友達
何年か前にあった、3000字以内という規定のSS大賞に投稿した作品です。
四月の心地好い春風が頬を撫でる。普段歩くよりもずっと早いスピードで流れていく景色を、あたしはいつもよりずっと高い位置から眺めていた。
「ほらほら凛! もっとスピード出してこー」
「そんなに早く着きたいなら、自分で漕げばいいんじゃない?」
あたしの両手を肩に置かれた凛は、しっかりと前を見ながら言葉を返してきた。二人乗り自転車を運転しながら、その息は少しも乱れていない。やっぱり凛は運動神経いいなぁ。
「しょうがないよ。あたし、自転車乗れないもん」
「そんな人、本当に実在するんだ……」
風が吹き、凛の長い黒髪があたしの鼻先まで舞い上がった。鼻をくすぐる芳香は、シャンプーの香りだろうか。なにを使っているんだろう。あとで聞いてみようかな。
「それで、なんて名前だっけ? 雛が言ってたカフェ」
「え? うーん……なんていったかなぁ。ゴメン、忘れちゃった」
てへぺろ、と凛の後頭部に向かって可愛げ満開に舌を出す。頭をコツンと叩くため手を一瞬離したらすかさずバランスを崩したので、慌てて凛の肩を掴む。揺るぎない安心感が伝わってきて、なんともいえない幸福感に包まれる。
この幸福感を、なんと表現するのか。その答えをあたしは知っている。だけどそれは、言葉にしちゃいけないものだ。絶対に。
だからあたしは、凛の頭越しに前方目掛けて元気よく声を発した。
「大丈夫! 住所は覚えてるから。ほら凛、ハーリアップ!」
※
雛の声に、わたしはペダルを漕ぐ足にさらに力を込めた。二人乗りだけど、ペダルの重さはいつもと比べて大差ない。小柄な雛は体重もかなり軽いのだろう。
雛の両手が置かれた肩が熱い。まるでそこだけカイロが貼られたみたいに、ぽかぽかとした温もりに包まれている。むず痒いけど、決して不快ではない暖かさ。
正直、いま向かっている『イケメン店員がいる可愛いカフェ』にはこれっぽちも興味なかった。カフェなんてだいたいどこも可愛いものだし、イケメン店員にいたっては心底どうでもいい。
だけど、しょうがない。雛がそこに行きたいと言うなら、わたしもそこに行きたいのだから。放課後だろうと制服姿のままだろうと、自転車でもなんでも漕ぐ。もちろん雛本人には、仕方なく付き合ってあげる風を装うけど。
雛と出会った日のことは、いまでもはっきりと覚えている。入学式当日、初めて自分の席に座った瞬間、雛が声を掛けてきたのだ。
「あたし、相生雛子。友達からはよく雛って呼ばれるんだ。これからよろしくね!」
相生雛子と哀川凛。いつも出席番号一番にさせられて好きじゃなかった自分の苗字が、好きになった瞬間だった。
もしも雛と席が離れていて、雛が声を掛けてくれなくて、こうして友達になれてなかったら、わたしの高校生活は間違いなく無価値なものになっていただろう。
雛と出会って今日まで、数えてみればまだひと月も経っていない。それなのに、もう雛がいない毎日なんて考えられない。それくらい、かけがえのない存在になっている。なってしまっている。
雛にとってはどうだろう。人見知りで根暗なわたしと違って、明るくて可愛らしい雛にはたくさんの友達がいる。いまはわたしと一緒にいてくれるけど、それがいつまで続くかはわからない。
だから、雛と友達でいられるいまの幸せを、当たり前だなんて思っちゃいけない。
だから……そう。
友達以上の関係になりたいだなんて、思っちゃいけない。
※
「到~着! ありがとうね凛」
「こちらこそ、ご馳走さま」
「え、あたしの奢り!?」
自転車を降り、あたしたちは目的のカフェへと入店した。お店の雰囲気は雑誌で紹介されていた通り、グリム童話をイメージしたというファンシーな小物類で溢れ、とても可愛らしい。噂のイケメン店員も「あ、これが」と気付けるくらいにはさわやかボーイだった。
「どう? お気に召されましたか姫?」
案内された席でケーキセットを食べながら、凛が言った。紅茶のカップを傾ける凛の姿はとても様になっていて、もう見慣れたはずの制服が二割増しで可愛く見える。
「うーん八十点! 雰囲気ちょっと甘すぎだけど、可愛いのは間違いなし」
「店員もイケメンだしね」
凛が流し目で二つ横のテーブルを示す。そこでは例のイケメン店員が接客中で、中学生らしき女の子がうっとりした表情を浮かべていた。
「まあ、さわやかではあるよね」
「あれ。こっちは期待外れだった?」
「そうじゃないけど。かっこいいことは、かっこいいよ。でもあれなら、凛のほうがずっとかっこいいもん」
言ってから後悔した。変なこと言っちゃったかな? で、でもこれくらい女の子同士でも言うよね? 何気ない誉め言葉だもん。深い意味なんてない、って。
思わず伏せてしまった目線をゆっくりと上げる。凛はあたしを真っ直ぐ見つめていた。
トクン、と胸が高鳴る。
「ありがとう」
「ど、どういたしまして……」
顔が熱くなるのが自分でも分かった。そんなあたしとは対照的に、涼しい顔して微笑んでいる凛。変なふうには思われなかった……ってことだよね。
「ごめん。ちょっと親に電話入れてくるね」
「え、あ、うん。いってらっしゃい」
凛が席を立ち、お手洗いへと向かっていく。一息入れることができて、よかった。これで落ち着くことができる。
そうだよ、あたし。落ち着こう。深呼吸、大事。すーはー、すーはー。
あたしは凛のことが好き。この気持ちは、友達としてのそれじゃない。それくらい十五年も生きてればわかってしまう。女の子として、じゃおかしいか。他の子が男の子に向ける気持ちとして、凛のことが好きなんだ。
友達じゃなくて、恋人になりたい。凛の恋人に。
それがあたしの本当の気持ち。
だけど絶対に言えない気持ち。
言ってしまったら、きっと凛は離れてしまうから。凛に拒絶されることを想像するだけで、あたしの心臓は止まってしまう。
だからあたしは凛の友達でいよう。
それが、一番幸せな道なんだから。
※
「――っ」
お手洗いの扉を閉めた瞬間、わたしはブラウスの胸元を強く握り締めた。
ドクン、ドクン。激しく拍動する心臓。誰かがわたしの中でドラムを叩いている。
鏡に映る自分の顔が、ふと目に入った。
「あはは……」
人の顔ってこんなにも真っ赤に染まるものなんだ。これが自分でなければ笑い飛ばしてやれたのに。
「わたしのほうがかっこいい、か……」
ダメだよ雛。あんなこと突然言っちゃ、絶対ダメ。全理性を動員して平静を装ったけど、上手くいっただろうか。
雛に褒められた。かっこいい、でもなんでもいい。雛がわたしのことを褒めてくれたという、その事実だけで今日は記念日だ。
わたしは雛のことが好き。きっとこれが、わたしの人生で初めての恋、なんだ。雛のことを考えると、胸が暖かくなって、苦しくなって、そして満たされる。淡色だった世界がカラフルに染まった。
雛ともっと親しくなりたい。友達以上の関係になりたい。恋人としてお付き合いしたい。
常にそう叫ぶ心を、わたしはずっと抑えつけている。だってそんな希望、叶うはずないもの。
友達として心を許してくれている雛のことを、裏切りたくない。
「……ふぅ」
赤面も収まり、わたしは雛のもとへ戻っていった。
※※※
傾きはじめた夕陽が世界を茜色に染め上げていた。
そんな景色のなか、一台の自転車が走っている。乗っているのは二人の女子高生だ。一人がペダルを漕ぎ、もう一人はステップに足を掛け、二人乗りをしている。
「うぅぅ。まさか本当に奢らされるなんて……」
「いいじゃない。こうして帰りまで送ってあげてるんだから」
「そうだけどさ~。でもありがとうね凛、付き合ってくれて」
「なに突然。べつにこれくらい、気にしないでよ。……わたしたち、友達でしょう?」
「……うん、そうだね。あたしたち、友達だもんね」
一瞬の間。二人はほとんど同時に口を開いた。
「――これからも、ずっと友達」
終わり