第五章登場人物まとめ
○…既出人物
●…第五章初登場(読み、史実生没年付き)
※既に登場済で本章においては名前だけ出ている人物は紹介を割愛。逆に以前に名前だけ登場した人物で本章で初めて姿を現した(描写ありorセリフあり)人物は初登場扱いにしております。
<藤枝家&家臣・弟子>
○藤枝教行→基行
将軍世子を救った功により、従五位下治部少輔任官。三万石の加増を断る代わりに家基から偏諱を与え(押し付け)られた上、思いがけず帝にも気に入られてしまう。
別名
・本所の麒麟児
・江戸一番の蘭学者
・三万石より嫁を取った男 ←New!
・芋侍 ←New!
・無自覚スケコマシ ←New!
○種姫→藤枝種
人妻にクラスチェンジし、大人の階段を登る。
|д゜)チラッ ソクシツガクルマエニヤルコトヤッテオカネバ……
○大槻茂質
○工藤綾子
治部不在の藤枝家で、種や綾と共に蘭学勉強中。
●大原又三郎
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架空人物。甲賀古士、大原数馬(こちらは実在)の子。つまり甲賀忍者の末裔。
先祖の勲功を基に禄を与えてもらおうと考える父と袂を分かち、京都に向かう途中、中山道守山宿に滞在する治部を訪ねて仕官を請う。お試し期間中に色々と下働きで動けそうなのが分かったので、正式に仕官を認め、江戸に連れ帰ることとした。
<田安家>
○徳川治察
本来御三卿は政治に口出し出来ないが、田沼率いる幕閣の実質的な後ろ盾となる。
○因子
第二子懐妊中。正室としての務めを種に説くなど、田安家の御簾中として頼りがいのある女性に成長。怒ると種より怖い(?)
○寿麻呂
治察嫡男。将来の田安家三代目。やんちゃ盛りのお年頃で甘藷が大好物。
●篤姫
1773-1844
薩摩藩主島津重豪の娘。史実では十一代将軍徳川家斉の正室広大院となるが、この世界では一橋家が消滅したため、田安家の嫁となるべく養育中。甘藷繋がりで寿麻呂とも仲良しで、自分を温かく迎えてくれた田安家に恩義を感じている。
<徳川将軍家&幕閣>
○徳川家基
歴史が変わり、次代将軍として成長中。渋る治部をどうにかして要職に就けようと、伝家の宝刀(偏諱)を使って布石を打つ。
○徳川家治
徳川十代将軍。息子の早世が避けられ、史実のような気落ちもしていない模様。相変わらず政治は田沼にお任せだけど……
○田沼意次
元気なジジイはとうとう老中首座、幕臣の頂点に立つ。反対勢力が減り、改革も進めやすくなった。
○田沼意知
継嗣の立場ながら奏者番の役に就き、父の後継として幕閣で働く。治部が加増を断った理由を見抜き、家基に伝える。
<蝦夷地関連>
○長谷川平蔵
禄高千四百石、幕府使番。諸国巡検使として赴いた蝦夷地で、松前の不正とロシア来航の事実を掴む大功を上げる。ついでに現地妻も確保したのは、このまま蝦夷地探索を担うフラグか!?
そんなわけで好物が軍鶏鍋から石狩鍋に変わりそう……
●青島俊蔵
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幕府普請役。平蔵の下で蝦夷地調査に携わり、先行して江戸に戻ってその結果を家基たちに報告する。
史実でも蝦夷地探検隊の一翼を担うが、田沼失脚後に解任される。後にアイヌ人の蜂起(クナシリ・メナシの戦い)があり、その原因究明のために再度蝦夷地に派遣されるが、隠密でありながらアイヌ騒乱後の処置に関し、松前藩に助言したとか、報告内容を改ざんしたとかの理由で投獄される。(おそらくこれは冤罪と思われる)
結果、遠島の罰を受けるも、島流しになる前に獄中で病死という最後であったが、この時代では歴史が変わりそう。平蔵の部下となると別の意味で大変そうではあるが……
●イコトイ
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蝦夷地アッケシの乙名(首長)。平蔵に蝦夷地支配の現状を伝え、これが歴史を大きく動かす一歩となる。史実では蝦夷地探検隊の一人、最上徳内に同行し、国後から択捉、ウルップ島へと渡り、徳内の探索事業に貢献。
松前藩の家老蠣崎波響の作品「夷酋列像」という、アイヌの首長12名を描いた肖像画の中の1人でもある。
本文でも触れたが、厚岸といえば「かきめし」である。(他に名物あったらゴメンナサイ)
<彦根藩>
●井伊直幸
1729-1789
彦根藩第十三代藩主。正四位上左中将。史実では田沼と親しく、この後大老に就任するも、田沼失脚後の政争に敗れて辞任することに。本作では財政改革の一つに牛肉の流通を画策し、治部にそれを依頼したことでもつ料理が彦根名物となる。
幕末の大老井伊直弼の祖父。
●木俣守将
1737-1797
彦根藩筆頭家老、木俣清左衛門家の第8代当主。通称土佐。主君直幸の命で藩の財政改革を推進。
<大坂>
●近江屋長兵衛
1750-1821
大坂船場、道修町の薬種商人。暖簾分けで独立して以降の商いについて、治部からアドバイスを受ける。もしかすると西洋医薬品の輸入が早まるかも?
後の武田薬品工業の創設者として名を残す人物。
●麻田剛立
1734-1799
豊後国杵築生まれの天文学者。元の名は綾部妥彰。
天文学の更なる研究を志して脱藩。大坂に移り住んで後、名を麻田姓に変えた。
独学でケプラーの第三法則を見つけるなど、この時代の天文学者としては第一級の実力。後に彼の弟子や孫弟子たちが天文や測量などの分野で大きな功績を残すことになる。
<京都>
●光格天皇
1771-1840
第百十九代天皇。閑院宮典仁親王の第六王子、幼名祐宮
歴史では光格天皇と呼ばれているが、これは死後の諡なので、存命中は"帝"とか"お上"、"主上"と呼ばれている。
閑院宮家は美男子の家系らしく、天皇も整った顔立ちだったという記録もあるほか、飢饉のときの貧民救済や対外情勢の把握に務めるなど、朝廷権威の復権に努めた名君。
本作では献上された餡八橋がお気に入りで、治部のことも気に入っている。
●近衛内前
1728-1785
前関白、准三宮。徳川治察生母宝蓮院(通子)の弟であり、御簾中因子の父。
芋羊羹の製法を治部から教わりホクホク顔。……芋だけに。
●近衛経熈
1761-1799
現近衛家当主、内大臣。将軍の正室は宮家か摂家の姫という慣例があったため、史実では、かつて主従関係であった島津家から頼まれて藩主重豪の娘篤姫を自身の養女に迎え、徳川家斉の元へ嫁がせた。
本作では嫁ぎ先は変わるものの、やはり篤姫は養女となるようだ。
●九条尚実
1717-1787
九条家当主、摂政。元は僧籍に入っていたが、当主であった甥の死に伴って還俗し、九条家を継ぐことになるが、その際に長く僧籍に入り、有職故実を学んでいない者が摂家の当主になるのは不適当みたいな理由で他の公卿から異論が出てとひと悶着あったらしい。
しかし尚実は漢学に詳しかったという記述もあって頭は悪くないようなので、当主に就いてから勉強すれば十分なのでは? と思うが、要はイチャモンつけて自身の縁者を九条の後継者にねじ込もうとか、そういう企みがあったのではと邪推する。
ちなみに子や孫に先立たれ、晩年は苦労したようだ。
●土御門泰邦
1711-1784
陰陽道、暦道、天文道で朝廷に仕える公卿。陰陽師安倍晴明の末裔。正二位。
元々改元や改暦は朝廷の仕事であったが、いつしか改元の権限は幕府に奪われ、改暦も貞享歴の際に奪われてしまった。これを憂慮した泰邦は、幕府が再び改暦を検討していると知ってこれに介入。将軍吉宗が亡くなって幕府の対応が遅れた隙に改暦の主導権を奪い返す。
吉宗は西洋天文学の知見を加えた改暦を考えていたが、泰邦主導で改暦した宝暦暦は、西洋天文学の"せ"の字も無く、貞享暦を補正しただけ。しかも改悪になっていたので評判は散々だった。安倍晴明の名が泣くぞ。
本人もそれはよく分かっているためか、治部が京都に来たのを見て、再び幕府が改暦を考えているのか……と警戒する。
●冷泉為章
1752-1822
歌道を家業とする上冷泉家の第十七代当主。従三位。
近衛家から治部の和歌の指南を頼まれ、思惑あって妹の綾子を送り込む。
●冷泉綾子
1762-??
架空人物(名の残っていない冷泉家の姫をネームド)。冷泉為章の妹。和歌や諸般の学問に長けた、高身長でスタイル完璧の京美人。ただしそれが故に貴族の男たちからは女扱いしてもらえず煙たがられ、おかげで闇属性を習得。
しかし治部にはそれがどストライクで浮かれた結果、嫁に来ないか(意訳)と口にしてしまう大失態。綾子も満更ではなかったが、治部の今後を考えて身を引く。
……が、このままだと再び江戸で会うことになるようだ。
●孝宮
1770-1821
閑院宮典仁親王の第二王女。
史実でも徳川家基の許嫁だったらしいが、お相手の死去により、後に皇女が歴代住職を務める尼門跡の霊鑑寺に入り得度。観山宗恭(宗恭女王)と称した。
この世界では、綾子を引き連れて無事に江戸へ輿入れすることに。
以上で第五章終了ございます。
次章は1週間後、11/23(土)から再開します。
それでは開始までしばしお待ちくださいませ。