4-10.そうして闘った・破
もはや多くを語ることは無い。
素手のセルバンに、剣を構えたディング。しかし、圧しているのはセルバンだった。
「その目だ……なんでそんな目が、お前にできる!?」
「あんたには分からねぇよ」
ディングは気迫以上に、何か別のものに気圧されているようだった。
「ふざけるな……俺は認めねぇっ!」
「いい加減にしろよっ!!」
刹那、ディングの腕が動く。奴は手に隠し持っていた暗器を“私とハルに向かって”投げつけた。
「くっ!?」
私の前にはちょうどハルがいる。彼女を逃がすためには、暗器を躱せない。
「ぐあっ!!」
「セルバンっ!!」
私が動くより速く、セルバンが動いた。
ハルと私を庇って、暗器の針が彼の肩を貫く。
「忌々しいんだよ、お前っ!」
「このっ」
前に出ようとした私を、セルバンの目が止める。
(手を出すなって……!?)
背中から迫るディングの斬り下ろし――それよりも速く振り返り、セルバンはその懐へ踏み込む。
「なにっ!?」
「おおおおっ!!」
剣の鍔元を文字通り“身体で受け止めた”セルバンは、必倒の一撃を放った。
何万回、何十万回と繰り返し、磨き上げた拳がディングの顔面を捉える。
「ぐぇあっ!?」
その一撃で、勝負は決した。ディングは力なく崩れ落ち――立っていたのはセルバンだった。
「セルバン、止血しなければ……!」
慌てて彼のもとに駆け寄る。息は荒く、身体は熱を帯びていた。
「いいって。それより、行けよ……そろそろ時間だろ」
確かに予期せぬ妨害のせいで、エンデとの立ち合いの刻限は迫っていた。しかし、こんな状態の彼を捨て置いていけるだろうか。
「だけど、こんな……」
私たちを庇って受けた暗器は、肩を貫通して刺さったままであるし、何より剣を生身で受け止めているのだ。
いくら鍔元とはいえ、身を一寸近くは深く斬られている。流れ出た血は腕を伝い、指先から床に落ちていた。
「いいから、聞け。俺は、お前のことが――」
「セルバンっ!!」
血を流しすぎたのか、セルバンの身体から力が抜ける。支える腕に体重がかかる。こんなに重い身体をしていたとは、思わなかった。
「……大丈夫、ワタシが手当てするからミナは行って」
私の横から、ハルがセルバンを支える。
「ハル、でも!」
耳鳴り。ハルは私の頬を張っていた。
「しっかりして! ミナが勝たなきゃ、ワタシの気持ちはどうなるの!?」
「ハルの……気持ち?」
ハルは涙を拭おうともせず、セルバンを横たえて手当てに取り掛かる。
迷いなく止血を施す様は、応急処置について相当に独学を重ねていたのだろう。誰のためかなんてことは、言うまでもない。
「セルバンが選んだのは、ワタシじゃなくてミナなんだよ」
あの夜――セルバンはハルの気持ちを受け止め、その上で彼女を“選ばなかった”。
それ以上でもそれ以下でもない、あの日にハルの決着はついていたのだ。
「だから、行って。大丈夫」
気丈な様子。きっと今日までに私に言いたいことだって、たくさんあったはずだ。
なのにハルは何も言わなかった。普段どおりに接して、私の気を乱さないようにしてくれたのだ。
「……うん。分かった」
私は弱い――いいや、違う。弱い私も、また私なのだ。
勇気を貰った。腹の底に力を込め、エンデの待つ闘技場へ足を進める。
今度は私が決着をつける番だ。
「……行くのか」
「まだ、何かするつもりですか?」
ディングは横たわったまま、廊下の天井を眺めている。
「何も、しないさ。本当は国王の首でも狙ってやろうかと思っていたがね」
「ライアス・ブラウン。貴方と彼の関係は?」
私の質問に、ディングは苦笑した。
「母方の、血縁だよ。ライアス・ブラウンはガルシャの末裔だ。だからルナス白書を知っていたし、せめてその武勲を語り継ごうと戯曲を書いた」
闘士の武勲は語り継がねばならない――二人の筆者が書き残した想いを、引き継いだ者がまた存在したのだ。
「その想いを……なんて、最初はそうだった」
ディングは後悔しているのだろうか?
国政批判とも取られる彼の著作は知っている。だが彼の筆では、国を変えることはできなかった。
「俺も兄貴も、今のセルバンみたいな目をしていたはずだったのにな」
自嘲まじりの言葉は、遺言のようにも聞こえる。
「やり直せますよ、生きているのですから」
「……優しいんだな、お嬢様は。あいつは強いぜ?」
ディングに向かって私は首を横に振った。エンデは強い――そう思っていた時もある。
「おい、それって……」
闘技場の光は、眩しいまでに私を迎えた。
◆ ◆ ◆
オル=ウェルク国王の御前。父をはじめ、国内の有力諸侯にディガルシャ国の重臣も見える。
その中央にいるオル=ウェルク国王は、さすがの威厳だった。どこかジェイル王子の面影を思わせる威光を前にして、自然と平伏させられる。
「ようやくおいでなさったか、お嬢様」
「お待たせしました」
立ち上がって、改めてエンデと向かい合う。広い闘技場には二人だけだ。あとの面々は一段高い貴賓席についている。
エンデは相変わらずの威圧感で、真っ直ぐに私を見据えていた。能面のような顔には、作り物じみた笑みを貼り付けてある。
闘技場をぐるりと見回すと、国王の隣に座す父と目が合った。私は軽く笑って目配せする。父の驚く顔が見えた。
「逃げなかったことは、褒めるべきかな?」
「褒めていただけるなら、お願いします」
安い挑発を、挑発で返す。以前の私なら気を乱されていただろう。
「それでは、これよりミナスティリア・フィナ・カーレンとエンデローグ・オズ・ディガルシャとの婚姻を決める立ち合いを始める」
大音声で宣誓が成される。
「ミナスティリア・フィナ・カーレン。この立ち合いに勝利した者を、そなたの夫とすることを認めるか?」
「認めます」
続いて、エンデに問いがかかる。
「エンデローグ・オズ・ディガルシャ。この立ち合いに勝利した暁には、ミナスティリアを妻とすることを認めるか?」
「認めよう」
互いに構えを取る。私もエンデも、両手をだらりと下げ、腰を軽く落とした自然体である。
「始めっ!!」
太鼓が鳴らされる。運命を決める一戦において、私の心は水を打ったようだった。
緊張もなく、無論、以前のように恐怖におののくこともない。
「まずは、どうだ?」
エンデが迫る。遠い間合いを一瞬に詰め、必殺の蹴りが放たれた。
(速い)
以前、この蹴りを食らったクロッサの姿が思い浮かぶ。彼女は文字通り空中で回転した。
「やるな」
「っ!」
一歩下がって蹴りを外す。すかさずエンデの嵐のような追撃が襲いかかってきた。
蹴り、突き、そのどれもが一級品で 、致命の威力を秘めている。
「次は、これだ」
点から点を突くような、鋭い貫手。師匠の脇腹を抉った技だ。
相手の動きを先読みして、本来なら必中の拍子で繰り出されているそれを私は躱す。
(やっぱり)
私にはエンデの呼吸が分かった。いや、エンデという人間そのものが分かりはじめていた。
「避けるのは上手くなったじゃあないか」
平静を装っているが、有るか無しかの違和感を覚えている。そうだ、エンデは戸惑っているのだ。
「エンデ、たった今分かりました」
私は、ディングに言った台詞を繰り返す。
「貴方は怖い。だけど――強くない」
「なに……?」
前に出る。私はあっさりとエンデの懐に入った――いや、懐に入れさせた。
「動けなかったと、そう思っていますね」
そうではない、エンデは“動かなかった”のだ。そうすることが“正しい”と直感してしまったから。
「何をっ……したんだ」
エンデが後ずさる。私がしたことは、ただ前に進んだだけだ。
なのに先ほどまで攻め続けていたエンデの方が、今度は何も出来ない。
「次は当てます」
「ッッッ!!」
目に焼き付けた、師匠とエンデの闘い。あの時、師匠の技は完全に決まったように見えた。
しかし立ち上がったエンデは、何の負傷も無いようだった。
(違う)
少なからず負傷はしていたのだ。だが、それを“感じなかった”。
エンデの怖さは、強さではない。自分自身の弱さ――それを受け入れた今の私だからこそ、気付くことができた。




