第3話:変化
「よくぞお戻りになられました」
「あぁ」
春樹はローブを脱いで、深々と頭を下げた男にそれを手渡した。
「あの、ご無礼をお許しください。その、ガイアス様は?」
「残念だ。だが、安らかな最後だったはずだ」
男は全身を震わせながら、微かに嗚咽を漏らして。本当に良かった―――涙ぐみながらかすれた声でそう囁いた。
「惜しい男を亡くした」
「あ、ありがとうございます」
涙を堪えれずにローブを抱える男を眼前に、春樹はしばしの沈黙を選択した。
「席を外す」
「いえ、そんな! とんでもございません!」
勢いよくローブを身にまとった男は、フードを深々と被って。
春樹に向かい、再び頭を下げた。
「今、この時より私が、五代目ガイアスでございます」
「あぁ。承知した。先代には世話になった。よろしく頼む」
「ははぁ――― 我が命があなたの糧にならんことを」
深々と頭を下げたこの男は、先代と違いまだ若々しい。
体躯も大きく、並び立てば春樹より身長はかなり高いだろう。
「早速ですまない。あの少女の怪我を見てやってほしい」
入り口の手前で佇む少女は、じっと春樹を見つめている。
「サーシャ、大丈夫だからこっちに来い」
「たいへん申し上げにくいのですが―――」
「なんだ? 関係者以外立ち入り禁止か?」
ガイアスの隠れ家の一つと記されていたこの大きめの屋敷は、教団の財力を示している。いっかいの村人が、おいそれと立ち入れるような所ではないのかもしれない。
「いえ。サーシャ殿、こちらにどうぞ」
「うん」
警戒しながら、ゆっくりと、ぎこちない歩みで近づくサーシャ。
玄関をくぐった瞬間、ガイアスが少女を抱きかかえて。
居間のソファーに横たえた。
「触ってもいいかい?」
「―――う、ん」
笑顔を向けながら、ガイアスは少女の頭を撫でる。ゆっくりと、少女の震えが止まるまで。
優しく、なんども。まるで自分の娘をかわいがるように。
(ゴツい見た目の割には、子煩悩らしいな)
春樹にしてみれば二人目のガイアス。彼の素性は、今のところ謎に包まれている。
しかし、その役割は、彼らの教義上で明確にされている。
死神の加護を授かりし者のために生きて、その者のために死ね、と。自らの信奉する死神によって選ばれる―――その誉れある者を、ガイアスと呼ぶのだ。
「じゃあ傷を見せてもらうよ?」
「痛くしない?」
「あぁ。それは大丈夫だよ」
ガイアスの答えに、春樹は首をひねる。二人のやり取りに、何か違和感を感じたのだろう。
「服、脱がすからね?」
「うん」
ガイアスはためらうことなく、少女のワンピースに手をかけていく。
「なっ―――ちょ、それはお前」
「しかし、傷口をみないことには」
「あぁ。そうだな。続けてくれ」
春樹は少女から視線を外し、巨大な彫刻をぼんやりと眺める。
わが子の着替えを手伝う父のように優しく微笑みながら、少女のワンピースのボタンを全て外したガイアスの表情が、一瞬、こわばる。
「サーシャちゃん。おじさんが汚れを拭いてあげるからね?」
「うん!」
ガイアスはそっと、血まみれの腹部をタオルで拭っていく。
「ご覧ください」
「あぁ、わか―――」
春樹はとっさに、自分の口元を抑えた。
そうしなければ思わず声をあげていただろう。
ガイアスはサーシャの腹部、そして背中を春樹に見せながら、小さく頷いた。
「服、自分で着れるかな?」
「うん!」
笑顔で微笑んだサーシャを、春樹はまじまじと見つめる。
部屋の明かりのおかげで、外にいたときよりもサーシャの肌の色がよくわかる。
「ガイアス、ちょっといいか?」
「では―――隣室へ」
サーシャを残して足早に隣室へと向かい、勢いよく扉を閉めた春樹は―――部屋の片隅で吐いた。
「汚しちまった。すまない」
「いえ。問題ございません」
「それで? さっきの傷は、なんだ?」
サーシャの腹部には、大きな切り傷があった。心臓や肺の付近を貫く傷が、三か所ほど。体に穴があいて、どう考えても痛くないはずはない。
それに、かなりの出血があったはずだ。サーシャの全身は灰色になり、ほとんど血の気を失いつつあった。
「先ほどのあの歩き方、死後硬直がかなり進んでいます」
「何だって?」
「サーシャは肉体的には既に死亡状態です」
「肉体は? 精神は生きてる頃と変わりない、のか?」
「えぇ。しかし申し訳ございません。そろそろお時間かと」
「あぁ。そうかもな」
「いったん、退席させて頂きます」
深々と頭を下げたガイアスは、顔をタオルで拭った。涼しいこの部屋に似つかわしくない量の汗を、流し始めている。
「すまないが、俺の理解が正しいかどうかだけ確認したい」
「承知しました」
後退しながら、ガイアスは扉の前で頭を下げる。
「死神の追放後、誰も死ななくなったのか?」
先代ガイアスは、この三年死者が出ていないと言っていた。
(平和になったって意味かと思ったんだがな。良く考えてみれば誰も死なない筈がない)
春樹は眉間に皺を寄せながら、ガイアスの口が動きだすのを待っている。
まるで神に祈るような、仏に願うような真剣な表情で。
「死なない、のではなく、死ねなくなった。私どもはこう表現しております」
「―――わかった。もう下がってくれ」
春樹の言葉にガイアスは安堵の笑みを浮かべて、もう一度深く頭を下げた。
「十分後に、屋敷に戻ってまいります」
「あぁ。面倒をかける」
扉が閉じる音が響く室内に取り残された春樹が、近くにあった大きな壺を殴り飛ばす。
それからひとつ、またひとつと、椅子や本棚を蹴り飛ばし、叩き割っていく。
「ゾンビじゃねぇ。死ねなくなったもの―――アンデッドか」
春樹の見立てが正しいならば、肉体がどれだけ滅んでも、どれほど朽ち果てようとも。
彼らは死ねない。
人だけじゃない。動物たちも同じだろう。
サーシャのように意識を持ちながら、自分の体が朽ちていく様を見つめる日々は―――想像するだけで苦しく残酷だ。
「―――あぁ、そういうことか。あいつらは同士討ちしてたわけじゃない」
自分の考えが直感的に正しいと感じたのだろう。春樹は頭を掻きむしった。
「なんとかして、死のうとしてたってことか」
春樹の理解が正しければ、村の外を彷徨う彼らは魔物ではない。
彼らは救いを求めて苦しんでいたことになる。
「ふざけんなよ! クソ野郎が!」
その苦しさを思ってか、春樹は手当たり次第に物を破壊していく。
手に取っては投げ、蹴り飛ばしては、椅子やテーブルを殴りつける。
「はぁ、はぁ、はぁ―――くそぉぉぉお!」
春樹が両肩で大きく息をする頃、あれほど豪華な装飾品で満ちていた室内は、まるで廃屋のように様変わりしている。
瓦礫の上に座り込んだ春樹が、大きく息を吐いた。
冷静になれと、小さく何度もつぶやきながら。
「死体がなぜ動ける? 魂の力か、別の力―――死神の呪いか何かか?」
部屋が静かになるのを待っていたかのように、遠慮がちに扉が開いていく。
「ディアお兄ちゃん? 大丈夫?」
恐る恐る扉を開けたサーシャに、春樹は顔を歪ませて。
「あぁ、問題ない」
ぎこちない笑顔を向けた。
サーシャの側に腰掛けた春樹は、どうやら懸命に、その瞳を閉じまいとしている。
溢れだしそうな涙を、必死にこらえているのだろうか。
「お兄ちゃん、あのね」
「どうした?」
「サーシャもああなっちゃうのかなぁって」
「………」
「お父さんもお母さんも、ああなっちゃったの」
「―――そっか」
「お兄ちゃん、あのね。ああなる前に、サーシャを助けてくれる?」
微笑みながら春樹を見つめるサーシャは、ワンピースの裾を握り締めながらフワリとターンして。
ヨロヨロと転びそうになった少女を、春樹は強く抱きしめた。
「あぁ―――いいよ」
サーシャの冷たい体が、春樹の決意を強くする。迷うことなく仮面を外して、サーシャに微笑みかけた。
「フフフ。やっぱり!」
「ん? 何がだ?」
「ディアお兄ちゃんはね、サーシャの王子様だった。すぐにわかったんだから、ね」
「王子って、俺がか?」
「うん。サーシャを、助けに来て、くれたんでしょ」
「バレてたか! そうだ、サーシャを助けに来たんだよ!」
春樹が優しく頭を撫でると、サーシャは嬉しそうに瞳を閉じた。
「お兄ちゃんの目、綺麗―――真っ黒で、カッコいい」
「サーシャも、可愛いよ」
ニコリと微笑もうとして、サーシャは顔をこわばらせた。
表情も乏しくなり始めている。
「―――泣かないで、お兄ちゃん」
「ごめんなサーシャ」
「いい、の。サーシャは、わかって―――る」
「ごめん、本当にごめんな」
「ん―――ありが、と」
無言になったサーシャを、春樹は強く抱きしめる。
涙を流しながら。
優しく、サーシャの頭を撫でながら。
どこかで聞いた子守唄を、優しく口ずさみながら。
春樹はずっと、サーシャを抱きしめ続けた。