君へ
俺は引っ越しの荷物の整理をしていた手を止め、引き出しの奥の方から出てきた昔の写真を手に取る。ちょうど10年前にとった写真だ。仲良さそうに、肩を寄せ、笑顔で映っている少年少女はどんな気持ちを抱いているのだろうか。子ども用の浴衣を身に纏い、初めて行った夏祭りに楽しかったのだろうか。もう、思い出せないけど、この後の花火のことはよく覚えている。
「ちょっと拓海ー、荷物はまとめたの?もうそろそろ出るってよ」
そうだった。俺は今、引っ越しの準備をしている最中だった。ひとまず、写真のことは置いておいて、急いで荷物をまとめることにした。
後でこの写真を君に見せよう。君は何を思うかな。
そういえば最近、言えてないな。感傷的に浸っている間に言おう。あの言葉を。
***
俺が君に初めて会ったのは5歳の時だ。隣に君が引っ越して来たんだ。
昔は今ほど大人しくなく、とても活発的な女の子だった。俺は子どもの時は人見知りしがちだったが、君とはすぐに仲良くなれた。
両親が共働きで夜遅くなることも多々あって、俺はその度に君の家でご飯を一緒に食べ、ゲームで遊んだりした。
そうして、一緒にいることが当たり前になり、8歳のときに初めて夏祭りに行った。俺の両親は仕事だったが、君の両親は一緒だった。俺の親に頼まれてなのか写真をよく取っていた。しかし、人が思ったより多くて俺は君と迷子になってしまったんだ。
いつの間にか、屋台の列からも離れ、木々が生い茂るところに居たのだ。
君は親と逸れてしまったことに気づいて泣き出しそうになっていた。俺はこの時は何故かは分からなかったが、君の涙を見たくなかった。
俺は君の手をぎゅっと握った。君は一瞬だけ驚いたがまた泣きそうな顔になる。
「泣かないで、僕がそばにいるから」
それでもまだ泣きそうなので、俺は君を抱きしめた。
「僕がずっとそばにいるから」
何度も言っている間に不安がぬぐえたのか、君も抱きしめ返してきた。
「私もずっと拓海くんのそばにいるね」
花の咲いたような笑顔で俺の言葉に返してくれた。
その後は祭りのスタッフに見つけられたこともあり、君の両親とはすぐ合流できた。
君の父親は特別な場所だぞと言いながら人がいない、花火のよく見える丘上の公園に行って、花火を見たが、夜空に煌めく花火より、花火に照らされた君の笑顔の方が綺麗だった。
今思えば、この時から俺は君に恋をしていたのだろう。
***
俺と君は中学生になり、君は髪も伸び、容姿も大人びていて、とても綺麗になっていた。
綺麗になった君の近くにいるだけで胸が締め付けられ、君の笑顔を見る度に心臓の鼓動が早くなった。
俺はまだこの時はこれが恋をするということだとは分からなかった。
俺はそのせいで初めて君を傷つけてしまう。
2年生になりたての日差しが暖かいうららかな春の日に君の委員会の仕事が終わるのを教室で友達と喋りながら待っていた。
普通に喋っていたはずなのだが、友達が何の脈絡もなく俺と君の関係性を聞いてきたのだ。
「拓海ってさ、好きなんでしょ?幼馴染のこと」
俺はまだ好きだとかいう感情がよく分からず、無性に恥ずかしいと言った感情の方が強く出てしまった。
「は、はあ?あんな奴、俺は嫌いだから」
ガタッという音が聞こえ、教室の扉の方に視線を向けると君が立っていた。
委員会の仕事で使った筆箱やノートが足元に散らばっており、先ほどのガタッという音は君がものを落とした時に出た音だろう。
俺と目が合うと目じりに涙を溜めたまま、走り去っていく。
俺は君を自分が君を傷つけてしまったことだけは理解できた。あれほど見たくないと思った涙も見てしまった。
今ここで追いかけたら、後で友達に色々と言われることは間違いないが、追いかけずには居られなかった。
放課後で人通りのない廊下を足音のする方へ走る。何度も君に来ないでと言われたが、今、追いかけるのを辞めたら、もう元の関係には戻れない気がしたので追いかける。
上靴のまま中庭出たところでやっと俺は君の右手を掴む。
「ちょっと待って、話聞いて」
「嫌いなんでしょ、離してよ」
「ごめん、違うんだ」
「何が違うのよ」
「それを今から説明したいから話をさせて?」
君は話を聞いてくれる気になったのか、力では勝てないと判断したのかは分からないが大人しくなった。
「俺、最近、君を見ているとドキドキするし、胸が苦しくなる」
「うん」
「これが好きっていうう気持ちかどうかはまだ分からない」
「うん」
「それでも友達の前では少し恥ずかしくて…」
「だから嫌いだって言ったの?」
「ごめん………」
「私のこと嫌い?」
「いや、嫌いではない」
「友達としては」
「好きだよ」
「1人の女の子としては?」
「まだよく分からないけど、これからもずっとそばに居たいよ」
今、思い返してみればプロポーズと取られてもおかしくない言葉だ。思い返すたびに恥ずかしくなり頭を抱えたくなる。
もう好きだと言っているようなものだが、君は俺の意思を尊重してくれたのか、それ以上は聞いてこなかった。
君の頬が赤くなっていたのは夕日が差し込んでいるせいだけではないだろう。
俺はこれから君のことを泣かせたりなんかしないと心で自分自身に誓った。
***
君を泣かせないと心に誓った時から5年の月日が流れた。高校3年生になり、あの時のやり取りを思い出すたびにあのタイミングで告白をしていればと思う毎日である。今も2人で一緒に登下校をしたり、休日にはデートもどきなようなものも何度もしている。
クラスではもはやカップル認定されていているが、カップルでも何でもない。俺が君に恋をしていたということに自覚したのが高校生になってからで、今は君に愛想を尽かされ親友だと思われているのではないかと思ってしまい、なかなか、告白を出来ないでいた。
今の関係に甘えていた俺も悪いのだが、告白して振られてしまったら、良いにしろ悪いにしろ元の関係には戻れないのは確かだ。
しかし、高校3年生になり、将来のことを考える機会が多くなり、その度に考えるのは君のことでだった。
これからも隣にいてくれといったら君はいてくれるだろうが、俺は胸を張って君の隣を歩けない。
だから、俺は君にこの思いを伝えようと思う。
もうそろそろ夏休みになり、幼いころに行った夏祭りにまた行こう。
最近は高校近くの大きな祭りの方にしか行ってないので何年ぶりだろう。
「幼いころにいったあの祭りに2人で行かない?」
遊びに誘うことはよくあるのに普段とは違い胸がドキドキしっぱなしだった。そのことを気取られないようになるべく平静を装う。
君は一瞬だけ驚いたような顔をしたが、すぐ笑顔になる。
「いいよ、けど、どうしたの?最近、行ってなかったのに」
「ん?俺らも高3になったし、懐かしむのもいいかなって」
「そうだよね、卒業したらここに住んでないかもしれないしね」
俺はそう言われたとき、なんて答えれば言いか分からなかった。愛想笑いをすることしかできなかった。
***
夏祭りの当日になった。俺は集合時間の30分前には祭り会場である神社の近くの市役所にいた。待ち合わせ場所であるここにいるのかというと、緊張と楽しみで待ちきれなかったのだ。
待っている時間もデートのうちって小説で主人公が言っていたが確かにそのとうりだと思った。
俺が早く着きすぎたのであと20分くらいは待つと思っていたが、その考えはすぐに否定された。
「あっ、拓海、早いね」
下駄のカランカランという音が聞こえて、聞き馴染みのある声が聞こえた。
俺はまだ来るとは思っていなかったので、不意に聞こえた声にドキリとしつつ、君の方を向く。
俺は息をすることを忘れていた。白を基調とし、桜の花びらがあしらわれた浴衣がピンクの色の帯で閉められている。
浴衣なんて初めて俺と行った時にしか着ていなかったので目を奪われた。
「い、いや、俺も今来たところだよ」
「そうなんだ、私も楽しみだったから早く来すぎたよ」
浴衣を着たせいか君の笑顔はいつもより大人びて見え、とても綺麗だった。
「綺麗だ」
「えっ?そう?似合ってるかどうか不安だったんだよね」
俺は考えていたことが言葉に出ていたらしい。浴衣のことを褒めるつもりだったからいいのだが、少し恥ずかしかった。
「それじゃ、行こうか」
***
それからは雑談をしながら射的をしたりして楽しんだ。花火の時間が近づくにつれ人が増えていき、少し混雑してきた。
俺はさりげなく手を握る。君は一瞬だけ身体を硬直させたが俺に答えるように指を絡めてくる。
そこからは会話がなくなったが、あの日と同じように丘の上の公園に行った。君は軽く俯いていたが顔が赤くなっていたのを俺は見逃さなかった。
後で君に言われたことだが俺もかなり赤くなっていたらしい。
丘の上の公園に着き、俺は話すことを纏めつつゆっくりと口を開く。
「10年前もここで花火見たでしょ?憶えてる?」
「うん、憶えているよ」
俺が思っていることをしっかりと伝えたいから伝わるように話す。しかし、相変わらず君は俯いたままだったが聞いてくれてないわけでは無いから構わず話す。
「あの時に2人で迷子になったときさ、君が泣いたでしょ」
俺は君が泣いていることに気づいた。さっきまでは照れ隠しで俯いていたと思っていたが今は明らかに違う。
何故、泣いているのか分からず、思考が止まる。俺がまた傷つけたのか?
その時、ふと昔の光景がよぎり、繋いでる手を放し、君を抱きしめる。
「大丈夫、俺はそばにいるから」
10年前と同じように泣き止まそうとする。しかし、君はもっと泣き出した。辺りに誰もおらず、真っ暗闇に君の泣く音だけが溶けていった。
俺が出来ることは君が泣き止むまでそばにいてあげることだった。
ある程度、落ち着いたところで君になんで泣いたか聞こうかと思ったのだが、その瞬間、夜空に大きな花が咲いた。
大きな音が連続して鳴り響き、色とりどりの花火が夜空に咲いては散っていった。
俺たちは上がっては消えていく花火をただ並んで見ていた。
昔から変わらないなと思いつつ隣の君の顔を見ると既に泣き止んでおり、花火をじっと見ていた。その横顔に今も昔も変わらず惹かれていた。
最期の大きな花火が上がるとまた静寂が訪れる。俺は花火が上がっている間に何を言えばいいか考えておけばよかったと少し後悔をしつつ、何を言おうかと思考を巡らすが、泣いていた女の子にかける言葉を持っていなかった。
何を話そうか迷っていたけど君の方から話しかけてきた。
「あのさ、私ね、嬉しかったの」
「嬉しかったって?」
「拓海がそばにいるって言ってくれたことが」
それは俺も思うもう10年も前のことだけどそばにいるって言ってくれたことは本当にうれしかったから。
「だけど、今日は拓海が離れていく気がして泣いてしまったの、いつもとは違う祭りに行こうって言って、ここまできて昔の話をするから」
俺のやったことが裏目にでたのか、君の想像力が凄いのかなんてどうでもいい。
多分、俺が悪い、ちゃんと言葉にしないから。
「俺は離れるつもりなんかないよ」
「でも、これからのことを考えるとそういうわけには行かないこともあるかもよ、だって…」
最後の方は言葉にされなかったけど、何を言おうとしたのかはわかる。
「俺さ君のことが好きでずっとそばにいたいし、そばにいてほしいだから俺とこれからも一緒にいてください」
「何年待ったと思ってんのよバカ…」
君はまた泣き始めた。