十九 樋口楓 5 尾行
樋口楓 5 尾行
夏妃の家に招かれる事が無くなった。今、彼女の身に、何が起きているのだろう?
職場で会っても、「もう、大丈夫だから」と、それ以上の話しをしてくれない。何で、私に、本当の事を言ってくれないの?
もしかしたら、悠介は引っ越して、平穏な日々を取り戻したのかもしれない。でも、それならそう伝えてくれる筈なのに、夏妃は、私にさえ言えない事情に追いやられてしまったのだと思った。
夏妃の事が心配で、居ても立っても居られなくて、朝、夏妃と鷲宮悠介の住むマンションの前で待ち伏せをした。
悠介がマンションから出て来た。やっぱり、まだあの異常者は、夏妃の部屋の隣に住んでいるんだ。もしかすると、あの男は、夏妃の弱みになる様な物を手にしたのかもしれない。考えたくない事が、頭の中を覆い尽くしていく。
無理矢理部屋に引き摺り込まれて、×されたんじゃ無いのか? それをビデオに撮られて、脅されているのでは無いか? そうじゃないと説明がつかない。それ以外の可能性が見当たらない。
私は、涙が溢れていた。部屋の中に引き摺り込まれた時、夏妃はどれだけ怖かっただろう? 男の腕力にものを言わせ、ベッドで羽交い締めにされた時、どれだけ痛かったのだろう? 渇いた×に、××を捻じ込まれた時、どれだけ惨めな想いをしたのだろう?
男性経験の無い私には、とてもじゃ無いけど、その気持ちを全て分かってあげる事は出来ないのだと思った。
それでも、何か、私にも出来る事があると思った。私の全てを懸ければ、きっと、夏妃をその地獄から救い出せる筈だと思い、悠介を尾行する事にした。
いつもとは違う電車に乗り、距離をとって見ていた。少し、やつれた様にも見える。当たり前だ、他人に執着して、人を陥れるなんて行為は、自分の心さえ削る事なんだ。私は、その事を分かって欲しかったのに、何度も言ったのに、何度も、何度も言ったのに、分かってくれ無かった。コイツは、もう無理だ、人には戻れない。人の痛みが分からない、考える頭を持ち合わせない害虫だ。
虫ケラが、のうのうと私達と同じ空気を吸うな。心では、笑ってるんだろ? その不可解な暴虐に曝された被害者の涙を見て、笑ってるんだろ? お前達の様な異常者に、情状酌量の余地など、私には微塵も無い。意識の外から刺す刃に、腑を掻き回されて死ね。
悠介が降りた駅の近くに、務めているであろう会社があった。然程大きくも無いビルで、出入口も一つしか見当たらなかったので、帰りの尾行も容易だろう。その後、自分の務める会社には、一時間半程遅刻してしまった。全てを懸けるというのは、そういう事も含まれるのだろう。
体調が悪いのだという事にして、その日に早退までした。ただ、早退でもしないと、悠介が会社を退社した後に着き、現れる筈も無い目標を、いつまでも気を配り、見張らなければならなくなってしまう。そう何度も尾ける程でも無いので、タイミングの良い時に済ませてしまいたいと思っていた。
悠介が会社から出て来た。一目散に駅に向かい、電車で乗り換えの駅まで、悠介は携帯をずっと弄って時間を潰していた。乗り換えの駅に着くと、ホームから直通の、最寄り駅まで向かう路線とは別方向に歩を進め、駅から出てしまった。
私は、奴に何か疾しい秘密があるのでは無いかと勘繰り、恐る恐る尾けていると、案の定、如何わしいビデオ等が売っている、大人の玩具屋さんに入って行った。
流石に、中に入る事は躊躇い、外から様子を伺っていると、少し大きめの真っ黒なビニールを掲げて出て来た。その袋は、いやらしい物が外から透けて見え無い様に、真っ黒なビニールを採用しているのだろうが、そんな珍しい色のビニールを掲げているせいで、中にいやらしいモノが入ってますよと、周りに教えて歩いている様なものだった。
夕焼けを映し、テカテカと気味悪く光るビニールの中には、箱の様な物が入っている様に見えた。四角形の箱が、袋の外側にくっきりと形作っていたのだ。
あれは、何だろう? 何を買ったというのか? そして、それを、夏妃に使うというのか?
それから電車に乗り、最寄りの駅まで着くと、行く時とは違う道へと入って行った。静かな道を抜けると、夏妃のマンションへと繋がっていた。
憤りが、身体を駆け巡る感覚がした。今、悠介は、夏妃を自分の支配下に置いて、弄び、その私欲を満喫している。少しでも早く、その苦しみから開放させてあげたい。
悠介をマンションの中へ見送ると、噛んでいた左手の中指から、血の味が舌へ伝わった。