第2話:地獄絵図
「―――クソっ」
春樹は盛大な舌打ちをしながら、茂みに身を潜める。
ガイアスはこう言っていた―――すぐご覧になれると。
その意味を理解するのは、今の春樹にはさほど難しくないだろう。
「異臭の原因はこいつらか」
ヨタヨタと歩き、立ち止まっては苦しそうに泣き叫ぶ。
老人、男女、子ども―――それに動物類。
「はぁ―――マジでくせぇ。鼻が曲がる」
ローブの端で鼻を覆った春樹は、複雑な表情で彼らを眺めている。
(まさに地獄絵図ってヤツか)
時折、互いに抱きあうように衝突しては、そのまま噛みつきあう。拳を上げて叩いたり、涙を流しながら首をしめたり―――まるで同士討ち状態である。
そのためだろうか。悲鳴や泣き声が、止むことはない。常にどこからか、泣き叫ぶ声が響いてくる。
そして深い霧だ。
この場に居れば、霧が深くて助かったと誰しもが思うに違いない。
深い霧のおかげで、視界が良くない。
だから春樹も耐えられるのだろう。この残酷な光景に。
「それにしても、まさかな」
歩きまわっているのは、ゾンビだ。
血の気の失せた肉体を引きずって歩く者。体の一部が欠けた肉体で、唸り声を上げて這いずりまわる者。全身、ほぼ骨だけになっても、関節の肉が残っている者は、ゆったりと動き続けている。
しかも、一体や二体ではない。
方々から聞こえる泣き声や叫び声―――そこから察するにおそらく数十体に登る数のゾンビが、春樹の周辺を彷徨っている。
「この世界にあんな魔物はいなかったろ」
思案するように唸る春樹のすぐそばを、一体のゾンビがユラリと通り過ぎる。
慌てて身をさらに屈めた春樹は、鼻を塞ぎながらそれを見つめている。
男性、老人で白髪のそれがゾンビだとわかる最大の理由は、腹部に空いた大きな穴のおかげだ。巨大な空洞のように反対側が見えるくらいの大きな穴が腹部を斜めに貫通している。穴から逃げ出したのか、あるいはどこかに置き忘れてきたのか。内蔵は確認できない。
よく見れば皮膚も白くなり、ところどころ筋肉が削げ落ちて白骨が見えている。
約一分間ほど観察を続けた春樹は、ローブの裾で汗を拭った。
不気味さと異様さを目の当たりにしたためか、乱れた呼吸を整えるように春樹は大きく息を吐いた。
「内蔵がないぞう―――って寒いギャク言ってる場合か」
冷たい風が吹き抜けていく。
「前回来たときは野生の猛獣やその亜種ばかりだったが―――」
(この三年の間に、何があった?)
また一体、春樹の前をゾンビが通り過ぎていく。上半身はほぼ白骨化し、薄い筋肉や皮膚によってかろうじて関節が繋がれている状態だ。
「クソ勇者め。お前の出番だろうが。こういうのはよ」
舌打ちをしながら、春樹は思案を続ける。
(あのバカはなぜ逃げている? そもそも誰から逃げているんだ? この怪物たちからか?)
情報が足りないと、春樹は小さく吐き捨てて。
背後に迫る気配に耳を澄ませた。
目元を隠す仮面を身に付けながら―――そっと握り締める。ガイアスが残してくれたショートソードを。
「誰だ?」
振り向きながら相手の喉元に刃を向けた春樹は、大きく目を見開いた。
「お兄ちゃんこそ。誰なの?」
そう告げる小さな女の子の腹部には、血の跡。
大量に出血したのか、あるいは大量の血を浴びたのか。いずれにせよ白いワンピースが真っ赤に染まるほどの血痕だ。
「名乗るほどのものじゃない」
しゃがみこんだ春樹は女の子の頭を撫でかけて、慌てて手を引っ込める。
「かっこいい仮面だね?」
「まぁな」
特殊な効果を持つその黒い仮面は、春樹の目元を覆う。少女からは春樹の顔を見ることができないようにするためだ。
唯一、あらわになっている口元を意識的に動かして、春樹は微笑んだ。
「怪我してるのか?」
「うん。でももう、痛くないの」
「そっか」
「うん!」
ニコリと微笑む少女に、春樹は更なる笑顔で応えた。
「この辺りに村があったろ?」
先の手紙によれば、ガイアスの隠れ家の一つがそこにある。
「あるよ。ついて来て!」
反射的に体を翻して、手を引こうとした少女の動きを春樹は避ける。
「お兄ちゃんに触らない方がいい」
「……変なお兄ちゃん」
両頬を膨らませた少女は、サーシャと名乗った。
自分のことはディアと呼べ―――春樹はそう、少女に告げた。
楽しそうに笑った少女が、ヨチヨチと駆け始める。
真っ白なワンピースは、背中まで血に染まっていて。
「村に着いたら傷を見てやろう」
そう語り掛ける春樹に、少女は笑顔で頷いた。
楽しそうに鼻歌を歌いながら、時折、振り返っては春樹を見つめる。
「どうした?」
「嬉しいの! やっと来てくれらから!」
「誰がだ?」
「えっとね、私の王子様!」
少女の指さす先にいるのは春樹一人なのに。ポカンとしながら後ろを振り向いた春樹を見つめがら、サーシャは不満げに顔を歪めた。