表層雪崩は本質ではなかった
思い感じたことをそのまま書きました。誰得なんて知りません。
週に1日私は少し遠出をする。行くのは大体決まって、喫茶店と人の少ないファミレスに足を運ぶ。今日は喫茶店にスポットを当てる。ここの喫茶店は、座席数がかなり多い部類になる。座り心地の良い椅子とテーブル。居心地の良い適度に離れた座席と聞き覚えのある洋楽が流れる。
創業者の言葉には「非日常の提供」とある。確かに、今時お代わりのコーヒーが店員によって運ばれるのは珍しい。個人の喫茶店ならともかく、座席数の多い喫茶店では異例だ。ファミレスと同じように、ドリンクバーや近年多い配膳ロボットが無い。すべて店員によって運ばれる。
夕方になっても客は途絶えることなくにぎやか。春休みに入っているはずだが、未成年者はいないというのも非常に興味深い。私はいつもの席に座りたいと思っていると、見慣れない店員が「奥のお席がよろしいですよね?」と私が好んで毎回座る席を認知している。座席を案内され着いていくと「ああ。空いてました。どうぞ」どこか気恥ずかしい。忙しいさなかでも座席案内していただき感謝。
早速注文をする。そう。先週から決めていたのだ。次はこれを頼もう。前回飲んだ「加賀棒ほうじ茶のクリームスムージー」が寒い日ではあったが、氷の粒がほどよくあり食感が楽しくほうじ茶の香りの良さを楽しむことが出来た。能登半島地震への支援があまりできなくて困っていたところに加賀棒茶を使った商品。次は「加賀棒ほうじ茶のリコッタパンケーキ」を注文するつもりで入店している。
コーヒーはいつも大体がアメリカン。アメリカンを運ぶウェイトレスは、顔を覚えてもらっていて声をかけてくれる気さくなウェイトレスさん。「珍しいですね。パンケーキ」そうですか?私けっこう食べてますよ。とは思ったが、たまたまウェイトレスさんのいない日だったのでしょう。食事してるイメージがあったのでしょう。そうです。前回もいただきました。ピリ辛の限定の食事を。その時も「良かったらご意見お願いします。あまり他の方は言ってくださらないので」その言葉にまんまと乗っかり「マジで意見してきた」という表情に心折れかけながらもこうして今日も来てしまう。
「加賀棒ほうじ茶のリコッタパンケーキ」単品だとやっぱり大きい。見栄えが良く大人のパンケーキという風貌だ。ふわふわのパンケーキ二層構造にほうじ茶のふわふわムースに、大納言小豆とクリームがオシャレに見える。ほうじ茶ソースとあるが実はよくわからなかった。しかし、香りがよく中高生にはまだ早い一品。出来ることなら、ほうじ茶を飲みたかったかな。店内に香るほうじ茶の香り。
私がまだ若くフットワークが軽かったころ。とある大手スーパーが24時間化するぞと意気込んでる初期メンバーに私がいた。夜中2時にもなると店員と警備員しかいない。広すぎる空間に、ほうじ茶のディスプレイがあり絶え間なく香ってくるほうじ茶の香り。今もほうじ茶と言えば深夜2時のほうじ茶の香りを思い出す。
パンケーキはナイフを使わずフォークだけで食べる。それはいつものこと。だがそれが悪かったのだ。いつも通りにフォークで突き刺し反転させ切り取る。それを楽しんでいると、ほうじ茶のふわふわとしたムースが上に乗ったクリームと大納言小豆が手繰り寄せるようにムースを引っ張り落とす。つるりん。表層雪崩が発生してしまったのだ。うっすらと取り残されたふわふわのムースが残るだけ。
ナイフを使い上手に食べていれば表層雪崩は発生しなかったのだ。なんて愚かなのだ。出された形に近い形で食べるのが最も美しい形だというのに。愚かな。私は愚か者だった。
だがしかし。美しさを失ったリコッタパンケーキの凛としたプライドを私に訴えてくる。まるで「そのムースとクリームと小豆を絡めて食べてごらん。そう。美しさより美味しさがリコッタパンケーキの本来の姿なの。分かったらお食べ」と声が聞こえる。確かにその通りだ。そのまま食べ進めば、中央に集いしムースとクリームと小豆の甘すぎるトリオが残る。それはさすがに甘すぎるだろ。そうか。表層雪崩が起きたことで、甘さの調整が出来るのだな。
なんということだ。形にとらわれすぎていたのだ。美しい形はいつかは崩れる。きっとそういうことなのだろう。それをリコッタパンケーキは私に教えてくれたのだろう。
小説家になろうで小説を書くようになり、最初は崩した自分風で書こうとしていた。しかし、書き進めるうちに自分風がどこかへ行ってしまう。読み返すとわかる。最初の頃は、自分風だと思っていたが、どこかで見たことある風のを書いていた。読者もそれを期待していたのか。だんだんと崩れていき読者は離れて行った。書いている本人は楽しくて仕方ない。のんびり書いていこう。なんて言っていたが、週1から年末年始に毎日投稿したことで少しずつ読まれるようになった。週2ペースでも行けると思い書いていく。7月に誰かが宣伝してくれたようで爆発的なPV。すぐに大人しくなるが、読者が一気に増えた。2度目の12月にとてつもなくPVが高い数値で安定したことにより、2日おきに投稿するようになり今に至る。正月三が日で日本を大きく揺るがす天災と事故と事件により胸を痛め腰を痛めなにも出来ず放置することになった。今は幸い腰の痛みは治り胸の痛みは時々出てくるくらい。
表層雪崩は何度も起きる。自分風に書くんだと意気込んだ結果、マイナーチェンジを繰り返し徐々に一般的な形になってしまう。どことなく、加賀棒ほうじ茶のリコッタパンケーキを見ていて、「ああ。私の小説と似てるな」と。
リコッタパンケーキからの声を思い出してみよう。「そのムースとクリームと小豆を絡めて食べてごらん。そう。美しさより美味しさがリコッタパンケーキの本来の姿なの。分かったらお食べ」
そうだ!その表層雪崩は本来の味を引き出すためのことだったのだ。私は何を悩んでいるのだ。最初の思いとかけ離れているかもしれないけれど、大事なのはそこじゃない。見た目のことではなく、中身の少年ツネタロウのこの先どうなっていくのか。これが大事なのだと思い知らされる。
リコッタパンケーキの精だったのか。私に聞こえたその声に、悩んでることがあるなら文字で吐き出してもいいのかもしれない。そこに誰が得をするわけではないが。読んで楽しい嬉しい悲しいとはならないかもしれない。むしろ、つまらないと思うだろう。それでも、この気持ちを文字にしたくてたまらない。リコッタパンケーキの精に感謝をして、コーヒー2杯目と美味しいお水を3回おかわりして今日はこの辺で帰ろう。
リコッタパンケーキの精よありがとう。なにか見つめ直すことが出来た。また表層雪崩を起こして私を楽しませてほしい。ありがとう。
本当に誰得なんでしょうね。心のままに書きました。リンゴジュース美味しい。お水も美味しい。