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醜い得体 (R 15版)  作者: 藤沢凪
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六 衛藤夏妃 3 猿犬鳥

 衛藤夏妃 3 猿犬鳥


 会社の飲み会などに顔を出していると、その度に、自分が如何に狭い世界の中で生きているかという現実を突き付けられる様で、鬱になってくる。

 近年の社会の風潮は、飲み会に参加しない人に寛容になっていると聞く、私は、その誰が流したのかも分からない噂を鵜呑みにして、始めの頃は誘いをいつも断っていた。しかし、いつも飲み会に参加している楓に、「夏妃、たまには参加した方がいいよ? 秋元さんとかが、あの子は付き合い悪いとか言って愚痴ってたよ」と言うものだから、仕様が無く参加する様になった。

 秋元とは、チンパンジーに良く似た、口のうるさい上司だった。いつも、犬歯が嫌な意味で特徴的な老け顔と、鳩胸で髭の濃い部下の、猿、犬、鳥で、仕事終わりに飲みに行く話しを朝からしている。

 引き連れる桃太郎が居なければ、畜生同士で、盛れる雌に這い寄って、散財するしか能が無いのだろう。厳密には、童話で出てくるのは鳩では無く雉なのだが。私がちょくちょく飲みに顔を出す様になると、自分達の、煩いだけの奇天烈トークが気に入ったのだと勘違いして、上機嫌で今まで以上に誘ってくる様になった。彼らの誤想は私の気に障ったけど、会社での雑用があからさまに減った事を考慮すると、彼らにこのまま勘違いで踊っていてもらう方が都合が良いと思う事にした。

 週末にいつも、八から十人で就業終わりに飲みに行く。チンパンジーより上の奴が居ると、全ての勘定を済ませてくれるのだが、チンパンジーが一番上の飲み会は割り勘になるので、出来るだけその桃太郎のような奴が居る時だけ行く様にしていた。ただ、そいつがドタキャンした事により、今日は畜生の仕切る憂鬱な会になってしまった。

 飲み方を知らない猿は、敬意を払う相手が居ないと、掛かった首輪が外れたとでも思い込み、自分達の好きな様に騒ぎ、酒を煽り、飼い主の悪口を主食として喰い漁る。それが、部下である私達のストレスとなる事に気付いていない。普段キャバクラで、金を払っているからという大前提さえ忘れ、チヤホヤされる事に慣れてしまっている馬鹿は、将来必要となる筈の部下からの人望を得ようとしていない。いつまでもこの会社に勤めて生きようとなど、微塵も思っていない私からの敬服など求める必要は無いけれど、端の方で、ビール一杯で顔を真っ赤にしているミーアキャット似の彼なんかは、これから先結婚して、家族を養っていく為に、この会社に尽力を捧げるのだろう。そんな彼に、今の様な醜態を晒け出していて良いのだろうか? 私の疑問、違和感は尽きる事が無い。

 だけど、郷に入っては郷に従えという言葉があるように、世にも珍しい赤いミーアキャットも、いずれ出世をして、前任の猿を真似して、くだらない自慰の様な飲み会を催して悦に浸るのかもしれない。そんな現代社会の流れから著しく逸脱した会社の風潮こそ、いつまでも三流企業に甘んじている主な原因なんじゃないかと推察した。

 赤いミーアキャットは、自分の歩んで来た道に間違いなんか無かったと言わんばかりの真ん丸な目をしていた。そういえばこういう奴が一番タチが悪い、勿論自分を客観視する事が出来て、真っ直ぐ自分の信念を貫ける奴もいるだろう。でもこの赤い男は、真っ直ぐに迷い無く自分の人生を歩んできて、こんな糞の掃き溜めみたいな四流企業に就職してしまっている。きっとこの赤い男は、自分の人生を自分の足で歩いて来たつもりなのだろう。でも本当は、自分の頭の悪さを、要領の悪さを天命だと言い聞かせて、自身が決めたと思い込んだ道も、自分の手の届く範囲の、先を行く悪い手本を真似て生きている事に気付いていない。そういう奴が、こういう五流企業の悪い風潮を受け継いでいくんだ。

 周りの奴らに合わせて飲んだレモンサワーで少し悪酔いしてしまったのかもしれない。会社をいくら貶してみても、最終的に、そんな会社にしか入れなかった自分が惨めになってくる。ミーアキャットへの苦言は、そっくりそのまま自分にも返ってくる手筈が整っていた。レモンサワーなんて飲むんじゃ無かった。そんなものは、馬鹿な猿共が好んで飲む物だと分かっていた筈なのに。

 隣の楓に場所を移動しようと促した。彼女は、「なんで?」と結構なボリュームを出して応えた。チンパンジーが私を凝視したのだけれど、私は、「今日本当は楓と二人で話したい事があって、少しだけ隣の空いてる席行っていいですか?」と、出来るだけ自然にこの場から抜ける方便を振るった。チンパンジーが黒目がちなつぶらな瞳を広げて、五秒程止まった時は笑いを堪えるのに必死だった。猿の隣で、犬歯が嫌な意味で特徴的な男が、「みんなで飲みに来てるのにそれは無いんじゃないの?」などと言うものだから、私は笑いも引いて頭に血が上った。

 まず来たくて来てるんじゃない。割り勘の癖に偉そうにするな。私は多分良くない言葉を発する寸前だった。その前にハト胸の男が、「二人で話したい事があるのに来てくれたんだね。ありがとう。きっと衛藤さんはそんな都合があったのに、この会に来たくて参加してくれたんじゃないかな? 違うかな?」と言って、私を嗜める様な目線を送った。私は自制心を取り戻し、「そうなんです。本当は今日しか都合が合わなくて、でもいつも楽しみな飲み会も今日あるっていうからつい参加しちゃって。今度からはこういう時は残念だけど断る様にしないとですね」と、もう二度と外れないかもしれない分厚い化けの皮を被って言った。チンパンジーは、「まぁ、クリスタルの子と比べると、お前達の会話は物足りんしな」などと、夢か現か疑う程のセクシャルハラスメントをお見舞いしてくれた。この猿は、クリスタルという夜の店を話しに持ち出し、私達を割り勘で誘える都合の良いキャバ嬢だと仮定したのだ。

 その場に居た、私を含む四人の女子社員の雰囲気は一気に凍り付いた。五人居た女子社員の中で唯一、楓だけは何も気にせず鳥軟骨の唐揚げを食べていたけれど、犬の男は、猿に同調して嗤い、レモンサワーを飲み干し同じ物を頼んだ。鳥の男は事態の重さに気付いていたのだろう。箸を置き、「ごめんよ、ごめんよ」と、隣の猿に聞こえない様に読唇術で私達にメッセージを送っていた。本来、事の重大さに気付いている筈のこの鳥の男が、マヌケな猿を説き伏せれば事態は丸く収まったのかもしれない、楓を除く女子社員からの怒りの視線は留まる事は無かった。勿論私は会社に訴えるつもりだった。証人も居る。道連れに犬も葬ってやるつもりだ。鳥の男もいこうと思えばいけるだろう。でも、青ざめた顔で「ごめんなさい」と呟く姿は、情状酌量の余地ありで、なんとか鳥だけは助けてあげたいと思った。鳥は、きっとこのままいけば桃太郎になれただろう。猿と犬を超えて、一番相応しいのは鳥だと思っていた。でも、急なトラブルに最善を尽くせない男だと、この一件で露わになってしまった。従える者の居ない、従える器の無い桃太郎に誰が大儀を任せるというのだろうか?

 畜生共の未来は決まった。楓を連れて隣のテーブルに移った。他の女子社員とは目配せで意思の疎通が出来ている。三馬鹿をどう料理するかは後日ゆっくり決めればいい。

 楓と話しをしたい事は、実は一つだけあった。悠介の話しだった。付き合って二ヵ月程経つのだけれど、私の知っている恋の進め方とは随分間違った方向に船頭は向いていた。

「悠介ってさ、何かおかしいよね?」

「おかしい? 何かあったの?」

 付き合い始めて二ヵ月程経った時から、悠介の態度は変わってきていた。

「何か、馬鹿なのか分からないけど、たまに変な言葉の使い方するんだよね」

「どんな?」

「この間、家に招いてトンカツ作ってたの、付け合わせのキャベツ千切りしてたら指切っちゃってさ、思わず声が出たの、痛って、そしたら近寄ってきて、大丈夫って言ってるのに、傷口を見して欲しいって執拗に言ってきて、なんか怖くなって怪我した左の人差し指を右手で覆ってたら無理矢理剥がしてきて、その傷口を見て笑ってたんだよね、ありがとうとか言われてその傷口舐められたんだけど寒気しかしなくてさ」

「そうなんだ。トンカツ作れるって、夏妃は家庭的で羨ましいな」

「話し聞いてた?」

「あっ、聞いてたよ。確かに、気持ち悪いかも」

「ってかさ、私が気味悪いと思ったのはその出来事よりも、その行為で悪い印象を与えるって分かってやってるのが気持ち悪かったんだよね」

「どういう事?」

「言ったんだよ。なんか気持ち悪いよ? 変な趣味持ってんの? って、そしたら、そんな事言って来たのは夏妃さんが初めてだ、って言って来たの、それって今までにもそんな場面があって、相手が嫌がるって分かっててやってきてるんだよね? じゃあ無かったらどういう意味? マジ不明なんだけど」

「悠介は、普通では無いと思うよ。ってか、気をつけた方がいいと思う」

「何? 気をつけた方がいいって?」

「いや、別に何かある訳じゃないんだ」

「じゃあ何なの? その言い方」

「何か違和感しか無いんだよ。夏妃の話し聞いてるとさ」

「違和感って?」

「夏妃さんとか、僕とか、そんな事言う人じゃ無いんだよ」

「何言ってるの? 人によって喋り方が変わるくらい普通じゃん?」

「そうかもだけど、そうじゃ無いんだよ」

「それが分かんないから聞いてんじゃん?」

「私は、悠介君と付き合っていくのは良くないと思う」

 楓は、私達の関係を分かつ方へ導こうとしていた。私自身、大して好きでもないし、東京で出来た数少ない友達の助言を聞いて別れる手筈を整え様と思った。

「楓が、そこまで言うなら別れようかな」

「ホント?」

 楓は満面の笑みを見せた。逆に興味が出てきた。あの男にはどんな裏の顔が隠されているのだろう? もう少しだけでも、あの男の事が知りたいと思う自分がいた。

「ってかさ、何で駄目なのとか理由あるの?」

「あるよ、猫の事って言えば白状するよ」

「猫?」

「そう、奪われてしまった猫達の命が叫んでるんだよ!」

「なにそれ?」

 気味の悪さしか無かった。楓が声を荒げたせいで、チンパンジー共がこちらを意識してしまった。私はうざったくなって、立ち上がり荷物を持った。

「まだお開きじゃないよ?」

 犬が吠えてきたけれど、別にもう敬意を払う対象では無い。

「お疲れっす。帰ります」

 そう言って、いつまでもうざい愚痴だの怒号だのの飛び交う居酒屋を出て行った。明日からの猿共を陥れる労力を考えると億劫にもなった。人を嫌って、正統な自分の意見を通すのはとてもエネルギーがいる。でも、正直周りの奴らが同調してくれなくてもどうでもいい、あんな事まで言われて泣き寝入りなんて許せない。

 やはり、安いお酒を飲み過ぎたのかもしれない。頭がクラクラする。携帯を手にとり、一番掛けやすい奴に電話をしてみた。

「もしもし?」

 掛けて音も鳴らない様な間で悠介は電話を取った。私は乱れた息を整えて言った。

「悠介、あのさ、今からウチに来て」

 別に面倒くさい女でも何でも良かった。抱かれたい訳でもない。ただ今日一緒に居てくれる男が欲しかった。

「いつだって夏妃さんに会えるなら、僕は何処へでも行くよ」

 嘘でも嬉しかった。楓が危惧するような奴なら嘘なのだろうけど、それでも嬉しかった。部屋を片付ける余力は残ってなくて、散らかったままの部屋に彼を誘った。

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