佐倉城にて
賢丸様、種姫様、そして俺を乗せた駕籠は下総へ向け、ゆっくりと佐倉街道と呼ばれる道を進んでいく。
千住宿から水戸街道を次の新宿まで進むと道は東に分かれ、八幡、船橋、大和田、臼井という宿場町を通り、十一万石の城下町佐倉へと至る道は、下総各藩の参勤交代に使われるほか、最近では成田詣に向かう庶民が多く往来に利用している。
その目的地は、佐倉から酒々井宿を経た先にある成田山新勝寺。不動明王を本尊とするこの寺は戦国期に一時寂れたものの、歌舞伎役者・初代市川團十郎が子宝祈願をしたところ待望の長男を授かり、その御礼にと「成田屋」の屋号を名乗るほど熱心に信仰し、不動明王が登場する芝居を数多く公演したことで知名度が急上昇した。
更にはお伊勢参りや富士講よりも、江戸から近くて行きやすいこともあって、成田不動は庶民の信仰を集め、参詣者が多く通るこの道を最近は成田街道と呼ぶ者も多い。駕籠から外を見れば、なるほど参詣者が行き交う様子が多く見受けられ、そう呼ばれるのも頷ける賑わいだ。
江戸から成田山までは、今回のような陸路にしろ、日本橋から下総の行徳という湊まで水路を使うにしろ、通常なら途中船橋か大和田で泊まる片道一泊二日の行程であるが、駕籠の行列、さらには幼い種姫様も一緒ということで、今回は途中船橋と佐倉で宿を取る片道二泊三日の予定になっており、今日は二日目、今は臼井宿にて休憩中だ。
「田安家の皆様にございますな」
臼井宿から少し道を進むと、街道の先に我々を迎えにきたと思われる武士団が礼に則って待ち構えており、その中から一人、学者風の初老の男が前に進んで声をかけてきた。
「いかにも。賢丸である」
「遠いところをようこそお越しになりました。堀田相模守が家臣で渋井太室と申します。ここよりは我々がご案内いたします」
「わざわざの出迎え、大儀である」
佐倉藩堀田家は譜代の大身。将軍家一門がこれを素通りしては彼らの面子は丸潰れとなるし、向こうも知らないうちに領内で何かあっては困るだろうから、事前に下向することは伝えてある。その結果、彼らが本当にそれを望んでいたかは分からないが、歓待を受けることとなったのだ。今回佐倉に泊まる理由はここも大きい。
そして渋井様が俺に声をかけてきたので少し話したが、なんでも若い頃に林大学頭の元で学び、後に先代の藩主に招聘され、今は藩政を補佐し、文教政策にも取り組む儒学者なんだとか。もしかしたら俺や賢丸様の話を聞いて、知識人を歓待役に宛がってくれたのかもしれない。
――佐倉城内
「わざわざのお運び、恐悦にございます」
「相模守殿、我ら無位無官の部屋住でござる。内々の下向ゆえお楽に」
城内の一室では、賢丸様と種姫様を上座に、藩主堀田相模守正順様の挨拶を受けていた。
「此度は領内の視察においでになったとか。そのお年で領民のことまでお考えになるとはさすがにございますな。某なぞ家督を継いでもう十年近くになりますが、まだまだそこまで至りませぬ」
「いやいや、そこの安十郎に唆されただけです」
「なるほど、こちらが例の……」
賢丸様の視線がこちらに向いたのをきっかけに、堀田様や渋井様の目もこちらに向く。例の……って何よ? とは思ったが、ここは俺が挨拶する番だろうな。
「お初にお目にかかります。旗本徳山甲斐守が八男で安十郎と申します」
「昆陽先生からお話は伺っております。我が生涯最後の弟子にして俊英だとな」
「先生をご存じで」
「江戸で学んだ学者で昆陽先生のことを知らぬ者はおりません。某も何度となくお話を伺いました」
渋井様は見識を深めるため、儒学に限らず様々な分野の学者と交流していたようで、生前の昆陽先生から俺のことも聞いていたらしい。
「甘藷の栽培を進めるとか。先生の意思がしっかり受け継がれていると感心しておるのです」
「ええ、飢饉によって民が飢え死ねば、田畑を耕す者が減り、更に食う物に困る民が増えと悪循環です。万が一のときのための備えは必要かと」
「安十郎とやら、そのことで我が藩も教えを請いたいのだが」
正順様が仰るには、佐倉藩も徐々に藩財政が厳しくなってきており、早いうちに手を打っておきたいとのことだが……
「私は若年ゆえまだ幕閣に名を連ねてはおらぬが、早晩お役目を拝命することになろう。さすれば今以上に物入りとなって、余計に厳しくなるからのう。今のうちに手を打っておきたいのだ」
「下総はそれほど飢饉の影響が?」
「実は我が藩の領地のうち、四万石ほどは出羽国にあるのだよ」
俺の疑問に渋井様が答えられた。出羽は最近でも宝暦年間に大飢饉があったし、以降もあまり取れ高は良くないと聞く。十一万石の家格を七万石、いや、緊急的な財政出動も考えればもっと少ない収入で支えることになるはず。たしかに財政が悪化する要因だな。
「賢丸様、いかがいたしましょう」
「よいのではないか。堀田は譜代の重鎮であり江戸の東を守る要、東国からの荷を江戸に運ぶにも、佐倉の世情が乱れては困ることも多かろう」
俺の一存では決めかねるので、賢丸様に判断を仰いだわけだが、実を言えば賢丸様にもそんな権限はない。要は元から田安・堀田の両家で話はまとまっており、一応儀礼として話したまでのこと。子供とはいえ、直接会う人間に対して筋を通したということなのだ。
出羽に領地があるのは事前に俺も聞いていたし、そのために今回は甘藷の他に寒冷地栽培に適してそうな作物もいくつか一緒に植えているから、いわゆる出来レースというやつよ。
だからこのやりとりを見て、「大人と対等に会話をしてる〜」と目をキラキラさせている種姫様には内緒の話だ。