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醜い得体 (R 15版)  作者: 藤沢凪
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十 鷲宮悠介 3 再会

 鷲宮悠介 3 再会


 連休の過ごし方というのは、いつまで経っても僕には、持て余すばかりの事だった。何か特別な事をしようとも思うのだけれど、友人もいない僕には、過去の思い出を手繰る程しかやりようが無かった。

 ただ、ゴールデンウィークの初日に、普段は開きもしないフェイスブックの中で、北野恭平という名前を検索した事で、有意義な連休を過ごす事が出来た。

 その名前の、その苗字は、僕が六歳の頃まで携えていたもので、うろ覚えではあったけれど、「恭平」という名前を引っ付けて、検索をかけてみたのだった。

 ヒットした中で、それらしい人物を発見した時に、鼓動が高鳴っている事に気付いた。

 その人物に「鷲宮悠介です」と送ってみた。返事は無かった。その次の日に「鷲宮明子」と送ってみた。返事は無かった。また次の日に「北野悠介でした」と送ってみた。彼は応えた。

「悠介か?」

「そうです」

「久しぶり」

「お久しぶりです」

「元気か?」

「明日会えますか?」

「土曜日だったら会える」

「お願いします」

 土曜日の夕方六時に、その男は僕と酒でも酌み交わそうとでも思ったのか? 高田馬場の居酒屋で待ち合わせをした。

 六時を少し越えた頃に、僕がその居酒屋に着いて、席まで案内されると、幾つかのツマミをアテに、生ビールを飲んでいるかつての父を見つけた。

 だいぶ老けた様にも感じた。でも、六歳の時に離れて以来の男の顔など、はっきりと覚えている筈が無かった。

「元気にしてるか?」

 この男の、まず始めに聞きたかった事がそれなのかと思うとがっかりした。

 すぐさま店員が来て、乾いたお通しを置き、飲み物を聞かれた事で、下らない質問に答える必要が無くなり安堵した。

「オレンジジュース」

 店員は注文を控えてすぐに下がった。僕は目のやりようが無くて、厨房へ向かう店員の後ろ姿を目で追い続けた。

「悠介は、酒苦手なのか?」

「結構飲みますよ。今日は飲まないですけど」

「そうか」

 一瞬ではあるけれど、悲しそうな目をその男は向けた。こうなる事など分かっていた筈なのに、ここまでノコノコと来てしまった自己責任だと思った。

「大きくなったな、今何してるんだ?」

「あなたに伝える程の事は、無いです」

「色々あったよな、大変だったよな?」

「そうですね、大変で無かったとでも、思いますか?」

「だよな、悠介は、どんな仕事してるんだ?」

「それって、言わないといけません?」

「お前、生きてて楽しいか?」

 そう彼が言った所で、注文していたオレンジジュースが届いた。僕はそれを、ストローでチューチュー音を立てて啜った後、幾許かの間を空けて言った。

「えっ? 楽しいとでも、思いました?」

 その男は、砂肝の刺さった串を取って、そのかたまりを二つ程ほうばり、クチャクチャと音を立てながら言った。

「お前さ、何しに来たの?」

「何ですか? それ」

「話しする気ないよな? お前」

「ありませんよ?」

「何で会おうと思ったの? 何か言いたい事があるから呼んだんじゃないの?」

「あなたに求めてる事なんか、何もありませんよ? 何かしらでも、求められるとでも思ってここまで来たんですね。恥っていう概念が無いのかな?」

 僕は、今まで自分の心の中には、父に対しての怒りなど無いと思い過ごして来た。でも、どうだろう? 今、かつて父親だった、この男に向けて発する言葉は、厭悪感をたっぷりと含んでいて、なのに、その発言の軌道を修繕する事が出来ない。どうしても、溢れてくるものがあった。

 それは、僕の心にある感情の中で、とても珍しい、憎しみというモノだった。

 僕は、多分、繕っていたんだ。心の壊れてしまった箇所を、これ以上拡げてしまう事の無い様に、想うままの方向を捻じ曲げて、最小限に、思い悩まずに済む様に、本心を虐げていたんだ。

 きっと僕は、三人で囲んでいた、あの何気ない食卓の風景が好きだった。いつまでも、あの頃の情景、交わした会話、優しい母の作ってくれた料理が忘れられないのは、そういう事なのだろう。

 僕は多分、人より心が弱かった。だから、父の裏切りに、耐え切れる筈など無かったから、心を改竄しようとした。それが、僕の求めているものだと思い込もうとしたんだ。それは、僕の処世術だった。

 そして、その事を、このかつて父だった男と話して気付いてしまった。だとしたら、今まで自分にとって、糧となってきたものはどうなる? 全て、まやかしだったのかもしれない。自分が傷付かない様に、悪い出来事を全て、良かった事だと思い込む事が、僕に備わっている人格を、構成するモノなのかもしれない。

 でも、僕は心を乱そうかと思ったのだけれど、それは違うと思った。「乱そう」と思った時点で、それは故意だった。多かれ少なかれ、誰にだって、自分を言い聞かせて、それが本心なのだと諦めて過ごす筈なのだ。それを、本心に捻じ入れて、元からそうだったのだと言わんばかりに過ごしていく。いつしか、元の純真な心など、誰もが忘れていくものなのだ。

 僕は、もう出来無かった。多分、元にはあった、純真な心など、思い出せる筈が無かった。

 自分の想いを諦めてきた数だけ、心は、形を変えて、醜く育ち、蓄えていくのだろう。

 だからせめて、肯定して生きて行こう。多人によって歪められた人格を、誇る事は出来無くても、好意を持って接していこう。それがもう、道徳というモノに反していたとしても。

「お前さ、俺に謝って欲しいとか思ってる?」

「御自由に」

「する訳ねぇだろ、何なの? お前のなぁ、母親が見る目が無かっただけの話し、お前の母親が悪いだけ。たださぁ、一度でも俺が、お前達に手をあげた事あったか? 世の中にはさ、山程そんな奴いるわ。そういうのと比べろよ。自分達はとってもマシだったって思えてくるだろ」

 望んでいたモノが見れた。やはり、思っていた通りの、人間のクズだ。

「帰りますね」

 その男の本質が見れただけで、僕は充分だった。オレンジジュースを一杯飲んだだけなので、お通しの代金を含めて、千円札をその場に置いて席を離れた。

「いや、いらないから」

 僕の出した千円札を折って、彼は僕に返そうとした。

「いえ、奢られる理由も、奢る理由も無いので」

 僕が帰ろうとすると、呟く様に彼は言った。

「明子」

 聞こえてはいたけど、聞こえていない振りをして聞き返した。

「はい?」

「明子は、元気か?」

 その質問に、僕は笑ってしまいそうになった。

「死にました」

「はっ?」

「僕が成人式を終えて、実家に帰ると、首を吊って死んでいました」

「はっ?」

 それ以上、この男に話す事など無かった。

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