4-10.そうして闘った・急
私の表情は、闘っている者の顔では無かったと思う。逆にエンデは、能面のようだった顔に様々な感情が浮かび上がっていた。
「ぐっ!」
私の突きがエンデの腹に突き刺さる。何てことはない。一歩踏み込んで打つ、最も基本的な中段突きだ。
「顔を庇って、腹筋を固める間がありませんでしたね」
「……お前、気付いたのか」
そう、エンデは痛みに鈍い。もしかすると、痛みを感じないのかもしれない。
言い換えれば、己の負傷度合いを正確に把握出来ないのだ。
故に大抵の打撃には耐えられるほどに身体を鍛え上げているし、関節の柔軟性も相当のものだろう。
だからこそ己の予期せぬ負傷を避けるために、“相打ち”を嫌うのである。
「手を返しても、私の反撃を当てられると“分かった”から何も出来なかった。違いますか?」
エンデは相手の動きを読むことが非常に上手い。それを利用して計略を立てるのも巧みだ。
師匠との立ち合いでも、全てを読み切って上を行った。
それらは全て、己が受ける負傷を最小限に抑えて相手を倒すためのものだ。ある意味では理想の闘い方といえる。
「貴方には、己の身を斬らせて骨を断つような闘いは出来ない。ましてやその上を行く攻防など」
しかし今の一合、私はたとえエンデの反撃を貰っても“こちらの攻撃”を当てていただろう。
思えば、いつだって“私”はそういう闘い方をしてきた。そういう紙一重で、なお相手を上回ることが心技体なのだ。
捨身とか保身といったものでは無い。寸陰の攻防において相手を受け入れ、そして飲み込む。
そこには敵や味方なんて境目は無い。ただ、在るだけだ。
それがガルシャの技――いや、闘士が磨き上げた技なのである。
「もう一度言います」
エンデの表情がはっきりと変わる。先ほどまでの感情が静まり返り、あの相貌が出た。
「貴方は強くない」
「黙れ」
氷のような殺気。音も無くエンデの貫手が、私の喉元に伸びる。
「っ!」
踏み込みの膝を蹴りで押さえ、エンデの貫手は私に触れる寸前で止まる。
「はっ!」
「ちぃっ」
伸びた腕を手繰るように近接し、寸打を脇腹に叩き込んだ。痛みはなくとも動きは鈍る。
「迂闊だな……っ」
首を掴まれる。エンデは私の体勢を崩し、膝蹴りを打ち込もうとするが――しかし私の体勢はぶれない。
「がっ!?」
私はさらに深く潜り込み、脚を払って投げた。
闘技場の床にエンデの巨体が倒れ、土埃が舞う。
「まだっ」
跳ねるように起き上がり、エンデの貫手が繰り出される。急所から急所を狙う殺法だ。
「なっ……!?」
それを私は、ただ前に踏み出すだけで止めた。
エンデの身体には、自分が反撃を食らう状況を避ける動きが染み付いている。
彼の恐怖に飲まれていた時の私には、こんなことは出来なかった。
「……お嬢様、お前に人は殺せまい。それでもオレを殺れるのか?」
「エンデ、私にそんなつもりはありません」
エンデの目の色が変わる。彼にとって闘いとは、取るか取られるかのものでしかない。
究極、最後に敵を殺したほうが勝つのだ。それがエンデの怖さでもある。
「ただ、私は貴方を受け入れた」
エンデの怖さは、私の弱さでもあった。
それに気付けたのは、皆の――私が“守るべきもの”のおかげだ。
この男はきっと私が想像も出来ないような、それこそ修羅場をくぐってきたのだろう。その様々なことが、彼に野心を芽生えさせた。それを知ることは、私には出来ない。
「オレを……受け入れた?」
これが、私の答えだ。私の目指す――“真の武人”のあるべき姿だ。
「だから私は、貴方に勝ちます」
「綺麗事をっ」
最後の技は決まっている。いかに痛みを感じない身体であろうと、いかに鍛え上げた肉体であろうと、意識を刈り取る一撃には耐えられない。
「おおおおっ!」
「はあああっ!」
エンデの貫手を受け外しながら懐へ入り、そのこめかみを己が拳で掠らせる。
そうして私は決着をつけた。
◆ ◆ ◆
あの立ち合いから、ふた月が過ぎた。
私とエンデの婚姻は成らず、その後ディガルシャ国との関係が悪化したということも無い。そこには当のエンデ本人の動きがあったと聞いている。
ディングは再び姿を消した。どこで何をしているかは分からないが、もう心配する必要は無いだろう。
そして私は今、実家であるカーレン家で新学年に向けた準備をしている。
「ミナは、随分と様子が変わったね?」
珍しく兄のオルストが帰ってきていた。昨晩は義姉からえらく嫌味を言われた覚えがあるが、気にしていない。
「そういうお兄様こそ」
「僕もかい? まあ、そうかもしれないね」
兄は考え込むように、茶を口に運んだ。中庭で私は武術の鍛練を、兄は読み物をしているところだ。
「何を読んでおられるのですか?」
「ああ、なかなか興味深い論文があってね。これは――」
「いえ、結構です」
見覚えのある筆跡は、ディングのものだ。それだけのことだが、私はなんだか嬉しい気持ちになっていた。
「学園はどうだい」
「ええ。良き出会い、良き縁に恵まれたと……そう思っています」
私の偽りない答えに、兄は穏やかに笑った。
「おや、お嬢様。こちらにおられましたか」
「師匠!」
師匠がやって来る。初めて会った時は杖をついていたが、今やしっかりと両足で立っていた。
武人の強さに限界は無いのだと、師匠を見ているとつくづく思わされる。
「師匠がここに居られるということは、来たのですね」
「ええ、来ました。仕上がっておりますぞ」
あの闘いの後、私はひとつ約束をした。いや、この言い方は正しくない。
私には“先約”があった。それを今こそ果たすのだ。
「お兄様、お兄様も見ていてください」
「ミナ、何が始まると言うんだい?」
「尋常な立ち合いです」
兄は椅子から転げ落ちそうになっていた。
「では、参りましょう」
「承知しました」
中庭を出て、屋敷の前に赴く。そこにはハルとクロッサの姿もあった。
「ミナ、久しぶり」
「ハル! クロッサ! 二人も変わり無いようで」
お互いに抱擁をかわす。二人も来てくれるとは思っていなかった。
「見届けに来たからね、ミナ」
「安心して。手を抜いたりしないから」
ハルの目は澄んでいた。彼女なりに踏ん切りをつけることが出来たのだろうか。
「セルバン」
「おう」
遅れて馬車から降りてきたセルバンは、強者の雰囲気をまとっていた。
ディングにやられた傷も治っているようだ。
「待たせちまったな」
「いいえ、待ったのは私の方です」
視線と視線が交錯する。私の眼差しを受け止めてなお、強い光を返すほどにセルバンの闘気は漲っていた。
「ミナ、こちらは」
「お兄様。これから私は彼――セルバンと立ち合います」
「立ち合うって……」
まだ状況を飲み込め切れない兄に、師匠が耳打ちする。
「へえ、なるほど。そういうことか」
「お兄様、その顔やめてください」
うんうん、と、頷きながら兄は後ろに下がる。
「よし、今日は父上も母上も不在だ。僕がカーレン家当主代行として見届けよう」
兄は全て見透かすような目で言った。
何か腑に落ちないものを感じながら、私は改めてセルバンと対峙する。
「お嬢様、セルバンは某の予想を大きく超えましたぞ」
「言われずとも分かります」
こうしている今も、肌を震わすほどの気迫が伝わって来る。
「怪我は癒えたようですね」
「万全だ」
どちらともなく、腕を前に差し出す。手首と手首を掛け合わせる、古流に則った立ち合い。
やはりこの形が、最もふさわしいように思えた。
「ミナ。俺は勝つぜ」
「本気で応えます」
音が消え、今ここに在るのは私とセルバンという二人の武人だけ。
そうして、私たちの闘いは――
「で、なんで負けちゃうんですか」
「強すぎんだよ! お前が!!」
呆れながら、私はセルバンを見下ろしている。
結果は私の勝ちだった。それも控えめに言えばあっさりと、はっきり言えば圧勝で。
「よもやお嬢様がこれほどとは、某も思いもよりませんでした」
「もう、師匠!」
師匠は笑いを堪えて、こちらを見ようともしない。
「どうなるの、これ?」
「ひははい」
ハルも何とも言えない微妙な顔をしている。
クロッサはどこに隠していたのか、焼き菓子を頬張っていた。
「まったく、ここは勝って貰わないと何のために私は……」
本当なら今日、私の気持ちをはっきりとセルバンに伝えたかった。けれどそれは叶わない。
「ああもう、セルバン! 私は絶対、誰にも負けませんから!」
きっと私は、耳まで顔を赤くしているだろう。
「だから、だからもっと強くなって――私に勝ってください!」
「ミナ、それって」
「待って、ますから」
喧騒は晴れた空に吸い込まれる。
二度目の春は、すぐそこまで来ていた。




