九 衛藤夏妃 4 同窓会
衛藤夏妃 4 同窓会
悠介と別れるのかどうなのか、上司の始末をどうつけるべきか、私はくだらない悩みを持ち合わせたまま、地元の長崎まで四年振りに帰った。
別に帰りたかった訳でも無いけど、ゴールデンウィークの休みに、年に二、三度行われているらしい同窓会に顔を出すために帰郷した。
同窓会というものが、こんなに億劫になるものだとは知らなかった。地元の奴らは、長崎の穏やかな人々の中で、有意義な生活をしているのだろう。気の知れた友達が、近くの職場に居るというだけでどれほど心強いものかと思った。そいつらは、同窓会など銘打ったりせず、何か悩み事なんかがあると、集まれる友達を呼び合って、金曜日の夜なんかは、朝まで酒を呑み語るのだろう。
そんなかつての友達に、私はどう見られているのか? もしかしたら、東京で華やかな、憧れる生活をしていると思われているかもしれない。いや、それは私の願望だ。そう思っていて欲しいんだ。一時の決意で東京まで出てしまった。ここに残っていれば、もっと幸せに、悩みなんか無く過ごせたんじゃないかと思ってしまった。佐世保駅を出て、四年しか経っていないのに、懐かしく感じる情景を眺めて、涙が溢れてしまった。
気付いてしまった。私は、東京で何かを成し遂げたかった訳じゃない。この地で、ずっと一緒に喜怒哀楽を共にして過ごした人達に認められ、羨ましがられたかった。だから、虚勢を張ってしまったんだ。同窓会なんて来たく無かった。東京に息を巻いて向かった癖に、何も出来ず、悩みばかり抱えているのに、かつては開いていた筈の心を閉ざして、友人に、東京での楽しそうな偽りのエピソードを話している自分を想像するだけで吐き気さえした。無意識に、何か理由をつけて断ってきた。なのに、こんな私に、年に三回程の同窓会の通知を送って来てくれる人が何人か居た。その通知を見る度に、心は傷み、負けたく無いと己を奮い立たせていた。
同窓会の前に実家に戻り、風呂に浸かり、メイクとヘアセットをしていると母に、「今日結婚式でもあるとね?」などと言われてしまったので、「東京ではこれが当たり前ったい」と言って家を出て、盛り過ぎたヘアメイクを大人しくさせて、虚しい気持ちで同窓会のある場所へ向かった。
同窓会の場所は、それほど大きくは無い焼き鳥屋を貸し切って行われる様だった。そこは、同級生の与田という男子が、高校生の時からアルバイトで働いていた所だった。当時からそのお店は地元で有名で、与田が働いている事も知っていたけれど、高校生には立ち寄れる場所でも無かったので、私はそこに初めて訪れたのであった。
与田はそのお店で社員として働いているらしく、話してみると、同級生が毎日の様に来てくれて、たまに店長に頼み込んで、格安で同窓会の為に貸切にしてもらっているらしかった。私は、処世術なのか、店長にわざわざ挨拶に行って礼を述べた。店長はこちらを一瞥し、少しだけ首を下げた後、無愛想に串入れの作業に戻った。
適当に席に着くと、「なっちゃーん」と言って、まだ午後六時だというのに出来上がっている、当時仲の良かった、いつも同窓会の通知をくれる、中元という女に抱きつかれた。一体何処で、何時から呑んでたのか? と聞きたくはなるが、悪い気はしなかった。ただ、まだ私はこの場に打ち解ける事が出来ていなかった。
その言葉に引き寄せられ、私に気付いた奴らが集まって来た。恐れていた質問が幾つも、同時に押し寄せて来た。
「久しぶりやねぇ」「いまは何処で働いとると?」「なんか大人っぽくなっとんやん」
「東京どげんね?」「やっぱ芸能人とか見たりすると?」「東京は一番何が楽しいと?」
私は、繕おうとした。だけど、その自分を守るための言葉を頭の中で反芻して分かった。今まで気付かなかったけど、私は、嘘を吐くというのが嫌いなんだと気付いた。
「私さ、今クソみたいな会社に入って、異常だって言われてる男と付き合っとるよ。毎日さ、マジつまらんよ。楽しい事無いよ。私さ、学校に居る時はさ、異質でおりたかったっちゃろうね」
私は、涙が溢れそうで、それを気付かれたくなくて、厨房の方に顔を向けながら喋っていた。
「言い方間違っとったね、特別で居たかったんよ。過信してさ、東京で幸せになれるなんて思いよった。こういう馬鹿な女が集まるんやない? 東京って」
さっきまで、やんややんやと、どうでもいい質問ばかり投げかけて来た同級生達からの質問が一斉に止まった。そんなみんなの顔を、私は見れずにいた。
「なっちゃん大丈夫?」
中元が私の目を覗き込み言ってきた。
「ゴメン、大丈夫だよ。あっちにはさ、あんまり悩みとか相談できる人いないからさ、みんなの顔見たら、張ってた糸が緩んだんだよ」
私はやはり、この地に居ると、自分がどういう発言をすれば周りが喜んでくれるのかを考えて喋っている。それは、悪い事では無い。多分私の、潜在意識の中で、いつの日かまたこの場所に腰を据えて、この人達と生きていきたいと思う心があるのだろう。
押し黙らせてしまった同級生達は、私の言葉を皮切りに、一斉に喋り出した。
「大変だよな、俺達は仕事で辛い事あっても、都合が合えばいつでも呑みいけるし」
「都合が合えばや無くて、毎日呑んどるやん」
「なんなら、悩みもストレスも無いのに呑み行きよる」
「お前ら呑めば解決するんか? 単純やな。衛藤は繊細やけん、お前らと呑んだって悩み解決せんけん」
「なんなん? その俺は衛藤の事知ってますアピール、衛藤に振られとった癖に」
「おまっ、言うなよ」
「みんな知っとるよ、山下がなっちゃんと釣り合う訳ないやんね」
「いや、みんなが俺が告白したの知っとんのは分かっとるけど、こんな所で言うなって言っとるんよ」
「別いいやん、みんなネタにしとったし、ねぇ? なっちゃん」
その問いに、私は高校時代の自分のキャラを思い出しながら応えた。
「うん。三年の四月に告白するんやけん、なかなか気まずくて大変やったよ。せめて二学期くらいにしてよって思ったよ、それに山下の事全然知らんやったし」
「そげん事言うんか。ってか、二学期やったら受け入れてくれとったん?」
「いや、その時期は彼氏と別れるかどうか微妙なとこやったし、大学東京行こうか悩んどったけん、どっちみち付き合って無かったよ」
「ならどう転んでも無理やったんやん。今日は酒に溺れるわ」
「いつも溺れとるやん? ってかこいつが一番酒乱やけん、酒呑んだら解決すんのか、とか言ったのにみんな反応したんよ」
「やけんそういう事夏妃の前で言うなよ」
「あっ、出た。酔ってきたら夏妃って言うんよ、昔の女みたいに」
「お前それ言ったら、いつも酔ったら衛藤の話ししよんのバレるやろ」
「自分でバラしとるやん」
「ってか、なっちゃんが三年の時に付き合っとったのって齋藤君やんね? 齋藤君いま東京におるんやろ?」
「えっ? そうなの?」
男共が、他愛もない言い争いをしている合間を縫って、中元が言ってきた。
「うん。二年前に、東京の方に就職が決まって上京したんよ。知らんやった?」
「知らんよ。連絡取っとらんもん」
「そっか」
その話しはそれで終わった。その後すぐに、深川、そう、異常性癖保持者が来た事で、私に群がっていた男共も散り散りになっていった。中元に話しを聞くと、深川は、二年前に日本に戻って来たらしく、わざわざフランスのパリを経て、この日本のケツの穴に戻って来たらしい。それはそれは箔もついて、さぞかしチヤホヤされるだけの、有意義な生活を送っているのであろうと想像できた。
久しぶりに見たその女は、その美しさに更に自信を纏っている様にも感じた。
ウイスキーの品揃えが悪く、芋焼酎をハーフで呑んでいると、ずっと隣に居てくれた中元が、「そんな濃いのずっと呑んで大丈夫?」と心配してくれた。確かに、高校時代は、お酒の飲み方も知らなくて、数回程私の自宅でやった飲み会では、一時間も経たぬ内に、みんなベロベロになって、介抱してあげるのに必死だった。
不思議な感覚だった。私は、高校を卒業してから、みんなの記憶や記録が抜けている。いつしかここに居る同級生達は、二十歳になり、堂々と酒を呑める様になって、みんなで吐き笑い、絆を深めていったのだと思うと、私には、もうこの地に居場所なんか無いんじゃないかと思った。酩酊し出した同級生達を見て、東京の、駅前で騒ぎ出す、馬鹿な大学生の群れを思い出した。あいつらは、仲間内で、普段気の知れている者同士だから、情け無く酒に溺れた姿でも笑って許せるのだろう。でも、私は東京の大学で、誰にも心を許す事が出来なかった。だから、たまに大学の奴らと呑みに行き、騒ぎ、お店の人に迷惑を掛け、しまいには道端で吐き出し倒れる連れを見て、嫌悪感しか抱かなかった。もしもそいつが、高校時代からの友人だったらと考えてみた。意外と、笑って許せるのかもしれないと思った。
でも、今は、周りのこの、高校時代には知り得る筈も無かった、酒に乱れ晒す得体を、醜いと感じてしまっている自分が居る。それはきっと、好意を持てない相手とばかり、酒の席を供にし過ぎた後遺症なのだろう。
横に居てくれた中元も寝てしまい、それでも口を開けて眠る姿が可愛らしいと思えて、まだ全て腐りきってはいないと言い聞かせていた。
二時間前までは、はしゃぎ、五月蝿かった店内も、十二時を超えると、嘘の様に静まりはじめた。お店は一時までと聞いていて、あと一時間は眠りについた、話し相手だった筈の中元を、考え事をしながら眺めるのだろうと決めつけ、酒を嗜んでいた。
その時、空いていた向かいの席に、深川が座ってきた。私は予期せぬ出来事に、少し狼狽えてしまった。
「衛藤さんって、お酒強いんだね」
その時は、ただ何となく、何気なくそんな事を言いにここまで来たんだと思った。でも、私の感じた違和感はそんなものじゃないと告げていた。
「お酒? 強いみたいだね。深川さんも生き残ってるって事は強いんでしょう?」
深川は、好意を抱いていない相手にさえ、可愛いと思わせる笑顔を振りまいて言った。
「私、殆どお酒飲めないの、だから、いつも店長さんと与田君に、私がレモンサワーを頼んだら、ノンアルコールでって頼んでるんだ」
キャバ嬢かと思った。それで終いには、酔っちゃった等とぬかすのかと思った。
「そっか」
「でも今日は、ちょっと飲んじゃったんだ。ファジーネーブルを二杯くらい」
そんな洒落た酒がこの店にあんのか? メニューにはカクテルの類いは一切無かった。たまに来るこの女の為だけに、ピーチリキュールとオレンジジュースをストックしておいてある、店長と与田の神経を疑った。
「酔ったの?」
「少しだけ酔った。多分もうすぐ具合悪くなる」
「なんでそうまでして飲んじゃったの?」
「あなたと、話しがしたかったから」
「えっ?」
私は、例えば十秒前に遡り、一時停止をして、深川の次の言葉を当てるクイズを出されたとする。それに、莫大な賞金が掛かっていたとしても、時間が無制限でも、答えを当てれた自信は無かった。それほど、その女の言葉は私の意識の外を突いてきた。
「私、あなたに謝らないといけない事があるの」
「謝らないといけない事? ってなに?」
私には、全く思い当たる節は無かった。
「齋藤君、覚えてる?」
「うん。ついさっき話しに出てきたよ」
「私、齋藤君の事好きだったの」
「は?」
私は、まさしく、呆気に取られたという言葉がお似合いで、そんな顔をしばらくは晒していたのだけれど、我に帰ると、未だに真剣な眼差しをこちらに向けているその子の手が、震えている事に気付いた。
「高校三年生の十月に告白したの」
「高校三年? 齋藤、同じクラスじゃ無かったじゃん。一年の時は知らんけど」
「一年生の時同じだったんだ。それからずっと好きだったの」
この女の吐く言葉が、真実なのかどうかを、表情や仕草で判別しようとした。でもそれは不可能に等しかった。心理学に精通している訳でも無い私は、ほぼほぼ初めて対話するこの女の真意など分かる筈が無かった。
「何でそんな事、わざわざ私に言いたかったの?」
「あなたと付き合ってるのを知ってたのに、あの人に告白してしまったから」
「まぁ、そっか、クラスの奴らみんな知ってたしね」
「それに、あなたとあの人が、その当時微妙な感じだって聞いて、あなたが東京に行くかもって言い出した時期、正直、今なら振り向いてくれるんじゃ無いかと思って告白したの。私って、ズルい人間だよね」
「それ言うなら山下だって、私に彼氏居るって、分かってるのに告白するって同じじゃん。そういうのって、多かれ少なかれあるもんじゃないの? 謝る事じゃないよ」
「それと」
そこまで言うと、深川は暫しの沈黙の後、残っていたファジーネーブルを飲み干し、出かかった嗚咽を飲み込んで言った。
「羨ましかったの、夏妃ちゃんが。私の大好きだった人と付き合って、私とは違って友達も多くて、嫉妬してたの」
この女は、この容姿の上に、更に、酔うと甘え口調になるのか? と思い、自分と彼女の、備わっているスペックの違いに憂鬱さえ感じた。
「私はあんたの方が羨ましかったよ。そんな可愛いくて、言っとくけど、高校時代、カップルいっぱいいたけど、その男共は全員、あんたは落とせ無いからって、妥協して他の女と付き合ってたんだからね」
「そんな事ないよ。だって、齋藤君は、どうしても夏妃ちゃんが好きだから、私とは付き合えないって言ったんだもん」
「そうなの?」
こんな、何処に連れて行っても恥ずかしくない様な女を振るなんて、どうかしていると、馬鹿な男だと思った。
「夏妃ちゃんは東京に行くかもしれないのに、私は長崎に居るのに、なのに齋藤君は、夏妃ちゃんが東京行くまでの期間だけでも、恋人のままで居たいって言って、私を振ったんだもん」
「あんたフランス行ったじゃん」
「齋藤君に振られたからね。それで決心が付いて行ったの。齋藤君と付き合えていれば、多分、留学なんてしなかったと思う」
「そんな事で決まる事なの?」
「私にとっては、とっても大事な事だったの」
人によって、大切なものっていうのは違うんだなと思った。
私にとっては、東京への留学で悩んでいた時、齋藤裕也の事は、まるで眼中に無かった。
東京の大学へ行こうか迷っている、と打ち明けた後から、裕也は、自分も行くと言って息巻いていたのだけれど、お金の都合で行けなかった。
ただ、そんな話しの前に、私は何度も別れを切り出していた。
人を好きだと、愛おしいと思った事も無い私は、季節の変わり目毎に、その男に別れを切り出していた。高校二年の七月から付き合い始めた裕也と、六回程の別れ話しをして、彼は全て、「もっと大切にするから」と、それが大事な事だと言わんばかりに語っていた。
大切にされた所で、私は何を目的に、その男と交際していけばいいのだろう? どれほど愛されたとしても、この心は潤う事が無い。どれほど干上がっていても、水を得る手段が分からない。ただそれは、誰と付き合ったとしても、変わらない事なんじゃないかとも思っていた。だから、卒業の間近までその男と別れる事も出来なかった。
深川の言葉は、私の心に不思議な感覚を齎らしていた。
自分の事を、少し違う、自分の受けている愛情を、私は常に過小評価してしまっているのかもしれない。だから、人を心から愛す事が出来ない。自分よりも優れた女を目の敵にして、目の前の男の想いを、偽りだと思う事しか出来無かったのかもしれない。
裕也が、深川の告白を、私と交際を続けていくために断ったという話しは、私の心を揺らすのに充分な理由になった。卒業してから初めて、その男の事を気に掛けてみた。今は東京の何処で、どんな女と付き合っているのだろう? 今更考えても仕様の無い事なのに、酒が回っているせいか、その疑問を頭で何度も繰り返している自分がいた。
暫しの沈黙の中にいた時、店長が近くに寄って来た。頼んでもいないファジーネーブルと、芋焼酎のハーフを持って、何も言わず席に置いていった。「ありがとうございます」と、深川と声を合わせ言った後、店内を見渡してみると、与田は潰れてテーブルに突っ伏していた。
閉店まではあと二十分程だった。あの無愛想を装った店長は、最後に私達二人に酒を振る舞う事で、悦に浸っているんじゃないかと思った。普段はカウンター越しの厨房で、仕事に徹する姿を演じて、ふとした所で、絶世の美女とも呼べる、深川に好印象を残したくて、「俺は分かってますよ」の感じを出そうとしたんじゃ無いかと思ってしまった。
店長の方を向いてみると、こちらの様子を伺っていた様で、目が合ってしまった。すぐにその目を逸らし、洗い物をする姿を見て、気持ちが悪いと思ってしまった。