序章中編:最強キノコVS最強のドラゴン
カヌア村から見えるほどに聳え立つ岩山。そこの頂上に
はかつて“古き黒魔竜の祭殿”という場所があった。
そこで古代の人々は終焉の厄災と呼ばれし黒き魔竜を崇
めていたが、その祭殿は広く朽ち果てた石の大地と祭殿の
ような形を保つだけの廃墟であった。そこに贄とされる少
女とレッドドラゴンさえいなければ。
その祭壇の上にマロンと同じ茶栗色のロングヘアーと黒
き瞳を持つ十六歳の少女ブランが横たわっていた。
彼女の身体はレッドドラゴンの魔法で出来た鎖に縛ら
れ、姿も生贄という雰囲気の簡素な白装束を着せられていた。
彼女の眼前にいるッドドラゴンはやはり赤蜥蜴よりも恐ろしい姿と鳥よりも勇ましい姿を持ち、黄金の眼で彼女を蟻のようにニヤリと笑いながら、眺めている。
「何故、私を喰らわないのですか?」
ブランはたとえ体は恐怖に支配されても、瞳だけは真っ直ぐだった。彼女はレッドドラゴンを不条理と見なし、
恐怖に支配される中で勇気を振り絞り、その存在に問う。
「あれから一日が過ぎました。なのに私は喰われない。私
や村のみんながどれほどあなたの畏怖に苦しめられたと
お思いですか?」
その時、レッドドラゴンは轟音の如き念話を放つ。
『ほう、吾輩に口答えをするのか。まぁ、その勇気は褒め
称えよう。何、問いの答えは貴様が余りにも美しいから
だ。吾輩にはもったいないほどだが、早めに喰うとしよ
う。我ら気高き竜の生は余りにも長すぎる故にな。』
「なら、もう村のみんなに手を出さないで下さい。私の命
を差し出す代わりに。お願いします、これ以上、村のみ
んなを苦しませないで下さい。」
機転と思わんばかりに自らの犠牲で村や家族を守ろうとする哀れなブランに対し、レッドドラゴンは睨むかのように大きな目を近づかせ、嘲笑う。
『駄目だ。貴様の村は我らドラゴンの威光と畏怖を示すための贄だ。だが、安心しろ。貴様の妹とやらも我が贄として死の国とやらで一緒になるだろうからな。』
「おやめください! マロンだけは、妹だけは死なせない
で下さい!」
『その祈り、神とやらに届いても、我らには届かん。何故なら、ドラゴンこそがこの世界を統べる支配者なのだからだ。ハハハハハッ!』
レッドドラゴンは雄たけびのような笑いを上げ、ブラン
はただ自らの無力に打ちひしがれ、涙を浮かべるしかなか
った。
(ああ、マロン。どうか、あなただけでも……)
「ぶぎーーーーー!」
『「へ⁉」』
この畏怖という絶望的状況の中、突拍子もない鳴き声が
こだまする。その次の瞬間、マシュナリーを抱き抱えたマ
ロンを乗せたホーンボーアが砂埃と共に現れた。
「ぶぎゅーー、ぶぎゅーー……」
「猪さん、大丈夫? 村に出る前に持ってきた水筒の水
あげるよ。」
「ぶぎゅ! ごくごくごくごく……、ぶはぁーーー!」
出会い頭に乗り物にされたホーンボーアは魔物の森から
この岩山の頂上まで限界突破で一直線に駆け抜けたのこと
で疲れ、マロンに心配されながらも回復していた。
『ようやく会えたな。レッドドラゴン!』
『誰かと思えば、贄の血族に、雑魚二匹か。つまらん。』
「お姉ちゃーーん!」
「マロン! 来ちゃ駄目!」
ブランの警告を聞かず、姉の元へ向かうマロン。
しかし……
『ごぁあ―――――‼』
「きゃっ⁉」
レッドドラゴンの雄たけびに阻止され、尻餅をつく。
「マロン!」
『不埒者が。身の程を弁えろ。』
「お願いします。マロンだけは……」
『くどい! あまりにもしつこいと、贄になる前に吾輩の炎で塵芥と化すと思え!』
次々と起こる自らへの無礼に徐々に苛立つレッドドラゴ
ンに対し、マシュナリーはマロンを守るように彼女の前へ
立つ。
『レッドドラゴンよ。何故、お前は何の罪もない村を悲劇にさらそうとする。答えろ。』
『ふっ、そう来たか。なら応えよう。
吾輩の名はアグニス。この現世に失われしドラゴンの
威光、畏怖、尊厳を取り戻す者なり。』
レッドドラゴンことアグニスは翼を広げ、胸を張り、両手を天に挙げ、威光を示すかのような傲慢なポーズを取り、それに対し、マシュナリーは不機嫌そうに言った。
『まさか、お前は自らの種族の自慢だけの為に彼女ら姉妹や村の者たちを絶望の淵に追いやったというのか?』
『人間の心理など知るものか。元々は人間共が我らを崇めないのが悪いのだ。太古の昔はドラゴンこそが世界を統べる者として畏怖を集めたにも関わらず、奴らは神の教えによって、我らを邪道に引きずり込んだ。』
『……』
『あまつさえ、人間の叡智と言う名の俗物が生み出した銃などの兵器や大型魔法で蟲の如く駆逐しようとする
始末。それらを見過ごすわけにはいかぬ。』
『……』
アグニスが理不尽な怒りを混じりながら語る中、マシュ
ナリーは黙ったままだった。しかし、それはまるで、嵐の
前の静けさのような恐ろしい静かさだった。
『大体、貴様は何だ?キノコの風情の分際で、スライムや
ゴブリンといった雑魚のように生きているだけで精一杯の軟弱者が吾輩の前に立ちはだかるのがどれほど愚かな者か、身の程を……』
『黙れ』
『は?』
マシュナリーは自らの琴線が切れたように、縁までグラ
スに溜まった水が溢れ出すように、血滲む怒りをさらけ出
す。
『お前たちドラゴンはいつもそうだ。自分以外の存在を
愚者と見なし、神であるかのように傲慢に振る舞い、
我らの平和を踏み躙る。』
黒き炎と悲鳴に包まれし故郷。
『その行動がどんなに私たち弱者が居場所を奪われ、
怨嗟を、絶望を、お前たちへの殺意と憎悪を糧に生きて
いたのかを知らないのか。』
愛する者が塵芥と化した悲劇。
『生きているだけで精一杯だと……、当たり前だ! それの何が悪い! 生きるためだけの幸せにお前たちの畏怖など必要なものか!』
全てを守れなかった罪人である自らの無力さ
それら全てを知っているからこそ敵であるドラゴンの前に
立っている。
その思いに呼応するかのようにマシュナリーの身体から
白き純粋なオーラが揺らめく。
「あのマイコニドが纏っているのは一体⁉」
「きっ、キノコさん……、綺麗。」
(あれは闘気⁉ まさかこの雑魚が喋っているのは念話ではなく、闘気で心を伝えているのか⁉ だとしたら……)
この世界には二つの大いなる力と術がある。
一つは魔力。
この世界の大気中に含まれる超自然的因子で、それを伴う
ことで火、水、風、土、闇、光などと言ったエレメントの
力を行使する魔法という術を形作る。
もう一つは気力。
自らの肉体が持つ生命力から生み出せる超物理的因子で、
それを伴うことで岩や鋼を砕き、水中や空中を駆け抜け、
大いなる怪物たちを一網打尽にする闘気法という術を形作
り、格闘技や武器術にも発展した。
マシュナリーが声を出せる理由。それは心の声を闘気で
出来たオーラに反響させ、空気中に伝えることにある。
しかし、それは彼の闘気の練度と量が凄まじいということ
を表す。
『ただ強いだけの蜥蜴風情が私たち弱者の前に粋がるな! アグニス!』
『きっ! 貴様ぁ―――――!』
マシュナリーの登り詰めた憤怒による暴言にアグニスは
激昂する。
『下手に出れば調子乗りやがって! 貴様など吾輩の爪で切り裂いてくれる!』
鋼の山を壊滅させるほどのアグニスの爪がマシュナリー
とマロンに迫る。
「マロンを連れて、逃げて! マシュナリー!」
『もう遅い!』
豪風を呼ぶ一閃が薙ぎ払おうとした時、マシュナリーは
オーラを青く変化し、
『青闘気流水』
液体のように揺らめき、体を纏わせ、構えを取る。
『泳魚』
アグニスの凶刃が眼前に現れた時、その上から下に向か
う一直線の軌道を青い水のオーラの軌道に乗せ、上に曲げ
た。その結果、アグニスが攻撃して来る腕は天を向いてい
た。
『こっ、小癪な! ぬおぉぉぉぉぉ!』
『無駄だ。青闘気流水は力の形、向きを全て水のように操る術を基本としたもの。
特に「泳魚」は相手の攻撃の軌道を別方向に曲げることに長けている。それ故にその爪が私に至ることは永遠に不可能だ。』
マシュナリーの言う通りだった。アグニスの両腕による
無限の爪攻撃をマシュナリーが捌き切る。しかも、それらの余波が後ろにいるマロンやホーンボーアに及ばないように。姉妹も、ホーンボーアもただ芸術を見るかのように黙って見守るしかなかった。
『なら! これならどうだ!』
アグニスは巨木よりも分厚い自らの尻尾で大地を薙ぎ払う。ホーンボーアは間一髪の所で回避したが、余波による豪風で吹き飛ばされ、気絶する。
「ぶぎゅ⁉ぶぎ~~~~~!」
マシュナリーはマロンを頭に抱え、空中高く飛んだ。
しかし、
『かかったな! これで木端微塵だ!』
巨岩よりも大きなアグニスの拳がマシュナリーだけではなく、マロンにさえ迫る。
「マロン!」
「キノコさん!」
『マロンよ! しっかり私の頭にある笠を掴むんだ!』
「うん!」
姉妹が叫ぶ中、マシュナリーの青きオーラが燃え盛るように赤く変色し、
『赤闘気炎舞』
炎のように燃え上がる。
『嵐旋獄』
マシュナリーの拳に螺旋する獄炎のオーラを身に纏い、アグニスの拳に真っ向から勝負する。
マシュナリーの拳とアグニスの拳がぶつかり、その勝敗は……
『ぐっ、ぐがぁぁーーーーー‼』
アグニスの拳が見事に砕け散った。皮、肉、骨を断つどころか、魔法の武器しか通さないはずの竜鱗さえも粉砕し、剥がれ落ちるものもあった。アグニスはただ苦痛を受け、転がり倒れるだけだった。
『赤闘気炎舞は自らの力全てを向上させ、全ての技を必殺の一撃に変える術を基本としたもの。その中でも「嵐旋獄」は螺旋する闘気を拳に秘め、放つ技だ。これを喰らった者は外面だけでなく内側さえも無事では済まされない。』
アグニスが苦痛した瞬間、魔法の鎖が消え、ブランは
解放された。
マシュナリーはブランの自由を確認し、空を蹴って、
マロンと共に向かい、着地する。
「マロン!」
「お姉ちゃん!」
離れ離れとなった姉妹はついに再開した。姉妹は互いに喜び、涙を浮かべた。
「まったく! いつも心配させるんだから!」
「うううっ、ぐすん! だってぇ~~~……」
その時、羽搏きによる豪風が大地に降り注ぎ、はるか上空にアグニスの巨体が現れた。
『貴様ら! もう許さんそ! ドラゴン最強の威厳を見せ
てやろう!』
恥辱を受けたアグニスは怒りで気が狂い、上空の魔力を搔き集め、自らの炎を迸らせ、放とうとしてるのは、全てを灰塵と化す炎の咆哮。
それを見た姉妹は絶望の表情を浮かべた。
『もう、贄など必要はない! 貴様らも、村の人間も、この世界全ての存在も燃やし尽くしてくれるわ!
フフフっ! ハハハハハハハハ!』
「そっ、そんな……」
「キノコさん……」
『諦めるな。私はドラゴンに負けるほど弱くない。』
姉妹が無貌なはずのマシュナリーの顔に優しい眼差しを感じ取った時、彼はドラゴンの咆哮の先に行くかのようにアグニスの方へ飛び出した。青きオーラを身に纏いながら。
『たとえ、物理攻撃の軌道を曲がらせても、吾輩がもたらす厄災の炎には逃れられない! 滅べ!』
『青闘気流水』
絶望の炎がついに放たれた。それに立ち向かうマシュナリーは弧を描くように両手の拳を回し、青いオーラの渦を形成し、膨張させる。
『渦潮! はぁーーーーー!』
『なっ⁉ 何だと⁉』
その青いオーラの大渦を見たアグニスは愕然とする。何故なら、自らの炎がそれよりも大きく膨張したその渦に飲み込まれ、回転エネルギーによって穏やかな熱風、熱波に分散された形でかき消されたからだ。
『「渦潮」は利用したオーラの大渦を利用し、飛び道具や魔法を跳ね返す技だが、それを応用し、貴様の火遊びを塵にしただけだ。』
この異世界ではあらゆる効果を魔法と言う形で行使させ
る魔力は気力よりも優れているという説が一般となってい
る。しかし、それは間違いである。何故なら、気力である
超物理的因子を極めれば、魔力である超自然的因子に対応
し、打ち勝つことができる。
途方もない努力を経る必要があるが、炎の灼熱に耐え凌
ぎ、深海に舞い、荒ぶる嵐に逆らい、大地を砕き、闇を見
抜き、光を超える、それら全てが気力で出来る可能性があ
るとある賢者に言われるほどだ。
(あり得ぬ⁉ たかがキノコ如きに……、いや、待てよ。マイコニド……、闘気……、竜殺し⁉)
アグニスは走馬灯のような記憶の中からある伝説を思い
出し、それを恐怖に昇華させた。
『まさか、かつて、吾輩の故郷の偉大なる先達のドラゴ
ンを屠ったあのマイコニドだと言うのかぁーーーー⁉』
その言葉を聞いて止まらないマシュナリーはオーラを青い水から赤い炎に変換し、空を蹴り、アグニスに襲い掛かる。
『やっ、やめろ! くっ、来るなぁーーーーー‼』
空を蹴るマシュナリーより空の戦場では自由に動ける翼のあるアグニスでさえ彼の圧倒的な強さに心が敗北し、逃げようとした。
しかし、その一瞬が災いし、
『赤闘気炎舞「嵐旋獄・百裂」! 私の拳は闘気を飛ばし、遠くの者を貫く!』
螺旋状の炎のオーラによる百発の拳を飛ばし、アグニス
の両翼を穴だらけに貫いた。アグニスは空への自由の翼を
失い、落ちながら悶絶する。
『おっ、落ちる!』
『ああ、だから落ちろ。』
戦意を失ったアグニスを標的にし、マシュナリーは拳に
猛烈な闘気を秘め、彼の頭上に殴り放つ。
『第一衝撃拳!』
片方の拳に先ほどの闘気の二倍を籠め、放つ。
『第二衝撃拳!』
再び、逆の拳で先ほどの三倍を放つ。
『第三衝撃拳!』
そして、全ての闘気を秘めた渾身の一撃が最後の拳に放
たれる。
『最終衝撃拳!』
轟音と共に放たれた四連撃の拳はアグニスの翼も誇りも
失墜させた。