0-6.そうして兄に諭された
闘士武勲伝 第十二章 五節
澄んだ目は何より尊い
師匠と出会い、二か月が過ぎた頃である。
隣国のイル=ラセア国へ遊学に出ていた兄――オルスト・アル・カーレンが帰って来た。
イル=ラセア国は建国記における神託の巫女を始祖とする、宗教国家である。
十四翼の創造神を信奉するフォレス教の総本山でもあり、オル=ウェルク国とは兄弟国のような関係であった。
三歳年上の兄は、母譲りのブロンドに父譲りの緑の目で、眉目秀麗と名高い。
雰囲気的には、ジェイル王子の記憶のアリオン一世に近いところがあった。
「何か様子が変わったね、ミナ」
兄が帰宅した晩の翌朝、朝食の後のことである。
不意に兄は、私にそう声を掛けた。
ミナというのは私の愛称で、家族はそう呼ぶ。
兄がそうして私に話しかけるのは、珍しいことではなかったが、しばらく離れていたこともあって久しく感じた。
「変わりましたか、私は。具体的にどのように。強くなったと思いますか」
矢継ぎ早に問い詰める私を制しながら、兄は苦笑した。
「そうだね、前より柔らかいというか、丸くなったかな」
「丸くなった……私、太りましたか?」
そういう意味ではない、と、兄は声を上げて笑った。
「笑わないでください、お兄様。私は真剣に聞いているのですよ」
「すまない、笑い過ぎた。どう言えばいいのか、今の方が物事をちゃんと見れているような感じがするね」
「お兄様の話も分かりにくいです」
物事をちゃんと見れている、とはどういうことだろうか。
私は――ジェイル王子の記憶があったためだとは思うが、同年代の子供たちよりずっと物事をちゃんと見ていた筈だ。
「いい師匠についたってことさ」
「どこが! この間も組手でコテンパンにされました」
腹に出来た痣を見せつけると、兄はそっぽを向いて隠すように言った。
「こら。お前ももう七つなのだから、おいそれと肌を見せてはいけないよ」
「でも、見てください! あの鬼師匠はこの柔肌にこんな痣を付けて」
「シンシアもそう思うだろう? ミナの様子が変わったって」
兄は話を遮るように、私の側に控えていたシンシアに問い掛けた。
「はい、お坊ちゃま。お嬢様はある程度、年相応になられたかと」
「それだ。さすがはシンシアだな」
納得がいった、という風に兄は頷いた。
「私は、年相応ではありませんでしたか?」
「なんというか、大人と話しているような気がする部分はあったね」
兄ながら鋭い考察である。
確かに私は、物心ついた頃には自分の中にジェイル王子の記憶があった。
「今は、年相応だと?」
それは子供っぽくなったということなのだろうか。
「ミナはどこか眼鏡を通して物事を見ている節があったけれど、今は自分の目で見れていると思うんだ」
「それが物事をちゃんと見れているということですか?」
兄は満足げに頷いた。
確かに、以前はジェイル王子の記憶を通して物事を見ていたことが多かった気がする。
しかし少なくとも師匠との問答では、私自身の考えを絞り出さなければならないことが多い。
そうするうちに、私は本当の意味で自分の目で物事を見るようになっていたのだろうか。
「少なくとも僕は、良い傾向だと思うよ。前より素敵な女の子になった」
「お兄様、申し訳ありませんが私たちは兄妹です」
「そういうつもりはないのだけれど……」
私の冗談に、兄は困ったように頭を掻いた。
「でも、いい師匠についたというのは同意しかねます」
「ミナは師匠が嫌いなのかい?」
「学ぶべきところは大いにあると思います。でも三年後、私はあの師匠をぎったんぎったんにしてやるのです」
三年後に再び師匠と立ち合うこと、それが師弟関係を結ぶにあたっての条件である。
その間に私は学べるだけ学び、盗めるだけ盗み、そして今度は師匠の顔を、喋るのに不自由するくらい叩いてやるのだ。
「ミナ、やり返したいとか、やっつけてやりたいというのも一つの意欲だとは思うけどね」
「あんな屈辱は初めてでした。復讐せずにいられましょうか」
「聞きなさい。今は分からないかもしれないけれど、ミナはいつか師匠に感謝する時が来ると思うよ」
兄は言い聞かせるように、私の目を見てそう話した。
「師匠を倒したその時は、あるいは感謝するかもしれませんね」
「うーん、まあ今はそれでいいか。でもどこか心の片隅に置いて、師匠の話を聞いてごらん」
そうすれば、より一層広い視野を持てるから――と、兄は付け加えた。
「お兄様の言うことも、師匠みたいです」
私は唇を尖らせた。
観念的というか、思想的というか、噛み砕いて説明はしてくれない。
「この前も、修行の一貫だと魚釣りをさせられました」
「それは変わった修行だね」
「とにかく、よく分からないことを言うのです」
「それを考えることも修行なんだろう? さあ、今日も武術の稽古ではないのかい」
まだまだ不満を言い足りないという私を、兄は優しく諭すように促した。
「そうでした。お兄様、良ければ見ていてくれませんか」
「いいね、僕もミナの師匠に挨拶するとしようか」
「今日こそは師匠に一手入れてみせますからね、期待してください」
差し出された兄の手を、私は無意識に繋いでいた。
やはり子供っぽくというか、年相応な部分が出てきたのかもしれない。