二十七 衛藤夏妃 9 好きだった
衛藤夏妃 9 好きだった
楓には、八年の刑罰が科された。
人の人生を奪った事に対して科される罰が、それで妥当かどうかなんて、私には分からない。
携帯で検索を掛けると、捜査の進み具合なども出てくる。テレビのニュースでも扱われた事件だったので、様々な情報がネットに蔓延し、頭の中に入ってきた。
楓は、ストーカー被害を受けていた同僚を慮り、そして、殺されたのだという自覚の無い、自身の家族を守る為に、殺人を犯したのだと載っていた。
その情報が事実かどうかは分からない。でも、楓が悠介を殺す理由の中に、確実に私の事を想う気持ちがあったのは確かだろう。
そして、テレビのニュースでやたらと取り沙汰されるのには、罪の重さ、種類以上の理由がある。それは、容疑者の楓が、十二年前に埼玉県で起きた、一家惨殺事件の生き残りだったからだ。
メディア関連に勤めている奴らは、そんな事が面白いのか? 殺人事件なんて、普段報道しても、一、二分程の尺で終わらせる癖に、その内容を掘り下げて、楓の過去を虱潰しに探って、精神的な疾患があるだの、無責任に言い放ち、視聴者の関心を集め、その関心が薄れたら、次はまた別の生贄を吊るし上げる。
悠介に関しては、被害者にも関わらず、過去に交際経験のある女まで炙り出され、そいつも馬鹿で、モザイク処理されたその女はインタビューで、悠介から受けた迷惑行為を被害者面して語っていた。私が一度別れた後によりを戻した事は、松井警部がマスコミに情報を止めてくれていた。
確かに、寝ている間に髪を切られたとかいう話しは、流石に私も引いた。ただ、そのモザイクの女は、「そのストーカー被害を受けていた女性は、とても辛かったと思います。多分、加害者の方は、過去に、異常者に家族を殺されていて、友人が追い詰められているのを、耐えられなかったんだと思います。私が同じ立場だったら、同じ事をしていたかもしれません」等と、の賜った。
お前に私の何が分かんだよ? 黙ってろよ。嫌だったんなら報復すれば良かったじゃん? 楓と同じ立場だったら、同じ事してたかもしれないんだよね? そのくらいの度胸があるんだったら、やり返す事くらい容易いよね? 直接が無理なんだったら、髪切られたとかだったら、訴えるでも何でも出来る訳だし。わざわざモザイクに保護されて、死んだ人間の悪口言ってんじゃねぇよ。
苛つくんだよ、こっちまで被害者扱いされて。会社でも浮いてんだよ。お前が異常者扱いした男と付き合ってたって、みんなにバレてんだから。
正義漢振りかざしたお前らが広めてんだよ。変態と付き合ってた女だって、異常なプレイを受け入れてたんだって周りに思われてんだよ。
まぁ、普通では無いプレイもしてたけど。お前らだって、人に知られたくない、性欲が昂ってしまって犯ってしまったプレイの一つや二つくらいあるだろ? 何でそんなもんを掘り下げ様と必死になってんの? 私にとっては、お前らの方が充分異常者だよ。
勿論私にも報道陣が来た。何も応える筈無いけど、向けられたカメラに、恐怖心を覚えた。そのまま、画像処理無しで放送などされたら、私は一生変態の元カノとして生きていかないといけない。そこまで分かってやってんのか? ってか、自分の名前で検索をかけると、既によく分かんない掲示板に詳細が載っていた。多分、会社の中の誰かの仕業だろう。
会社はもう、辞める事にした。過剰な報道に巻き込まれて、私の人生は方向転換せざるを得なくなった。
でも、それだけじゃない。もしも、今後結婚の話しなどになって、相手が、何となく私の名前をネットで検索してみたりするかもしれない。そうすると、その過去を知ってしまうのだ。その時にバレなくても、後々、子供にまで知られてしまう可能性もある。私は、そんな事を気に掛けながら、残りの人生を生きていかなければいけない。
モザイクの女よ、お前の発言は、私を想って言っていた様に世間に映るかもしれないけど、私は、絶対お前の事を許さない。
お前の名前は、まだどんな検索の仕方をしても出て来ない。でも、一生かけてでもお前のフルネームを入手して、変態に陵辱された女だとネットに晒し、吊るし上げてやんよ。
事件の後、半年が過ぎ、会社も辞めて、多少は心が安らかになった。
楓に、会いに行こうと思った。
楓が収監されている刑務所に足を運んだ。そういえば、突然行って面会出来るものなのかな? と脳裏に過った。
まぁ、今日会えなくたっていい。だって、今でも、何を話せばいいのか、迷っているのだから。
刑務所の前に着いた。空気が重くて、それは、ただ単に天気が悪かっただけなのか? 私の心が沈んでいるのか? それとも、中に居る人達の張り詰めた想いのせいなのか? 私には分からなかった。
中に入って、用を伝えた。身分証を提示して、楓との関係を軽く話すと、面会室まで誘導してくれた。
通された部屋の中央には、透明のアクリル板があった。よく、ドラマとか映画で見るやつよりも、年季が入っていて、薄汚れているなと思ってしまった。そのアクリル板の前に座り、俯いて、楓が来るのを待った。
扉の、ガチャッ、と鳴る、重い開閉音に、私は鳥肌が立ってしまった。
刑務官に連れられて、作業着の様なものを着た楓が姿を見せた。痩せ細っていて、その目には、生気が無かった。
楓の虚ろな瞳が、私を捉えた。
「えっ、夏妃?」
いつも、二人で話していた声とは、別物の様な気がした。
「久しぶり。ご飯、食べないと」
その姿は、汚れたアクリル板越しのせいなのか、痛々しかった。だから、そんな言葉が真っ先に出て来た。
「食べても、吐いちゃうんだ。何か、癖が付いてるみたいで」
私は、楓に、なんて言葉を掛けてあげるのが正解なのだろう?
「そっか。面会は、誰か来た?」
今、楓の支えになる様な人は居るのかを知りたくて聞いた。
「おじいちゃんとおばあちゃんが来てくれたよ」
「それは……」
「夏妃も、知っているのかな? 今言ったのは、お父さんの方のおじいちゃんおばあちゃんだよ」
「……そっか」
私は、楓が、家族が殺された記憶が抜けている事を報道で知っていた。私も、彼女から家族の話しを聞いていたので、俄かに信じられる話しじゃなかった。
でも今は、その事実を受け入れているのだろう。
「よく家族が死んだ事を無かった事にして、生きて来れたなって思うよ」
そう言うと彼女は、何かに取り憑かれた様に、さっきまでとは別人の顔になった。
「楓、思い詰めないで」
「あぁ、でも、夏妃が解放されたから、それだけでも良かった」
「何? 解放って」
「あいつから、鷲宮悠介から、夏妃を自由に出来て良かった」
目を逸らしていた。やっぱり、悪いのは、私なんだ。
「ちゃんと、楓に言わなければいけない事がある」
「何?」
「悠介とは、寄りを戻して、上手くいっていたんだ。楓に、ちゃんと報告しなかったね。ゴメンね」
「強がらないでよ。悠介に、悪い事されてたんだよね? 許せなかったんだよ」
私が、報道陣に向かって、悠介と関係を戻して、異常だと言われても仕様が無い交際をしていたのだと言えば、死んだのだけれど、悠介の威厳を少しは持ち直す事が出来た。
私は、それをしなかった。逃げたんだ。自分自身を守る事に必死だった。
今まで愚痴っていた、他者への憎悪が、全て自分に降りかかってくる。何もしなかった事も、誰かを陥れる事になるんだ。天に向かって吐いた唾は、全て自分に舞い戻ってくる。
私は、悠介を悪者のまま放ったらかしにしてしまった。
テレビでは、悠介の過去の愚行が露わになると、一斉に悪役へと仕立てあげた。メディアの報じ方も、加害者の楓への同情を訴える奴も少なく無かった。
「楓、ちゃんと話しを、聞いてくれるかな?」
「夏妃?」
身を呈する覚悟が出来なくて、悠介の世間からの評価を、地に落としたままにしたのは、全て私の責任だ。
「私、悠介の事が、好きだった」
「はっ?」
死んだんだから、もう、関係無いのかもしれないけど。
「あれから、楓が家に来る様になった後、また付き合ったんだよ」
「はっ?」
でも、私のせいだけど、寂しいと思うんだ。
「幸せだったんだ。悠介と居て、とても、愛おしい人だって思ってたんだ」
「……」
お前が死んで、誰も悲しまないのは、誰も泣かないのは、寂しいと思うんだ。
もう、伝わらないのかもしれないけど、届かないかもしれないけど、私は、寂しいんだよ? 悲しいんだよ? この涙は、悠介の為に流している涙なんだよ。
「だから、楓は、私の大切な人を奪った。ただの、人殺しだよ」
楓は、何も応えなかった。話しを出来る精神状態には無かったのだと思う。
私は、席を立って、重い扉を開けて部屋から出た。胸が、いつまでも強く締め付けられた。暫くは、そこから動く事さえ出来なかった。
また、会いに来よう。
もしかしたら、楓は嫌がるかもしれないけど、会いに来るよ。
悠介が死んだのは、私が、楓に何も言わなかったから。だから楓は間違ってしまった。
同じ様に、楓が悠介を殺したのは、私が悠介との事を言わなかったから。
いつも私の事を心配してくれて、私の事を想って涙まで流してくれた楓に、本当の事を言わなかった。そんな私にも罪がある。だから、一緒に、償っていきたい。
外に出て、歩き出すと、誰かと肩をぶつけてしまった。振り向いて目をやると、同い年程の女性と目が合った。その人は、泣いていた。
お互い、小さく会釈をして離れた。
彼女は、誰の為に涙を流したのだろう?