十一 衛藤夏妃 5 ギャンブル
衛藤夏妃 5 ギャンブル
ゴールデンウィークの連休最後の前日、午前中に東京に着いた。
昨日は家族と少し酒を嗜んだ程度なので、たいして身体の重さも無かった。
家族と酒を飲むのは初めてだったのだが、やはり、どうもウチの家系は酒が強いらしい。母は、芋焼酎を、割ったとは言えない位、少ない分量の水を入れ、混ぜもせず、グラスを手で揺らしながら飲んでいた。
「明日帰るの朝っちゃろ? もう寝んね」
そう言って、昔の私の寝室に押しやった。
そのおかげで、二時に池袋に着いた時には、二日酔いも無く、眠気も無く、興奮に近い感覚をもって、よく行くパチンコ屋に入店した。
私は、スロットが好きだった。男と約束が無い日は、ジャージを着て、女として見られる事を棄てて、ギャンブルに勤しむのであった。
何故、ここまで、得にもならないモノを好むのだろう? それは、ギャンブルでしか得られない幸福があるからだ。毎回プラスになる仕掛けのある様なモノであれば、逆に好きにもなれなかっただろう。偶に微笑んでくれるからこそ、心は湧き、踊る。
私は、恋愛に快楽を見出せないけれど、美味しい物を食べる、食欲。ゆっくりと眠る、睡眠欲。これらには勿論共感が出来る。
そして多分、その他で、沸き立つ欲があるとすれば、ギャンブルだけなのだ。
人が持ち得ると言われている三大欲求、性欲が私には欠けているのだけれど、その補填の様に、私にはギャンブルが入る。他の欲求と同じ様に、ギャンブルで得る快感は、ギャンブルでしか得る事が出来ないのだ。
他にも、依存性のある欲があって欲しいと思う。例えば、クライミング欲とか、シュノーケリング欲とか、テニス欲とか、あと、家で手軽に中毒になれる欲、勿論、違法でも合法でもドラッグとかいう類じゃなくて、手軽に病み付きになれるモノが無い。だから、偏ってしまう。
食欲も、睡眠欲も無い時は、ギャンブルに興じてしまう。人は欲に対して、とても素直なのだと感じてしまう。人? 私だけなのだろうか? そうやって、自分の愚行を正当化しようとしているのかもしれない。
ギャンブルなどやめるべきだと思った。だから、次、大きな負けがあったらやめようと思った。でもきっと、大きく負けた後は、それを取り返そうと思い、躍起になるのだろう。
それなら大勝ちしたらやめる事にしようか? それは余計に無理な話しだろう。その興奮は、私の血に溶け身体中を駆け巡り、その快楽をまた求めてしまうから。
何が一番良いのかを考えると、脳内を常温に保ちつつ打つ事が大事なのだろう。どうせ上手い事プラスになる事など無いと、自分に言い聞かせていれば、負けても勝っても平静で居られる。でも実際は、負ければ食欲さえ無くなり。勝てば夜中まで呑んで、その日に打った機種の動画をいつまでも観てしまっている。ただ、昔に比べると、その起伏は緩やかになってきていて、それはもう、一種のリハビリの様なものでもあった。
最近は、その日の収支がプラスかマイナスかによって、夜に何をするか決めて打つ事にしていた。
例えば、プラスであれば焼き肉を食べて帰るとか、寿司を食べるとか、すき焼きを食べるとか、物欲のあまり無い私には、ほぼほぼ食べる物しか思い付かないのだけれど、今日は、勝ったら六年振り程に、齋藤裕也に連絡をしてみようと思っていた。そんな事を、その日の運に委ねてみようと思っていた。
ATMで三万円を下ろして、ホールに入り、一通り台を見てまわった後、大して狙い目の回転数の台が無かったので、好きでよく打つ機種を回す事にした。
二万円程呑まれてしまい、三枚目の諭吉を入れて打っていると、横の、頭の禿げ上がった中年が台を一発殴った。私は驚いてしまい、リールの第二停止の目押しをミスってスイカをこぼしてしまった。
いくら何でも熱くなり過ぎだと思った。頭が禿げ上がる程の歳にもなって、台に夢中になり、のめり込んで、苛つきのあまり手を出してしまうだなんて、恥という概念を持ち合わせていない人間だと思った。
そして、私のスイカを返してくれと思った。その台の、スイカと呼ばれるレア役は、揃えると六枚の払い出しがある。取りこぼすとゼロだ。一枚二十円のスロットで、六枚だと百二十円の損になる。長く打つと、その積み重ねが響いてくる。
その機種では、スイカを揃えられなくても、内部的には成立した事になっていて、状態移行抽選や、チャンスゾーンの抽選もされるので、深手になる事は無いのだが、我の苛立ちを他の奴にまで無差別に伝染させる様なその行為を、私はどうしても許せなかった。
その男が気付くまで、その男を睨み続けるつもりだったのだが、苛つきながらよそ見をして打っているものだから、数回転後に現れたスイカも、気が付くと取りこぼしてしまっていた。
いつもDDT打法で、どんなに弱めの演出でも、レア小役を取りこぼさない様に打っているのに、短いスパンで二回もしくじってしまった。
元凶であるその禿げ男に、二百四十円を請求してやろうかと思った時に、私の台から聞き慣れない音が鳴った。画面を見ると、なかなか入らない、上位のチャンスゾーンにこぼしたスイカ二つで当選していたのだった。
私は横の禿げなど忘れて夢中になった。そのチャンスゾーンを成功させるか否かで、その日の勝ち負けが決まると言っても過言じゃなかった。
成功率は五十パーセント。私は一回一回に想いを乗せてレバーを叩いた。BARを狙って欲しいんだという煽りが来て、狙ってみても揃わず、気付いたら脇汗を大量にかいていた。三回目ラストの煽りで、カットインが青で期待度が薄く、諦めながら中押しでBARを狙うと、中段にビタっと止まり、響く確定音で、脳から何かが溢れ出す感覚がした。
こうなってしまうと、ギャンブルをやっていて良かったなと思ってしまう。損をした二百四十円の事など忘れて、ART確定の、上位の擬似ボーナスを打っている間に、横の男は何処かに消えていた。
その後は紆余曲折あったものの、五万円程のプラスで終わる事が出来た。
時間は、夜の九時を回っていたけれど、決めていた通り、齋藤裕也に電話を掛けてみた。