4-10.そうして闘った・序
オル=ウェルク国はイル=ラセア国と特に繋がりの深い国である。そのためほぼ全ての国民――身分を問わない――は、十四翼創造神を信仰している。
成人の儀も、創世記に登場する聖杯の水を受ける形を踏襲しており、最後に渡される短剣は聖杯をかき混ぜた槍の穂先を意味している。
――『オル=ウェルク国の文化』より抜粋――
成人の儀は滞ること無く終わった。
聖杯の水を手で掬い、額を濡らす。十四翼創造神の洗礼である。その後は儀礼に従って祝詞を唱え、最後に短剣を拝領する。
これで今後オル=ウェルク国内では、成人として扱われることになるのだ。何が変わったわけでもないが、身が引き締まる思いだった。
「これで、三日後」
「やるべきことは、すべてやった」
私は学園の外で、クロッサと会っていた。本来なら成人を迎えたことで、様々な会合やら祝宴があるのだが――特例で免除されている。
なんと言っても、他国の王子と婚姻を賭けた立ち合いをするのだ。それもオル=ウェルク国王の前で。
「周囲は、建前上の立ち合いだと思っているみたい」
「ミナも、そんなつもりが?」
「分かってて聞く?」
クロッサは静かに笑った。
彼女と何度も立ち合った場所で、お互い恥ずかしげもなく草地に腰を下ろして語り合っている。
「クロッサ、私はやる。貴女の分も、この拳をエンデにぶつけてくるから」
「ん、心配はしてない」
実質的に、私とエンデの婚姻は既成事実のようになっていた。今回の立ち合いも、言ってみれば形式上の――見せかけだと思われている節がある。
恐らくはそういった根回しもされていたのだろう。商都バウザーでの一件も広まっている。
だが、私は本気だ。本気でエンデに勝つつもりで、これまで準備をしてきた。
「それより……ハルとセルバンと、何かあった?」
「何かって、言うほどのことではないけれど」
やはりクロッサは誤魔化せない。私はあの日のことを、彼女に聞かせた。
「つまり、私は失恋したっていうわけ……クロッサ、その顔は何?」
クロッサは呆れたような、信じられないものを見るような、なんとも言えない表情で私を見ていた。
「ミナ、本気で言っている? だとしたら、わたしが思っていたより貴女は頭が悪い」
「ちょっと、それはどういう……」
私の抗議は、訪問客によって遮られた。
「ミナ! 成人おめでとう!」
「お父様、それにお母様も!?」
ウォルター・アル・カーレンに、ナイーダ・フィナ・カーレン――私の両親である。
二人は母の率いる私兵団を引き連れ、私とクロッサの前に現れた。
「どうしてここに」
「親が子の成人祝いをする、それ以上の理由があって?」
母は胸を張ってそう答えた。仮にも一国の公爵と、その妻がこんなところにいるのは普通のことでは無い。
「国王陛下の手前、私たちはお前に何もしてやることは出来ない」
「お父様……」
父の目は、今まで見たことが無いほど真剣なものだった。
「だが私は、お前のすることを応援するよ。たとえそれがどのような結果になろうとね」
私がエンデに勝つこと――それはオル=ウェルク国王の御前で、半ば成立しかけている婚姻を蹴るということ。他国の王子の面子を、公衆の面前で潰すということである。
だが父と母は、そんなことを気にするなと言いに来てくれた。これほど心強いことが、他にあるだろうか?
「ありがとう、ございます」
「お嬢様、どうかご武運を」
「シンシア! 貴女も来てくれたのね」
久しぶりに見るシンシアは、相変わらずの様子だった。しかし、表情は柔らかい。
「ミナスティリアさん、こんなところに……って、な、な、ナイーダ様!?」
騒がしい声は、ジュディス先生だ。その後から師匠、ハル、セルバンがやって来る。
空き地はあっという間に、見知った顔でいっぱいになった。
「あ、あの、ワタシはミナ――ミナスティリアさんの同室で」
「ハルさんでしょう? ミナの手紙に書いてあったわ」
「俺、いや、自分は」
「君はセルバン君ね。なかなか頑張っているようじゃない」
母と皆が話している様子を眺めるのは、なんだかくすぐったい気持ちだ。
「闘士武勲伝 第一章 十五節」
「拳を交え、技を競い合ったならそれは朋友」
シンシアと顔を見合わせる。
「お嬢様、ちゃんとご友人ができたのですね」
「ええ……守るべき、良き友人ができました」
この居場所を、守ってみせる。家族との再会は、私に闘う理由のひとつを再認識させてくれた。
◆ ◆ ◆
そうして立ち合いの日がやって来た。オル=ウェルク国王の御前、闘技場までの細い廊下を私は歩いている。
「ミナ、怪我だけはしないで」
「大丈夫、不思議と怖くないの」
心配するハルに、私は応える。虚勢でないのは本当だった。気力が充実し、精神が研ぎ澄まされている。これ以上ないほど万全の状態だった。
「待ってくれ、ミナ」
「セルバン?」
ハルの隣にいたセルバンが、一歩前に出る。
「俺は、お前に言っておかなきゃならないことが――」
「調子が良さそうだな、お嬢様」
これから向かう先に立ちはだかったのは、ディング・サウラだった。
「何か用ですか」
「応援と……ちょっとしたお願いをだな」
言いながら、ディングは何気なく近付いてくる。
「ぎぇっ!?」
「こんなもん、必要ねえだろ」
その腕を、セルバンが掴んだ。暗器が廊下に転がり、硬い音を立てる。
「私が強いほうが、貴方にとって都合が良かったのでは?」
「あの時とは、状況が違うんだよ」
ディングは憎悪に燃えた目で私を見ている。
「まったく、ウォルター・アル・カーレンって男は切れ者だな」
「父上が?」
「そうさ。俺の仕込みをことごとく潰しやがった」
私はディングの目論見に思い当たった。私が勝つこと――すなわちエンデの面子、言いかえればディガルシャ国の面子を潰させることが、この男の目的だったのだ。
だから私が強くなければ意味が無かった。そのための仕込みとやらを、根回ししていたのだろう。
エンデとの婚姻が、事実上成立しているかのように思わせ――この立ち合いを通過儀礼化する。それを蹴ったとなれば、戦争にもなりかねない。
しかしそれは父によって潰された。何もしてやることは出来ないと言いながら、しっかり後ろ盾になってくれていたのである。
「何故そんなことを。貴方の企みは、まるで戦争でも起こそうというような……」
「その通り。俺はこの国が割れればそれでいいんだ」
「だから、今度は私がエンデに敗れ――彼の手によってオル=ウェルク国を揺るがそうと?」
ディングは肯定する。
「そもそもの成り立ちが間違っていた国だ。今の体制を、お嬢様も知らないとは言わせない! 貴族どものくだらない権力争い、犠牲になるのは俺たちみたいな連中さ!」
メイスーン家は、カーレン家との政争に破れて失脚した。敗者と勝者が生まれ、かたや身内が傭兵に身をやつし、かたや当主が公爵にまでのぼり詰めたのである。
「だからといって、そんな勝手な理屈!」
「ルナス白書を読んだだろう! こんな国、なくなっちまえばいいんだよっ!!」
ディングの言うことは、紛れもない八つ当たりだった。子供じみた、けれど自分なりに正当性を見出した八つ当たり。
「ミナ、叔父さんの――いや、こいつのことは俺に任せてくれ」
ディングの腕を離し、セルバンは構えを取る。程よく力が抜けた良い構えだ。
「やるのか? セルバン」
「あんたに引導を渡すのは、きっと俺の役目だ」
ディングは腰から剣を抜き放ち、正眼に構える。膨れ上がる殺気は、本気を物語っていた。
「ミナ、セルバンは……」
「大丈夫」
ハルの心配は分かるが、私は確信していた。
もうディングは、セルバンに敵わない。
「任せる」
私の声に、セルバンは背中で答えた。




