1話
沈みゆく夕陽を見ながら僕はギターを弾きながら歌っていた。
逢魔が刻。魔物に出逢う刻。例え、化かされたのであってもいいからもう一度君に逢いたいと思ってしまう、そんな僕が歌うのにはちょうどいい時間だ。
ときどき無性に歌いたくなる。もう隣に「よくできました」なんてお姉さんぶって笑いかける貴女も、「一緒に歌おうよ」って手を引いてくれる貴女もいないというのに。
いくら歌えども後に残されるのはいつも貴女の似姿。
かつての楽しかった歌は今や悲しみの象徴となり僕を傷つけ、しかしながら歌わないということもできない臆病な僕の影がどこまでも伸びていた。
そろそろ陽が沈む。帰ろうか、夜の寒さがすでに冷え切った僕の心をさらに冷やしてしまう前に。
そろそろ陽が沈む。帰ろうか、迷路のような暗い夜道が暗闇の中にいる僕をさらに迷わせてしまう前に。
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「ふぁぁ~…」
学校のある月曜日とはなんと眠気が強いものだろうか。だから仕方がないのだ、私ー柊若菜がJKとしては完全にアウトな大口を開けたあくびをしてしまったとしても仕方がないのだ。どうせ誰も見ていやしない。
「おはよー、わかちゃん」
「おはよう、若菜」
と思っていたのだがどうやらそうはいかないようだ。
「お、おはよう、加奈、梨花」
慌ててごまかしたが、アハハ、バレテーラ。こういうことにちょっと厳しい梨花の笑顔が少し怖い。
「わかちゃん、眠いのー?私も眠いー、おんぶして連れてってー」
なんてじゃれついて来る加奈には癒されるが、梨花からはまだ無言の圧を感じる。
「んもう、あくびをするならせめて手で隠すぐらいはしなさいよね」
私と加奈のじゃれあいに和んだのか苦笑交じりにやさしく咎めてきた。こういうところが女子の間でお母さんなんて呼ばれて人気になる理由だと思う。
女三人寄ってかしましく会話をしていたらあっという間に教室に着いた。
教室のドアを開けると梨花は真っ先に彼氏である東城君のところに歩み寄っていった。
「あら、祐樹君、ちょっとうれしそうね、今日の昼は楠君作の弁当?」
「ああ、そうだけど」
「ふーん、私が弁当を作ってきた時よりうれしそうね」
「いやいやいやいや!そんなことはないよ!」
「つーん」
「梨花?梨花さーん?話を聞いてくれませんかね?」
「つーん」
あーあ、梨花が拗ねちゃった。いつもお嬢様然としているのに、こういうときだけかわいらしく拗ねてみせるなんていうところが梨花は可愛すぎると思う。本当にかわいい私の友達だ。
「倉橋さん、後でレシピを渡そうか?」
「ええ、それはありがたいのだけどあなたのレシピは適量の調味料ばかりでよくわからないのよね。もしや祐樹君の胃袋は自分がつかんだままでいたいと、そういうことなの?」
「違う違う、そんなことは思ってないよ!」
ことの発端となった弁当を作った楠君がここで助け舟を出したが藪蛇であったようだ。それにしても彼氏の友達にまで嫉妬しなくても……。恋する乙女は盲目らしい。
ちょうどチャイムが鳴った混とんとした教室も少しづつ静かになった。それに伴ってあたしの目の前で行われていた正妻戦争も停戦となった。ほぼ梨花の独り相撲だったけど。
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5時間目の授業が終わりを告げるチャイムが鳴った。うちの高校は6時間授業なのだ。まだあと1時間残っている。だが、月曜日の休み明けであるという事情に配慮したのか毎週月曜日の6限目はLHRとなっていた。
そう、LHRと書いてLHRと読むのである。あたしは遠慮なく眠らせてもらうことにした。
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「Hi, everyone! Get up! 今は月曜日の7時間目、楽しい楽しいLHRの時間だぁ!」
「「「イェーイ!!」」」
「今日は開催まであと一カ月となった文化祭の出し物決めをする!東城、あとはよろしく!」
担任の本田先生の発破によって教室はお祭り騒ぎである。こういう時、生徒以上に率先して盛り上がることから生徒に人気がある。ちなみに担当の科目は英語だ。
「よーし、みんな注目!文化祭の出し物決めるぞー」
「「「おぉー!!」」」
本田先生によって高められた興奮のボルテージはいまだ冷めやらず盛り上がったままだ。そういうわけだからひどく目立った、柊さんが寝ているのが。
「よーし、何をしたい?」
「はいはい、メイド喫茶!」
「猫カフェ!猫カフェ!」
「お化け屋敷!」
「コスプレ喫茶!」
「焼きそばだ!」
「はーい、みんないったん静まれー、順番にちゃんと意見を聞いていくからさ。よし、じゃあ廊下側の席の人から」
「はい、私は猫カフェを希望します。というのも猫による癒し効果は非常に高く、論文によると……」
「その熱量は買うが、さすがに無理だ。そもそも猫はどうやって用意するんだ?」
「ガハッッ!」
ひとりの猫狂いが大きなダメージを負ったようだが、それ以外は特に問題なく祐樹によって次々と案が出されていった。
「よし、じゃあ目ぼしいやつとしてはこのあたりかな」
目を覚ますと黒板にあらかたの候補が出されていた。お化け屋敷、屋台、メイド喫茶、コスプレ喫茶の4つが出ている。
「みんなひとり1回手を挙げて投票してくれよ」
「お化け屋敷をやりたい人~、屋台をやりたい人~、メイド喫茶を……」
厳正なる投票の結果、クラスの出し物はメイド喫茶に決まった。
「私の猫カフェがぁ~」
どうやら件の猫狂いは未だにあきらめきれていなかったらしい。
「わかちゃん、起きて、おーきーて!」
出し物が決まっても柊はまだ寝ていたようだ。新庄さんが必死に柊さんを起こそうとしているが、彼女が柊さんを揺り動かす度に彼女のトレードマークであるポニーテールも元気に揺れる。
「はひゅん‼」
柊さんが謎の奇声を発して勢いよく顔を上げた。
「なによ、もぉ〜、気持ちよく寝てたのに」
「いや、寝てちゃダメでしょ」
さすがの倉橋さんも呆れてしまったようだ。
「それで、結局何に決まったの……?」
柊さんが寝ぼけ眼まなこのままで黒板を確認する。徐々にその目が見開かれていく。
「ふ~ん、メイド喫茶かぁ…、メイド喫茶⁉」
「そーだよ~」
「私がメイド服?」
「そーだよ~」
「今回ばかりは真面目に参加しておけば良かったと後悔したわ」
どうやらいつも真面目に参加していなかったらしい。俺は呆れた。が、この人に関しては呆れるだけでは済まされなかったらしい。
「おい、聞き捨てならねぇなぁ。柊、それはどういう意味だ?あぁ?」
本田先生だ。あまりの凄みにその右手に竹刀を幻視してしまった。
「いや、その、あの…、それは…」
「それは…?」
「ごめんなさい!」
何か言い訳をしようとして結局できなかったらしく、柊さんは素直に白旗を挙げて降参した。
「よし、それなら来年になっても私がお前の担任だったらその時はお前に学級委員長を任せるとするか。毎年、学級委員長はすんなり決まらないからな。いい口実ができた」
さっきまでの声音が嘘のように、本田先生はいつもの親しみやすい悪戯っぽい笑みを浮かべるとカラカラと笑いながら席に座った。しかし、そうなると面白くないのがからかわれる形となった柊さんだ。
「先生!私をからかいましたね!」
「いつもLHRを真面目に受けていないと告白した人が何か?」
「いっ、いえ、なんでも」
「クッ、クッ、クッ」
返す刀であっさりと反論を封殺されてしまった。柊さんに背を向けた一瞬、本田先生はあくどい笑みを浮かべて教壇の方へと去っていった。哀れ柊、しばらくはこき使われる羽目になりそうだ。