第4話:パラダイム・シフト
春樹は、今、鏡の前に立っている。
全裸で。
仮面だけを身に着けて。
巨大な鏡の前に……
「主よ。こちらをどうぞ」
「あぁ」
身なりを整えている。
いや、正確には整えてもらっているのだ。ガイアスに。
無防備な姿を晒す主の着替えの儀は、信頼の証。従者の誉れらしい。
一度目の転生時と違い、今はもう、春樹も慣れたものだ。
教団の支援のおかげで、春樹はこの世界に不自由を感じずに済んでいる。
装備や衣装が提供され、あまりある大金が春樹の自由にできる。これくらいで喜ばれるならと、恩返しのつもりで従うことにしているようだ。
「おっと、気をつけろよ」
「は、はい。申し訳ございません」
「教義にある通り、だ」
春樹の手のひらに触れそうになったガイアスは、青ざめた。
「念のため確認する。オレの目を見るな。両手に触れるな。それからこの紋章にも触れるなよ―――死にたくなければ、な」
「畏まりました」
胸元に浮かぶ髑髏の紋様を、春樹は確かめるように指でなぞる。
死神の加護。
このおかげで、春樹は死を司る力を得た。
そしてこのせいで、他者との接触には注意が必要になった。
手のひらに触れる者、目をあわせる者。そして制限時間を超える者。彼らにはみな、等しく死がもたらされる。
ガイアスが退室して距離をとるのは、制限時間をリセットするための手続きだ。どうやら春樹と会話を交わしたものは、ターゲットと認識されるらしい。この悪魔の髑髏の。
そのせいで、ガイアスは今日も慌ただしい。
隣室へ引き下がったり、屋敷の外に出たり入ったりと。昨日今日、幾度となく繰り返されている行為だが、ガイアスが自分の命を守るために必要なのである。
「まぁ、釈迦に説法だよな」
「恐縮です」
実は、こうした加護の効果について、春樹よりも教団のメンバーの方が詳しい。死神の加護を受けた者に関する伝承が、教義によって伝えられているためである。
春樹も一度目の転移時に、加護について先代のガイアスから教えを受けている。
「念のため。ショートソードと籠手は、自分で身につける」
「ご配慮に御礼申し上げます」
高校一年になったばかりの春樹は、小学生の頃からバスケで鍛えた身体のおかげで、多少、重たい装備を身につけることができる。それでも、ロングソードのような重い武器は選ばない。負担が大きいらしい。
「よくお似合いでございます」
「おかげで気分がすっきりした。助かったよ」
昼飯時、短い時間を利用して春樹はガイアスに髪を切ってもらっていた。短くなった髪のおかげで、端正な顔立ちに磨きがかかっている。
「じゃあ、行ってくる」
「お戻りは?」
「夕刻には戻る。風呂の用意を頼む」
「承知しました。お気をつけて」
ガイアスの言葉を背中で受け止めながら、屋敷の扉を勢いよく開放する。
✛✛✛
屋敷のほぼ目の前に広がる村の広場。
じっと春樹が見つめているのは、うなだれて動かない人々。
絶望したように見える。
春樹は、大きく息を吸い込んで―――
「死にたい奴はここに並べ! 俺ならお前らを殺してやれる!」
そう、大声で叫んだ。
生きる者も肉体の死せる者も、一斉に振り向く。
注目が集まったタイミングで春樹が見せつけたのは、胸の紋章だ。
「おぉぉぉ」
「まさか、そんなまさかっ」
紋章が、人々にどよめきを生む。
驚きに満ちた表情、疑うようなジットリとした視線。
全てを受け止めながらも、春樹は動じるどころか、不敵にほほ笑み続けている。
「兄ちゃん。できるなら俺を殺してくれ」
歩み寄ってきたのは、近くにいた大柄の青年だ。
鍛えられた身体が、彼が勤労な農家であることを示している。
「本当に死にたいのか?」
「あぁ。俺の身体はもう、死んでる。野獣に襲われてな」
服を捲った青年の腹には、既に肉がついていない。春樹の二倍はありそうな力強い脚の筋肉にも、食い破られた痕跡がある。
「けど、死ねない。死ねないんだよ」
楽になろうとして、自らの体を傷つけた切り傷の痕跡。傷が深いせいか、もはや左の手首を動かすことができないらしい。
「あと数か月だ。そうすりゃ俺も、ヤツらのお仲間になっちまう」
「わかった。そこに座れ」
広場の隅にある石材の上に腰掛けた青年は、涙を堪えて鼻をすすった。
「言い残したことはないか? 妻子は?」
「ねぇよ。妻と子どもは遠くに逃がした」
「お前、名前は?」
「ヨハン、、、妻はアクア、子どもの名はダン」
「わかった。立派な親父を持ったアクアとダンは幸せ者だ」
「―――っ」
「ヨハン、安らかに眠るがいい」
仮面を外した春樹が、ヨハンの頬を両手で覆う。
「感謝―――す、る」
力なく倒れ込んだヨハンは、安らかな表情を浮かべている。
その表情に見取れたように微笑む者もいれば、疑うように目を細めて見つめる者もいる。
そして、息を殺して見守る者がいる。ヨハンが再び起き上がらないかを確認するために。
しばしの沈黙は、人々のすすり泣く声によって緩やかに破られていく。
「他には? 誰かいないか?」
再び仮面を被った春樹の眼前に、驚くべき光景が広がっている。
誰しもがすすり泣くような声をあげながら、地面に伏してまで頭を下げているのだ。
すすり泣きはやがて春樹への願い事へと姿を変えて。
次々と人々の願いを叶え救済を与える春樹の御業を称えて、誰かが呟いた―――救世主、と。
ありがとうございました!
パラダイムシフト。物事の前提となっていた価値観や考え方(当たり前だと思っていたこと)が大きく変わるって意味だと理解して、本作のタイトルとしました。