで、それもあって他の河川でも急ぎで除去作業が進められていたとか。
そして飢饉の方はと言うと、やはりというか発生し始めていた。
特に関東から東北にかけての稲は壊滅的なものとなったが、幕府の命によって米価の高騰を抑制し、各領地間での流通も制限をかけたことで、大きな騒ぎには至っていないようだ。
とはいえ、江戸に入ってくる量が少ないから在庫はすぐに枯渇したわけだが、そこは町火消のみんなが江戸の外の惨状を広めてくれたおかげで、麦やら粟、稗、甘藷なんかで急場をしのいだらしい。急場とは言うが、それより前から米以外の主食に慣れてもらった人も多かったので、渋る者を俺に好意的な町人たちが説得するといった具合で、嫌々という雰囲気はそれほど無かったようだと付け加えておこう。
もちろん米以外の作物も天候不順で収穫量は落ちたものの、なんとか町人たちが飢えない程度には量を確保出来たようで、今まで栽培を奨励してきた甲斐があったというものだ。
「話は変わるが治部よ。其方立身出世に然程興味が無いと大納言に聞いたが、それは真か」
「興味が無いわけではございませぬが、官位も拝領し、大納言様の諱も頂いておりますれば、十分に報いていただいておりまする」
「左様か。だが此度も大功を挙げたゆえ、余からも報いてやらねばいかん」
「有り難きお言葉」
「なんぞ望みはあるか。言っておくが、その言葉だけで十分というのは望みのうちに入らんからな」
まあそうなるわな。功を挙げたら賞さねば、主従関係は成り立たない。前回は家基様絡みの話だったので、そちらで上手いことやってもらったわけだが、今回は家治公直々のお沙汰なわけで、要らねえとは口が裂けても言えない。
であれば、アレを使うときだろう……
「されば大納言様。以前某が諱を頂戴した折、元々は埼玉郡の三万石をという話、覚えておいででしょうか」
「無論だ」
「余も聞いておる。治部少輔が功を挙げて忍城を云々と言っておったとか」
「そのときのお約束はまだ生きておりまするか」
「ほう、いよいよ受ける気になったのか」
「されば……」
「なんと……埼玉郡でなくて良いのか?」
「某の望むところにて。所領としていた旗本は領地替えとなりますが、稲作では当面実りの悪い地となりますれば、受けていただけるかと」
「相分かった。ではそのように取り計らおう」
「有難き幸せ」
こうして天明四年春、新たな譜代大名が誕生した。
当主の名は西の丸蘭書和解御用掛・藤枝治部少輔基行。これまでの数々の功績に対し、上州吾妻郡二万五千石が恩賞として加増され、それまで持っていた武蔵・相模の所領約四千石を合わせて都合二万九千石。
藩庁は吾妻郡中之条。上州中之条藩の始まりである。
<第六章 開戦!天才対天災・完>
「旗本改革男」をお読みいただきありがとうございます。これにて第六章本編は完結となります。
えー、とうとう題名と本人の地位が異なることとなりました……元々そういう展開にするつもりではあったのですが、題名は個人的に気に入っているので変える予定はありません。
タイトル詐欺じゃないので苦情は受け付けませんw
次回投稿の他者視点は、吾妻郡のクソガ……もとい若き弟子の弥太郎視点となります。お殿様じゃないと思ったのにお殿様になりましたを現地視点で描きます。
そして再度の告知になりますが、3/3に株式会社KADOKAWA様より書籍化いたします。
文庫本ではないのでレーベルからではなく、角川書店出版の単行本となりまして、お値段が2,035円(税込)と少々お高めですが、もしよろしければAmazon等通販サイトで予約受付中なので、ご注文いただけると幸いです。
ちなみにこちらが表紙絵でございます。
後列左から徳川宗武、ツンベルク、前野良沢、杉田玄白、平賀源内で、前列が左から賢丸、安十郎、種姫、綾と、第三章までの主な登場人物で賑やかな感じと、改革で「前へ進む人々」をイメージしているこちらのイラストは"おおさわゆう"さんの作となります。
ここにタイトルや帯が付くのですが、そちらは現在デザイン中ですので、確定次第改めてご紹介出来ればと思います。
以上宣伝でございました。よろしくお願いします!