表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/57

0-4.そうして師弟は結ばれた

闘士武勲伝 第八章 一節

敗者を笑う者、敗者に泣く

 その後、何度ハガード老人に投げられただろうか。

 両頬が腫れ上がるくらいには、顔もぶたれた。

 しばらく食欲が湧かないほどには、腹も打たれた。

 私は気絶するまで向かって行き、そしてことごとく打ちのめされたのである。


「……おほうはま?」

「旦那様は公務に出かけられました」


 目を覚ますと私は、自室の寝台に寝かされていた。

 隣には側仕えのシンシアがいて、額の濡れ手ぬぐいを取り換えているところだった。

 シンシアは両親以外で唯一、私を恐れない人間である。

 身分の差はあるが、年の離れた姉のような存在だ。


「あつっ……」

「まだ起き上がらない方がよろしいかと」


 身体を起こそうとすると、まるでばらばらになったかのように力が入らず、激しい痛みを生じた。


「はのほうひんは?」

「奥様と話されています」

「ほはあはまはほかへひにはっはほ?」


 確か、明後日まで視察――と称した遠征で帰らない筈だった。


「ええ、お嬢様が気を失ってもう丸二日経っております」

「はふふふは!?」


 生まれてこの方、そこまで眠ったことは無い。

 あるとすればジェイル王子の記憶の中、素手で大王クラーケンを吊り上げた時くらいだろう。

 三日三晩、洋上で大王クラーケンと格闘した後は、流石に二日ほど眠ったそうだ。

 ちなみに舟も使っておらず、ジェイル王子は荒れ狂う海原に身一つで飛び込み、悪魔と恐れられた体長百尺に迫る大王クラーケンを討伐したのである。

 彼の記憶を受け継いでいる身からしても、信じられない話である。


「どこまで覚えられているのですか?」

「……はへはへは」

「鏡を見ますか?」

「ひはふはい」


 さっきから言葉を発しにくいのは、両頬が腫れ上がっているからだ。


「客人の用意していた特効薬が効いたようで、内臓や骨は問題ないそうですよ」

「ほうはは」


 思い返す程に、悔しさがにじみ出てくる。

 私の拳は当たらず、相手の掌だけが当たる。

 力いっぱい打ち込んだかと思えば、そっくりそのまま跳ね返ってくる。

 手も足も出ないのは、初めての経験だった。


「あら、起きたのね」

「ほはあはま」


 ノックもそこそこに、部屋に入って来たのは母――ナイーダ・フィナ・カーレンだった。

 ブロンドの癖毛を頭の後ろでまとめており、平均的な女性よりもずっと高い上背は、立っているだけでも威圧感を与えてくる。

 そんな母は、そっくりだとよく言われる、青い猫目で私の顔を捉えるなり――


「面白い顔になったわね」


 声を上げて笑った。


「はひはほほひほいほへふは」

「これが笑わずにいられる? とっくに私を追い越してしまった貴女が、ここまでコテンパンにされたのだから」


 我が母ながらいい性格をしているものだ。

 娘が喋るのに苦労する程顔をぶたれたら、普通の母親は怒り狂うだろう。

 母娘の戯れにと組手をした時、顔に一手入れたことを未だに根に持っているのだろうか。

 負けず嫌いにも程があるというものだ。


「ほうひふほうへん はひはっひょうひっへふ」

「敗者を笑う者、敗者に泣く」


 母は「しまった」と言わんばかりに、口元に手をやった。


「そ、そんなに怖い顔で睨まないでちょうだい」

「お、目を覚ましましたか」


 その時、母の後ろから現れたのは、ハガード老人である。

 私は思わず、殺気を隠そうともせず睨み付けた。


「ほう、そこまでやられてまだ心が折れぬか」

「へっはひひゆふははい」


 拳を握りしめ、今にも飛び掛からんばかりの私を見て、ハガード老人は相貌を崩した。


「いやぁ、見上げた根性よな。娘さんは良い武人になりましょうて」

「自慢の娘です。是非に鍛えなおしてください」


 意気を外された私の前に、ハガード老人はよたよたと進み出た。


「不肖ながらこのハガード・ミズリジル。お嬢様の武術指南役を仰せつかりました」


 そうして、実に美しい所作で頭を垂れたのだった。


「試し合いとはいえ、年頃の女子のお顔をひっぱたき失礼いたした」


 頭を上げたハガード老人は、好々爺といった笑顔であった。


「三年もすれば、某の掌はお嬢様にかすりもしなくなるでしょうよ」

「……ほうへんははふ」

「何とでも」


 私は痛む身体に鞭を打ち、寝台から降りて己の足で立って、ハガード老人と向き合った。


「はんへんほ、ほうひひほはははっへふははい」


 三年後、今度は私が手も足も出ないほどに叩きのめしてやる。

 それまでは、師弟関係も甘んじて受け入れよう。


「喜んでいたしましょうぞ」

「ほほひふほへはいひはふ、ひほう」


 こうして私は、ハガード老人を師匠と仰ぎ、武術を学ぶことになったのである。

 が、この師弟関係、三年間どころか私が王立学園に入学を許される十四歳になっても、継続されることになる。

 それほどまでに師匠の教えは学び甲斐があるものだったし、また師匠も私に寄り添い、心技体を正しく育ててくれたのである。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ